鬼と天狗

篠川翠

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第二章 尊攘の波濤

守山藩(3)

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 翌々日、郡山陣屋までのおよそ五里半の道程を、鳴海はのんびりと新十郎と並んで馬を歩かせた。郡山に向かう道すがら、背後を振り返れば、まだ頂に雪を残した安達太良が、蒼碧の空によく映えた。
 何だかんだで、彦十郎家を継いでからこの新十郎とも交わる機会が多い。
「――それにしても、鳴海殿。随分と郡山との縁が深くなりましたな」
 新十郎が、おかしそうに笑った。
「いやいや、それはそもそも新十郎殿がそれがしを引っ張り出されたからであろう」
「違いない」
 街道を行く二人の廻りに、他の人々の耳目はない。会話は自ずと打ち解けたものになった。四方山話を続けるうちに、現在の二本松藩の現状の話になる。
「富津に大内蔵殿が参られ、さらに江戸にも江口様らが赴かれたでしょう。幕命は大切でござるが、些か国元としても心許ない」
 新十郎の言葉は、行政の長としての本音だろう。
「此度の江戸警衛は、長くなるのでしょうか」
 鳴海の質問に、新十郎が首を横に振った。 
「いかに朝命で将軍公が上洛されたとはいえ、将軍が江戸を長く留守にするわけには参りますまい。せいぜい二月三月で収まってくれれば良いのですが」
「帝の御心念は御心念として、現在の二本松にとって鎖港が実行されれば、困った事態になるのでしたな」
 鳴海の言葉に、新十郎が顔をこちらへ向けた。
「黄山殿から、お聞き及びでしたか」
「左様」
 鳴海にとっても、黄山の説明は目から鱗だった。未だに鳴海自身は丹波に対して好意的とは言い難いが、丹波らが尊皇派に対して厳しく当たるのも、わずかながら理解出来るようになった。
「丹波殿とて、帝を蔑ろにして良いとお考えになっているわけではござるまい。だが、帝の御心念に沿って安易に攘夷が実行されれば横浜の港が閉ざされ、生糸や蚕種紙を外つ国に売り出して利を上げている二本松の財政は、大いに打撃を受ける」
 鳴海の言葉に、新十郎が口角を上げた。
「さすがでござる」
「黄山殿の受け売りだがな。やはり商人の視点は我々と違う」
 鳴海が見るに、黄山は苗字帯刀を許されており市井の学者ではあるが、根は商人である。妙な体裁にこだわらず、柔軟に物事を考えられるのが黄山の強みなのだ。丹波は、その点を評価しているのだろう。
「武士道も結構でござるが、現実問題として、銭が汚らわしいなどと申している場合ではございますまい」
 新十郎が、嘆息した。だが、強いて誰のことを指すのかは問わなかった。
 そう言えば、と鳴海は先日郡山陣屋に赴いたときの話をした。部下の成渡が瞬時にして全員分の馬代と宿代を弾き出した話をすると、新十郎は笑い声を立てた。
「勘定に強いとなれば、大島殿を勘定奉行に推挙しても良いかもれませんな」
「いやいや、五番組の中でも大島はとりわけ剣の腕が立ち申す。戦場いくさばでも頼りになりましょう」
 とりとめのない会話をいくつか交わすうちに、前方に郡山陣屋の関門が見えてきた。下馬して陣屋のうまやに馬をつなぎ、新十郎が錦見からの報告を受けている間に、鳴海は安積国造神社へ参拝する。そのまま社務所へ立ち寄り、亡父に代わって香華を手向けると、宮司からは「これからも何卒よしなに」と頭を下げられた。鳴海も、亡父が世話になっていたのだから、依存はない。彦十郎家の皆も、鳴海が安積国造神社に再び縁を繋いだとあれば、郡山を訪問するのに納得してくれるだろう。
 安積国造神社での用件を済ませて陣屋の役所へ戻ると、既に三人分の昼餉の膳が整えられていた。その膳には、鯉の旨煮が載せられている。錦見によると検断の今泉久三郎から献上されたもので、鯉は滋養強壮の効果があるとのことだった。
「鯉は泥を吐かせねば食べられませんからな。鳴海様もあまり召し上がる機会がないのではと、今泉が申しまして。ささやかではございますが、これからのご武運も祈念いたしまして、鯉にした次第でございます」
 錦見の顔も、今日は穏やかだ。先日新十郎が述べていたように、近頃の郡山はまずまず平穏なのだろう。
 鳴海の脳裏に、隣家かつ親戚の一人である青年の姿が浮かんだ。
右門うもんがこの膳を見たら、泣くな」
 大谷右門元綱は、与兵衛の次男である。惣領の志摩が笑い上戸であるのに対して、右門は志摩とは対象的に、すこぶる大人しい気性である。そして、なぜか魚、とりわけ鯉を愛してやまないのだった。
「まだ若いのに、あれの趣味はどうにも渋い」
 鳴海がそう述べて鯉の小骨を箸で取り除きながら笑うと、新十郎もくすりと笑った。
「そう言えば、右門殿もそろそろ番入りのお年頃になったのでは?」
「この春で二十歳になったからな。まだどの組に属するかは決まっていないが、与兵衛様のご意向もあり、六番組からは外されるらしい」
 右門の番入りは、先日番頭や詰番らの会合の席でも話題になった。さすがに父親である与兵衛は他の士分の目が気になるのか、出来れば他の組に入れてほしいとのことだった。兄である志摩も、それに賛同していたと記憶している。
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