鬼と天狗

篠川翠

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第三章 常州騒乱

筑波挙兵(4)

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 学館の試験の諸々が一段落し鳴海が郡山に赴いたのは、薫風香る四月上旬のことだった。鳴海が郡山に足を向けるのも、約一年ぶりである。振り返ってみれば、守山藩の越訴騒動に遭遇した後は、他の藩士らが江戸警衛に出向かされたり京都警衛に出向かされたりで、二本松の留守を預かっている以上、鳴海も二本松藩領の端にある郡山まで足を向けられる状態ではなかったのである。更に番頭の座に就いてからは、公私共に忙しすぎた。
 今回の鳴海の伴は、警護役も兼ねて長柄奉行を勤める権太左衛門、政之進と並ぶ五番組の使武者である井上勘右衛門である。そしてなぜか志摩がついてきた。
「お主、自分の仕事はどうした」
 鳴海は並んで馬を進める志摩に対して、眉を顰めてみせた。気心の知れた親類ではあるが、志摩は志摩で詰番としての城下警護の任務があるはずだった。他の二人は身分上の遠慮があるのか、やや後ろからついてくる。
「父上の命令ですよ。水戸の情勢に通じている鳴海殿についていけば何かしら得るものがあるだろうから、学んで参れと」
 志摩は、白い歯を見せて少し笑った。が、すぐに真面目な顔を取り繕った。
「鳴海殿が一昨年養泉様を見送られ、此度は樽井殿の御尊父が身罷られましたから……。人はいつ親を見送る立場になるか分からず、常々非常の時を想定しておくべきだと思ったまでです」
「与兵衛様が聞いたら、お怒りになるぞ」
 呆れてそうは言ってみたものの、鳴海も志摩の言わんとしているところは分かる。与兵衛は京から戻っても飄々としているが、十右衛門の話から察するに、現在の京はやはり情勢が不穏であり、些細なことで血の雨が降ってもおかしくない。そのような危うい状況をくぐり抜けてきた父の無事な姿を見て、志摩は心の底から安堵したのだろう。本来は笑い上戸で陽気な若者である志摩も、そのうち何らかの命令を受けて危険と対峙するように命じられるかもしれない。その時に備えて、今のうちに学べるものは学んでおこうという腹積もりらしかった。そういえば近頃の志摩は、人並みには笑うものの、かつてのような弾けるような笑顔を見せることは、滅多になくなっていた。それを思うと鳴海も沈鬱な気分になり、「そう言えば」と話題を強引に変えた。
「春の右門の成績はまずまずだったぞ。お主も、与兵衛様に告げ口をしなくて済むだろう」
 黙ったままの志摩というのがどうにも落ち着かず、右門のことを持ち出してみた。鳴海の言葉にようやく気分がほぐれたものか、志摩は鳴海のよく知るいつもの表情を作った。
「大谷一族の男としては、あれくらいの成績を修めて当然です。ですが……」
 と、そこで目元を和らげた。
「珍しく父上も、春の学館考査の後に、右門に酒を飲ませてやっていましたよ。五番組に預けて正解だった、と」
 志摩の笑顔に釣られて、鳴海も笑みがこぼれた。彦十郎家の男三人は、年少の頃は左程成績に差がなかったと記憶している。それに引き換え、本家でみそっかす扱いされていた右門は、さぞかし肩身が狭かっただろう。
「ご存知ですか?志摩殿。右門殿は大島成渡殿に懐いておられて、年の差があるにも関わらず、随分と親しいのですよ」
 後ろから、笑いを含んだ権太左衛門の声が聞こえてきた。距離を保ちつつも、ちゃんと二人の会話に注意を払っていたらしい。
 権太左衛門の言葉を聞いた志摩は、再び眉根を寄せた。
「だからですか……。右門の部屋から時折算盤の弾く音が聞こえてくるのは」
「ん?」
 鳴海には、初耳だった。確かに、成渡は算術に長けているが、そこまで教えてくれとは頼んでいない。志摩は深々とため息をついた。
「父上に見つかったら、『商人にでもなるつもりか』と言われかねないですよ、あれは。全く、魚への執着の次は算術に夢中になるとは……」
 鳴海にもそれは予想外だった。武士でも算術ができるのは、二本松藩では特に咎め立てをされることはない。だが、志摩の言うように、「大谷一族の男子らしくない」のも確かである。本家も彦十郎家も武門を誇りとする家柄であり、そのような一族の中では確かに右門は変わり者には違いなかった。どのようにフォローするか考えあぐねているうちに、見覚えのある陣屋の門構えが見えてきた。
 陣屋には、あらかじめ先触れを出して来訪を伝えてある。四人は馬丁に馬を預けると、陣屋の玄関を潜った。
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