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第三章 常州騒乱
掃討(2)
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二十六日の暮五つ半(午後八時)、二本松軍は宿舎である神応寺に到着した。二丁半もある広大な敷地を持つ寺院であり、二本松軍を収容するには、十分な広さを誇る寺院である。既に前日植木等が宿舎に入り、宿泊の準備を整えていた。ここから十丁ほど東に行くと、三の丸の北側に、水戸藩藩校である弘道館がある。笠間で源太左衛門から受けた指示によれば、明日この弘道館で軍議が行われるとのことだった。
寺から南に下れば、水戸城本丸、そして城下を流れる桜川の水を引いて作られた千波湖やその畔に植えられた梅林がある。梅林はかつて烈公が、夷狄が常陸に攻め入ってきたときの食糧難を想定して植えさせたという。その烈公も、まさか御膝元で国の者同士が銃火を交えることになろうとは思わなかっただろう。寺の者は、そう言いつつも、藩士一同に夕飯として梅漬け入りの握り飯を配って回った。
「水戸城の梅林は、いつぞや和左衛門殿が褒め称えておりました」
鳴海は、握り飯の中心部に埋められた梅干しの種をほじくり出しながら、与兵衛に苦笑を向けた。鳴海がまだ彦十郎家の家督を継いだばかりの頃に、与兵衛の勧めで北条谷の山田家を訪れたときの話である。そこで和左衛門は、烈公が有事に備えて梅の木を植えさせた話を伝授してくれたのだった。正に今がその有事の時であるが、あの頃は、まさかその梅を自分が齧ることになろうとは思いも寄らなかった。しかも、時折那珂川の川風に乗って、下流の方の砲撃戦の音がポンポンと聞こえてくる。
「それを申すならば、守山の助郷騒動の折にも、山野辺主水正様のお名前を出されたのではなかったかな。守山の三浦平八郎殿に、主水正様を通じて守山の救民をお願いするよう提案したと、新十郎殿が申されていた気がするが」
与兵衛がくすりと笑った。確かに守山藩の者らが郡山で越訴してきた折、平八郎がそれを追いかけてきてそのような話をしたことがあったと、鳴海も思い出していた。
山野辺主水正は越訴してきた守山の農民らを説き伏せて帰藩させたと、後に聞いた。そればかりでなく、本当に幕府にも口添えし、あの年、わずかながら守山の助郷の負担は免除されたのだった。決して愚昧な領主ではないのだろう。
が、その山野辺には市川は元より、幕府からも疑いの眼差しが向けられている。山野辺と対峙する可能性があると思うと、得体の知れないやり切れなさが湧き上がってくるのを、鳴海は感じた。
山野辺だけではない。かつては鳴海が敵視していた守山の三浦平八郎も、今頃松川陣屋において天狗党らと対峙するべく、戦の指揮を執っているのではないか。彼が二本松の者らを誑かして二本松藩を尊皇攘夷の道へ引きずり込もうとしたことについては、今でも若干複雑な思いがある。だが過ぎたことであり、嶽で語り合った時の民を思う心は、当世流行りの思想に染まっただけとは思えないものがあった。
まことに民を救うというのは、どのようなことを指すものか。鳴海は、黙々と握り飯の残りを口に運んだ。
翌日、鳴海達は弘道館に足を運んだ。二本松藩にも藩校たる敬学館があるが、さすがは水戸藩は大藩だけのことはあり、弘道館の敷地は広大なものだ。学館の門構えも立派で、敬学館の何倍もの大きさがあるのではないだろうか。
が、その見事な造作をじっくりと観察する間もなく、鳴海らの着席を待って軍議はすぐに始まった。水戸藩からの出席者は諸生党の総大将である市川三左衛門、幕府目付である小出順之助や高木宮内、家老の一人である筧助太夫、本来は祐筆役であるという内藤弥太夫、そして太田の御殿固めを仰せ仕ったという佐治七右衛門、大沼海防陣営掛だという戸祭久之允などが臨席していた。 まず、市川から現況についての説明があった。神勢館において、今も尚砲撃戦が続いているのはご承知の通りである。あろうことか大炊頭は天狗の輩を引き入れ、水戸城に向けて発砲させた。大炊頭が取った行動は許されざる大罪であるにも関わらず、亡き烈公の夫人である貞芳院は、現水戸藩執政である自分等を無視している状況であり、今度は助川にいる山野辺主水正に救出の内意を求めたらしい。さらに主水正は、田沼からの出馬要請には何も返答せず、浮浪の徒を引き入れた頼徳の救援要請を受けて、二十三日、百人余りを引き連れて水戸へ向けて出立したという。
これを受けて、主水正の水戸進出を阻止するべく、太田守備掛らが動いた。既に二十三日、主水正一行が那珂川を渡河しようとしたところで、諸生軍と戦闘になった。主水正の動きを掴んでいた太田陣屋では、主水正の動きを封じるために、予てより誼を通じていた寺門登一郎に命じて、助川城下へ進出させた。案の定、寺門隊の動きの報告を受けた主水正は、慌てて助川へ引き返そうとした。途中、石神外宿まで戻ったところで大津彦之允と合流し、そのまま陸前浜街道を北上したが、大和田村まで来たところで、今度は主水正の帰還を待ち構えていた戸祭らと戦闘になった。戦況は一進一退を繰り返し、どうやら主水正は金沢村の照山家に陣を構え、尚も居城である助川城への帰還を試みているらしい。
「――ということで、間違いないな?戸祭」
市川が、背後を振り返ってちらりと部下に視線を投げかけた。その居丈高な物言いに、鳴海は眉を顰めた。この傲岸不遜な物言いは、二本松藩の誰かを彷彿とさせる。が、視線を投げかけられた男は、「相違ございませぬ」と肯くに留めている。
「ふむ……」
鳴海が隣に目をやると、水戸藩や幕軍目代らに囲まれているにも関わらず、源太左衛門は相変わらずの落ち着きを保ちながら、絵図を見つめ、何事か思案していた。
寺から南に下れば、水戸城本丸、そして城下を流れる桜川の水を引いて作られた千波湖やその畔に植えられた梅林がある。梅林はかつて烈公が、夷狄が常陸に攻め入ってきたときの食糧難を想定して植えさせたという。その烈公も、まさか御膝元で国の者同士が銃火を交えることになろうとは思わなかっただろう。寺の者は、そう言いつつも、藩士一同に夕飯として梅漬け入りの握り飯を配って回った。
「水戸城の梅林は、いつぞや和左衛門殿が褒め称えておりました」
鳴海は、握り飯の中心部に埋められた梅干しの種をほじくり出しながら、与兵衛に苦笑を向けた。鳴海がまだ彦十郎家の家督を継いだばかりの頃に、与兵衛の勧めで北条谷の山田家を訪れたときの話である。そこで和左衛門は、烈公が有事に備えて梅の木を植えさせた話を伝授してくれたのだった。正に今がその有事の時であるが、あの頃は、まさかその梅を自分が齧ることになろうとは思いも寄らなかった。しかも、時折那珂川の川風に乗って、下流の方の砲撃戦の音がポンポンと聞こえてくる。
「それを申すならば、守山の助郷騒動の折にも、山野辺主水正様のお名前を出されたのではなかったかな。守山の三浦平八郎殿に、主水正様を通じて守山の救民をお願いするよう提案したと、新十郎殿が申されていた気がするが」
与兵衛がくすりと笑った。確かに守山藩の者らが郡山で越訴してきた折、平八郎がそれを追いかけてきてそのような話をしたことがあったと、鳴海も思い出していた。
山野辺主水正は越訴してきた守山の農民らを説き伏せて帰藩させたと、後に聞いた。そればかりでなく、本当に幕府にも口添えし、あの年、わずかながら守山の助郷の負担は免除されたのだった。決して愚昧な領主ではないのだろう。
が、その山野辺には市川は元より、幕府からも疑いの眼差しが向けられている。山野辺と対峙する可能性があると思うと、得体の知れないやり切れなさが湧き上がってくるのを、鳴海は感じた。
山野辺だけではない。かつては鳴海が敵視していた守山の三浦平八郎も、今頃松川陣屋において天狗党らと対峙するべく、戦の指揮を執っているのではないか。彼が二本松の者らを誑かして二本松藩を尊皇攘夷の道へ引きずり込もうとしたことについては、今でも若干複雑な思いがある。だが過ぎたことであり、嶽で語り合った時の民を思う心は、当世流行りの思想に染まっただけとは思えないものがあった。
まことに民を救うというのは、どのようなことを指すものか。鳴海は、黙々と握り飯の残りを口に運んだ。
翌日、鳴海達は弘道館に足を運んだ。二本松藩にも藩校たる敬学館があるが、さすがは水戸藩は大藩だけのことはあり、弘道館の敷地は広大なものだ。学館の門構えも立派で、敬学館の何倍もの大きさがあるのではないだろうか。
が、その見事な造作をじっくりと観察する間もなく、鳴海らの着席を待って軍議はすぐに始まった。水戸藩からの出席者は諸生党の総大将である市川三左衛門、幕府目付である小出順之助や高木宮内、家老の一人である筧助太夫、本来は祐筆役であるという内藤弥太夫、そして太田の御殿固めを仰せ仕ったという佐治七右衛門、大沼海防陣営掛だという戸祭久之允などが臨席していた。 まず、市川から現況についての説明があった。神勢館において、今も尚砲撃戦が続いているのはご承知の通りである。あろうことか大炊頭は天狗の輩を引き入れ、水戸城に向けて発砲させた。大炊頭が取った行動は許されざる大罪であるにも関わらず、亡き烈公の夫人である貞芳院は、現水戸藩執政である自分等を無視している状況であり、今度は助川にいる山野辺主水正に救出の内意を求めたらしい。さらに主水正は、田沼からの出馬要請には何も返答せず、浮浪の徒を引き入れた頼徳の救援要請を受けて、二十三日、百人余りを引き連れて水戸へ向けて出立したという。
これを受けて、主水正の水戸進出を阻止するべく、太田守備掛らが動いた。既に二十三日、主水正一行が那珂川を渡河しようとしたところで、諸生軍と戦闘になった。主水正の動きを掴んでいた太田陣屋では、主水正の動きを封じるために、予てより誼を通じていた寺門登一郎に命じて、助川城下へ進出させた。案の定、寺門隊の動きの報告を受けた主水正は、慌てて助川へ引き返そうとした。途中、石神外宿まで戻ったところで大津彦之允と合流し、そのまま陸前浜街道を北上したが、大和田村まで来たところで、今度は主水正の帰還を待ち構えていた戸祭らと戦闘になった。戦況は一進一退を繰り返し、どうやら主水正は金沢村の照山家に陣を構え、尚も居城である助川城への帰還を試みているらしい。
「――ということで、間違いないな?戸祭」
市川が、背後を振り返ってちらりと部下に視線を投げかけた。その居丈高な物言いに、鳴海は眉を顰めた。この傲岸不遜な物言いは、二本松藩の誰かを彷彿とさせる。が、視線を投げかけられた男は、「相違ございませぬ」と肯くに留めている。
「ふむ……」
鳴海が隣に目をやると、水戸藩や幕軍目代らに囲まれているにも関わらず、源太左衛門は相変わらずの落ち着きを保ちながら、絵図を見つめ、何事か思案していた。
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