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第三章 常州騒乱
野総騒乱(9)
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七月二十九日、御前会議が開かれた。月の変わり目ということもあり、この日は長国公も会議に臨席していたのである。
この頃になると、下妻で筑波勢に敗北した水戸藩執政の市川が、江戸屋敷で罷免された佐藤図書や朝比奈弥太郎らと合流し、水戸城に入城したという話が聞こえてきていた。そもそも門閥派の追放は、改革派のうち鎮派の戸田銀次郎らが幕閣に事情を説明し、幕閣等の指示に基づいて行われた経緯がある。が、その指示を出した幕閣の面々も水戸藩主慶篤の訴えにより罷免された。いずれに正義の道理があるのか、判然としない有り様なのである。
――という説明を源太左衛門から聞いた長国公は、顔を曇らせた。
「常陸の民等が気の毒であるな……」
心優しい、長国公らしい言葉である。二本松にやってくる以前に、丹羽家は常陸国の古渡藩や江戸崎藩を任されていた過去がある。今は両藩ともなくなっているが、常陸国と丹羽家も、満更縁がないわけではなかった。
「江戸と水戸の国元の執政らの思想が異なっているのであれば、水戸に入られたという市川殿らは、江戸に戻るに戻れますまい」
鳴海は、嘆息した。わからないのは、その先「水戸藩がどのような動きを見せるか」ということである。
が、鳴海ら二本松勢の知らないところで、天狗党内部も深刻な分裂の様相を呈していた。
下妻合戦の翌日、天狗党内部では軍議が開かれた。三月末の当初の予想を裏切り、諸藩の協力が思うように得られない苛立ちもあったのだろう。あくまでも横浜鎖港のために横浜まで押し出すべきという意見が出た一方で、その助力を頼もうとした土浦藩には、「攘夷周旋」への協力を断られた。さらに、二十三日は市川らが水戸城に入城して、天狗党員やその家族を弾圧投獄し始めたという知らせが、筑波勢の元にも入っていた。そもそも、首領の田丸やその補佐の役割を果たしていた藤田小四郎は、水戸藩の者である。この知らせに動揺しないはずがなく、「まず内奸を除き水戸城を占拠して拠点とし、諸藩の協力を得て攘夷の兵を出すべし」と主張したのである。挙兵目的が横浜鎖港の実現から市川派らの排除に転じたことに失望した者らは、天狗党から脱走し始めた。その多くは、他藩他国出身の者等だったという。
七月二十一日には、藩主慶篤が鎮派の家老等に松戸に屯集していた士民の解散を命じたが、もはや水戸藩の内部分裂は藩主の手にすら負えるものではなくなっていた。
「恐らく市川殿は幕府に渡りをつけ、自らを正義派と致しますでしょうな。実際に、筑波勢鎮圧のために高道祖や下妻で幕軍と共に戦われたのですから、自分たちを正道と称するだけの条件を備えておられる」
源太左衛門の見立ては、鳴海にも納得できた。かつ、幕府は「天狗党らの言いなりになって鎖港を実現した」と思われてはならない、面子がある。
そこへ、足音も荒々しく大書院に入ってきた者がいた。下座を見ようともせず、上段の家老らの席に着座する。
「丹波様。江戸からお戻りになられたのですか」
驚いた様子で、一学が声を掛けた。丹波はいつになく、しかめっ面をしていた。その顔は青い。
「急ぎの知らせ故、早駕籠で参った。駕籠に酔った故、不快が顔に出ていればお許し願いたい」
丹波は余程気分が悪いのか、愛想笑いを浮かべる余裕すら見せなかった。そして、体の向きを変えると、長国公に向き合った。
「御殿に申し上げます。去る二十六日、田沼意尊公が老中水野忠精殿からの軍令を奉じ、江戸を出立なされました」
その報告に、広間がどよめいた。いよいよ、幕府が本気で天狗党討伐に乗り出したということである。やはり、幕府は一度の敗戦で天狗党討伐を諦めるような真似はしなかった。
「更に我が藩にも、老中水野殿から常州への出兵命令が下りまして御座いまする」
束の間、大書院が静寂に包まれた。開闢以来、丹羽氏が戦への出兵を命じられるのは大坂の陣以来のことである。
「――そうか」
鳴海の頭上から降ってきたのは、長国公の穏やかな声だった。だが、その声に震えが混じっていることに、鳴海は気付いた。
幕命であるから、是非はない。鳴海の体も、小刻みに震え始めた。
「して、出兵の規模は如何ほどに?」
源太左衛門の声は、丹波とは対照的に、いつも通りの落ち着きを保っていた。
「凡そ一千を申し付けられた。藩の番組のうち、三組は出すことになろう」
二本松藩は、富津にも兵を出している。今回も半分以上の兵が、国元を留守にする計算だった。
「殿。如何に」
丹波の言葉に、長国公も緊張を隠せない。
「相分かった。幕閣の方々には、『お受け仕る』と答えよ」
「はっ」
丹波と長国公のやりとりで、二本松藩の出兵は決まった。
「陣触れを申し付ける。まず、総大将は、日野殿にお願い致したい」
二本松藩の軍令では、総大将は家老の誰かが勤めることになっている。今回総大将を申し付けられたのは、源太左衛門だった。
「承知致した」
源太左衛門は、短く答えただけだった。
「続けて、侍大将を申し付ける。六番組、大谷与兵衛殿」
「承知」
昨年京都出張を命じたばかりだというのに、丹波は、またしても与兵衛に出張を命じたのだった。そして――。
「今一組。五番組、大谷鳴海殿」
丹波の言葉に、鳴海の全身を震えが駆け抜けた。
この頃になると、下妻で筑波勢に敗北した水戸藩執政の市川が、江戸屋敷で罷免された佐藤図書や朝比奈弥太郎らと合流し、水戸城に入城したという話が聞こえてきていた。そもそも門閥派の追放は、改革派のうち鎮派の戸田銀次郎らが幕閣に事情を説明し、幕閣等の指示に基づいて行われた経緯がある。が、その指示を出した幕閣の面々も水戸藩主慶篤の訴えにより罷免された。いずれに正義の道理があるのか、判然としない有り様なのである。
――という説明を源太左衛門から聞いた長国公は、顔を曇らせた。
「常陸の民等が気の毒であるな……」
心優しい、長国公らしい言葉である。二本松にやってくる以前に、丹羽家は常陸国の古渡藩や江戸崎藩を任されていた過去がある。今は両藩ともなくなっているが、常陸国と丹羽家も、満更縁がないわけではなかった。
「江戸と水戸の国元の執政らの思想が異なっているのであれば、水戸に入られたという市川殿らは、江戸に戻るに戻れますまい」
鳴海は、嘆息した。わからないのは、その先「水戸藩がどのような動きを見せるか」ということである。
が、鳴海ら二本松勢の知らないところで、天狗党内部も深刻な分裂の様相を呈していた。
下妻合戦の翌日、天狗党内部では軍議が開かれた。三月末の当初の予想を裏切り、諸藩の協力が思うように得られない苛立ちもあったのだろう。あくまでも横浜鎖港のために横浜まで押し出すべきという意見が出た一方で、その助力を頼もうとした土浦藩には、「攘夷周旋」への協力を断られた。さらに、二十三日は市川らが水戸城に入城して、天狗党員やその家族を弾圧投獄し始めたという知らせが、筑波勢の元にも入っていた。そもそも、首領の田丸やその補佐の役割を果たしていた藤田小四郎は、水戸藩の者である。この知らせに動揺しないはずがなく、「まず内奸を除き水戸城を占拠して拠点とし、諸藩の協力を得て攘夷の兵を出すべし」と主張したのである。挙兵目的が横浜鎖港の実現から市川派らの排除に転じたことに失望した者らは、天狗党から脱走し始めた。その多くは、他藩他国出身の者等だったという。
七月二十一日には、藩主慶篤が鎮派の家老等に松戸に屯集していた士民の解散を命じたが、もはや水戸藩の内部分裂は藩主の手にすら負えるものではなくなっていた。
「恐らく市川殿は幕府に渡りをつけ、自らを正義派と致しますでしょうな。実際に、筑波勢鎮圧のために高道祖や下妻で幕軍と共に戦われたのですから、自分たちを正道と称するだけの条件を備えておられる」
源太左衛門の見立ては、鳴海にも納得できた。かつ、幕府は「天狗党らの言いなりになって鎖港を実現した」と思われてはならない、面子がある。
そこへ、足音も荒々しく大書院に入ってきた者がいた。下座を見ようともせず、上段の家老らの席に着座する。
「丹波様。江戸からお戻りになられたのですか」
驚いた様子で、一学が声を掛けた。丹波はいつになく、しかめっ面をしていた。その顔は青い。
「急ぎの知らせ故、早駕籠で参った。駕籠に酔った故、不快が顔に出ていればお許し願いたい」
丹波は余程気分が悪いのか、愛想笑いを浮かべる余裕すら見せなかった。そして、体の向きを変えると、長国公に向き合った。
「御殿に申し上げます。去る二十六日、田沼意尊公が老中水野忠精殿からの軍令を奉じ、江戸を出立なされました」
その報告に、広間がどよめいた。いよいよ、幕府が本気で天狗党討伐に乗り出したということである。やはり、幕府は一度の敗戦で天狗党討伐を諦めるような真似はしなかった。
「更に我が藩にも、老中水野殿から常州への出兵命令が下りまして御座いまする」
束の間、大書院が静寂に包まれた。開闢以来、丹羽氏が戦への出兵を命じられるのは大坂の陣以来のことである。
「――そうか」
鳴海の頭上から降ってきたのは、長国公の穏やかな声だった。だが、その声に震えが混じっていることに、鳴海は気付いた。
幕命であるから、是非はない。鳴海の体も、小刻みに震え始めた。
「して、出兵の規模は如何ほどに?」
源太左衛門の声は、丹波とは対照的に、いつも通りの落ち着きを保っていた。
「凡そ一千を申し付けられた。藩の番組のうち、三組は出すことになろう」
二本松藩は、富津にも兵を出している。今回も半分以上の兵が、国元を留守にする計算だった。
「殿。如何に」
丹波の言葉に、長国公も緊張を隠せない。
「相分かった。幕閣の方々には、『お受け仕る』と答えよ」
「はっ」
丹波と長国公のやりとりで、二本松藩の出兵は決まった。
「陣触れを申し付ける。まず、総大将は、日野殿にお願い致したい」
二本松藩の軍令では、総大将は家老の誰かが勤めることになっている。今回総大将を申し付けられたのは、源太左衛門だった。
「承知致した」
源太左衛門は、短く答えただけだった。
「続けて、侍大将を申し付ける。六番組、大谷与兵衛殿」
「承知」
昨年京都出張を命じたばかりだというのに、丹波は、またしても与兵衛に出張を命じたのだった。そして――。
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