鬼と天狗

篠川翠

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第三章 常州騒乱

野総騒乱(1)

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 江戸や宇都宮からの早馬は、六月に入ってからも頻繁に二本松城下へやってきた。
 江戸の丹波によると、六月一日にはかねてより丹波が誼を通じていた市川三左衛門が水戸藩の執政になったという。が、丹波にとっては大切なのはそのことではなかったらしい。丹波の筆跡が乱れていたのは、結城藩の動向について述べていた一文だった。
 太平山に立て籠もっていた筑波勢は、総帥田丸の実兄である山国の説得にようやく耳を傾けて六月三日から四日にかけて、下山して筑波山に戻った。だが、その際に「行きがけの駄賃」とばかりに、野州で狼藉を働いていったのである。
 そもそも、日向守勝知公が結城藩に養子入りする以前から、秉彝館教授方であった越惣太郎の発言力は大きかった。越は水戸藩と長州藩の成破盟約の斡旋を行うなど、元々尊攘思想に傾倒していた者である。越が家督を継いだのが水戸藩領の斎藤家であり、彼が教育を受けたのも小川郷稽医館けいいかんだった。小川郷稽医館は、言わずと知れた水戸激派の拠点の一つである。
 四月に筑波勢が日光へ進軍する際にも結城藩に接触していたのだが、生憎、このときは藩主である日向守は出府中で不在だった。そのため結城城下の留守を預かる水野主馬らも、藩主の留守を理由に一度は態度を保留していたのである。だが、再度筑波に戻ろうとする天狗党らは、結城藩の面々に「攘夷実行」のための協力を迫った。結城を戦禍から守るには、天狗党激派への協力は止むを得ない。それが勝知公不在の結城藩国元が下した決断であり、水野主馬を始めとする五人の藩士が天狗党に加わり、軍資金や兵器を差し出した。結城藩の国元首脳陣はそれらと引き換えに、結城を攻撃しない約束を筑波勢から取り付けたのだった。
 その知らせを、勝知公は赤坂にある結城藩江戸藩邸で受け取った。自藩の者らに不信感を抱いた勝知公は永田町の二本松藩邸に足を運び、丹波に打ち明けたというのである。
 「日向守様が余りにも御不憫である」と丹波は締め括っていた。
 丹波からの手紙を披露した源太左衛門の顔つきも、険しい。
「結城藩の者らは、余りにも忠孝の道を外しておるな」
 浅尾も憤懣やる方なし、といった体である。 
 鳴海も、大きく息を吸い込んだ。かつて、二本松を出立する前に「兄の優しさに必要以上に家臣が甘えることがあってはならない」と言い残していった勝知公のことである。今回の結城藩の家臣らの振る舞いを、どのように受け止めているだろうか。
 さらに、筑波勢が行った狼藉はそれだけではなかった。筑波勢が日光を出立して太平山に立て籠もっている間、各地から「浪士」らが太平山に集結した。そのため軍資金や食料が不足し、筑波勢の中から上州方面に向けて「徴発」に回る部隊が現れた。その中心的な役割を担っていた一人が、田中愿蔵の甥である「猿田忠夫」だった。猿田忠夫は配下の者らと共に、富岡や下仁田などを周り、義挙を促した。上州は新田氏の起こった土地であり、その来歴故に勤王の志を持つ者が多く、また、生糸などの海外貿易で莫大な富を築いていた商家や富豪が多い土地でもあったからである。
 鳴海がそっと下座に目をやると、和左衛門が身を縮めていた。かつて、二本松藩の生糸や貿易政策については批判的だった和左衛門である。だがあの当時、いくら民政に通じた和左衛門であっても、現在のような水戸激派の有り様を想像できただろうか。それを思うと、鳴海は和左衛門を責める気にはなれなかった。
「丹波殿は、他に幕閣らの動きはお伝え頂いておらぬか?」
 気を取り直したように、三郎右衛門が源太左衛門に尋ねた。
「江戸城では、川越藩の松平大和守が大樹公に建言するために登城されたそうな。恐らく横浜鎖港について何か申されるおつもりであろう」
 丹波からの手紙に気が高ぶっているのか、源太左衛門の言葉も刺々しい。
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