鬼と天狗

篠川翠

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第三章 常州騒乱

討伐(1)

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  十日未明に太田陣営に帰った五番組の宿からは、あちこちから高鼾が聞こえてきた。振り返ってみれば、久慈川河畔で戦った後に石名坂で激闘を繰り広げた部下らも、余程疲れていたのだろう。大橋宿で少し眠ったくらいで取れる類のものではなかった。
 自室でふと目を開けると、天井の木目が視界に飛び込んできた。その木目が、人の顔に見えて仕方がない。昨日、自分の眼の前で部下を死んだことを思い返すと、木目は是馬介の顔のようにも見え、鳴海はしばしぼんやりとしていた。だが布団を除け、思い切って起き上がる。隣室に眠る部下らを起こさないように足音を殺して宿の台所を覗くと、宿の主である小林真十郎と目が合った。
「お目覚めでございますか。何か召し上がられますか?」
 そう言われて、鳴海は空腹を覚えた。昨夜、幡村の稲田家でほうぼう汁を食べてからは、何も口にしていない。
「握り飯でよろしければ、お部屋にお持ち致しましょう」
「かたじけない」
 小林はにこりと笑うと、飯櫃から飯を手に取り、器用に握り始めた。部屋に運ばれてきた握り飯には、薄めの味噌汁が添えられていた。握り飯には、この時期らしく木の子が炊き込まれている。それらを腹に納めると、ようやく人心地がついた。
 北門にある鐘楼から、昼九ツを知らせる鐘の音が聞こえてきた。外は日が高くなっており、今日は秋晴れの一日となりそうだった。
 そこへやってきたのは、外記衛門だった。
「鳴海殿。御家老よりご伝言がございます」
「承ります」
 外記衛門によると、源太左衛門は特に急報が入らない限りは、明日まで休養日とする心づもりらしい。そして、戦死者が多かった与兵衛の隊が駐留している法然寺で、戦死者の葬儀を行うとのことだった。
 また、明日には額田方面に駐留していた壬生藩七百人余りも、太田に入る。壬生藩は、稲木村久昌寺に宿を取るという。
 一方、気になる報告も太田に届いていた。鳴海や戸祭が石名坂で激闘を繰り広げていた頃、助川城で火の手が上がっていたという。散切隊らは久慈浜方面に引き上げていったのだから、助川を攻めたのは散切隊ではあり得ない。だとすれば、誰が助川を攻めたものか。
 その質問に、外記衛門は「さあ」と小首を傾げた。ともあれ、山野辺主水正が二本松軍に投降した後も山野辺家中の者らが城に立て籠もっていたはずだから、それを攻めたとすれば、諸生党の手の者には違いなかった。
 鳴海は、一旦浄光寺の本陣へ足を向けることにした。いざ本陣に赴いてみると、葬儀の打ち合わせのためか、その場には与兵衛も姿を見せていた。一昨日に久慈浜で顔を合わせてからわずかな時間しか経っていないにも関わらず、与兵衛はげっそりとやつれた顔をしていた。
「わが隊の者が、世話になり申したな」
 六番組の残兵が五番組と合流し、共に戦ったことを言っているのだろう。だが無理に笑みを浮かべようとしているその顔は、強張りを隠せないでいる。鳴海は首を振った。
「同じ家中の者であれば、当然でございます。六番組の方々も、よく戦って頂きました」
「造酒右衛門などは、三十匁鉄砲を放って猩々緋羽織の武者を討ち取ったと自慢しておったがな」
 与兵衛は、微かに口元を綻ばせた。
「先ほど首実検が終わり水戸藩の方に検分して頂いたところ、田丸稲之介殿と申される武者だったそうな」
 その名を聞いて、鳴海は目を見張った。明らかに、天狗党の首魁である田丸稲之衛門の子息ではないか。散々に負けた印象のある六番組であるが、その一方で、大金星を挙げていたことになる。首の数も七〇を下らず、相当な身分の者と思われる首も混じっているという報告が届けられていた。
「二本松の方々には、誠によく戦って頂いておりまする。我々も負けておられませぬな」
 笑いながら入ってきたのは、一人の老武者だった。弘道館の軍議にはいなかった顔だが、「相羽九十郎と申す」と述べた。何でも、助川城を脱出した大津彦之丞を中染村なかぞめむら方面まで追って回っていたのだという。大津は山野辺主水正が天狗方と見做される原因を作った者だが、主水正が城を脱出した後も助川に留まっていたのだ。だが、助川城を脱出したところで、相羽の指揮下にある諸生党に属する民兵隊百名余りに攻められた。大津は島村金剛寺に潜伏していたものの、遂にそこで討ち取られて首が太田に届いたため、相羽は佐治への報告も兼ねて太田に帰陣していたのだ。
「すると――」
 助川城を攻めたのは、一体誰なのか。その質問を投げかけると、相羽は「恐らく寺門でしょう」とあっさり答えた。
「あの御仁が……」
 どうやら、鳴海や戸祭が石名坂で激闘を繰り広げている間に助川を攻めていたのは、寺門の部隊だったらしい。元から寺門が連れてきた博徒の手下に加え、戸祭から新たに民兵二百余りを預けられ、今やちょっとした物頭と同格の扱いだというのだ。
「……が、寺門は、功も多かれど粗暴な振る舞いも目立ちまする。鳴海殿、決して手綱は緩めなさるな」
 苦笑してみせた相羽に、鳴海は黙って頷いた。

 翌日、法然寺で行われた葬儀には寺門も顔を見せていた。よりによって、寺門は戦装束すら身に着けている。何でも、戸祭から下賜されたものらしい。その風貌も相まって、寺門の出自を知らない者が見れば、一端の武者に見えるだろう。事実、太田御殿にいる佐治へ挨拶に来た壬生藩の者などは寺門の威容に押されたのものか、慌てて頭を下げている。
 仏事が終わった後に鳴海が幡村での饗応の謝辞を述べると、寺門はにっと笑ってみせた。
「あっしも、額田や諸生の皆様をお守りしたい思いは、皆様に負けておりませぬからな。いくらでも戦ってみせまさあ」
 何でも壬生藩の者経由で、額田に滞陣している筧から「額田で筑波勢が暴れ回っているので、額田の嚮導役を頼みたい」との要請が来て、額田方面へ出向くのだという。壬生藩兵の残りの部隊と市川の連合軍は、近々磯崎村辺で筑波勢と対峙するつもりらしかった。だが、説明する寺門の息は相変わらず酒臭い。
「左様でござるか」
 寺門の息に閉口しながらも、鳴海は鷹揚に肯いてみせた。が、寺門が額田方面に出撃するとなると、助川城はがら空きになるのではないか。山野辺家中の者や筑波勢とは別の動きを見せた散切隊も、気になる。やはり、五番組はこのまま太田に留まっているわけにはいかない。
 鳴海は葬儀の直会の席で、源太左衛門にその懸念を申し出た。
「鳴海殿もよく働かれるな」
 源太左衛門は、苦笑してみせた。が、鳴海の主張はもっともだと感じたのだろう。翌日、寺門が手勢三十名余りを率いて向かうのを尻目に、鳴海も再び助川方面への出発の準備を整えた。
「寺門殿の御出立ちは、水戸御家中にも勝りますな」
 太田の街の者がそう褒めそやすのを、鳴海は苦っぽい思いで聞き流した。二本松勢には、国元から、成田又八郎らを援軍として百名ばかり派遣するという知らせも届いていた。じわじわとではあるが、戦の潮目は変わりつつある。だが、油断は禁物だ。鳴海は、馬上で口元を引き締めた。
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