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第二章 尊攘の波濤
守山藩(6)
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側で静かに農民の言い分を聞いていた鳴海にも、それは頷ける言い分であった。鳴海が生まれた天保四年は大凶作であったと耳に胼胝ができるほど養泉や祖母の華から言い聞かされていたし、鳴海が番入りした嘉永六年も、凶作に悩まされた。
「だが、幕臣の方々も、はいそうですかと素直に御納得は致すまい。既に参勤の時期を迎えておるしな」
新十郎が諭すように述べて、ちらりと平八郎に視線を向けた。行政の長として、新十郎も守山領民に騒がれては困るのだろう。
上奏文の中には、鳴海が初めて聞く言葉もあった。
「新十郎殿。『川欠』とは如何なるものでござるか?」
二本松の郭内は大河である阿武隈川からは多少離れた土地にあり、供中や高田の辺りまで行かないと、水害の声は聞こえてこなかった。
「川欠とは、洪水などで農地が当分利用できないことを意味します。確かに、守山は阿武隈川や谷田川沿いの土地が多い故、水の害は多かろうと拝察いたしますが」
新十郎が淡々と説明した。
「二本松のお侍様。どうぞ隣藩の誼を以て、幕府のお役人にこれを届けてもらえませぬか」
農民の訴えは、切実である。だが、鳴海の中では忸怩たるものがあった。
なるほど、守山藩の窮状は筆舌に表し難いものがある。だが、昨年末に二本松が幕府の役人に対して助郷の免除を願い出た折、邪魔をしたのは傍らにいる三浦平八郎ではないか。
「助郷で難渋しているのは、守山だけではない。二本松とて同じこと。第一、此度のことは守山藩の問題であり、二本松に協力を求めんとするは、筋違いであろう」
新十郎も一旦は話を聞く素振りをみせたものの、対応はつれない。鳴海と同じように、昨年末の騒動が引っかかっているのかもしれなかった。
「二本松の方々に聞き入れて頂けないのならば、我々にも覚悟がございます」
半内が、不貞腐れたような笑みを浮かべた。
「何を企んでおる」
平八郎の声が、強張った。
「上奏文を懐にして村を出てきたのは、我々だけではありませぬ。矢吹の中畑で我々が定刻に落ち合うことが叶わなければ、他の村の者らが水戸を目指すでしょう。そのまま逃散する者も出てきましょうな」
その言葉を聞いた平八郎の顔色が変わった。
「助川の山野辺様に、ご助力を頂くつもりか」
「さてね」
二本松藩の陣屋であるにも関わらず剣呑な空気を醸し出す農民に、さすがの平八郎の表情も苦々しさが増していく。だが農民の言葉で鳴海も思い出されたことがあった。先の二本松藩の助郷騒動の折、安政三年に守山藩は山辺主水正の力を借りて助郷免除を勝ち取ったというものだった。眼の前の農民らも、その騒動を記憶しているからこそ、再度水戸を目指そうというのだろう。
守山の役人が役人なら、農民も見た目に反して神経が太い。
「他参は罷りならぬ。既に樫村らを始め、追手を差し向けておるのだぞ」
平八郎の声は、どこか弱々しかった。現在藩主である頼升は元々江戸の藩邸に詰めているし、奥州守山陣屋の責任者はこの平八郎である。たとえ山辺主水正が農民らの願いを聞き入れたとしても、後で平八郎に何らかの処分が下されるのは必定であった。
「守山において助郷のための人足を差し出すゆとりがないのは、三浦様もよくご存知でしょうに。既に、松川陣屋の沿岸防衛にも、遥か離れた大善寺村から男衆を出しているのですぞ。須賀川の市原家や太田家に頼んで岩瀬の地で普請人足を募集しても、守山まで来たがる者はおらぬ有様ですし」
農民の言う「松川陣屋」とは、守山藩の常州領である。守山藩は当地である奥州守山領と水戸のお膝元である松川領があるが、常州松川領は海に面している地域であり、幕命に応じて海岸防衛の任に当たっているらしかった。その手伝いに、はるばる奥州から人を出しているというのだから、農民が不平を口にするのも無理はない。
鳴海は、腕組みをしてじっと彼らの言い分に耳を傾けた。
二本松藩は、そもそも祖宗とされる光重公以来、民生の撫育を藩是としている。たとえ隣藩であり、ときには二本松の民と諍うことがあったとしても、民は民であった。それらの苦難を無視して、自藩のみが助かれば良いという考えは、それこそ藩風に背くことではないのか。守山の民らは、二本松領である郡山とも縁が深い者たちなのである。
「承知した」
鳴海の言葉に、新十郎らが目を見開いた。
「果断な処分をせぬよう取り計らい、その上で守山藩に引き渡すということでよろしいのではないか。新十郎殿」
「ですが……」
尚も渋る新十郎に、鳴海はきっぱりと述べた。
「たとえ他藩の者であっても、苛政で民を苦しめんとするは祖宗が定められた藩是に背きましょう」
鳴海の言葉に、新十郎が微かに眉根を寄せた。二本松藩の民の撫育ぶりは遍く知れ渡っている。遠く離れた富津在番においては、富津の民らから「この先も富津の砲台警備は二本松藩にお願いしたい」と幕府に嘆願されるほど、他領の民に対しても緩やかだった。その評判を守るのも、二本松藩にとっては大切に違いないと、鳴海は政治的な判断を下したのだった。
「だが、幕臣の方々も、はいそうですかと素直に御納得は致すまい。既に参勤の時期を迎えておるしな」
新十郎が諭すように述べて、ちらりと平八郎に視線を向けた。行政の長として、新十郎も守山領民に騒がれては困るのだろう。
上奏文の中には、鳴海が初めて聞く言葉もあった。
「新十郎殿。『川欠』とは如何なるものでござるか?」
二本松の郭内は大河である阿武隈川からは多少離れた土地にあり、供中や高田の辺りまで行かないと、水害の声は聞こえてこなかった。
「川欠とは、洪水などで農地が当分利用できないことを意味します。確かに、守山は阿武隈川や谷田川沿いの土地が多い故、水の害は多かろうと拝察いたしますが」
新十郎が淡々と説明した。
「二本松のお侍様。どうぞ隣藩の誼を以て、幕府のお役人にこれを届けてもらえませぬか」
農民の訴えは、切実である。だが、鳴海の中では忸怩たるものがあった。
なるほど、守山藩の窮状は筆舌に表し難いものがある。だが、昨年末に二本松が幕府の役人に対して助郷の免除を願い出た折、邪魔をしたのは傍らにいる三浦平八郎ではないか。
「助郷で難渋しているのは、守山だけではない。二本松とて同じこと。第一、此度のことは守山藩の問題であり、二本松に協力を求めんとするは、筋違いであろう」
新十郎も一旦は話を聞く素振りをみせたものの、対応はつれない。鳴海と同じように、昨年末の騒動が引っかかっているのかもしれなかった。
「二本松の方々に聞き入れて頂けないのならば、我々にも覚悟がございます」
半内が、不貞腐れたような笑みを浮かべた。
「何を企んでおる」
平八郎の声が、強張った。
「上奏文を懐にして村を出てきたのは、我々だけではありませぬ。矢吹の中畑で我々が定刻に落ち合うことが叶わなければ、他の村の者らが水戸を目指すでしょう。そのまま逃散する者も出てきましょうな」
その言葉を聞いた平八郎の顔色が変わった。
「助川の山野辺様に、ご助力を頂くつもりか」
「さてね」
二本松藩の陣屋であるにも関わらず剣呑な空気を醸し出す農民に、さすがの平八郎の表情も苦々しさが増していく。だが農民の言葉で鳴海も思い出されたことがあった。先の二本松藩の助郷騒動の折、安政三年に守山藩は山辺主水正の力を借りて助郷免除を勝ち取ったというものだった。眼の前の農民らも、その騒動を記憶しているからこそ、再度水戸を目指そうというのだろう。
守山の役人が役人なら、農民も見た目に反して神経が太い。
「他参は罷りならぬ。既に樫村らを始め、追手を差し向けておるのだぞ」
平八郎の声は、どこか弱々しかった。現在藩主である頼升は元々江戸の藩邸に詰めているし、奥州守山陣屋の責任者はこの平八郎である。たとえ山辺主水正が農民らの願いを聞き入れたとしても、後で平八郎に何らかの処分が下されるのは必定であった。
「守山において助郷のための人足を差し出すゆとりがないのは、三浦様もよくご存知でしょうに。既に、松川陣屋の沿岸防衛にも、遥か離れた大善寺村から男衆を出しているのですぞ。須賀川の市原家や太田家に頼んで岩瀬の地で普請人足を募集しても、守山まで来たがる者はおらぬ有様ですし」
農民の言う「松川陣屋」とは、守山藩の常州領である。守山藩は当地である奥州守山領と水戸のお膝元である松川領があるが、常州松川領は海に面している地域であり、幕命に応じて海岸防衛の任に当たっているらしかった。その手伝いに、はるばる奥州から人を出しているというのだから、農民が不平を口にするのも無理はない。
鳴海は、腕組みをしてじっと彼らの言い分に耳を傾けた。
二本松藩は、そもそも祖宗とされる光重公以来、民生の撫育を藩是としている。たとえ隣藩であり、ときには二本松の民と諍うことがあったとしても、民は民であった。それらの苦難を無視して、自藩のみが助かれば良いという考えは、それこそ藩風に背くことではないのか。守山の民らは、二本松領である郡山とも縁が深い者たちなのである。
「承知した」
鳴海の言葉に、新十郎らが目を見開いた。
「果断な処分をせぬよう取り計らい、その上で守山藩に引き渡すということでよろしいのではないか。新十郎殿」
「ですが……」
尚も渋る新十郎に、鳴海はきっぱりと述べた。
「たとえ他藩の者であっても、苛政で民を苦しめんとするは祖宗が定められた藩是に背きましょう」
鳴海の言葉に、新十郎が微かに眉根を寄せた。二本松藩の民の撫育ぶりは遍く知れ渡っている。遠く離れた富津在番においては、富津の民らから「この先も富津の砲台警備は二本松藩にお願いしたい」と幕府に嘆願されるほど、他領の民に対しても緩やかだった。その評判を守るのも、二本松藩にとっては大切に違いないと、鳴海は政治的な判断を下したのだった。
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