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第三章 常州騒乱
対峙(1)
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鳴海率いる五番組は、ひとまず下孫に駐留することになっていた。また、先に成沢に駐屯していた源太左衛門らの任務引き継ぎのために、下孫到着前に石名坂に立ち寄ることになっていた。ここで昼食の休憩がてら、戸祭久之允隊や寺門登一郎隊と顔合わせをすることになっているのである。
真弓道を東に進み大橋宿に出たところで、道は陸前浜街道に突き当たる。そこから北に方向を転じると、打ち合わせの場となっている石名坂の村が見えてきた。石名坂は坂の固有名詞であると共に、その坂を抱える村の名でもある。
「少しゆっくり進ませてくれ」
鳴海の言葉に、九右衛門が肯いた。先の金沢合戦の折にここで天狗勢と諸生党との間で激戦になったというのを源太左衛門から聞いていたこともあり、じっくりと観察したかったのだ。
問題の場所は東側に崖が迫り、かつ長く険しい隘路である。諸生党の戸祭は坂の上から臼などを転がして敵の足元を掬おうとしたが、狙いが外れてうまくいかなかったらしい。その上、地元の天狗党寄りの農民を味方につけた山野辺軍は、その農民の案内により間道を利用して石名坂を突破し、逆に戸祭・寺門軍を破って助川に帰り着いたというのである。
秋になりぽつぽつと樹木の葉が落ち始めているとは言え、坂の両脇は鬱蒼として薄暗い。ここに兵を潜ませられれば、確かに気付きにくいだろう。
その坂を登り切ってしばらく行くと、台地が見えてきた。土地の者は、この台地に田畑を墾き、人家や宿があるのもこの近辺であるという。さらに、飢饉に備えた備蓄庫として、村の中央には郷倉が建てられている。その郷倉の脇には、大きな切り株と、まだ若い榎がひょろりと立っているのが目に入った。地元の者をつかまえて聞くと、榎は七十二年に一度の金砂神社磯出例大祭のために植えられているのだという。七十二年周期で植樹と伐採を行い、数年前の例大祭においても、その切り株に御神輿が安置されたのだそうだ。
郷倉の近くには、この地の庄屋の家がある。その庭先を借りて、一旦休息ということになった。
先触れをやると、すぐに中から主である長山という者が挨拶に出てきた。
「丹羽御家中の方々ですな。お話は伺っております」
揉み手をしながら如才ない様子で挨拶に出てきた長山は、どことなく卑屈そうな印象を与えた。
「戸祭殿や寺門殿は?」
口取りに馬を預けると、鳴海は長山に尋ねた。
「既に、御膳の席に着かれております。どうぞ、こちらへ」
侍大将である鳴海や物頭である九右衛門の席は、屋敷の客間に用意されていた。そこには、弘道館で見かけた戸祭と、どこかふてぶてしさを感じさせる男が座っていた。あのふてぶてそうな男が、寺門だろう。左側の頬には長く伸びる傷跡があり、凄みを感じさせた。その体躯から醸す雰囲気からして、堅気の者でないのは明白である。
自席に着くと、鳴海は改めて戸祭に頭を下げた。
「二本松藩五番組番頭、大谷鳴海と申す。弘道館では、挨拶の暇すらなくご無礼仕った」
鳴海の挨拶に、改めて戸祭も頭を下げた。
「大沼陣屋海防掛を任されている、戸祭久之丞と申しまする」
少なくとも弘道館で多少は言葉を交わした戸祭の方が、まだ話は通じそうな気がする。寺門の膳にだけ酒器がついているのも、鳴海の気に障った。戦の前に酒気を帯びるなど、碌な者ではないのではないか。
鳴海の咎めるような視線を気にしたものか、寺門が片頬を上げた。
「申し訳ないですな、大将。あっしは酒がないと気が狂うもので。戸祭様のご厚情により、許されておりまする」
現代風に言えば、アルコール中毒である。謹厳な武家社会で生まれ育ってきた鳴海は、そのような者に出会ったことすらなかった。愛想笑いを浮かべる気にもならない。
「どうか御寛恕願えませぬか、大谷殿。これでも、寺門の手の者らはよく働きまする」
弁解するような戸祭の言葉に、鳴海は渋々肯いてみせた。寺門の態度は気に食わないが、戦を目の前にして些事を言い立てても仕方がない。
続けて、鳴海は戸祭から現況の説明を受けた。
現在も山野辺主水正は助川海防城に立て籠もっている。助川海防城の北方には寺門隊、戸祭隊、戸祭の同僚である菊地善左衛門隊が、さらにその北側には友部海防陣屋の木内六右衛門、平藩の安藤勢、松岡藩の中山勢が控えている。それだけにとどまらず、高鈴山には山本三平、入四間方面には相羽九十郎が哨戒し、蟻の通る隙間すらないのではないかと思われるほどの厳戒態勢が、依然として敷かれているのだった。昔風に言えば、「兵糧攻め」の様相を呈している。
が、助川海防城は烈公の肝入で作られたという経緯もあり、武器庫などもある。そこには砲弾などもあるであろうし、こちらの隙を突いて天狗勢が合流してくることも考えられるというのが、戸祭の説明だった。
「武器か……」
鳴海の呟きに、戸祭が肯いてみせた。
「それがしも、大沼の海防陣屋から多少なりとも持ち出して参りましたが……。助川の武器庫には、それ以上の武具が備えられておりまする」
その言葉に、鳴海は不安を覚えた。戸祭が大沼海防陣屋の責任者であるから、持ち出す権限を持っているのは、まだわかる。だが、わざわざそのような説明を加える事自体が、不審だったのだ。
「大将、覚えておきなされ。山野辺様は元々天狗共の薫陶を受け、その御家来衆も天狗贔屓が多い。戸祭様もそれらの有象無象をまとめ上げるのにご苦労されていたが、三月に天狗共が筑波で兵を挙げてから、大沼陣屋の天狗贔屓の者らは、皆そちらへ駆けつけた。その隙を突いて、戸祭様は大沼陣屋の支配を確実にした次第でござる」
酔っていながらも横から説明を加える寺門の説明は、鳴海にも納得のいくものだった。
「登一郎。お主は度々主水正様から追捕を受けていたから、主水正様が嫌いなのであろうが」
たしなめる戸祭の声にも、一抹の遠慮がある。が、特に寺門の説明を否定しないところをみると、寺門の説明は事実なのだろう。案の定、寺門は肩を竦めて再び酒を注いだ。
真弓道を東に進み大橋宿に出たところで、道は陸前浜街道に突き当たる。そこから北に方向を転じると、打ち合わせの場となっている石名坂の村が見えてきた。石名坂は坂の固有名詞であると共に、その坂を抱える村の名でもある。
「少しゆっくり進ませてくれ」
鳴海の言葉に、九右衛門が肯いた。先の金沢合戦の折にここで天狗勢と諸生党との間で激戦になったというのを源太左衛門から聞いていたこともあり、じっくりと観察したかったのだ。
問題の場所は東側に崖が迫り、かつ長く険しい隘路である。諸生党の戸祭は坂の上から臼などを転がして敵の足元を掬おうとしたが、狙いが外れてうまくいかなかったらしい。その上、地元の天狗党寄りの農民を味方につけた山野辺軍は、その農民の案内により間道を利用して石名坂を突破し、逆に戸祭・寺門軍を破って助川に帰り着いたというのである。
秋になりぽつぽつと樹木の葉が落ち始めているとは言え、坂の両脇は鬱蒼として薄暗い。ここに兵を潜ませられれば、確かに気付きにくいだろう。
その坂を登り切ってしばらく行くと、台地が見えてきた。土地の者は、この台地に田畑を墾き、人家や宿があるのもこの近辺であるという。さらに、飢饉に備えた備蓄庫として、村の中央には郷倉が建てられている。その郷倉の脇には、大きな切り株と、まだ若い榎がひょろりと立っているのが目に入った。地元の者をつかまえて聞くと、榎は七十二年に一度の金砂神社磯出例大祭のために植えられているのだという。七十二年周期で植樹と伐採を行い、数年前の例大祭においても、その切り株に御神輿が安置されたのだそうだ。
郷倉の近くには、この地の庄屋の家がある。その庭先を借りて、一旦休息ということになった。
先触れをやると、すぐに中から主である長山という者が挨拶に出てきた。
「丹羽御家中の方々ですな。お話は伺っております」
揉み手をしながら如才ない様子で挨拶に出てきた長山は、どことなく卑屈そうな印象を与えた。
「戸祭殿や寺門殿は?」
口取りに馬を預けると、鳴海は長山に尋ねた。
「既に、御膳の席に着かれております。どうぞ、こちらへ」
侍大将である鳴海や物頭である九右衛門の席は、屋敷の客間に用意されていた。そこには、弘道館で見かけた戸祭と、どこかふてぶてしさを感じさせる男が座っていた。あのふてぶてそうな男が、寺門だろう。左側の頬には長く伸びる傷跡があり、凄みを感じさせた。その体躯から醸す雰囲気からして、堅気の者でないのは明白である。
自席に着くと、鳴海は改めて戸祭に頭を下げた。
「二本松藩五番組番頭、大谷鳴海と申す。弘道館では、挨拶の暇すらなくご無礼仕った」
鳴海の挨拶に、改めて戸祭も頭を下げた。
「大沼陣屋海防掛を任されている、戸祭久之丞と申しまする」
少なくとも弘道館で多少は言葉を交わした戸祭の方が、まだ話は通じそうな気がする。寺門の膳にだけ酒器がついているのも、鳴海の気に障った。戦の前に酒気を帯びるなど、碌な者ではないのではないか。
鳴海の咎めるような視線を気にしたものか、寺門が片頬を上げた。
「申し訳ないですな、大将。あっしは酒がないと気が狂うもので。戸祭様のご厚情により、許されておりまする」
現代風に言えば、アルコール中毒である。謹厳な武家社会で生まれ育ってきた鳴海は、そのような者に出会ったことすらなかった。愛想笑いを浮かべる気にもならない。
「どうか御寛恕願えませぬか、大谷殿。これでも、寺門の手の者らはよく働きまする」
弁解するような戸祭の言葉に、鳴海は渋々肯いてみせた。寺門の態度は気に食わないが、戦を目の前にして些事を言い立てても仕方がない。
続けて、鳴海は戸祭から現況の説明を受けた。
現在も山野辺主水正は助川海防城に立て籠もっている。助川海防城の北方には寺門隊、戸祭隊、戸祭の同僚である菊地善左衛門隊が、さらにその北側には友部海防陣屋の木内六右衛門、平藩の安藤勢、松岡藩の中山勢が控えている。それだけにとどまらず、高鈴山には山本三平、入四間方面には相羽九十郎が哨戒し、蟻の通る隙間すらないのではないかと思われるほどの厳戒態勢が、依然として敷かれているのだった。昔風に言えば、「兵糧攻め」の様相を呈している。
が、助川海防城は烈公の肝入で作られたという経緯もあり、武器庫などもある。そこには砲弾などもあるであろうし、こちらの隙を突いて天狗勢が合流してくることも考えられるというのが、戸祭の説明だった。
「武器か……」
鳴海の呟きに、戸祭が肯いてみせた。
「それがしも、大沼の海防陣屋から多少なりとも持ち出して参りましたが……。助川の武器庫には、それ以上の武具が備えられておりまする」
その言葉に、鳴海は不安を覚えた。戸祭が大沼海防陣屋の責任者であるから、持ち出す権限を持っているのは、まだわかる。だが、わざわざそのような説明を加える事自体が、不審だったのだ。
「大将、覚えておきなされ。山野辺様は元々天狗共の薫陶を受け、その御家来衆も天狗贔屓が多い。戸祭様もそれらの有象無象をまとめ上げるのにご苦労されていたが、三月に天狗共が筑波で兵を挙げてから、大沼陣屋の天狗贔屓の者らは、皆そちらへ駆けつけた。その隙を突いて、戸祭様は大沼陣屋の支配を確実にした次第でござる」
酔っていながらも横から説明を加える寺門の説明は、鳴海にも納得のいくものだった。
「登一郎。お主は度々主水正様から追捕を受けていたから、主水正様が嫌いなのであろうが」
たしなめる戸祭の声にも、一抹の遠慮がある。が、特に寺門の説明を否定しないところをみると、寺門の説明は事実なのだろう。案の定、寺門は肩を竦めて再び酒を注いだ。
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