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第三章 常州騒乱
掃討(4)
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「然らば太田守備の御役目、我が藩がお引き受け申そう」
その声に、鳴海は目を見開いた。源太左衛門は、水戸藩の面前で賭けに打って出たのである。声は落ち着き払っているが、その言葉の意味は重かった。
「ですが、日野殿。太田を守るは、易きことではございませぬぞ」
佐治が慌てたように、源太左衛門に異を唱えた。本来の太田陣将は彼である。他藩の力を借りて太田を守備したとあれば、彼の面目が丸潰れになると危惧したのかもしれない。が、源太左衛門は例によってゆったりと笑ってみせただけだった。
「わが藩の祖宗以来の精神は、民生の撫育にございます。多年住民が培ってきた街を惨しき焦土と為すは、他領といえども藩風に背きまする」
その言葉に、鳴海は感動を覚えた。水戸藩の錚々たる面々の前で、源太左衛門は二本松武士らの矜持をさらりと披露してみせた。
黙って源太左衛門の言い分を聞いていた市川が、顔を上げた。
「日野殿としては、如何に太田を守るおつもりかな?」
源太左衛門は、懐から指揮杖を取り出して大河を指し示した。
「聞くところによれば、彼の地の前方には久慈と呼ばれる大河が流れて、海に入るそうですな。我が藩兵がこの久慈川の線において防備し、賊徒の侵入を許さざれば、彼の地は戦火を免れましょう」
「……大した自信でござるな」
市川が、口元を緩めた。市川の言うところも無理からぬところで、あらゆる戦の定石の中でも、川戦は困難を伴うとされている。源太左衛門は、それをやってみせようというのだ。
「我が一手を持って、誓ってこれを果たしてみせましょう」
源太左衛門は、微笑を浮かべたままである。それを見た市川は、隣に座る筧にちらりと視線を投げかけた。
「どう思われる、筧殿」
「悪くはございますまい。ですが……」
筧は、尚も逡巡している。本来は水戸藩の内訌に端を発しているにも関わらず、他藩の兵に重要な土地の防衛を任せるのは、やはり迷いがあるらしい。
「賊徒がもし彼の地に進撃してきたならば、我らはこれを防ぎましょう。水戸藩諸兄らは、背後から攻められたい」
久慈川を防衛線として天狗党勢を挟み撃ちにしようというのが、源太左衛門の立てた作戦だった。
鳴海が先程異を唱えた内藤に視線を向けると、やはり絵図を睨みつけたままである。恐らく、源太左衛門の作戦は悪くない。が、出来れば水戸藩としては自分等の手で事の白黒をつけたい。そんな迷いが、透けて見えた。
水戸藩側の迷いを読み取ったかのように、源太左衛門はさらに大胆な提案を重ねた。
「もしも我らの戦意が疑わしくば、水藩より軍監を付して督励されませ」
そう言うと、源太左衛門はこちらを見て笑った。もちろん、鳴海や与兵衛に異論のあるはずがなかった。
「我々も、異存ござらぬ。如何でござるかな?内藤殿」
与兵衛の口元にも、不敵な笑みが浮かんでいる。鳴海も与兵衛と同じように挑戦的な笑顔を作った。
「――よう申された」
内藤が愁眉を開き、水藩家老陣、そして幕軍の目付けである小出に向かい合った。
「市川様、筧様。それがしが、二本松家中の方々と行動を共に致しまする。それで何卒ご了見なされませ」
内藤は自分が太田防衛を言い出した手前、自ら二本松藩の軍監役を引き受けるという。源太左衛門も、それに肯き返してみせた。
「良いのではないか。市川殿、異論はござるまい」
それまで黙っていた小出が、ようやく言葉を発した。この男は先の下妻合戦で江戸に逃げ帰ったという話を、鳴海はちらりと思い出した。が、いつの間にか水戸領内に戻ってきていたらしい。
「相分かった。内藤、二本松の方々をお助けせよ」
市川の言葉に、二本松藩の三人が顔を緩めたときである。廊下をバタバタと足音高く駆けてくる音がして、書院の襖が開かれた。
「何事か、騒々しい」
筧が、顔を顰めた。そこには、鎧を纏った若武者が息を弾ませていた。
「申し上げます。大沼方面の留守を預けておりました相羽九十郎殿よりご伝言でございます。助川海防城の山野辺主水正様、諸生の一隊と戦闘になっておりまする」
「やはり戦になっておるか」
今まで黙っていた男が、ぼそりと呟いた。鳴海らが軍議の前に紹介された面々の名前を、頭の中で素早く復唱する。確かこの男は、太田陣将である佐治の部下で、戸祭と言ったか。助川海防城と同年の天保七年に設置された、大沼異国船御番所の防衛掛を任せられている男だ。
「やはり……というのは?」
鳴海の問いに、戸祭が肯いてみせた。
「山野辺家中の大津が大炊頭様の手に加わっておったという知らせは、我らも掴んでおりました」
忌々しそうに、戸祭が吐き捨てた。
この情報から、大津は大炊頭の意向を受けて助川海防城にいる主水正に助けを求めるだろうと踏んでいたところ、案の定、石神まで進出してきた主水正と合流した。そのため、石神村で諸生党に与する寺門と戦になり、山野辺や主水正は助川への街道途中にある大和田村まで逃げ戻った。ここで、別の諸生党らの隊と戦になり、一進一退の攻防が繰り広げられているというのだ。
「できれば、こちらにも一手増援を求めたいところでございまする」
戸祭が、じろりと佐治を睨みつけた。佐治が首を竦める。この様子を伺うに、以前より太田防衛や助川方面の防衛を巡って、意見の相違があったのだろう。鳴海が絵図に目を落とすと、助川海防城から太田まではおよそ四、五里ほどといったところか。太田は陸前浜街道の街道筋からは外れているが、鳴海は別の道が気になった。
「戸祭殿。助川城下から太田までの道は?」
鳴海の問いに、戸祭は鳴海が気になった道を指し示した。
「太田はかつて佐竹公が居城とされていた街。それ故に、真弓・大森を通り石名坂に出る古道がございまする。あの近辺を巡って、ここ数日攻防を繰り返している次第でござる」
「石名坂か……」
筧が、ぼそりと呟いた。
「あそこは、確かに陸前浜街道随一の難所と言われる場所であるからな。それ故にこちらが先取しておかねばならぬ場所でもあるが……。そこまでの余力は、我らにもないぞ。何とか持ちこたえられぬか?」
筧は、戸祭を振り返った。筧の述べることももっともだった。何せ、那珂川対岸の青柳や枝川には、天狗党の多い額田から進軍してきた大炊頭率いる大発勢本隊が布陣しているのである。
「ですが……」
尚も渋る戸祭に声を掛けたのは、またしても源太左衛門だった。
「然らば、二本松からも兵を出しましょう。本軍には我が藩の与兵衛殿と鳴海殿を残し、拙者が一手を率いて助川に向かいまする。良いな?」
源太左衛門が、こちらを振り向いた。総大将である源太左衛門自ら助川に赴くというのだから、大胆な発想である。日頃物静かな源太左衛門にこのような一面があるというのは、鳴海にとっても思いがけない発見だった。
「さすがは御家老でございます。我々も、水戸の方々と共に民等を守りましょうぞ」
鳴海の軽口に、源太左衛門が頬を緩めた。
その後、細々とした打ち合わせが行われた。翌朝、源太左衛門は助川方面へ向かう。他に平藩や松岡藩(高萩)にも助川城攻撃の陣に加わるようにとの命令を出すとのことだった。源太左衛門の受け持ちは、助川城南口に当たる成沢・蓼沼方面である。北口は戸祭の同僚である菊地善左衛門が受け持つ。さらに入四間方面は先程まで石神付近に駐屯していた寺門らを呼び寄せて警戒に当たらせる。宮田から入四間、そして東河内へと抜ける山道があり、地元の者らは里川沿いの山間部と海岸部を往来するのに頻繁に利用している古道だという。
また、鳴海と与兵衛らは、上水戸から中河内の渡より那珂川を渡る。中河内と隣接する青柳村は大発勢の本軍がいるはずだが、鳴海らはその目を掠めるようにして那珂川を渡り、大発勢の背後を抑えるというものだった。一方、大発勢の正面には市川勢や幕軍の小出ら数千名規模の連合軍が当たる。先程二本松軍付きの軍監に指名された内藤は鳴海らと共に行動し、一旦大発勢を退かせたならば、鳴海らはそのまま太田へ進軍するというのが、作戦の概要である。
打ち合わせが終わったのは、間もなく日も暮れようという頃だった。
その声に、鳴海は目を見開いた。源太左衛門は、水戸藩の面前で賭けに打って出たのである。声は落ち着き払っているが、その言葉の意味は重かった。
「ですが、日野殿。太田を守るは、易きことではございませぬぞ」
佐治が慌てたように、源太左衛門に異を唱えた。本来の太田陣将は彼である。他藩の力を借りて太田を守備したとあれば、彼の面目が丸潰れになると危惧したのかもしれない。が、源太左衛門は例によってゆったりと笑ってみせただけだった。
「わが藩の祖宗以来の精神は、民生の撫育にございます。多年住民が培ってきた街を惨しき焦土と為すは、他領といえども藩風に背きまする」
その言葉に、鳴海は感動を覚えた。水戸藩の錚々たる面々の前で、源太左衛門は二本松武士らの矜持をさらりと披露してみせた。
黙って源太左衛門の言い分を聞いていた市川が、顔を上げた。
「日野殿としては、如何に太田を守るおつもりかな?」
源太左衛門は、懐から指揮杖を取り出して大河を指し示した。
「聞くところによれば、彼の地の前方には久慈と呼ばれる大河が流れて、海に入るそうですな。我が藩兵がこの久慈川の線において防備し、賊徒の侵入を許さざれば、彼の地は戦火を免れましょう」
「……大した自信でござるな」
市川が、口元を緩めた。市川の言うところも無理からぬところで、あらゆる戦の定石の中でも、川戦は困難を伴うとされている。源太左衛門は、それをやってみせようというのだ。
「我が一手を持って、誓ってこれを果たしてみせましょう」
源太左衛門は、微笑を浮かべたままである。それを見た市川は、隣に座る筧にちらりと視線を投げかけた。
「どう思われる、筧殿」
「悪くはございますまい。ですが……」
筧は、尚も逡巡している。本来は水戸藩の内訌に端を発しているにも関わらず、他藩の兵に重要な土地の防衛を任せるのは、やはり迷いがあるらしい。
「賊徒がもし彼の地に進撃してきたならば、我らはこれを防ぎましょう。水戸藩諸兄らは、背後から攻められたい」
久慈川を防衛線として天狗党勢を挟み撃ちにしようというのが、源太左衛門の立てた作戦だった。
鳴海が先程異を唱えた内藤に視線を向けると、やはり絵図を睨みつけたままである。恐らく、源太左衛門の作戦は悪くない。が、出来れば水戸藩としては自分等の手で事の白黒をつけたい。そんな迷いが、透けて見えた。
水戸藩側の迷いを読み取ったかのように、源太左衛門はさらに大胆な提案を重ねた。
「もしも我らの戦意が疑わしくば、水藩より軍監を付して督励されませ」
そう言うと、源太左衛門はこちらを見て笑った。もちろん、鳴海や与兵衛に異論のあるはずがなかった。
「我々も、異存ござらぬ。如何でござるかな?内藤殿」
与兵衛の口元にも、不敵な笑みが浮かんでいる。鳴海も与兵衛と同じように挑戦的な笑顔を作った。
「――よう申された」
内藤が愁眉を開き、水藩家老陣、そして幕軍の目付けである小出に向かい合った。
「市川様、筧様。それがしが、二本松家中の方々と行動を共に致しまする。それで何卒ご了見なされませ」
内藤は自分が太田防衛を言い出した手前、自ら二本松藩の軍監役を引き受けるという。源太左衛門も、それに肯き返してみせた。
「良いのではないか。市川殿、異論はござるまい」
それまで黙っていた小出が、ようやく言葉を発した。この男は先の下妻合戦で江戸に逃げ帰ったという話を、鳴海はちらりと思い出した。が、いつの間にか水戸領内に戻ってきていたらしい。
「相分かった。内藤、二本松の方々をお助けせよ」
市川の言葉に、二本松藩の三人が顔を緩めたときである。廊下をバタバタと足音高く駆けてくる音がして、書院の襖が開かれた。
「何事か、騒々しい」
筧が、顔を顰めた。そこには、鎧を纏った若武者が息を弾ませていた。
「申し上げます。大沼方面の留守を預けておりました相羽九十郎殿よりご伝言でございます。助川海防城の山野辺主水正様、諸生の一隊と戦闘になっておりまする」
「やはり戦になっておるか」
今まで黙っていた男が、ぼそりと呟いた。鳴海らが軍議の前に紹介された面々の名前を、頭の中で素早く復唱する。確かこの男は、太田陣将である佐治の部下で、戸祭と言ったか。助川海防城と同年の天保七年に設置された、大沼異国船御番所の防衛掛を任せられている男だ。
「やはり……というのは?」
鳴海の問いに、戸祭が肯いてみせた。
「山野辺家中の大津が大炊頭様の手に加わっておったという知らせは、我らも掴んでおりました」
忌々しそうに、戸祭が吐き捨てた。
この情報から、大津は大炊頭の意向を受けて助川海防城にいる主水正に助けを求めるだろうと踏んでいたところ、案の定、石神まで進出してきた主水正と合流した。そのため、石神村で諸生党に与する寺門と戦になり、山野辺や主水正は助川への街道途中にある大和田村まで逃げ戻った。ここで、別の諸生党らの隊と戦になり、一進一退の攻防が繰り広げられているというのだ。
「できれば、こちらにも一手増援を求めたいところでございまする」
戸祭が、じろりと佐治を睨みつけた。佐治が首を竦める。この様子を伺うに、以前より太田防衛や助川方面の防衛を巡って、意見の相違があったのだろう。鳴海が絵図に目を落とすと、助川海防城から太田まではおよそ四、五里ほどといったところか。太田は陸前浜街道の街道筋からは外れているが、鳴海は別の道が気になった。
「戸祭殿。助川城下から太田までの道は?」
鳴海の問いに、戸祭は鳴海が気になった道を指し示した。
「太田はかつて佐竹公が居城とされていた街。それ故に、真弓・大森を通り石名坂に出る古道がございまする。あの近辺を巡って、ここ数日攻防を繰り返している次第でござる」
「石名坂か……」
筧が、ぼそりと呟いた。
「あそこは、確かに陸前浜街道随一の難所と言われる場所であるからな。それ故にこちらが先取しておかねばならぬ場所でもあるが……。そこまでの余力は、我らにもないぞ。何とか持ちこたえられぬか?」
筧は、戸祭を振り返った。筧の述べることももっともだった。何せ、那珂川対岸の青柳や枝川には、天狗党の多い額田から進軍してきた大炊頭率いる大発勢本隊が布陣しているのである。
「ですが……」
尚も渋る戸祭に声を掛けたのは、またしても源太左衛門だった。
「然らば、二本松からも兵を出しましょう。本軍には我が藩の与兵衛殿と鳴海殿を残し、拙者が一手を率いて助川に向かいまする。良いな?」
源太左衛門が、こちらを振り向いた。総大将である源太左衛門自ら助川に赴くというのだから、大胆な発想である。日頃物静かな源太左衛門にこのような一面があるというのは、鳴海にとっても思いがけない発見だった。
「さすがは御家老でございます。我々も、水戸の方々と共に民等を守りましょうぞ」
鳴海の軽口に、源太左衛門が頬を緩めた。
その後、細々とした打ち合わせが行われた。翌朝、源太左衛門は助川方面へ向かう。他に平藩や松岡藩(高萩)にも助川城攻撃の陣に加わるようにとの命令を出すとのことだった。源太左衛門の受け持ちは、助川城南口に当たる成沢・蓼沼方面である。北口は戸祭の同僚である菊地善左衛門が受け持つ。さらに入四間方面は先程まで石神付近に駐屯していた寺門らを呼び寄せて警戒に当たらせる。宮田から入四間、そして東河内へと抜ける山道があり、地元の者らは里川沿いの山間部と海岸部を往来するのに頻繁に利用している古道だという。
また、鳴海と与兵衛らは、上水戸から中河内の渡より那珂川を渡る。中河内と隣接する青柳村は大発勢の本軍がいるはずだが、鳴海らはその目を掠めるようにして那珂川を渡り、大発勢の背後を抑えるというものだった。一方、大発勢の正面には市川勢や幕軍の小出ら数千名規模の連合軍が当たる。先程二本松軍付きの軍監に指名された内藤は鳴海らと共に行動し、一旦大発勢を退かせたならば、鳴海らはそのまま太田へ進軍するというのが、作戦の概要である。
打ち合わせが終わったのは、間もなく日も暮れようという頃だった。
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