鬼と天狗

篠川翠

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第三章 常州騒乱

対峙(6)

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「が、胸に入れていた二本松神社の守り札に当たったのだろうな。もうだめかと思い、一瞬大入道がこちらに向かって手招いているのを見た後、気がついたら太田へ戻されていた」
 おどけたように語る源太左衛門だが、聞いている鳴海の方がぞっとした。やはり、源太左衛門は九死に一生を得たのではないか。無意識のうちに、鳴海もりんから手渡された守り袋のある辺りに、手を当てた。
「して、お怪我は?」
 鳴海の心配顔に、外記右衛門が苦笑を見せた。
「どうやら、撃たれた衝撃で胸に打ち身ができただけで済んだようです。念の為、こうしてお休みになっていただいておりますが、一刻も早く戦陣に立たせろと煩くて叶いませぬ」
 苦笑する外記右衛門の思いも、分からないではなかった。
「大事がなくて、ようございました」
 鳴海がそう述べると、源太左衛門はちらりと笑顔を見せた。が、すぐに真顔になる。
「内藤殿、して、水府からの援護は如何相成られましたかな?」
「筧様にも、挟撃に御賛同頂きました。壬生藩や宇都宮藩の兵を額田方面に向かわせ、額田には壬生の一手、残りは酒出村に進出し、額田の筑波勢を叩くと仰せになられたそうでございます」
 源太左衛門はしばし瞑目していたが、再び瞼を開くと、今度は視線を外記右衛門に向けた。
「河合の渡はどうなっておる」
「森戸の辺りに掛けて、激しい砲撃戦となっているようでございまする。また、小川殿の兵だけでは心もとないと申され、小川殿は土木内の渡に使いをやり、植木殿が援護に回りましてございます」
「そうか」
 その報告を、鳴海は脳裏で静かに分析していた。戦況はあまり良くない。鳴海率いる五番組も、こちらの援護に回すべきか……。が、下孫に駐屯する残りを移動させるには、一日かかる。そんな鳴海の迷いが顔に出ていたのだろうか。内藤がちらりとこちらを見た。
「噂程度だが、お伝えしてもよろしいか」
「何なりと」
「別途、天狗勢が那珂湊を発ったとの噂が水戸城下で流れているらしい」
 その言い方は、何か含むところがありそうだった。現在小川平助らが対峙している相手は、筑波勢のはずである。
「別働隊でござるか?」
 さあ、と内藤も言い淀んでいる。が、しばらくして顔を上げた。
「――噂によれば、ここ数日、皆髷を落とし散切頭にした異様な風体の集団が、那珂湊付近で見られると。そのような風体で乱暴を働いている者がいるとすれば、或いは筑波勢から除名された……」
「田中隊……」
 鳴海の口調も、厳しくなった。三月の挙兵以来、筑波勢の汚れ役を引き受けていたが、あまりの乱暴ぶりに遂に除名された集団である。
「除名されたはずなのだが、勝手に湊に押しかけたらしい。が、あれを迎え入れれば大炊頭様のお立場はますます悪くなろう。それ故合流を拒まれたらしいが、その後の田中らの行方が杳として知れぬ」
 内藤の説明は、明晰である。それを聞いて、鳴海も先程までの高ぶりについて考え直さなければならなかった。別の一手が現れる可能性があるならば、目の前の久慈川戦線ばかりに気を囚われていてはならない。彼等がどちらを目指すか分からないが、助川城入城を目指していることも念頭に置くべきだろう。
 彼等が北を目指せば、既に山野辺主水正が城を脱出したのは、早々にわかることである。後に残った山野辺家臣らが、どのような行動を取るか。
「太田の民らは、まだ落ち着かぬか?」
 源太左衛門が、外記右衛門に問うた。
「天狗共が押し寄せるとの風聞に怯え、家財道具をまとめている者も少なくありませぬ。何でも七月にも騒動になったそうで、その折の騒ぎも覚えているのでしょう」
 外記右衛門の報告に、源太左衛門は「そうか」と答えたのみだった。何か、考えているらしい。
「鳴海殿。いかがなされる」
 鳴海は、一つ肯いた。
「一両日は留守を預かってくれるように、戸祭殿に頼んで参りました。ですが、田中率いる散切隊とやらが助川を目指すことも、想定するべきでございましょう。今晩はそれぞれの宿舎に返しますが、明朝、また海岸方面へ戻ります。九右衛門らもあちらへ残しておりますし」
「相わかった」
 源太左衛門は、きっぱりと肯いた。そして、内藤に視線を向ける。内藤も、肯き返した。
「今晩には、入四間の相羽殿も再度軍備を整えるために、太田へ帰陣するとの知らせが参った。鳴海殿の手勢、そして相羽殿の手勢がおれば、多少は人心も落ち着きましょう。また、額田の御家老も、このままむざむざとやられっぱなしでいるはずがございませぬ」
「決まりでございますな。鳴海殿には、引き続き海岸方面をお任せする。儂も、明日には起きるぞ」
 そう言い切った源太左衛門に、外記右衛門はやれやれと言いたげな苦笑を向けた。そして、内藤の姿が消えると、そこにいるのは二本松藩の人間だけとなった。
「――気になるのは、与兵衛様の隊でございます」
 外記右衛門の言葉に、鳴海は眉を上げた。
「川沿いに天狗勢が散開しているので、止むを得ないのですが……。六番組の兵が、いささか分散しすぎの気が致します」
 外記右衛門の言葉に、鳴海は広げられた絵図を注視した。確かに外記右衛門の言う通りで、殿担当の青山伊記が留の渡、物頭の寺西次郎介は竹瓦、そして与兵衛は久慈浜を守っている。満遍なく警邏したいのはわかるのだが、その分一隊当たりの兵数は限られてくる。攻めてくる天狗勢の人数が把握できない以上、一か八かの賭けとも言えた。さりとて、それ以上の良案も浮かばない。さらに、先程内藤が言い残していった別の天狗勢の情報も、気になるところである。仮に、小川らが筑波勢本隊を叩いたとしても、全く別の地点から攻め込まれれば、助川戦線まで防ぎようがない。
「五番組も、次第によっては久慈浜まで進出させましょう」
「頼む」
 源太左衛門が、深々と肯いた。
「そなたも、無理は禁物ぞ。万が一敵兵の数が予想より多い場合は、できるだけ兵を損なうことなく、太田へ引き揚げて参れ。殿からお預かりしている、大切な兵だ」
「畏まりまして候」
 鳴海も、頭を下げた。
 
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