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第二章 尊攘の波濤
針道の富豪(6)
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翌日、幾台もの大八車に米俵が載せられ、一行は通称「浜街道」と呼ばれる道を針道に向けて出発した。あれから救民の話が一気に進み、他にも数名の有志から「救恤米」が差し出されたのである。大八車の先頭には、古々米どころか昨年の米と思しき俵が山盛りになって積まれている。それらは渋々ながら、丹波が提供した米であった。
「――丹波様を動かされるとは、兄上もなかなかの手際ですね」
車に付き従っている衛守が、愉快そうに笑った。昨夜、鳴海が水山に「明日針道の宗形善蔵の元へ救恤米を届けに行く」と報告すると、ついでだからと、衛守も同行することになったのである。この先、鳴海兄弟もいつ善蔵の世話になるかわからない。鳴海の身に万が一のことがあれば、弟の衛守に後事が託されるのは自明であるから、衛守も挨拶のために善蔵に顔を見せることになったのだった。
「意識したのではなかったのだがな。たまには御家老の御器量の広さを示して頂いてもよかろう」
「鳴海殿の申される通りでございますな」
鳴海のおどけた物言いに、やはり五番組の一員である杉内萬左衛門が笑い声を立てた。手先が器用なこともあり、普段は作事方の仕事を任されている男だが、此度は針道大火の被害調査も兼ねて同行しているのである。そして、今回も算盤勘定に強い大島成渡、糠沢の住民にも何らかの助っ人を頼むと明言している笠間市之進が加わっているのだった。
「さすが御家老。米俵も有り難みが増すというものです」
成渡が米俵に向かって手を合わせると、一同の笑い声が弾けた。
だが、つんとした刺激臭が漂い、前方に黒々とした焼け焦げた家並みが見えてくると、さすがに一同は顔つきを改めた。農村の宿場町であるからさほどの件数はないものの、茫然自失の農民らが善蔵を取り囲んでいる光景が、目に飛び込んできた。それでも宗形家の屋敷は無事だったらしく、白の長い塗壁が目に眩しい。その前で農民に囲まれている善蔵の立ち姿は、先だって見かけた洒落た木枯茶の羽織姿ではなく、鉄紺の作務衣に襷を掛けていた。老齢にも関わらず、疲れ一つ見せずにあれこれと指図を下している。
「宗形殿」
鳴海が口に手を当てて大声で呼びかけると、善蔵がこちらを振り返って目を大きく見開いた。
「彦十郎家の鳴海殿ではございませぬか」
鳴海が来たのが、よほど意外だったのだろう。慌てて一行の車に駆け寄ってくる善蔵を、鳴海は押し留めた。
「この度は、誠にご愁傷さまでござる」
鳴海が頭を下げると、周りの農民は嗚咽を漏らした。特別なことをしたとは思わないのだが、どうにも気恥ずかしくなり、鳴海はそっぽを向いた。
「兄上。このようなときは、素直に人の好意を受け取るものですよ」
小声で鳴海の脇腹を肘で突く衛守に、善蔵が相好を崩した。
「縫殿助様の弟君の、衛守様ですな。兄上には、何かとお世話になり申した」
善蔵の人事情報は、大したものである。衛守もそれに気付いたはずだが、黙って頭を下げるのみに留めていた。
「早速ですが、屋敷の台所をお借りしてもよろしいですかな?農民らも、火事の片付けの後で腹を減らしておりましょう」
市之進が善蔵に尋ねた。すると、善蔵は肯きかけて、ちらりと大八車の列に目をやった。運んできた八台のうち、三台は丹波の提供した米が積まれている。ご丁寧なことに丹波家の大八車には直違紋まで付いている。丹波の家は一族の直系に系譜を連ねるから、特別に直違紋の使用が認められているのだった。善蔵はその紋に目をやると、手代に「四台目の車の俵から、蔵に運び入れるように」と指示を出した。これは、鳴海が提供した米である。善蔵の意図が掴めぬままに、鳴海も部下たちに善蔵の手代らとともに、米俵の運搬の指示を下した。
宗形家の蔵に次々と米俵が運び入れられる様は壮観であった。だが、路上には直違紋の車だけが残されている。
「善蔵殿。これは御蔵に運ばなくてよろしいのですか?」
衛守が、戸惑ったように善蔵に尋ねた。鳴海も、それは先程から疑問であった。なぜ、丹波からの米だけを善蔵は残したのか。
すると、善蔵は二人の疑問に答えるように、にこりと笑った。
「農民らに提供する分は、あれで十分でございます。この車の米は、御紋からすると丹波様からのものでしょう?」
「左様だが……」
鳴海は、善蔵の観察眼に舌を巻く思いがした。特に説明したのではないのだが、普段から昵懇の仲なのか、善蔵は一目で丹波からの米だと見抜いたらしい。
「さすればかなり質の良い米でしょう。既に白鬚宿に人をやり、この米を塩に変えてもらうよう手筈を整えさせております」
「塩……」
善蔵の言葉に、二人はますます困惑するばかりであった。確かに針道村と並ぶ宿場である外木幡村の白鬚宿には、塩問屋が置かれている。塩は日持ちするし生活の必需品であるが、それをどうしようというのか。
「米と交換した塩は、江戸や上方へ運ぶことに致します」
そこで、善蔵は狡猾そうな笑みを浮かべた。
「――丹波様を動かされるとは、兄上もなかなかの手際ですね」
車に付き従っている衛守が、愉快そうに笑った。昨夜、鳴海が水山に「明日針道の宗形善蔵の元へ救恤米を届けに行く」と報告すると、ついでだからと、衛守も同行することになったのである。この先、鳴海兄弟もいつ善蔵の世話になるかわからない。鳴海の身に万が一のことがあれば、弟の衛守に後事が託されるのは自明であるから、衛守も挨拶のために善蔵に顔を見せることになったのだった。
「意識したのではなかったのだがな。たまには御家老の御器量の広さを示して頂いてもよかろう」
「鳴海殿の申される通りでございますな」
鳴海のおどけた物言いに、やはり五番組の一員である杉内萬左衛門が笑い声を立てた。手先が器用なこともあり、普段は作事方の仕事を任されている男だが、此度は針道大火の被害調査も兼ねて同行しているのである。そして、今回も算盤勘定に強い大島成渡、糠沢の住民にも何らかの助っ人を頼むと明言している笠間市之進が加わっているのだった。
「さすが御家老。米俵も有り難みが増すというものです」
成渡が米俵に向かって手を合わせると、一同の笑い声が弾けた。
だが、つんとした刺激臭が漂い、前方に黒々とした焼け焦げた家並みが見えてくると、さすがに一同は顔つきを改めた。農村の宿場町であるからさほどの件数はないものの、茫然自失の農民らが善蔵を取り囲んでいる光景が、目に飛び込んできた。それでも宗形家の屋敷は無事だったらしく、白の長い塗壁が目に眩しい。その前で農民に囲まれている善蔵の立ち姿は、先だって見かけた洒落た木枯茶の羽織姿ではなく、鉄紺の作務衣に襷を掛けていた。老齢にも関わらず、疲れ一つ見せずにあれこれと指図を下している。
「宗形殿」
鳴海が口に手を当てて大声で呼びかけると、善蔵がこちらを振り返って目を大きく見開いた。
「彦十郎家の鳴海殿ではございませぬか」
鳴海が来たのが、よほど意外だったのだろう。慌てて一行の車に駆け寄ってくる善蔵を、鳴海は押し留めた。
「この度は、誠にご愁傷さまでござる」
鳴海が頭を下げると、周りの農民は嗚咽を漏らした。特別なことをしたとは思わないのだが、どうにも気恥ずかしくなり、鳴海はそっぽを向いた。
「兄上。このようなときは、素直に人の好意を受け取るものですよ」
小声で鳴海の脇腹を肘で突く衛守に、善蔵が相好を崩した。
「縫殿助様の弟君の、衛守様ですな。兄上には、何かとお世話になり申した」
善蔵の人事情報は、大したものである。衛守もそれに気付いたはずだが、黙って頭を下げるのみに留めていた。
「早速ですが、屋敷の台所をお借りしてもよろしいですかな?農民らも、火事の片付けの後で腹を減らしておりましょう」
市之進が善蔵に尋ねた。すると、善蔵は肯きかけて、ちらりと大八車の列に目をやった。運んできた八台のうち、三台は丹波の提供した米が積まれている。ご丁寧なことに丹波家の大八車には直違紋まで付いている。丹波の家は一族の直系に系譜を連ねるから、特別に直違紋の使用が認められているのだった。善蔵はその紋に目をやると、手代に「四台目の車の俵から、蔵に運び入れるように」と指示を出した。これは、鳴海が提供した米である。善蔵の意図が掴めぬままに、鳴海も部下たちに善蔵の手代らとともに、米俵の運搬の指示を下した。
宗形家の蔵に次々と米俵が運び入れられる様は壮観であった。だが、路上には直違紋の車だけが残されている。
「善蔵殿。これは御蔵に運ばなくてよろしいのですか?」
衛守が、戸惑ったように善蔵に尋ねた。鳴海も、それは先程から疑問であった。なぜ、丹波からの米だけを善蔵は残したのか。
すると、善蔵は二人の疑問に答えるように、にこりと笑った。
「農民らに提供する分は、あれで十分でございます。この車の米は、御紋からすると丹波様からのものでしょう?」
「左様だが……」
鳴海は、善蔵の観察眼に舌を巻く思いがした。特に説明したのではないのだが、普段から昵懇の仲なのか、善蔵は一目で丹波からの米だと見抜いたらしい。
「さすればかなり質の良い米でしょう。既に白鬚宿に人をやり、この米を塩に変えてもらうよう手筈を整えさせております」
「塩……」
善蔵の言葉に、二人はますます困惑するばかりであった。確かに針道村と並ぶ宿場である外木幡村の白鬚宿には、塩問屋が置かれている。塩は日持ちするし生活の必需品であるが、それをどうしようというのか。
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