47 / 196
第二章 尊攘の波濤
守山藩(3)
しおりを挟む
翌々日、郡山陣屋までのおよそ五里半の道程を、鳴海はのんびりと新十郎と並んで馬を歩かせた。郡山に向かう道すがら、背後を振り返れば、まだ頂に雪を残した安達太良が、蒼碧の空によく映えた。
何だかんだで、彦十郎家を継いでからこの新十郎とも交わる機会が多い。
「――それにしても、鳴海殿。随分と郡山との縁が深くなりましたな」
新十郎が、おかしそうに笑った。
「いやいや、それはそもそも新十郎殿がそれがしを引っ張り出されたからであろう」
「違いない」
街道を行く二人の廻りに、他の人々の耳目はない。会話は自ずと打ち解けたものになった。四方山話を続けるうちに、現在の二本松藩の現状の話になる。
「富津に大内蔵殿が参られ、さらに江戸にも江口様らが赴かれたでしょう。幕命は大切でござるが、些か国元としても心許ない」
新十郎の言葉は、行政の長としての本音だろう。
「此度の江戸警衛は、長くなるのでしょうか」
鳴海の質問に、新十郎が首を横に振った。
「いかに朝命で将軍公が上洛されたとはいえ、将軍が江戸を長く留守にするわけには参りますまい。せいぜい二月三月で収まってくれれば良いのですが」
「帝の御心念は御心念として、現在の二本松にとって鎖港が実行されれば、困った事態になるのでしたな」
鳴海の言葉に、新十郎が顔をこちらへ向けた。
「黄山殿から、お聞き及びでしたか」
「左様」
鳴海にとっても、黄山の説明は目から鱗だった。未だに鳴海自身は丹波に対して好意的とは言い難いが、丹波らが尊皇派に対して厳しく当たるのも、わずかながら理解出来るようになった。
「丹波殿とて、帝を蔑ろにして良いとお考えになっているわけではござるまい。だが、帝の御心念に沿って安易に攘夷が実行されれば横浜の港が閉ざされ、生糸や蚕種紙を外つ国に売り出して利を上げている二本松の財政は、大いに打撃を受ける」
鳴海の言葉に、新十郎が口角を上げた。
「さすがでござる」
「黄山殿の受け売りだがな。やはり商人の視点は我々と違う」
鳴海が見るに、黄山は苗字帯刀を許されており市井の学者ではあるが、根は商人である。妙な体裁にこだわらず、柔軟に物事を考えられるのが黄山の強みなのだ。丹波は、その点を評価しているのだろう。
「武士道も結構でござるが、現実問題として、銭が汚らわしいなどと申している場合ではございますまい」
新十郎が、嘆息した。だが、強いて誰のことを指すのかは問わなかった。
そう言えば、と鳴海は先日郡山陣屋に赴いたときの話をした。部下の成渡が瞬時にして全員分の馬代と宿代を弾き出した話をすると、新十郎は笑い声を立てた。
「勘定に強いとなれば、大島殿を勘定奉行に推挙しても良いかもれませんな」
「いやいや、五番組の中でも大島はとりわけ剣の腕が立ち申す。戦場でも頼りになりましょう」
とりとめのない会話をいくつか交わすうちに、前方に郡山陣屋の関門が見えてきた。下馬して陣屋の厩に馬をつなぎ、新十郎が錦見からの報告を受けている間に、鳴海は安積国造神社へ参拝する。そのまま社務所へ立ち寄り、亡父に代わって香華を手向けると、宮司からは「これからも何卒よしなに」と頭を下げられた。鳴海も、亡父が世話になっていたのだから、依存はない。彦十郎家の皆も、鳴海が安積国造神社に再び縁を繋いだとあれば、郡山を訪問するのに納得してくれるだろう。
安積国造神社での用件を済ませて陣屋の役所へ戻ると、既に三人分の昼餉の膳が整えられていた。その膳には、鯉の旨煮が載せられている。錦見によると検断の今泉久三郎から献上されたもので、鯉は滋養強壮の効果があるとのことだった。
「鯉は泥を吐かせねば食べられませんからな。鳴海様もあまり召し上がる機会がないのではと、今泉が申しまして。ささやかではございますが、これからのご武運も祈念いたしまして、鯉にした次第でございます」
錦見の顔も、今日は穏やかだ。先日新十郎が述べていたように、近頃の郡山はまずまず平穏なのだろう。
鳴海の脳裏に、隣家かつ親戚の一人である青年の姿が浮かんだ。
「右門がこの膳を見たら、泣くな」
大谷右門元綱は、与兵衛の次男である。惣領の志摩が笑い上戸であるのに対して、右門は志摩とは対象的に、すこぶる大人しい気性である。そして、なぜか魚、とりわけ鯉を愛してやまないのだった。
「まだ若いのに、あれの趣味はどうにも渋い」
鳴海がそう述べて鯉の小骨を箸で取り除きながら笑うと、新十郎もくすりと笑った。
「そう言えば、右門殿もそろそろ番入りのお年頃になったのでは?」
「この春で二十歳になったからな。まだどの組に属するかは決まっていないが、与兵衛様のご意向もあり、六番組からは外されるらしい」
右門の番入りは、先日番頭や詰番らの会合の席でも話題になった。さすがに父親である与兵衛は他の士分の目が気になるのか、出来れば他の組に入れてほしいとのことだった。兄である志摩も、それに賛同していたと記憶している。
何だかんだで、彦十郎家を継いでからこの新十郎とも交わる機会が多い。
「――それにしても、鳴海殿。随分と郡山との縁が深くなりましたな」
新十郎が、おかしそうに笑った。
「いやいや、それはそもそも新十郎殿がそれがしを引っ張り出されたからであろう」
「違いない」
街道を行く二人の廻りに、他の人々の耳目はない。会話は自ずと打ち解けたものになった。四方山話を続けるうちに、現在の二本松藩の現状の話になる。
「富津に大内蔵殿が参られ、さらに江戸にも江口様らが赴かれたでしょう。幕命は大切でござるが、些か国元としても心許ない」
新十郎の言葉は、行政の長としての本音だろう。
「此度の江戸警衛は、長くなるのでしょうか」
鳴海の質問に、新十郎が首を横に振った。
「いかに朝命で将軍公が上洛されたとはいえ、将軍が江戸を長く留守にするわけには参りますまい。せいぜい二月三月で収まってくれれば良いのですが」
「帝の御心念は御心念として、現在の二本松にとって鎖港が実行されれば、困った事態になるのでしたな」
鳴海の言葉に、新十郎が顔をこちらへ向けた。
「黄山殿から、お聞き及びでしたか」
「左様」
鳴海にとっても、黄山の説明は目から鱗だった。未だに鳴海自身は丹波に対して好意的とは言い難いが、丹波らが尊皇派に対して厳しく当たるのも、わずかながら理解出来るようになった。
「丹波殿とて、帝を蔑ろにして良いとお考えになっているわけではござるまい。だが、帝の御心念に沿って安易に攘夷が実行されれば横浜の港が閉ざされ、生糸や蚕種紙を外つ国に売り出して利を上げている二本松の財政は、大いに打撃を受ける」
鳴海の言葉に、新十郎が口角を上げた。
「さすがでござる」
「黄山殿の受け売りだがな。やはり商人の視点は我々と違う」
鳴海が見るに、黄山は苗字帯刀を許されており市井の学者ではあるが、根は商人である。妙な体裁にこだわらず、柔軟に物事を考えられるのが黄山の強みなのだ。丹波は、その点を評価しているのだろう。
「武士道も結構でござるが、現実問題として、銭が汚らわしいなどと申している場合ではございますまい」
新十郎が、嘆息した。だが、強いて誰のことを指すのかは問わなかった。
そう言えば、と鳴海は先日郡山陣屋に赴いたときの話をした。部下の成渡が瞬時にして全員分の馬代と宿代を弾き出した話をすると、新十郎は笑い声を立てた。
「勘定に強いとなれば、大島殿を勘定奉行に推挙しても良いかもれませんな」
「いやいや、五番組の中でも大島はとりわけ剣の腕が立ち申す。戦場でも頼りになりましょう」
とりとめのない会話をいくつか交わすうちに、前方に郡山陣屋の関門が見えてきた。下馬して陣屋の厩に馬をつなぎ、新十郎が錦見からの報告を受けている間に、鳴海は安積国造神社へ参拝する。そのまま社務所へ立ち寄り、亡父に代わって香華を手向けると、宮司からは「これからも何卒よしなに」と頭を下げられた。鳴海も、亡父が世話になっていたのだから、依存はない。彦十郎家の皆も、鳴海が安積国造神社に再び縁を繋いだとあれば、郡山を訪問するのに納得してくれるだろう。
安積国造神社での用件を済ませて陣屋の役所へ戻ると、既に三人分の昼餉の膳が整えられていた。その膳には、鯉の旨煮が載せられている。錦見によると検断の今泉久三郎から献上されたもので、鯉は滋養強壮の効果があるとのことだった。
「鯉は泥を吐かせねば食べられませんからな。鳴海様もあまり召し上がる機会がないのではと、今泉が申しまして。ささやかではございますが、これからのご武運も祈念いたしまして、鯉にした次第でございます」
錦見の顔も、今日は穏やかだ。先日新十郎が述べていたように、近頃の郡山はまずまず平穏なのだろう。
鳴海の脳裏に、隣家かつ親戚の一人である青年の姿が浮かんだ。
「右門がこの膳を見たら、泣くな」
大谷右門元綱は、与兵衛の次男である。惣領の志摩が笑い上戸であるのに対して、右門は志摩とは対象的に、すこぶる大人しい気性である。そして、なぜか魚、とりわけ鯉を愛してやまないのだった。
「まだ若いのに、あれの趣味はどうにも渋い」
鳴海がそう述べて鯉の小骨を箸で取り除きながら笑うと、新十郎もくすりと笑った。
「そう言えば、右門殿もそろそろ番入りのお年頃になったのでは?」
「この春で二十歳になったからな。まだどの組に属するかは決まっていないが、与兵衛様のご意向もあり、六番組からは外されるらしい」
右門の番入りは、先日番頭や詰番らの会合の席でも話題になった。さすがに父親である与兵衛は他の士分の目が気になるのか、出来れば他の組に入れてほしいとのことだった。兄である志摩も、それに賛同していたと記憶している。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説


どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。


百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる