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第三章 常州騒乱
筑波挙兵(5)
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「お久しぶりでございます、鳴海様。一年ぶりでございますか」
錦見が、真っ先に玄関で笑顔で出迎えてくれた。その後ろには、検断である今泉久三郎も控えている。
「参勤交代の宿泊の支度で忙しいであろうに、済まぬな」
鳴海の気遣いに、今泉は苦笑を浮かべて首を振った。
「そのようなことはございませぬ。例の『妻女はどこにいてもお構いなし』の命が下されて以来、各藩の藩公らもあまり上下されなくなりましたから。南部藩も仙台藩などの大藩も、ずっと京に詰めておりますし」
「そうか」
言われてみれば、確かにその通りであった。だが、それはそれで宿場町の売上も減るだろう。当然二本松藩の収入にも関わってくる。
「あちらを立てればこちらが立たず、か……。難しいものだな」
鳴海の言葉に、当初からの事情を知る錦見や今泉も苦笑を浮かべるばかりである。そして、ふと鳴海の隣に座る志摩に目を向けた。その気配を察して、鳴海は「六番組番頭である与兵衛様の御子息、志摩殿だ」と紹介した。
「我が父も京からの帰藩の折にこちらで大層世話になった故、よくよく礼を述べよとの伝言を預かっております」
志摩が二人によそ行きの笑顔を見せると、今泉は「勿体ないお言葉でございます」と身を屈めた。
昼時ということもあり、座敷では昼餉の用意がされていた。食膳には、いつぞやと同じように鯉の旨煮が載っている。それを見て、鳴海は志摩と顔を見合わせて笑った。あの時の会話を思い出したのか、錦見が恐る恐るという体で尋ねた。
「志摩様は、鯉は召し上がられますでしょうか?」
「大丈夫です。うちの弟とは違う」
笑顔で応じる志摩の様子に、錦見もほっとした様子だった。間もなく初夏になるからか、今回は蕨とぜんまいの胡麻和えなど、今の時期らしい小鉢も添えられている。宗形善蔵が取り仕切る針道組の蕨平では、冬の献上に備えて、きっと今年も農民らが蕨刈りで大忙しだろう。
その話をすると、錦見は「ほう……」と目を見開いた。
「鳴海様。一年の間に、随分と民政に明るくなられましたな。蕨漬の献上は領内でも全ての組が行っているわけではございませぬのに」
「そうなのですか?」
志摩の疑問に、錦見が肯く。
「地方を勤めれば関わることもございましょうが……。武方の方が庶政まで通じているというのは、あまり聞いたためしがございませぬ」
照れ隠しに、鳴海は手にした椀に目を落とした。その中には、淡竹の吸い物が入っている。
全員の食事が終わるのを待って、鳴海は改めて錦見と久三郎に向き合った。後ろで、権太左衛門と井上も背筋を伸ばす気配を、背後に感じた。
「――その後、守山の動きは?」
錦見と今泉は、互いに顔を見合わせた。
「先日、水戸より二十二麿君様が守山陣屋に罷り下られるとかで、その準備のために守山の者らが郡山に細々としたものを買い付けには参っておりましたが……。特にこれと言ったことは聞こえてきませぬ」
まずは、錦見が口を開いた。続けて、「あ」と今泉がつぶやく。
「守山ではございませぬが、一つ気になることはございます」
何でも、隣藩である白河藩の藩主が三月四日に死亡し、藩主の弟君が阿部家の家督を継いだという。新しい藩主の名は正外と言ったが、分家筋の者にも関わらず、かつては井伊直弼に重用されたほどの切れ者であり、白河藩でも領民の期待の声が高いのだという。
「井伊掃部頭様に重用されていたということは……。諸外国の事情にも通じているということか」
鳴海の言葉に、今泉が肯いた。
「須賀川の市原家に所要がございまして伺った際に、噂話として聴き込んだ程度でございますが……。阿部家も譜代の名門の一つでございましょう?近年幕閣も頻々と入れ替わっておりますから、あるいは阿部様が老中になられるようなことがありますれば、国の政はまたどうなるかわかりませぬな」
郡山と須賀川は三里弱しか離れていないが、須賀川は郡山以上の殷賑の宿場町である。領地としては白河藩の宿場町であり白河藩の役人も常駐しているが、その来歴からか、独立独歩の気風の強い宿場町だった。尚且つこの町の商人らは守山藩の江戸への公文書運搬を担い、時には金策にも応じている。
「須賀川にも行ってみるべきでしょうかな……」
思案気に井上が首を傾げたときである。
「錦見様」
下男が、錦見を呼びに来た。
「何事か」
「陣屋表に増子源之丞殿が参っております。至急お目通り願いたいと」
鳴海は、錦見らに軽く肯いてみせた。
「しばし待っておる。参られよ」
「相済みませぬな。増子殿は宿屋や質屋を営む者。何か聴き込んできたのかもしれませぬ」
そう口早に述べると、錦見は慌ただしく席を立っていった。
その後姿を見て、志摩がぽつりと呟いた。
「鳴海殿が郡山に参られると、必ず大事に遭うというのは本当だったんですね」
「たわけたことを」
鳴海は軽く志摩を睨んだ。が、確かに漏れ聞こえてくる会話に耳を済ましていると、変事があったのだろうと思わせる単語がいくつか飛び交っていた。権太左衛門や井上の顔にも、緊張の色が浮かんでいる。
錦見は、すぐに戻ってきた。
「増子を庭先に回しました。御一同も、増子の報告をお聞き願いたい」
そう言うと、錦見はすらりと雨戸と引き戸を開けた。既に庭先には、身なりの良い商人の姿があった。
「増子殿。忌憚なく申し上げられよ」
増子が、こくりと肯いた。
「御侍様方に申し上げます。去る三月二十七日、常州筑波山にて水府浪士共が水戸藩のお役人を頭領と仰いで、挙兵した由。御式台(幕府)は四月二日に天狗党鎮撫の命令を水戸藩に対して発し、筑波の賊徒共は現在下野に向かって進軍中との知らせを、宇都宮から参った者が申しておりました」
錦見が、真っ先に玄関で笑顔で出迎えてくれた。その後ろには、検断である今泉久三郎も控えている。
「参勤交代の宿泊の支度で忙しいであろうに、済まぬな」
鳴海の気遣いに、今泉は苦笑を浮かべて首を振った。
「そのようなことはございませぬ。例の『妻女はどこにいてもお構いなし』の命が下されて以来、各藩の藩公らもあまり上下されなくなりましたから。南部藩も仙台藩などの大藩も、ずっと京に詰めておりますし」
「そうか」
言われてみれば、確かにその通りであった。だが、それはそれで宿場町の売上も減るだろう。当然二本松藩の収入にも関わってくる。
「あちらを立てればこちらが立たず、か……。難しいものだな」
鳴海の言葉に、当初からの事情を知る錦見や今泉も苦笑を浮かべるばかりである。そして、ふと鳴海の隣に座る志摩に目を向けた。その気配を察して、鳴海は「六番組番頭である与兵衛様の御子息、志摩殿だ」と紹介した。
「我が父も京からの帰藩の折にこちらで大層世話になった故、よくよく礼を述べよとの伝言を預かっております」
志摩が二人によそ行きの笑顔を見せると、今泉は「勿体ないお言葉でございます」と身を屈めた。
昼時ということもあり、座敷では昼餉の用意がされていた。食膳には、いつぞやと同じように鯉の旨煮が載っている。それを見て、鳴海は志摩と顔を見合わせて笑った。あの時の会話を思い出したのか、錦見が恐る恐るという体で尋ねた。
「志摩様は、鯉は召し上がられますでしょうか?」
「大丈夫です。うちの弟とは違う」
笑顔で応じる志摩の様子に、錦見もほっとした様子だった。間もなく初夏になるからか、今回は蕨とぜんまいの胡麻和えなど、今の時期らしい小鉢も添えられている。宗形善蔵が取り仕切る針道組の蕨平では、冬の献上に備えて、きっと今年も農民らが蕨刈りで大忙しだろう。
その話をすると、錦見は「ほう……」と目を見開いた。
「鳴海様。一年の間に、随分と民政に明るくなられましたな。蕨漬の献上は領内でも全ての組が行っているわけではございませぬのに」
「そうなのですか?」
志摩の疑問に、錦見が肯く。
「地方を勤めれば関わることもございましょうが……。武方の方が庶政まで通じているというのは、あまり聞いたためしがございませぬ」
照れ隠しに、鳴海は手にした椀に目を落とした。その中には、淡竹の吸い物が入っている。
全員の食事が終わるのを待って、鳴海は改めて錦見と久三郎に向き合った。後ろで、権太左衛門と井上も背筋を伸ばす気配を、背後に感じた。
「――その後、守山の動きは?」
錦見と今泉は、互いに顔を見合わせた。
「先日、水戸より二十二麿君様が守山陣屋に罷り下られるとかで、その準備のために守山の者らが郡山に細々としたものを買い付けには参っておりましたが……。特にこれと言ったことは聞こえてきませぬ」
まずは、錦見が口を開いた。続けて、「あ」と今泉がつぶやく。
「守山ではございませぬが、一つ気になることはございます」
何でも、隣藩である白河藩の藩主が三月四日に死亡し、藩主の弟君が阿部家の家督を継いだという。新しい藩主の名は正外と言ったが、分家筋の者にも関わらず、かつては井伊直弼に重用されたほどの切れ者であり、白河藩でも領民の期待の声が高いのだという。
「井伊掃部頭様に重用されていたということは……。諸外国の事情にも通じているということか」
鳴海の言葉に、今泉が肯いた。
「須賀川の市原家に所要がございまして伺った際に、噂話として聴き込んだ程度でございますが……。阿部家も譜代の名門の一つでございましょう?近年幕閣も頻々と入れ替わっておりますから、あるいは阿部様が老中になられるようなことがありますれば、国の政はまたどうなるかわかりませぬな」
郡山と須賀川は三里弱しか離れていないが、須賀川は郡山以上の殷賑の宿場町である。領地としては白河藩の宿場町であり白河藩の役人も常駐しているが、その来歴からか、独立独歩の気風の強い宿場町だった。尚且つこの町の商人らは守山藩の江戸への公文書運搬を担い、時には金策にも応じている。
「須賀川にも行ってみるべきでしょうかな……」
思案気に井上が首を傾げたときである。
「錦見様」
下男が、錦見を呼びに来た。
「何事か」
「陣屋表に増子源之丞殿が参っております。至急お目通り願いたいと」
鳴海は、錦見らに軽く肯いてみせた。
「しばし待っておる。参られよ」
「相済みませぬな。増子殿は宿屋や質屋を営む者。何か聴き込んできたのかもしれませぬ」
そう口早に述べると、錦見は慌ただしく席を立っていった。
その後姿を見て、志摩がぽつりと呟いた。
「鳴海殿が郡山に参られると、必ず大事に遭うというのは本当だったんですね」
「たわけたことを」
鳴海は軽く志摩を睨んだ。が、確かに漏れ聞こえてくる会話に耳を済ましていると、変事があったのだろうと思わせる単語がいくつか飛び交っていた。権太左衛門や井上の顔にも、緊張の色が浮かんでいる。
錦見は、すぐに戻ってきた。
「増子を庭先に回しました。御一同も、増子の報告をお聞き願いたい」
そう言うと、錦見はすらりと雨戸と引き戸を開けた。既に庭先には、身なりの良い商人の姿があった。
「増子殿。忌憚なく申し上げられよ」
増子が、こくりと肯いた。
「御侍様方に申し上げます。去る三月二十七日、常州筑波山にて水府浪士共が水戸藩のお役人を頭領と仰いで、挙兵した由。御式台(幕府)は四月二日に天狗党鎮撫の命令を水戸藩に対して発し、筑波の賊徒共は現在下野に向かって進軍中との知らせを、宇都宮から参った者が申しておりました」
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