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第三章 常州騒乱
関東内訌(1)
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松藩の北にある福島藩から、「幕府から日光警衛を命じられたため、福島藩兵らの御城下の御通行および宿泊を認められたい」との申し出があったからである。
参勤交代などで大名が宿場町を通過する場合、その本陣では藩の重役が挨拶することになっている。今回は家老に就任したばかりの一学が、福島藩の番頭らと顔を合わせることになったのだ。
一学は松岡町にある旅籠に出向き、その詳細を聞き込んできた。何でも四月十日、関東諸藩の江戸詰めの重役らは、老中牧野忠恭に長岡藩の自邸に呼び出されて、天狗党鎮撫を命じられたという。この中には、結城藩も含まれていた。特に宇都宮藩と館林藩は日光山の警備を任されていたため、その増員を求められた。また、関東諸藩の兵力だけでは不安があったのか、どういうわけか、福島藩と三春藩も呼び出されて日光警衛の命令が下ったのである。
これに先立ち、天狗党の面々は三日に筑波山を下山して宇都宮にやってきて、五日には宇都宮城下に入った。その行列は、斉昭公の神位を納めた神輿を奉じている。それだけでなく、天狗党の領袖である藤田小四郎と斎藤左次衛門は、宇都宮藩の中老である縣勇記に協力を求めた。だが、縣は天狗党の面々等と縁は深いものの、はっきりとした回答は避けたのである。これが六日から七日にかけてのことであった。丁度藩主の戸田忠恕は出府中でありその判断を仰ぎたいというのが縣の言い分であるが、その一方で四月七日、日光奉行小倉但馬守正義は、幕府に「天狗党来襲」の早馬を飛ばしていた。日光奉行は旗本が就く役職であり、小倉単独では天狗党の軍勢を阻止できない。小倉は日光廟が天狗党の手に落ちてしまうのだけは阻止しようと考え、八日には近隣の壬生藩と足利藩に出兵を求めた。
一方小倉は断じて天狗党の日光廟参詣は許さないという方針で、日光手前の今市に足止めしておくように、宇都宮藩首脳陣に指示を出していた。だがその頃、宇都宮藩の対応に痺れを切らしていた天狗党一行は、既に七日の段階で宇都宮の郊外にある徳次郎宿に達し、日光に向かおうとしていた。八日未明には藩主の帰藩を待っていた縣の元に小倉からの「参詣差し止め」の命令が届き、天狗党と幕軍の衝突を恐れた縣は、慌てて徳次郎宿に向かったという。そして天狗党の面々を説得し、宇都宮藩の者が付き添うこと、参詣は一〇人ずつ行うことなどを条件とする一方で、小倉をも説得し、天狗党は穏やかに参詣を済ませたのだという。
「――というのが、板倉家中の番頭の御方が、宇都宮の手の者からお聞きになられた話だそうな」
そう述べる一学の口元には、厳しい色が浮かんでいた。丁度、鳴海らが郡山宿で「天狗党挙兵」の知らせを聞いたのと前後して、天狗党の一行は日光に向かったことになる。
「何でも、藤田小四郎という者らは近隣諸藩らを始め全国の同志に激を飛ばし、続々とその同志とやらが奴らの元へ集まってきているそうな。福島藩には牧野様から『取締方厳重に相心得べく、事機によりては兵器相用ひ候も苦しからず』というお達しがあったそうだ」
小書院の間には、家老や番頭、そして郡代らが集まって一学の報告を聞いていた。
「大事でござるな……」
浅尾が深々とため息をついた。
「して、宇都宮からはその後の報告は参っておりませぬか?」
掃部助の質問に、鳴海はちらりと上座にいる源太左衛門の方を見た。源太左衛門が肯いてみせる。この会合の前に、鳴海は源太左衛門と打ち合わせを行い、井上及び味岡からの報告に食い違いがないことを確認していた。
「宇都宮で井上及び味岡殿が聞いて参ったところによりますと、浪士一味は九日、千三百人余りの兵が迎え撃たんとしている中で宇都宮藩の縣殿を先頭にして進み、参詣を終えたということでございまする。その後尚も日光に留まろうとして十三日に金崎宿で京より参った例幣使に面会を求めたものの、剣もほろろに追い返されたとの由」
「煮え切りませぬな、宇都宮も」
そう述べる和左衛門の表情も、硬かった。二本松における勤皇論者の筆頭であるが、さすがに日光が暴徒らに占拠される可能性があるとなれば、話は別だということか。
「よって、日光の春の例大祭は恙無く執り行われたとは、丹波様よりのお知らせでございまする。例大祭の後は日向守様も此度は一度御城下入りなされると、日光宿で日向守様にお目通りが許された際に約束されたそうでございまする」
鳴海の報告に、三郎右衛門がふっと頬を緩めた。だが丹波からの知らせは、必ずしも喜ばしいものだけではなかった。鳴海は、大きく息を吸い込んだ。
「――結城藩家中からも、水野主馬殿と越惣太郎殿が脱藩届を出し、天狗党に加わったそうでございます」
「水野主馬殿は、結城家中の家老筋の者ではございませぬか……」
種橋が、呻いた。他の者らも、怒りの色を隠し切れない。丹波の怒りも、その乱れた筆跡から十二分に伝わるものであった。確かに藩政に深く関わろうとしなかった勝知公にも、些かの非はある。だが、家老筋の者にすら裏切られたとなれば、勝知公の心はますます藩政から離れるのではないか。
「して、水戸の天狗共の言い分はいかに?」
与兵衛が鋭い視線を投げかけてくる。
「幕府の奸臣共が、大樹公の攘夷の御決意を阻んでいると。それ故に奴らがその奸臣に替わって攘夷の魁となり、大樹公に横浜鎖港を実行していただくと気勢を挙げているそうでございます。日光での籠城は諦めたが、宇都宮藩の縣殿が『六月二日まで待っていただきたい』と申したために、一方的に太平山に向かいそこで一晩の宿を求めたものの、未だに立ち去る様子はないとの由。天狗党の領袖たる田丸稲之右衛門の実兄である山国兵部殿らが、天狗党の者らに対して大人しく水戸に戻るよう一味を説得されておられるとのことですが……。如何に動きますかな」
鳴海の口ぶりも、皮肉の色が隠せない。上役の説得一つで大人しくなるような連中ならば、ここまで騒ぎが大きくならなかっただろう、という思いがある。
ひとまず、一同に報告できるのはここまでである。宇都宮には引き続き井上や味岡らを待機させ、天狗党の動きを注視してほしいと指示を出してあった。
丹波も既に日光を出立して江戸に向かっており、当面は江戸藩邸から幕閣の動きを逐次送ってくる手筈になっている。幕閣に面会して何等かの折衝を行うとすれば、家老でなければ無理だからだ。
(それにしても……)
鳴海は、内心ごちた。
小藩である福島藩や三春藩まで動員されるというのは、余程のことである。将軍が再び上洛中の現在、関東在住の旗本や御家人が軒並み将軍に付き従って上洛しており、江戸警護の兵が少ないという都合もあるのだろう。
それだけでなく、京都藩邸からは一月ほど前の情報として、どうやら朝廷主導で「長州征伐」の計画が持ち上がっているらしいとの風聞が伝えられていた。こちらは未だはっきりした形となっていないが、「京都警衛」の先例や藩の規模を考慮すれば、二本松藩がはるばる西国まで出兵を命じられるのも、有り得るかもしれない。
二本松に丹羽家中が根を下ろして以来、確かに武士としての心構えは常々申し伝えられていた。二六〇年余り、戦になったことはない。それは多くの藩とて同様である。
だが――。
内心の懸念が思わず舌先に上りそうになり、鳴海は慌てて唇を引き結んだ。
参勤交代などで大名が宿場町を通過する場合、その本陣では藩の重役が挨拶することになっている。今回は家老に就任したばかりの一学が、福島藩の番頭らと顔を合わせることになったのだ。
一学は松岡町にある旅籠に出向き、その詳細を聞き込んできた。何でも四月十日、関東諸藩の江戸詰めの重役らは、老中牧野忠恭に長岡藩の自邸に呼び出されて、天狗党鎮撫を命じられたという。この中には、結城藩も含まれていた。特に宇都宮藩と館林藩は日光山の警備を任されていたため、その増員を求められた。また、関東諸藩の兵力だけでは不安があったのか、どういうわけか、福島藩と三春藩も呼び出されて日光警衛の命令が下ったのである。
これに先立ち、天狗党の面々は三日に筑波山を下山して宇都宮にやってきて、五日には宇都宮城下に入った。その行列は、斉昭公の神位を納めた神輿を奉じている。それだけでなく、天狗党の領袖である藤田小四郎と斎藤左次衛門は、宇都宮藩の中老である縣勇記に協力を求めた。だが、縣は天狗党の面々等と縁は深いものの、はっきりとした回答は避けたのである。これが六日から七日にかけてのことであった。丁度藩主の戸田忠恕は出府中でありその判断を仰ぎたいというのが縣の言い分であるが、その一方で四月七日、日光奉行小倉但馬守正義は、幕府に「天狗党来襲」の早馬を飛ばしていた。日光奉行は旗本が就く役職であり、小倉単独では天狗党の軍勢を阻止できない。小倉は日光廟が天狗党の手に落ちてしまうのだけは阻止しようと考え、八日には近隣の壬生藩と足利藩に出兵を求めた。
一方小倉は断じて天狗党の日光廟参詣は許さないという方針で、日光手前の今市に足止めしておくように、宇都宮藩首脳陣に指示を出していた。だがその頃、宇都宮藩の対応に痺れを切らしていた天狗党一行は、既に七日の段階で宇都宮の郊外にある徳次郎宿に達し、日光に向かおうとしていた。八日未明には藩主の帰藩を待っていた縣の元に小倉からの「参詣差し止め」の命令が届き、天狗党と幕軍の衝突を恐れた縣は、慌てて徳次郎宿に向かったという。そして天狗党の面々を説得し、宇都宮藩の者が付き添うこと、参詣は一〇人ずつ行うことなどを条件とする一方で、小倉をも説得し、天狗党は穏やかに参詣を済ませたのだという。
「――というのが、板倉家中の番頭の御方が、宇都宮の手の者からお聞きになられた話だそうな」
そう述べる一学の口元には、厳しい色が浮かんでいた。丁度、鳴海らが郡山宿で「天狗党挙兵」の知らせを聞いたのと前後して、天狗党の一行は日光に向かったことになる。
「何でも、藤田小四郎という者らは近隣諸藩らを始め全国の同志に激を飛ばし、続々とその同志とやらが奴らの元へ集まってきているそうな。福島藩には牧野様から『取締方厳重に相心得べく、事機によりては兵器相用ひ候も苦しからず』というお達しがあったそうだ」
小書院の間には、家老や番頭、そして郡代らが集まって一学の報告を聞いていた。
「大事でござるな……」
浅尾が深々とため息をついた。
「して、宇都宮からはその後の報告は参っておりませぬか?」
掃部助の質問に、鳴海はちらりと上座にいる源太左衛門の方を見た。源太左衛門が肯いてみせる。この会合の前に、鳴海は源太左衛門と打ち合わせを行い、井上及び味岡からの報告に食い違いがないことを確認していた。
「宇都宮で井上及び味岡殿が聞いて参ったところによりますと、浪士一味は九日、千三百人余りの兵が迎え撃たんとしている中で宇都宮藩の縣殿を先頭にして進み、参詣を終えたということでございまする。その後尚も日光に留まろうとして十三日に金崎宿で京より参った例幣使に面会を求めたものの、剣もほろろに追い返されたとの由」
「煮え切りませぬな、宇都宮も」
そう述べる和左衛門の表情も、硬かった。二本松における勤皇論者の筆頭であるが、さすがに日光が暴徒らに占拠される可能性があるとなれば、話は別だということか。
「よって、日光の春の例大祭は恙無く執り行われたとは、丹波様よりのお知らせでございまする。例大祭の後は日向守様も此度は一度御城下入りなされると、日光宿で日向守様にお目通りが許された際に約束されたそうでございまする」
鳴海の報告に、三郎右衛門がふっと頬を緩めた。だが丹波からの知らせは、必ずしも喜ばしいものだけではなかった。鳴海は、大きく息を吸い込んだ。
「――結城藩家中からも、水野主馬殿と越惣太郎殿が脱藩届を出し、天狗党に加わったそうでございます」
「水野主馬殿は、結城家中の家老筋の者ではございませぬか……」
種橋が、呻いた。他の者らも、怒りの色を隠し切れない。丹波の怒りも、その乱れた筆跡から十二分に伝わるものであった。確かに藩政に深く関わろうとしなかった勝知公にも、些かの非はある。だが、家老筋の者にすら裏切られたとなれば、勝知公の心はますます藩政から離れるのではないか。
「して、水戸の天狗共の言い分はいかに?」
与兵衛が鋭い視線を投げかけてくる。
「幕府の奸臣共が、大樹公の攘夷の御決意を阻んでいると。それ故に奴らがその奸臣に替わって攘夷の魁となり、大樹公に横浜鎖港を実行していただくと気勢を挙げているそうでございます。日光での籠城は諦めたが、宇都宮藩の縣殿が『六月二日まで待っていただきたい』と申したために、一方的に太平山に向かいそこで一晩の宿を求めたものの、未だに立ち去る様子はないとの由。天狗党の領袖たる田丸稲之右衛門の実兄である山国兵部殿らが、天狗党の者らに対して大人しく水戸に戻るよう一味を説得されておられるとのことですが……。如何に動きますかな」
鳴海の口ぶりも、皮肉の色が隠せない。上役の説得一つで大人しくなるような連中ならば、ここまで騒ぎが大きくならなかっただろう、という思いがある。
ひとまず、一同に報告できるのはここまでである。宇都宮には引き続き井上や味岡らを待機させ、天狗党の動きを注視してほしいと指示を出してあった。
丹波も既に日光を出立して江戸に向かっており、当面は江戸藩邸から幕閣の動きを逐次送ってくる手筈になっている。幕閣に面会して何等かの折衝を行うとすれば、家老でなければ無理だからだ。
(それにしても……)
鳴海は、内心ごちた。
小藩である福島藩や三春藩まで動員されるというのは、余程のことである。将軍が再び上洛中の現在、関東在住の旗本や御家人が軒並み将軍に付き従って上洛しており、江戸警護の兵が少ないという都合もあるのだろう。
それだけでなく、京都藩邸からは一月ほど前の情報として、どうやら朝廷主導で「長州征伐」の計画が持ち上がっているらしいとの風聞が伝えられていた。こちらは未だはっきりした形となっていないが、「京都警衛」の先例や藩の規模を考慮すれば、二本松藩がはるばる西国まで出兵を命じられるのも、有り得るかもしれない。
二本松に丹羽家中が根を下ろして以来、確かに武士としての心構えは常々申し伝えられていた。二六〇年余り、戦になったことはない。それは多くの藩とて同様である。
だが――。
内心の懸念が思わず舌先に上りそうになり、鳴海は慌てて唇を引き結んだ。
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