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第三章 常州騒乱
筑波挙兵(3)
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――三月に入ると、幕府から改元の触れが伝えられた。新しい元号は「元治」であるという。また、城下警備の番は京から帰ってきたばかりの六番組らに交替した。晦日に小書院の間で行われた引き継ぎの席で、鳴海は与兵衛に守山藩士らが嶽の藤乃家に逗留中であることを告げた。あれから鳴海も、事のあらましを知る権太左衛門や政之進に命じて三日に一度は両者を嶽に赴かせているが、守山藩の庄司と小林は既に守山に戻り、現在はあの背中に腫れ物が出来ていたという球三郎と、三本木鎗三郎、高野東八郎が引き続き嶽に残っているだけとのことだった。
「ふむ……」
鳴海の報告を、与兵衛は固く腕を結んで耳を傾けていた。
「あの時の平八郎殿の話では、三本木鎗三郎は少々訳ありの様子でございました。守山藩で近々水戸宗家より二十二麿君が守山に下られて参るとのことでございますから、鎗三郎がいらぬことを二十二麿君に吹き込まぬように、強いて嶽に足止めさせておるのかもしれませぬ」
鳴海の説明に、政之進が肯いた。
「鳴海殿の申される通りかと、拙者も思いまする。農民上がりの者を鍛えるのであれば、あの槍術師範の腕を持つとい鎗三郎殿ともう一人おれば、十分でございましょう。また、それだけの少人数しかおらぬのでは、二本松城下へ下って参って尊攘派同志への工作活動を行うのも無理でございます」
そう述べると、政之進は権太左衛門の方をちらりと見た。鎗三郎の腕前は、実際に槍を交えたお前が一番分かるだろうと言わんばかりである。権太左衛門が、軽く与兵衛に頭を下げた。
「まあ、藩校の師範に推挙されるだけの腕は確かに持っております。ですが、あの者はそれがしと同類と見ました」
その言葉に、鳴海は苦笑を浮かべるに留めた。あれこれと工作を巡らせるよりも実直者だという意味合いなのだろうが、それはそれでもう少し物事を考えて行動してほしい気もする。
「なるほど……。それでは六番組と致しましても、嶽の件につきまして承知致しました。拙者も嶽の動きにつきましては、気を配っておきまする」
六番組の使武者である佐倉源五右衛門が、笑顔で肯いた。先の竹ノ内擬戦では自慢の弓の腕前を披露して五番組を散々に手こずらせてくれた男だが、知恵者でもあり、味方となれば頼れる男であった。
「何卒よろしくお頼み申す」
鳴海は、軽く頭を下げた。与兵衛もそれを見て軽く肯いた。
「然らば、鳴海殿。学館の試験が終わってからでも、郡山に参られてはいかがか。あそこは守山の者も出入りするゆえ、守山の噂も聞こえてこよう。そちらの動きも探って頂けると、六番組としても助かり申す」
与兵衛の言葉に、鳴海もその気になった。郡山は何かと三浦平八郎との因縁の場ともなったが、あくまでも二本松領の一部である。番頭の地位に就いた今では、鳴海が郡山に赴く名目は何とでもなった。
「失礼します。父上、鳴海殿。お取り込み中でしたか」
小書院の襖を開けたのは、志摩だった。
「何事か。騒々しい」
与兵衛は眉を顰めてみせたが、志摩は少し頭を下げただけだった。
「七之町の樽井邸から知らせが参りました。御家老倫安様、御危篤とのことでございます」
一同は、思わず顔を見合わせた。確かに先日の京都警衛組帰藩の出迎えの際にも、樽井倫安は欠席していたのを鳴海は思い出した。
「尚、御子息弥五左衛門殿より『誠に勝手ながら、見舞いは御遠慮頂きたい』とのご伝言も承ってございます。御家老が、見苦しい様子を皆様にお見せしたくないからと」
そう述べる志摩の声も、やや緊張を孕んでいた。
「いつまでも御壮健でおって欲しかったのだが……。お気の毒に……」
佐倉が小さく首を振ったが、与兵衛はじっと何かを考え込んでいた。
鳴海にも、その意味は分かった。近々、再び人事異動があるに違いない。
家老の一人である樽井倫安の死が一同に伝えられたのは、その翌日だった。直ちに長国公は弥五左衛門の家督を認め、弥五左衛門が樽井家の新しい当主となった。それだけではない。家老の席を空席のままにしておくわけにはいかず、一番組の番頭だった丹羽一学が家老に昇格した。一学の家老昇格に伴い、一番組の番頭には長らく小普請頭だった本山大介が昇格した。本山の後任は詰番だった樽井弥五左衛門である。小普請頭としての任歴が長かったからか、任命された本山当人も戸惑っているようだった。年は鳴海より五歳上であり、鳴海もあまり顔を合わせたことがない。
「皆様の足枷となることのないよう、精進致していく所存でございまする」
本山は、そう穏やかに就任の口上を述べた。
「それがしも、未だ至らぬ身でございます」
鳴海も、本山にぎこちない笑みを返した。鳴海にとって、年上の後輩ができるというのは初めての経験である。もっとも、鳴海が番頭の地位についたのはわずか半年前のほどの話であるから、二人の間に左程番頭としての経験の差があるわけではなかった。
そんな二人を上座から意味有り気に眺めているのは、家老に昇格したばかりの一学である。先日まで同僚だったわけだが、これから一学にも家老としての職務や責任が待っているに違いなかった。
「番頭の面々も、多少なりとも若返りましたな」
種橋の軽口に、与兵衛がじろりと睨みつけた。
「それは、拙者への当てつけでござるか?」
「いや、滅相もない」
慌てた様子の種橋に、与兵衛がくすりと笑ってみせた。番頭の長者としての風格を保つために、種橋をからかったのだろう。
春の学館の試験も間もなくである。秋の試験では右門の弓術の試験の結果があまりにも思わしくなかったものだから、鳴海はこっそりと手を回し、同じ五番組の大島成渡に右門の弓術指南を頼んであった。成渡は自身も弟らがいるためか、面倒見が良い。右門も成渡によく懐き、近頃は弓の命中率も少しずつ上がってきているとの報告を成渡から受けていた。確かに、鳴海は番頭として時折学館の検分に行くこともあるのだが、先日行われた日置流の者等の腕試しにおいて、右門はまずますの的中率だった。それを思い出し、鳴海の口元も自然と綻んだ。
「鳴海殿」
上座から、一学が手招いている。鳴海はすっと膝を進め、一学に頭を下げた。
「学館の考査が終わった後で構わぬ。差し支えなければ、郡山の錦見と今泉に……」
「守山及び水戸の動きについての報告を受けてほしい、ということですな。近々参る所存で御座いまする」
鳴海の言葉に、一学が口元を上げた。
「お察しがよろしくて、助かりまする」
先日、与兵衛ともその話が出たばかりである。鳴海に取っても、やはり水戸や守山の動きは気になるのであった。
「ふむ……」
鳴海の報告を、与兵衛は固く腕を結んで耳を傾けていた。
「あの時の平八郎殿の話では、三本木鎗三郎は少々訳ありの様子でございました。守山藩で近々水戸宗家より二十二麿君が守山に下られて参るとのことでございますから、鎗三郎がいらぬことを二十二麿君に吹き込まぬように、強いて嶽に足止めさせておるのかもしれませぬ」
鳴海の説明に、政之進が肯いた。
「鳴海殿の申される通りかと、拙者も思いまする。農民上がりの者を鍛えるのであれば、あの槍術師範の腕を持つとい鎗三郎殿ともう一人おれば、十分でございましょう。また、それだけの少人数しかおらぬのでは、二本松城下へ下って参って尊攘派同志への工作活動を行うのも無理でございます」
そう述べると、政之進は権太左衛門の方をちらりと見た。鎗三郎の腕前は、実際に槍を交えたお前が一番分かるだろうと言わんばかりである。権太左衛門が、軽く与兵衛に頭を下げた。
「まあ、藩校の師範に推挙されるだけの腕は確かに持っております。ですが、あの者はそれがしと同類と見ました」
その言葉に、鳴海は苦笑を浮かべるに留めた。あれこれと工作を巡らせるよりも実直者だという意味合いなのだろうが、それはそれでもう少し物事を考えて行動してほしい気もする。
「なるほど……。それでは六番組と致しましても、嶽の件につきまして承知致しました。拙者も嶽の動きにつきましては、気を配っておきまする」
六番組の使武者である佐倉源五右衛門が、笑顔で肯いた。先の竹ノ内擬戦では自慢の弓の腕前を披露して五番組を散々に手こずらせてくれた男だが、知恵者でもあり、味方となれば頼れる男であった。
「何卒よろしくお頼み申す」
鳴海は、軽く頭を下げた。与兵衛もそれを見て軽く肯いた。
「然らば、鳴海殿。学館の試験が終わってからでも、郡山に参られてはいかがか。あそこは守山の者も出入りするゆえ、守山の噂も聞こえてこよう。そちらの動きも探って頂けると、六番組としても助かり申す」
与兵衛の言葉に、鳴海もその気になった。郡山は何かと三浦平八郎との因縁の場ともなったが、あくまでも二本松領の一部である。番頭の地位に就いた今では、鳴海が郡山に赴く名目は何とでもなった。
「失礼します。父上、鳴海殿。お取り込み中でしたか」
小書院の襖を開けたのは、志摩だった。
「何事か。騒々しい」
与兵衛は眉を顰めてみせたが、志摩は少し頭を下げただけだった。
「七之町の樽井邸から知らせが参りました。御家老倫安様、御危篤とのことでございます」
一同は、思わず顔を見合わせた。確かに先日の京都警衛組帰藩の出迎えの際にも、樽井倫安は欠席していたのを鳴海は思い出した。
「尚、御子息弥五左衛門殿より『誠に勝手ながら、見舞いは御遠慮頂きたい』とのご伝言も承ってございます。御家老が、見苦しい様子を皆様にお見せしたくないからと」
そう述べる志摩の声も、やや緊張を孕んでいた。
「いつまでも御壮健でおって欲しかったのだが……。お気の毒に……」
佐倉が小さく首を振ったが、与兵衛はじっと何かを考え込んでいた。
鳴海にも、その意味は分かった。近々、再び人事異動があるに違いない。
家老の一人である樽井倫安の死が一同に伝えられたのは、その翌日だった。直ちに長国公は弥五左衛門の家督を認め、弥五左衛門が樽井家の新しい当主となった。それだけではない。家老の席を空席のままにしておくわけにはいかず、一番組の番頭だった丹羽一学が家老に昇格した。一学の家老昇格に伴い、一番組の番頭には長らく小普請頭だった本山大介が昇格した。本山の後任は詰番だった樽井弥五左衛門である。小普請頭としての任歴が長かったからか、任命された本山当人も戸惑っているようだった。年は鳴海より五歳上であり、鳴海もあまり顔を合わせたことがない。
「皆様の足枷となることのないよう、精進致していく所存でございまする」
本山は、そう穏やかに就任の口上を述べた。
「それがしも、未だ至らぬ身でございます」
鳴海も、本山にぎこちない笑みを返した。鳴海にとって、年上の後輩ができるというのは初めての経験である。もっとも、鳴海が番頭の地位についたのはわずか半年前のほどの話であるから、二人の間に左程番頭としての経験の差があるわけではなかった。
そんな二人を上座から意味有り気に眺めているのは、家老に昇格したばかりの一学である。先日まで同僚だったわけだが、これから一学にも家老としての職務や責任が待っているに違いなかった。
「番頭の面々も、多少なりとも若返りましたな」
種橋の軽口に、与兵衛がじろりと睨みつけた。
「それは、拙者への当てつけでござるか?」
「いや、滅相もない」
慌てた様子の種橋に、与兵衛がくすりと笑ってみせた。番頭の長者としての風格を保つために、種橋をからかったのだろう。
春の学館の試験も間もなくである。秋の試験では右門の弓術の試験の結果があまりにも思わしくなかったものだから、鳴海はこっそりと手を回し、同じ五番組の大島成渡に右門の弓術指南を頼んであった。成渡は自身も弟らがいるためか、面倒見が良い。右門も成渡によく懐き、近頃は弓の命中率も少しずつ上がってきているとの報告を成渡から受けていた。確かに、鳴海は番頭として時折学館の検分に行くこともあるのだが、先日行われた日置流の者等の腕試しにおいて、右門はまずますの的中率だった。それを思い出し、鳴海の口元も自然と綻んだ。
「鳴海殿」
上座から、一学が手招いている。鳴海はすっと膝を進め、一学に頭を下げた。
「学館の考査が終わった後で構わぬ。差し支えなければ、郡山の錦見と今泉に……」
「守山及び水戸の動きについての報告を受けてほしい、ということですな。近々参る所存で御座いまする」
鳴海の言葉に、一学が口元を上げた。
「お察しがよろしくて、助かりまする」
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