鬼と天狗

篠川翠

文字の大きさ
上 下
161 / 196
第三章 常州騒乱

対峙(6)

しおりを挟む
「が、胸に入れていた二本松神社の守り札に当たったのだろうな。もうだめかと思い、一瞬大入道がこちらに向かって手招いているのを見た後、気がついたら太田へ戻されていた」
 おどけたように語る源太左衛門だが、聞いている鳴海の方がぞっとした。やはり、源太左衛門は九死に一生を得たのではないか。無意識のうちに、鳴海もりんから手渡された守り袋のある辺りに、手を当てた。
「して、お怪我は?」
 鳴海の心配顔に、外記右衛門が苦笑を見せた。
「どうやら、撃たれた衝撃で胸に打ち身ができただけで済んだようです。念の為、こうしてお休みになっていただいておりますが、一刻も早く戦陣に立たせろと煩くて叶いませぬ」
 苦笑する外記右衛門の思いも、分からないではなかった。
「大事がなくて、ようございました」
 鳴海がそう述べると、源太左衛門はちらりと笑顔を見せた。が、すぐに真顔になる。
「内藤殿、して、水府からの援護は如何相成られましたかな?」
「筧様にも、挟撃に御賛同頂きました。壬生藩や宇都宮藩の兵を額田方面に向かわせ、額田には壬生の一手、残りは酒出村に進出し、額田の筑波勢を叩くと仰せになられたそうでございます」
 源太左衛門はしばし瞑目していたが、再び瞼を開くと、今度は視線を外記右衛門に向けた。
「河合の渡はどうなっておる」
「森戸の辺りに掛けて、激しい砲撃戦となっているようでございまする。また、小川殿の兵だけでは心もとないと申され、小川殿は土木内の渡に使いをやり、植木殿が援護に回りましてございます」
「そうか」
 その報告を、鳴海は脳裏で静かに分析していた。戦況はあまり良くない。鳴海率いる五番組も、こちらの援護に回すべきか……。が、下孫に駐屯する残りを移動させるには、一日かかる。そんな鳴海の迷いが顔に出ていたのだろうか。内藤がちらりとこちらを見た。
「噂程度だが、お伝えしてもよろしいか」
「何なりと」
「別途、天狗勢が那珂湊を発ったとの噂が水戸城下で流れているらしい」
 その言い方は、何か含むところがありそうだった。現在小川平助らが対峙している相手は、筑波勢のはずである。
「別働隊でござるか?」
 さあ、と内藤も言い淀んでいる。が、しばらくして顔を上げた。
「――噂によれば、ここ数日、皆髷を落とし散切頭にした異様な風体の集団が、那珂湊付近で見られると。そのような風体で乱暴を働いている者がいるとすれば、或いは筑波勢から除名された……」
「田中隊……」
 鳴海の口調も、厳しくなった。三月の挙兵以来、筑波勢の汚れ役を引き受けていたが、あまりの乱暴ぶりに遂に除名された集団である。
「除名されたはずなのだが、勝手に湊に押しかけたらしい。が、あれを迎え入れれば大炊頭様のお立場はますます悪くなろう。それ故合流を拒まれたらしいが、その後の田中らの行方が杳として知れぬ」
 内藤の説明は、明晰である。それを聞いて、鳴海も先程までの高ぶりについて考え直さなければならなかった。別の一手が現れる可能性があるならば、目の前の久慈川戦線ばかりに気を囚われていてはならない。彼等がどちらを目指すか分からないが、助川城入城を目指していることも念頭に置くべきだろう。
 彼等が北を目指せば、既に山野辺主水正が城を脱出したのは、早々にわかることである。後に残った山野辺家臣らが、どのような行動を取るか。
「太田の民らは、まだ落ち着かぬか?」
 源太左衛門が、外記右衛門に問うた。
「天狗共が押し寄せるとの風聞に怯え、家財道具をまとめている者も少なくありませぬ。何でも七月にも騒動になったそうで、その折の騒ぎも覚えているのでしょう」
 外記右衛門の報告に、源太左衛門は「そうか」と答えたのみだった。何か、考えているらしい。
「鳴海殿。いかがなされる」
 鳴海は、一つ肯いた。
「一両日は留守を預かってくれるように、戸祭殿に頼んで参りました。ですが、田中率いる散切隊とやらが助川を目指すことも、想定するべきでございましょう。今晩はそれぞれの宿舎に返しますが、明朝、また海岸方面へ戻ります。九右衛門らもあちらへ残しておりますし」
「相わかった」
 源太左衛門は、きっぱりと肯いた。そして、内藤に視線を向ける。内藤も、肯き返した。
「今晩には、入四間の相羽殿も再度軍備を整えるために、太田へ帰陣するとの知らせが参った。鳴海殿の手勢、そして相羽殿の手勢がおれば、多少は人心も落ち着きましょう。また、額田の御家老も、このままむざむざとやられっぱなしでいるはずがございませぬ」
「決まりでございますな。鳴海殿には、引き続き海岸方面をお任せする。儂も、明日には起きるぞ」
 そう言い切った源太左衛門に、外記右衛門はやれやれと言いたげな苦笑を向けた。そして、内藤の姿が消えると、そこにいるのは二本松藩の人間だけとなった。
「――気になるのは、与兵衛様の隊でございます」
 外記右衛門の言葉に、鳴海は眉を上げた。
「川沿いに天狗勢が散開しているので、止むを得ないのですが……。六番組の兵が、いささか分散しすぎの気が致します」
 外記右衛門の言葉に、鳴海は広げられた絵図を注視した。確かに外記右衛門の言う通りで、殿担当の青山伊記が留の渡、物頭の寺西次郎介は竹瓦、そして与兵衛は久慈浜を守っている。満遍なく警邏したいのはわかるのだが、その分一隊当たりの兵数は限られてくる。攻めてくる天狗勢の人数が把握できない以上、一か八かの賭けとも言えた。さりとて、それ以上の良案も浮かばない。さらに、先程内藤が言い残していった別の天狗勢の情報も、気になるところである。仮に、小川らが筑波勢本隊を叩いたとしても、全く別の地点から攻め込まれれば、助川戦線まで防ぎようがない。
「五番組も、次第によっては久慈浜まで進出させましょう」
「頼む」
 源太左衛門が、深々と肯いた。
「そなたも、無理は禁物ぞ。万が一敵兵の数が予想より多い場合は、できるだけ兵を損なうことなく、太田へ引き揚げて参れ。殿からお預かりしている、大切な兵だ」
「畏まりまして候」
 鳴海も、頭を下げた。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

処理中です...