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第二章 尊攘の波濤
藩公上洛(7)
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――それからしばらくの間、彦十郎家には鳴海の番頭就任に対する祝いの品が、各所から届けられた。あの日、鳴海は居間に家の者らを集め、「五番組番頭の御役目を仰せつかった」と告げると、水山や玲子、祖母の華は相好を崩した。
「養泉様がご存命でしたら、さぞお喜びになられたでしょうな」
水山の言葉を聞くと、鳴海は柄にもなく涙が浮かびそうになった。年老いてから出来た息子である鳴海の将来は、親としてはさぞ心配だったに違いない。
「不肖の息子ながら、多少なりともこれで父上への供養になったでしょうか」
鳴海の言葉に、水山は笑いながら首を振った。
「もう一つ、親孝行せねばならぬことが残っておりますでしょう、鳴海殿」
その言葉を聞き、鳴海は側にいたりんと顔を見合わせて、顔を赤らめた。言わんとしていることは、明白である。りんとの夫婦仲が改善されてから二年余り。鳴海なりに妻を慈しんではいるのだが、なかなか子が授からぬのは、さすがの鳴海も気になっていた。その上番頭になればさらに多忙になるのは明白で、事と次第では与兵衛のように遠方への出張も命じられる可能性もある。これで、子を設ける暇があるかどうか。
「父上。まあ、良いではございませぬか」
鳴海夫婦の困惑をとりなすかのように、衛守が水山の盃に酒を注いだ。その酒膳には、見事な鯛が載せられている。大身の彦十郎家でも、滅多に見ることの出来ないほどの立派な鯛だった。鯛の贈主に心当たりがなく、鳴海は妻に尋ねた。
「りん。この鯛はどなたからのものだ?」
鳴海が注文したわけでもないし、贈主は一体誰なのか。
「鳴海様が出仕なされている間に、針道村の宗形様がお見えになられました。丁度、良い鯛が鍵屋に届けられていたそうでございます」
りんが告げたのは、意外な人物の名だった。
「宗形殿……」
「五月に兄上と針道に出向いた際に、那津の縁談の話が出たでしょう?あれから宗形殿は三春の春山家の意向もご確認して下さり、先方もぜひ那津に嫁に来てもらいたいと、乗り気だそうです。婚儀の日取りは、こちらに任せるそうですよ」
衛守の説明に、鳴海も頬を緩ませた。
「然らば、養泉様と縫殿助殿の一周忌が済んだ後、吉日を選んで婚儀とするか」
鳴海の言葉は、そのまま那津の三春への嫁入りを意味した。鳴海の言葉を聞いていた那津は、ほんのりと顔を上気させた。志津のときもそうだったが、まだまだ子供だと思っていた義姪も遂に人妻になるのかと思うと、不思議な気分である。
「鳴海殿の番頭就任も、多少なりとも我が家から嫁を出す際の箔となりましょう」
鳴海兄弟が針道村から戻った後に、娘の縁談の相談を受けた水山も、この縁談には賛成していた。
「那津様の花嫁衣装も、今から楽しみでございますね」
普段は口数が少ないりんも、穏やかに微笑んだ。那津もそれに微笑み返しているのを見ると、嫁入りというのはやはり女にとって大切な行事なのだと思い知らされる。二人の様子を傍らで見ていた鳴海の口元も、自然と綻んだ。近々、那津の嫁入り道具も注文せねばなるまい。
数日後、鳴海の意を受けた衛守が針道村に赴き、善蔵に那津の縁談を進めてほしいと告げてきた。すると善蔵は、彦十郎家への贈り物として、那津の花嫁衣装となる練絹を用意してくれるという。そればかりでなく、那津の嫁入りの祝い金として、またしても天保小判数枚を衛守に持たせたのだった。五月に大火に見舞われたにも関わらず、余程商いがうまく行っているのか。それにしても大した大尽である。
「兄上は、随分と善蔵殿に見込まれたのでしょうか」
使い役を務めたにも関わらず、針道から帰ってきた衛守は、ややもすれば、善蔵に対する不信感を露わにしていた。善蔵が余りにも鳴海に好意的過ぎるのが、却って何か下心があるのではないかと衛守の疑惑を招いているのだろう。
「さて……」
鳴海にしても、善蔵の振る舞いが不思議と言えば不思議である。鳴海の番頭就任は公的なものとなったため、確かに善蔵が鳴海に積極的に近づきたがるのも分からなくはない。だが、それ以前に会館で偶然出会ったときから、善蔵は鳴海に好意的だった。
「番頭ともなれば、当人の思いとは別に近づきたがる者もこれから出てまいりましょう。兄上、気をつけて下さいよ」
衛守の説教は、もっともである。だが、鳴海は首を竦めるのみに留めた。
「養泉様がご存命でしたら、さぞお喜びになられたでしょうな」
水山の言葉を聞くと、鳴海は柄にもなく涙が浮かびそうになった。年老いてから出来た息子である鳴海の将来は、親としてはさぞ心配だったに違いない。
「不肖の息子ながら、多少なりともこれで父上への供養になったでしょうか」
鳴海の言葉に、水山は笑いながら首を振った。
「もう一つ、親孝行せねばならぬことが残っておりますでしょう、鳴海殿」
その言葉を聞き、鳴海は側にいたりんと顔を見合わせて、顔を赤らめた。言わんとしていることは、明白である。りんとの夫婦仲が改善されてから二年余り。鳴海なりに妻を慈しんではいるのだが、なかなか子が授からぬのは、さすがの鳴海も気になっていた。その上番頭になればさらに多忙になるのは明白で、事と次第では与兵衛のように遠方への出張も命じられる可能性もある。これで、子を設ける暇があるかどうか。
「父上。まあ、良いではございませぬか」
鳴海夫婦の困惑をとりなすかのように、衛守が水山の盃に酒を注いだ。その酒膳には、見事な鯛が載せられている。大身の彦十郎家でも、滅多に見ることの出来ないほどの立派な鯛だった。鯛の贈主に心当たりがなく、鳴海は妻に尋ねた。
「りん。この鯛はどなたからのものだ?」
鳴海が注文したわけでもないし、贈主は一体誰なのか。
「鳴海様が出仕なされている間に、針道村の宗形様がお見えになられました。丁度、良い鯛が鍵屋に届けられていたそうでございます」
りんが告げたのは、意外な人物の名だった。
「宗形殿……」
「五月に兄上と針道に出向いた際に、那津の縁談の話が出たでしょう?あれから宗形殿は三春の春山家の意向もご確認して下さり、先方もぜひ那津に嫁に来てもらいたいと、乗り気だそうです。婚儀の日取りは、こちらに任せるそうですよ」
衛守の説明に、鳴海も頬を緩ませた。
「然らば、養泉様と縫殿助殿の一周忌が済んだ後、吉日を選んで婚儀とするか」
鳴海の言葉は、そのまま那津の三春への嫁入りを意味した。鳴海の言葉を聞いていた那津は、ほんのりと顔を上気させた。志津のときもそうだったが、まだまだ子供だと思っていた義姪も遂に人妻になるのかと思うと、不思議な気分である。
「鳴海殿の番頭就任も、多少なりとも我が家から嫁を出す際の箔となりましょう」
鳴海兄弟が針道村から戻った後に、娘の縁談の相談を受けた水山も、この縁談には賛成していた。
「那津様の花嫁衣装も、今から楽しみでございますね」
普段は口数が少ないりんも、穏やかに微笑んだ。那津もそれに微笑み返しているのを見ると、嫁入りというのはやはり女にとって大切な行事なのだと思い知らされる。二人の様子を傍らで見ていた鳴海の口元も、自然と綻んだ。近々、那津の嫁入り道具も注文せねばなるまい。
数日後、鳴海の意を受けた衛守が針道村に赴き、善蔵に那津の縁談を進めてほしいと告げてきた。すると善蔵は、彦十郎家への贈り物として、那津の花嫁衣装となる練絹を用意してくれるという。そればかりでなく、那津の嫁入りの祝い金として、またしても天保小判数枚を衛守に持たせたのだった。五月に大火に見舞われたにも関わらず、余程商いがうまく行っているのか。それにしても大した大尽である。
「兄上は、随分と善蔵殿に見込まれたのでしょうか」
使い役を務めたにも関わらず、針道から帰ってきた衛守は、ややもすれば、善蔵に対する不信感を露わにしていた。善蔵が余りにも鳴海に好意的過ぎるのが、却って何か下心があるのではないかと衛守の疑惑を招いているのだろう。
「さて……」
鳴海にしても、善蔵の振る舞いが不思議と言えば不思議である。鳴海の番頭就任は公的なものとなったため、確かに善蔵が鳴海に積極的に近づきたがるのも分からなくはない。だが、それ以前に会館で偶然出会ったときから、善蔵は鳴海に好意的だった。
「番頭ともなれば、当人の思いとは別に近づきたがる者もこれから出てまいりましょう。兄上、気をつけて下さいよ」
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