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第二章 尊攘の波濤
竹ノ内擬戦(8)
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――案の定、五番組は六番組に散々に負けた。明け五つに合図の狼煙が上がったのを見ると、鳴海は叱咤激励して、竹ノ内までの道を急がせた。だが、竹ノ内に辿り着く前に、木ノ崎を過ぎて大稲場に差し掛かったところで小競り合いとなった。大稲場の田の背後に身を隠していた六番組の兵に弓矢を射掛けられ、続けてそちらから兵が攻めてきた。六番組がいた側にはしっかり敷草が敷かれていたのに対し、道沿いの田には泥が広がるばかりであり、血気に逸った五番組の兵らは、ぬかるみに足を取られた。「構うな」という鳴海らの命令も虚しく、五番組の面々はほうほうの体で街道へ戻り再度竹ノ内を目指した。竹ノ内調練所では、やはり六番組の面々が待ち構えていた。だが、どうしたわけか将である志摩の姿はない。代わって指揮を取っているのは、六番組の長柄奉行である丹羽主馬だった。
馬に跨った主馬が挑発するように、ゆったりと五番組の面々を見渡し、続けて視線を権太左衛門に定めて笑ってみせた。
「権太左衛門、良い格好ではないか」
その権太左衛門はというと、先程田のぬかるみに嵌ったために、股引の裾に田の泥が跳ね上がっている。
「小癪な!」
権太左衛門が、しゅっと音を立てて槍をしごいた。
「権太左衛門、構うな」
鳴海の制止も虚しく、頭に血が上った権太左衛門は馬の手綱を引き絞った。どうやら、一騎打ちに持ち込むつもりのようである。気持ちは分からなくもないが、何をやっているのか。
「権太左衛門様。この場をお任せいたします」
一刻も速く鳴海を進ませようというつもりか、井上が権太左衛門の背に声を掛けた。権太左衛門は少し槍を振ってみせたが、またじりじりと主馬との間合いを測り始めた。
「鳴海殿。ここは権太左衛門殿にお任せしましょう」
井上の言葉に、鳴海は渋々肯いた。鳴海も左手に手綱を握りながら、右手には手槍を持っている。馬上戦では敵兵を倒すのに伸びの長い槍が有効であるし、鳴海自身は日頃より槍も鍛錬している。だが、大将の身辺を守るのが主な役割の長柄奉行が、大将たる鳴海の身辺を離れてどうするのかと思わないでもなかった。
そう思いながらも馬を駆けさせて街道を進むと、やがて事前に問題となった曲がり角に差し掛かった。曲がり角を曲がろうとした途端に、頭上からばらばらと矢が降りかかる。矢には鏃がないので怪我をする心配はないが、本能的にそれらを手槍で払わざるを得ない。六番組の者らは、五番組からは見えないところの木立に身を隠し、しかも向こうが斜面の上にいるから始末が悪い。
刹那、それらに混じって通常よりも太い弓が飛来した。辛うじて槍で払うが、地面に落ちたそれを見て、常人が使う弓ではないと直感した。ここまで、既に兵力は半分に削がれている。
「鳴海殿。ここは我らが引き受けます。どうぞお進みなされ!」
やはり槍を奮っている小笠原の怒声が聞こえた。
「佐倉殿。いくら擬戦とはいえ、八分の強弓を持ち出すとはあまりではござらぬか」
本気で怒っている小笠原の声に釣られて鳴海が思わず林の斜面の上に視線を向けると、確かに弓の名手として名高い佐倉源五右衛門の姿があった。かつて京都の三十三間堂で行われた試射大会に出場し、千本も射掛けたという経歴の持ち主である。弓を引くにはそれなりに腕力も必要であるから、射掛けた数も尋常ではないのだが、恐るべきは千本中、的を外したのはわずかに六本だけだったという、その腕前だった。
「何を申される。志摩殿から遠慮は無用と申し付けられておるゆえ、そのご指示に従っているまででござる」
口元に笑みを浮かべ、楽しげにそう言いながらも、佐倉は次々と矢をつがえて放ってくる。
「佐倉殿。覚えておれ!」
鳴海も、思わず怒鳴り声を張り上げた。
昨夜のうちにある程度敗色を覚悟していたものの、鳴海の身の回りを守っているのは、もはや一〇人にも満たなかった。有り体に言えば、完敗である。だが、鳴海にも意地があった。せめて、志摩よりも速く浅川を渡り馬頭観音に辿り着きたい。
鳴海の眼の前に、浅川が見えてきた。鳴海に続くのは、右門と松井、井上、そして杉内萬左衛門である。馬の勢いに任せて前に進もうとして、鳴海は手綱に重さを感じた。思うように馬が進んでくれない。どうやら、馬の足が川の深みに嵌ってしまったようである。そのまま馬ごと2丁ほども流されただろうか。ようやく浅瀬を見つけて、此方の川岸から再び渡河を試みようとしたときである。
貝の音が辺りに響き渡った。「勝負あり」の合図である。
すごすごと最初に渡河を試みた場所に戻ると、対岸では、志摩が大谷家の三つ巴の家紋が染め抜かれた旗印を手に、馬上でゆったりと笑っているのが見えた。
馬に跨った主馬が挑発するように、ゆったりと五番組の面々を見渡し、続けて視線を権太左衛門に定めて笑ってみせた。
「権太左衛門、良い格好ではないか」
その権太左衛門はというと、先程田のぬかるみに嵌ったために、股引の裾に田の泥が跳ね上がっている。
「小癪な!」
権太左衛門が、しゅっと音を立てて槍をしごいた。
「権太左衛門、構うな」
鳴海の制止も虚しく、頭に血が上った権太左衛門は馬の手綱を引き絞った。どうやら、一騎打ちに持ち込むつもりのようである。気持ちは分からなくもないが、何をやっているのか。
「権太左衛門様。この場をお任せいたします」
一刻も速く鳴海を進ませようというつもりか、井上が権太左衛門の背に声を掛けた。権太左衛門は少し槍を振ってみせたが、またじりじりと主馬との間合いを測り始めた。
「鳴海殿。ここは権太左衛門殿にお任せしましょう」
井上の言葉に、鳴海は渋々肯いた。鳴海も左手に手綱を握りながら、右手には手槍を持っている。馬上戦では敵兵を倒すのに伸びの長い槍が有効であるし、鳴海自身は日頃より槍も鍛錬している。だが、大将の身辺を守るのが主な役割の長柄奉行が、大将たる鳴海の身辺を離れてどうするのかと思わないでもなかった。
そう思いながらも馬を駆けさせて街道を進むと、やがて事前に問題となった曲がり角に差し掛かった。曲がり角を曲がろうとした途端に、頭上からばらばらと矢が降りかかる。矢には鏃がないので怪我をする心配はないが、本能的にそれらを手槍で払わざるを得ない。六番組の者らは、五番組からは見えないところの木立に身を隠し、しかも向こうが斜面の上にいるから始末が悪い。
刹那、それらに混じって通常よりも太い弓が飛来した。辛うじて槍で払うが、地面に落ちたそれを見て、常人が使う弓ではないと直感した。ここまで、既に兵力は半分に削がれている。
「鳴海殿。ここは我らが引き受けます。どうぞお進みなされ!」
やはり槍を奮っている小笠原の怒声が聞こえた。
「佐倉殿。いくら擬戦とはいえ、八分の強弓を持ち出すとはあまりではござらぬか」
本気で怒っている小笠原の声に釣られて鳴海が思わず林の斜面の上に視線を向けると、確かに弓の名手として名高い佐倉源五右衛門の姿があった。かつて京都の三十三間堂で行われた試射大会に出場し、千本も射掛けたという経歴の持ち主である。弓を引くにはそれなりに腕力も必要であるから、射掛けた数も尋常ではないのだが、恐るべきは千本中、的を外したのはわずかに六本だけだったという、その腕前だった。
「何を申される。志摩殿から遠慮は無用と申し付けられておるゆえ、そのご指示に従っているまででござる」
口元に笑みを浮かべ、楽しげにそう言いながらも、佐倉は次々と矢をつがえて放ってくる。
「佐倉殿。覚えておれ!」
鳴海も、思わず怒鳴り声を張り上げた。
昨夜のうちにある程度敗色を覚悟していたものの、鳴海の身の回りを守っているのは、もはや一〇人にも満たなかった。有り体に言えば、完敗である。だが、鳴海にも意地があった。せめて、志摩よりも速く浅川を渡り馬頭観音に辿り着きたい。
鳴海の眼の前に、浅川が見えてきた。鳴海に続くのは、右門と松井、井上、そして杉内萬左衛門である。馬の勢いに任せて前に進もうとして、鳴海は手綱に重さを感じた。思うように馬が進んでくれない。どうやら、馬の足が川の深みに嵌ってしまったようである。そのまま馬ごと2丁ほども流されただろうか。ようやく浅瀬を見つけて、此方の川岸から再び渡河を試みようとしたときである。
貝の音が辺りに響き渡った。「勝負あり」の合図である。
すごすごと最初に渡河を試みた場所に戻ると、対岸では、志摩が大谷家の三つ巴の家紋が染め抜かれた旗印を手に、馬上でゆったりと笑っているのが見えた。
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