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第二章 尊攘の波濤
竹ノ内擬戦(4)
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学館の一室では、家老二人と与兵衛、郡代の植木次郎右衛門、和左衛門、そして小浜組代官の青木平太左衛門が待っていた。郡代の二人も参加しているのは、郡代が学館の監督も兼ねているからだろう。
案の定、和左衛門は渋い顔をしている。
「お二方とも、何を考えておられる。間もなく田植えも始まろうというこの時期に、田を荒らすことがあっては一大事ではござらぬか」
和左衛門の言うことも、道理ではある。だが、反論しようと口を開きかけた鳴海よりも先に、志摩が口火を斬った。
「幕命として、先だって国防にも力を入れよとの達しがありました。藩兵の半数が出払っている今こそ、国元にいる我らも気を緩めている場合ではございますまい」
志摩の言葉に、和左衛門が口を噤んだ。和左衛門を言い負かすとは、なかなかのものである。側で家老二人が肯いているのを見て、鳴海もほっと胸を撫で下ろした。
「して、擬戦の概要はいかに?」
鳴海の問いに、与兵衛が肯いた。側に控えていた青木が図面を机一杯に広げる。図面には、四箇所が丸で囲まれていた。
粟ノ巣古戦場、諸越谷館跡、竹ノ内練兵場、そして浅川を挟んで馬頭観音。竹ノ内練兵場は、生憎鳴海は行ったことがなかった。粟ノ巣古戦場は丹羽氏の入部以前に、伊達政宗が父の輝宗を人質に取られて二本松城主の畠山氏と合戦になり、父を手に掛けざるを得なかったという因縁の場所である。また諸越谷館跡は、その伊達方に隷従する前にこの地を治めていた大内氏の出城があった場所である。
図面を睨みつける二人を確認しながら、与兵衛が説明を加えた。擬戦そのものは、卯月十五日。今日から一旬、つまり十日をそれぞれの組の準備期間とする。準備期間中は、大平村へ出向いて現地を視察してきても良い。十五日当日は、明け五つの刻に行動を開始するものとし、先に浅川を渡ったところにある馬頭観音を目的地とする。馬頭観音には大谷家の旗印を置いておくので、それを先に奪った側を勝ちとし、戦の総評役は家老二人と与兵衛が務める。もっとも、二人が馬頭観音に到着する前に勝負がついたと上役が判断すれば、貝を吹いて合図するので、そこで進軍をやめること。
「この絵図によれば、粟ノ巣から向かっても諸越谷から向かっても、竹ノ内練兵場の辺りでぶつかることになるということですな」
鳴海は、青木に確認した。
「左様。そこが双方の兵が実際にぶつかる場となりましょう。お二方には、粟ノ巣か諸越谷のいずれかを宿営地に選んでいただきます」
青木が肯いた。横目でちらりと志摩の様子を伺うと、志摩もじっと図面を睨みつけて何か考え込んでいる。図面には簡単に山や田、畑などの情報も書き込まれていた。
竹ノ内調練所から馬頭観音までは、ほぼ一直線。あまり高低差もない。竹ノ内からどれだけ素早く駆け抜けて浅川を渡れるかが、勝敗を分けるだろう。後は、それぞれの宿営地から竹ノ内までの地形が問題となるか。
諸越谷から竹ノ内までの距離は、およそ一二丁(1.3km)。対して、粟ノ巣から竹ノ内まではおよそ一六丁(1.7km)。竹ノ内から馬頭観音まではやはり一六丁ほどの距離である。竹ノ内までの距離は諸越谷の方が近いが、その地名からして、やや険しい地形であるのではないかと鳴海は想像した。だとすれば、一里弱の距離を一気に駆け抜けるためには、緩やかな地形の方が望ましいか。
「では、鳴海殿。いずれを選ばれますかな?」
浅尾は、鳴海の方に先に声を掛けた。
「当方は、粟ノ巣を貰おう」
鳴海の言葉に、志摩は特に反応を示さなかった。鳴海の見る所、諸越谷の方が不利だというのにも関わらずである。
「では、鳴海殿及び五番組が粟ノ巣より、志摩殿及び六番組が諸腰谷からということでよろしいですな」
二人は、肯いた。さらに、浅尾は言葉を続ける。現在多くの兵が出張中ということから、各組の兵を出せるのは、双方一五人まで。足軽は三〇名まで認めるものとする。本来の戦であれば火戦も奨励されるが、此度は火を使うのは禁止である。また、矢を使う場合は鏃のない矢を使い、槍も刃引きをしていない練習用の槍を使うものとすること。
「学館に通う者らについては、大将への働きも考査に含めましょうかな」
冗談めかして笑う掃部助の言葉に、鳴海は身が引き締まる思いだった。どうも、話が大事になってきている気がする。若い者らの学館の成績に関わるとなれば、手を抜くどころではない。
「承知致しました」
そっけなく答えると、志摩は頭を下げた。
「お二方の分の地図も用意してござる。お好きなようにお使い下さいませ」
青木が、二巻の地図を二人にそれぞれ手渡した。足軽に対して指揮をする士分格らの者との打ち合わせは、それぞれの屋敷で行うことになるだろう。両家は真向かいであることから、万が一にも話し声が漏れないように、打ち合わせは茶園にある別邸を使おうと鳴海は思った。
「どうせなら、一四日の夜から現地にて宿営してもいいものとしましょう。一晩の野営ごときで音を上げるような軟弱者は、戦場で使い物になりませぬからな」
与兵衛が付け加えた。与兵衛の言葉も、なかなか手厳しい。
「では、お二方とも存分に戦われよ」
浅尾が両手をぱんと打ち合わせ、会合は終わった。
案の定、和左衛門は渋い顔をしている。
「お二方とも、何を考えておられる。間もなく田植えも始まろうというこの時期に、田を荒らすことがあっては一大事ではござらぬか」
和左衛門の言うことも、道理ではある。だが、反論しようと口を開きかけた鳴海よりも先に、志摩が口火を斬った。
「幕命として、先だって国防にも力を入れよとの達しがありました。藩兵の半数が出払っている今こそ、国元にいる我らも気を緩めている場合ではございますまい」
志摩の言葉に、和左衛門が口を噤んだ。和左衛門を言い負かすとは、なかなかのものである。側で家老二人が肯いているのを見て、鳴海もほっと胸を撫で下ろした。
「して、擬戦の概要はいかに?」
鳴海の問いに、与兵衛が肯いた。側に控えていた青木が図面を机一杯に広げる。図面には、四箇所が丸で囲まれていた。
粟ノ巣古戦場、諸越谷館跡、竹ノ内練兵場、そして浅川を挟んで馬頭観音。竹ノ内練兵場は、生憎鳴海は行ったことがなかった。粟ノ巣古戦場は丹羽氏の入部以前に、伊達政宗が父の輝宗を人質に取られて二本松城主の畠山氏と合戦になり、父を手に掛けざるを得なかったという因縁の場所である。また諸越谷館跡は、その伊達方に隷従する前にこの地を治めていた大内氏の出城があった場所である。
図面を睨みつける二人を確認しながら、与兵衛が説明を加えた。擬戦そのものは、卯月十五日。今日から一旬、つまり十日をそれぞれの組の準備期間とする。準備期間中は、大平村へ出向いて現地を視察してきても良い。十五日当日は、明け五つの刻に行動を開始するものとし、先に浅川を渡ったところにある馬頭観音を目的地とする。馬頭観音には大谷家の旗印を置いておくので、それを先に奪った側を勝ちとし、戦の総評役は家老二人と与兵衛が務める。もっとも、二人が馬頭観音に到着する前に勝負がついたと上役が判断すれば、貝を吹いて合図するので、そこで進軍をやめること。
「この絵図によれば、粟ノ巣から向かっても諸越谷から向かっても、竹ノ内練兵場の辺りでぶつかることになるということですな」
鳴海は、青木に確認した。
「左様。そこが双方の兵が実際にぶつかる場となりましょう。お二方には、粟ノ巣か諸越谷のいずれかを宿営地に選んでいただきます」
青木が肯いた。横目でちらりと志摩の様子を伺うと、志摩もじっと図面を睨みつけて何か考え込んでいる。図面には簡単に山や田、畑などの情報も書き込まれていた。
竹ノ内調練所から馬頭観音までは、ほぼ一直線。あまり高低差もない。竹ノ内からどれだけ素早く駆け抜けて浅川を渡れるかが、勝敗を分けるだろう。後は、それぞれの宿営地から竹ノ内までの地形が問題となるか。
諸越谷から竹ノ内までの距離は、およそ一二丁(1.3km)。対して、粟ノ巣から竹ノ内まではおよそ一六丁(1.7km)。竹ノ内から馬頭観音まではやはり一六丁ほどの距離である。竹ノ内までの距離は諸越谷の方が近いが、その地名からして、やや険しい地形であるのではないかと鳴海は想像した。だとすれば、一里弱の距離を一気に駆け抜けるためには、緩やかな地形の方が望ましいか。
「では、鳴海殿。いずれを選ばれますかな?」
浅尾は、鳴海の方に先に声を掛けた。
「当方は、粟ノ巣を貰おう」
鳴海の言葉に、志摩は特に反応を示さなかった。鳴海の見る所、諸越谷の方が不利だというのにも関わらずである。
「では、鳴海殿及び五番組が粟ノ巣より、志摩殿及び六番組が諸腰谷からということでよろしいですな」
二人は、肯いた。さらに、浅尾は言葉を続ける。現在多くの兵が出張中ということから、各組の兵を出せるのは、双方一五人まで。足軽は三〇名まで認めるものとする。本来の戦であれば火戦も奨励されるが、此度は火を使うのは禁止である。また、矢を使う場合は鏃のない矢を使い、槍も刃引きをしていない練習用の槍を使うものとすること。
「学館に通う者らについては、大将への働きも考査に含めましょうかな」
冗談めかして笑う掃部助の言葉に、鳴海は身が引き締まる思いだった。どうも、話が大事になってきている気がする。若い者らの学館の成績に関わるとなれば、手を抜くどころではない。
「承知致しました」
そっけなく答えると、志摩は頭を下げた。
「お二方の分の地図も用意してござる。お好きなようにお使い下さいませ」
青木が、二巻の地図を二人にそれぞれ手渡した。足軽に対して指揮をする士分格らの者との打ち合わせは、それぞれの屋敷で行うことになるだろう。両家は真向かいであることから、万が一にも話し声が漏れないように、打ち合わせは茶園にある別邸を使おうと鳴海は思った。
「どうせなら、一四日の夜から現地にて宿営してもいいものとしましょう。一晩の野営ごときで音を上げるような軟弱者は、戦場で使い物になりませぬからな」
与兵衛が付け加えた。与兵衛の言葉も、なかなか手厳しい。
「では、お二方とも存分に戦われよ」
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