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第三章 常州騒乱
鳴動(1)
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文久四年正月。鳴海は初めて「正月御目見得」の席に臨んだ。正月に行われる藩主から家臣らへの挨拶の席であるが、日常の「御目見得」と異なるのは、この席にはそれぞれの村や町の「町年寄」、すなわち管理責任者が姿を見せることである。
その日の朝、鳴海は髻を正絹の元結で束ね、月白紗綾形文様の小袖の上にやはり紗綾形文様の青藍の裃を身につけた。裃の着用が認められるのは高位の身分の者に限られるから、鳴海もこの姿で御目見得に臨むのは初めてである。さらに、袴もいつもの仙台袴ではなく正装である長袴を穿いており、うっかりすると長い裾元に足がもつれそうになった。
晴れがましい出で立ちの夫の着付けを手伝いながら、りんが目を細めた。
「何やら、御大身の着付けをする側も緊張いたします」
口ではそう言いながらも、りんの手つきは落ち着いている。ごく自然に鳴海の着付けを手伝っているところを見ると、実家の江口家で躾けられてきたのだろう。江口家も家老格の家柄であるから、りんがこれらの着付けの仕方を知っていたとしても何ら不思議ではないのだが。
「そのようなものか?」
鳴海は、小首を傾げた。
「そのようなものでございます。番頭の御身分ともなりますと、自ずと人の見る目も変わってまいりましょう」
りんの言葉は、今の鳴海にはまだ実感が沸かない。だが、その身分に相応しい言動を心掛けなければ、とは思う。
番頭の身分は、戦場での侍大将の扱いである。かつて小川平助から伝授された侍大将、物頭奉行に申し付けるべき人品というものがある。
一.すぐれて勇者に生まれついた侍のこと
一.知恵才覚ある侍のこと
一.和慈愛の侍のこと
一.真実深き侍のこと
一.忠節忠孝の侍のこと
勇猛さ・忠節忠孝については人に負けず劣らず持ち合わせているつもりだが、知恵や才覚、温和慈愛については、未だ至らないところも多々あると感じる。もちろん一朝一夕に身につくものではないのだろうが、侍大将というのは武勇や戦略に優れているだけでは足りず、常々その人品についても人々から見定められているわけである。
もちろん、名目だけで「番頭」としての役目を果たすのも可能であるが、鳴海はそのような真似はしたくなかった。
登城すると、畳大廊下のところにずらりと下士らが並んで座っているのが目に入った。この真ん中を闊歩して御広間前の幾枚もの襖の前を通り過ぎ、御番頭ノ間の襖を開く。番頭の人数の割りに、部屋は広い。
現在与兵衛が京都に出張しているため、鳴海の隣にはひとつ分の空席があった。さらに一つ飛ばして、八番組の席も丹羽右近が富津在番に赴いているため、空席である。
穿き慣れぬ長袴の裾捌きに四苦八苦している鳴海を見かねて、隣席の種橋が苦笑を浮かべた。
「慣れぬうちは、長袴の捌きも大変でございましょう」
鳴海も、苦笑で返す。
「まさか、長袴を着けるような身上になるとは露にも思いませんでしたからな。今になってあたふたしておりまする」
今日鳴海が身につけている裃は、亡き縫殿助の遺品でもあった。新調したいのはやまやまだが、那津の嫁入りで何かと物入りでもある。無用の出費は避けたいところであった。
「何の。鳴海殿にもよくお似合いでござる」
大内蔵が、口元に笑みを浮かべた。
「そう言えば、鳴海殿は大殿にお目通りしたことは?」
一学が、鳴海に尋ねた。一学の言う大殿とは、先代藩主である長富公のことである。
「子供の頃、殿や日向守様と一緒に本町谷で遊んだ折に、遠くからお姿を拝見したくらいでございましょうか」
かつての鳴海にとって、藩主とはそれほど遠い存在であった。そもそも、大身の家の者であっても、長男である惣領とそうでない者では、その後の人生に大きな開きがある。現に鳴海の身近なところでは、本家の志摩は詰番として落ノ間に出入りできるが、次男である右門は惣領無足六人口という身分の差がある。右門が年若ということもあるが、右門は未だ易易と登城できるような身分ではない。鳴海の義弟である衛守が、その一つ上の身分である惣領無足座乗十人口。生まれながらの名家の子息であっても、次男三男となれば通常は並士の身分である。それでも兄の身に何かがあれば政の表舞台に否応がなしに立たされるような仕組みなのだが、その日はある日突然やってくるのだった。
それらを鑑みれば、鳴海が縫殿助の死に伴い、詰番そして番頭とわずか二年余りの間に出世したのは、いかに彦十郎家が名家とは言え、異例の出来事である。鳴海は、しばし我が身の変遷を思い噛み締めた。
「町年寄ら、揃いましてございます」
大殿付きの小姓が、番頭らを呼びに来た。
「すぐに参る」
一同を代表して、一学が軽く肯いた。鳴海も裾に足元が取られないように慎重に歩みを進め、慣れた落ノ間を通り大書院の上段の間の自席に着席した。そして、大殿が一同に新春の寿ぎの言葉を掛けるのを聞き届けたところで、何気なく下座の面々を眺めた。
ふと、一人の町年寄と視線が絡み合い、瞬時息を詰めた。老人は、いつものようにふくふくとした笑みを浮かべている。そして、鳴海と視線が合った途端に、彼の笑みが深くなった。ような気がした。
(宗形殿……)
先日、ついにうっかり彼の催す「講」に名を連ねる事になってしまった。年が明ける前の話だが、なぜあの時彼の話術に嵌ってしまったのか、自分でも不思議である。
そっと視線を逸らしたが、視線はどこまでも追ってくる。きっとあの様子では、善蔵の方から城内で鳴海を捕まえようとするに違いない。
仕方がない。鳴海は腹を括って大殿の「御目見得」後、畳大廊下で顔見知りらしき人物と話していた善蔵を捕まえた。
その日の朝、鳴海は髻を正絹の元結で束ね、月白紗綾形文様の小袖の上にやはり紗綾形文様の青藍の裃を身につけた。裃の着用が認められるのは高位の身分の者に限られるから、鳴海もこの姿で御目見得に臨むのは初めてである。さらに、袴もいつもの仙台袴ではなく正装である長袴を穿いており、うっかりすると長い裾元に足がもつれそうになった。
晴れがましい出で立ちの夫の着付けを手伝いながら、りんが目を細めた。
「何やら、御大身の着付けをする側も緊張いたします」
口ではそう言いながらも、りんの手つきは落ち着いている。ごく自然に鳴海の着付けを手伝っているところを見ると、実家の江口家で躾けられてきたのだろう。江口家も家老格の家柄であるから、りんがこれらの着付けの仕方を知っていたとしても何ら不思議ではないのだが。
「そのようなものか?」
鳴海は、小首を傾げた。
「そのようなものでございます。番頭の御身分ともなりますと、自ずと人の見る目も変わってまいりましょう」
りんの言葉は、今の鳴海にはまだ実感が沸かない。だが、その身分に相応しい言動を心掛けなければ、とは思う。
番頭の身分は、戦場での侍大将の扱いである。かつて小川平助から伝授された侍大将、物頭奉行に申し付けるべき人品というものがある。
一.すぐれて勇者に生まれついた侍のこと
一.知恵才覚ある侍のこと
一.和慈愛の侍のこと
一.真実深き侍のこと
一.忠節忠孝の侍のこと
勇猛さ・忠節忠孝については人に負けず劣らず持ち合わせているつもりだが、知恵や才覚、温和慈愛については、未だ至らないところも多々あると感じる。もちろん一朝一夕に身につくものではないのだろうが、侍大将というのは武勇や戦略に優れているだけでは足りず、常々その人品についても人々から見定められているわけである。
もちろん、名目だけで「番頭」としての役目を果たすのも可能であるが、鳴海はそのような真似はしたくなかった。
登城すると、畳大廊下のところにずらりと下士らが並んで座っているのが目に入った。この真ん中を闊歩して御広間前の幾枚もの襖の前を通り過ぎ、御番頭ノ間の襖を開く。番頭の人数の割りに、部屋は広い。
現在与兵衛が京都に出張しているため、鳴海の隣にはひとつ分の空席があった。さらに一つ飛ばして、八番組の席も丹羽右近が富津在番に赴いているため、空席である。
穿き慣れぬ長袴の裾捌きに四苦八苦している鳴海を見かねて、隣席の種橋が苦笑を浮かべた。
「慣れぬうちは、長袴の捌きも大変でございましょう」
鳴海も、苦笑で返す。
「まさか、長袴を着けるような身上になるとは露にも思いませんでしたからな。今になってあたふたしておりまする」
今日鳴海が身につけている裃は、亡き縫殿助の遺品でもあった。新調したいのはやまやまだが、那津の嫁入りで何かと物入りでもある。無用の出費は避けたいところであった。
「何の。鳴海殿にもよくお似合いでござる」
大内蔵が、口元に笑みを浮かべた。
「そう言えば、鳴海殿は大殿にお目通りしたことは?」
一学が、鳴海に尋ねた。一学の言う大殿とは、先代藩主である長富公のことである。
「子供の頃、殿や日向守様と一緒に本町谷で遊んだ折に、遠くからお姿を拝見したくらいでございましょうか」
かつての鳴海にとって、藩主とはそれほど遠い存在であった。そもそも、大身の家の者であっても、長男である惣領とそうでない者では、その後の人生に大きな開きがある。現に鳴海の身近なところでは、本家の志摩は詰番として落ノ間に出入りできるが、次男である右門は惣領無足六人口という身分の差がある。右門が年若ということもあるが、右門は未だ易易と登城できるような身分ではない。鳴海の義弟である衛守が、その一つ上の身分である惣領無足座乗十人口。生まれながらの名家の子息であっても、次男三男となれば通常は並士の身分である。それでも兄の身に何かがあれば政の表舞台に否応がなしに立たされるような仕組みなのだが、その日はある日突然やってくるのだった。
それらを鑑みれば、鳴海が縫殿助の死に伴い、詰番そして番頭とわずか二年余りの間に出世したのは、いかに彦十郎家が名家とは言え、異例の出来事である。鳴海は、しばし我が身の変遷を思い噛み締めた。
「町年寄ら、揃いましてございます」
大殿付きの小姓が、番頭らを呼びに来た。
「すぐに参る」
一同を代表して、一学が軽く肯いた。鳴海も裾に足元が取られないように慎重に歩みを進め、慣れた落ノ間を通り大書院の上段の間の自席に着席した。そして、大殿が一同に新春の寿ぎの言葉を掛けるのを聞き届けたところで、何気なく下座の面々を眺めた。
ふと、一人の町年寄と視線が絡み合い、瞬時息を詰めた。老人は、いつものようにふくふくとした笑みを浮かべている。そして、鳴海と視線が合った途端に、彼の笑みが深くなった。ような気がした。
(宗形殿……)
先日、ついにうっかり彼の催す「講」に名を連ねる事になってしまった。年が明ける前の話だが、なぜあの時彼の話術に嵌ってしまったのか、自分でも不思議である。
そっと視線を逸らしたが、視線はどこまでも追ってくる。きっとあの様子では、善蔵の方から城内で鳴海を捕まえようとするに違いない。
仕方がない。鳴海は腹を括って大殿の「御目見得」後、畳大廊下で顔見知りらしき人物と話していた善蔵を捕まえた。
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