126 / 196
第三章 常州騒乱
野総騒乱(1)
しおりを挟む
江戸や宇都宮からの早馬は、六月に入ってからも頻繁に二本松城下へやってきた。
江戸の丹波によると、六月一日には予てより丹波が誼を通じていた市川三左衛門が水戸藩の執政になったという。が、丹波にとっては大切なのはそのことではなかったらしい。丹波の筆跡が乱れていたのは、結城藩の動向について述べていた一文だった。
太平山に立て籠もっていた筑波勢は、総帥田丸の実兄である山国の説得にようやく耳を傾けて六月三日から四日にかけて、下山して筑波山に戻った。だが、その際に「行きがけの駄賃」とばかりに、野州で狼藉を働いていったのである。
そもそも、日向守勝知公が結城藩に養子入りする以前から、秉彝館教授方であった越惣太郎の発言力は大きかった。越は水戸藩と長州藩の成破盟約の斡旋を行うなど、元々尊攘思想に傾倒していた者である。越が家督を継いだのが水戸藩領の斎藤家であり、彼が教育を受けたのも小川郷稽医館だった。小川郷稽医館は、言わずと知れた水戸激派の拠点の一つである。
四月に筑波勢が日光へ進軍する際にも結城藩に接触していたのだが、生憎、このときは藩主である日向守は出府中で不在だった。そのため結城城下の留守を預かる水野主馬らも、藩主の留守を理由に一度は態度を保留していたのである。だが、再度筑波に戻ろうとする天狗党らは、結城藩の面々に「攘夷実行」のための協力を迫った。結城を戦禍から守るには、天狗党激派への協力は止むを得ない。それが勝知公不在の結城藩国元が下した決断であり、水野主馬を始めとする五人の藩士が天狗党に加わり、軍資金や兵器を差し出した。結城藩の国元首脳陣はそれらと引き換えに、結城を攻撃しない約束を筑波勢から取り付けたのだった。
その知らせを、勝知公は赤坂にある結城藩江戸藩邸で受け取った。自藩の者らに不信感を抱いた勝知公は永田町の二本松藩邸に足を運び、丹波に打ち明けたというのである。
「日向守様が余りにも御不憫である」と丹波は締め括っていた。
丹波からの手紙を披露した源太左衛門の顔つきも、険しい。
「結城藩の者らは、余りにも忠孝の道を外しておるな」
浅尾も憤懣やる方なし、といった体である。
鳴海も、大きく息を吸い込んだ。かつて、二本松を出立する前に「兄の優しさに必要以上に家臣が甘えることがあってはならない」と言い残していった勝知公のことである。今回の結城藩の家臣らの振る舞いを、どのように受け止めているだろうか。
さらに、筑波勢が行った狼藉はそれだけではなかった。筑波勢が日光を出立して太平山に立て籠もっている間、各地から「浪士」らが太平山に集結した。そのため軍資金や食料が不足し、筑波勢の中から上州方面に向けて「徴発」に回る部隊が現れた。その中心的な役割を担っていた一人が、田中愿蔵の甥である「猿田忠夫」だった。猿田忠夫は配下の者らと共に、富岡や下仁田などを周り、義挙を促した。上州は新田氏の起こった土地であり、その来歴故に勤王の志を持つ者が多く、また、生糸などの海外貿易で莫大な富を築いていた商家や富豪が多い土地でもあったからである。
鳴海がそっと下座に目をやると、和左衛門が身を縮めていた。かつて、二本松藩の生糸や貿易政策については批判的だった和左衛門である。だがあの当時、いくら民政に通じた和左衛門であっても、現在のような水戸激派の有り様を想像できただろうか。それを思うと、鳴海は和左衛門を責める気にはなれなかった。
「丹波殿は、他に幕閣らの動きはお伝え頂いておらぬか?」
気を取り直したように、三郎右衛門が源太左衛門に尋ねた。
「江戸城では、川越藩の松平大和守が大樹公に建言するために登城されたそうな。恐らく横浜鎖港について何か申されるおつもりであろう」
丹波からの手紙に気が高ぶっているのか、源太左衛門の言葉も刺々しい。
江戸の丹波によると、六月一日には予てより丹波が誼を通じていた市川三左衛門が水戸藩の執政になったという。が、丹波にとっては大切なのはそのことではなかったらしい。丹波の筆跡が乱れていたのは、結城藩の動向について述べていた一文だった。
太平山に立て籠もっていた筑波勢は、総帥田丸の実兄である山国の説得にようやく耳を傾けて六月三日から四日にかけて、下山して筑波山に戻った。だが、その際に「行きがけの駄賃」とばかりに、野州で狼藉を働いていったのである。
そもそも、日向守勝知公が結城藩に養子入りする以前から、秉彝館教授方であった越惣太郎の発言力は大きかった。越は水戸藩と長州藩の成破盟約の斡旋を行うなど、元々尊攘思想に傾倒していた者である。越が家督を継いだのが水戸藩領の斎藤家であり、彼が教育を受けたのも小川郷稽医館だった。小川郷稽医館は、言わずと知れた水戸激派の拠点の一つである。
四月に筑波勢が日光へ進軍する際にも結城藩に接触していたのだが、生憎、このときは藩主である日向守は出府中で不在だった。そのため結城城下の留守を預かる水野主馬らも、藩主の留守を理由に一度は態度を保留していたのである。だが、再度筑波に戻ろうとする天狗党らは、結城藩の面々に「攘夷実行」のための協力を迫った。結城を戦禍から守るには、天狗党激派への協力は止むを得ない。それが勝知公不在の結城藩国元が下した決断であり、水野主馬を始めとする五人の藩士が天狗党に加わり、軍資金や兵器を差し出した。結城藩の国元首脳陣はそれらと引き換えに、結城を攻撃しない約束を筑波勢から取り付けたのだった。
その知らせを、勝知公は赤坂にある結城藩江戸藩邸で受け取った。自藩の者らに不信感を抱いた勝知公は永田町の二本松藩邸に足を運び、丹波に打ち明けたというのである。
「日向守様が余りにも御不憫である」と丹波は締め括っていた。
丹波からの手紙を披露した源太左衛門の顔つきも、険しい。
「結城藩の者らは、余りにも忠孝の道を外しておるな」
浅尾も憤懣やる方なし、といった体である。
鳴海も、大きく息を吸い込んだ。かつて、二本松を出立する前に「兄の優しさに必要以上に家臣が甘えることがあってはならない」と言い残していった勝知公のことである。今回の結城藩の家臣らの振る舞いを、どのように受け止めているだろうか。
さらに、筑波勢が行った狼藉はそれだけではなかった。筑波勢が日光を出立して太平山に立て籠もっている間、各地から「浪士」らが太平山に集結した。そのため軍資金や食料が不足し、筑波勢の中から上州方面に向けて「徴発」に回る部隊が現れた。その中心的な役割を担っていた一人が、田中愿蔵の甥である「猿田忠夫」だった。猿田忠夫は配下の者らと共に、富岡や下仁田などを周り、義挙を促した。上州は新田氏の起こった土地であり、その来歴故に勤王の志を持つ者が多く、また、生糸などの海外貿易で莫大な富を築いていた商家や富豪が多い土地でもあったからである。
鳴海がそっと下座に目をやると、和左衛門が身を縮めていた。かつて、二本松藩の生糸や貿易政策については批判的だった和左衛門である。だがあの当時、いくら民政に通じた和左衛門であっても、現在のような水戸激派の有り様を想像できただろうか。それを思うと、鳴海は和左衛門を責める気にはなれなかった。
「丹波殿は、他に幕閣らの動きはお伝え頂いておらぬか?」
気を取り直したように、三郎右衛門が源太左衛門に尋ねた。
「江戸城では、川越藩の松平大和守が大樹公に建言するために登城されたそうな。恐らく横浜鎖港について何か申されるおつもりであろう」
丹波からの手紙に気が高ぶっているのか、源太左衛門の言葉も刺々しい。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
大奥~牡丹の綻び~
翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。
大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。
映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。
リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。
時は17代将軍の治世。
公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。
京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。
ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。
祖母の死
鷹司家の断絶
実父の突然の死
嫁姑争い
姉妹間の軋轢
壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。
2023.01.13
修正加筆のため一括非公開
2023.04.20
修正加筆 完成
2023.04.23
推敲完成 再公開
2023.08.09
「小説家になろう」にも投稿開始。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる