鬼と天狗

篠川翠

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第一章 義士

脛毛の筆(3)

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 会議からしばらくして、鳴海は与兵衛に頼まれて竹田町にある揚屋に足を向けた。城下の警備は各組が月交代で行うが、来月は与兵衛の組が当たっているのである。揚屋に詰めている町足軽から牢の様子の報告書を受け取ってきてほしいというのが、与兵衛の頼みだった。いずれ鳴海が率いることになっている五番組は、夏に組頭であった縫殿助が死亡したため、現在、家老を引退していた和田弥一右衛門が臨時で面倒を見ている。ただし和田はあまり体の調子が思わしくないらしい。そのため鳴海も和田の補佐役として、既に日常の番頭の職務を手伝っており、警備の引き継ぎとしての書類を受け取りに来たのだった。
 揚屋の詰所へ出向くと、そこには十右衛門がいた。
「そなたとは、妙な場所で出会うな」
 十右衛門はにこりともしなかった。前回会ったときは小川平助の屋敷だったが、今回は場所が場所だけに、鳴海も真面目な顔を取り繕った。家人に頼まれて権太夫の下着を差し入れにきたのだと、むっつりとした表情で十右衛門は説明した。
「全く、あれは理想ばかり追いかけおって」
 嘆息するその姿は、叔父というよりも年の近い不肖の弟を嘆いているかのようだった。
「また何かやったのか?」
 先日丹波への献策文を目にしただけに、もはや何があっても驚かないつもりの鳴海だったが、次の十右衛門の言葉には、度肝を抜かれた。
「あれはまずい。義彰はいらぬことを申さぬよう、書道具を取り上げられていた。にも関わらず、脛毛を抜き続け、食事の箸にそれを髪で括り付けて筆の代わりにし、藍衣の藍をどうにか絞って再度献策文を書き付けおったらしい」
 そう言うと、十右衛門はうっすらと青い文字で記された書面を鳴海に見せた。内容は鳴海が回状として回されたあの献策文とほぼ同じものだったが、これを殿に渡してほしいと牢番に頼んだのだという。鳴海も、どこから叱責したものか困惑するばかりであった。
「脛毛……」
 脳裏に、男の足から一本一本丹念に脛毛を抜く場面がまざまざと思い浮かび、そのおぞましさに思わず頭を振った。
 牢番もあまりのことに恐れを為して、差し入れを届けに来た十右衛門に相談を持ちかけたとのことだった。
「懲りておらぬな」
 鳴海も、どっと疲れが出た。鳴海が直接権太夫に関わったわけではないが、鳴海は権太夫と猿田が接触したとの情報を得ている。やはり、権太夫にはある程度事情を知る者が釘を刺さねばない。
「権太夫は?」
 牢番に案内を乞うと、簡単に三浦のいる牢に通された。士分格用の牢は、平民用の牢よりはよほど上等な造りである。が、牢屋は牢屋であり、春の訪れがすぐそこだというのに、上等の羽織の上から寒気が身を刺してくる。
 鳴海の傍らには、差し入れを手にした十右衛門も立っていた。十右衛門は黙ったまま風呂敷包みを牢の格子の隙間から差し込むと、甥を睨みつけた。
 それを受け取った権太夫の目が、やや見開かれた。叔父の傍らに鳴海の姿があるのを認めたその瞳は、あれだけ過激な文章を書く人間とは思えないほど、澄んでいる。
「叔父上、こちらの御方は?」
 そう尋ねる権太夫は、無邪気そのものだった。
「……大谷鳴海殿。現在の彦十郎家の御当主だ」
 気を利かせたものか、十右衛門はわざわざ彦十郎家というところに力を込めて述べた。鳴海自身はあまりそのような扱いをしてほしくないが、「本来ならば、お前のような小身の者が気軽に近寄れる身分の方ではない」という、十右衛門なりの皮肉である。
 が、藩公に平然と献言を行い丹波にも真っ向から批判をする権太夫に、その皮肉は通じなかった。小首を傾げて、「衛守殿の兄上ですな」と言うに留まった。
 はあっとため息をつく十右衛門はそのままにし、鳴海は率直に尋ねてみた。
「江戸で猿田愿蔵と何を話した?」
 権太夫は、ぽかんとした表情でこちらをまっすぐに見返してきた。
「お互いに、農民を大切にせねばならぬということだけですが。あの御方は、医者のご子息だとかで、さすがの慧眼の持ち主でございます」
「それだけか?」
「それだけですが、何か?」
 権太夫の言葉に、拍子抜けした。その言葉通りであるとすれば、二本松の内情を漏らしていたとは考えづらいか。だが、もう一人権太夫が接触していたであろう人物については、見過ごすわけにはいかなかった。
「では、守山の三浦平八郎殿とは、日頃どのような話をしていた。平八郎殿とも関わっておったそうではないか」
「またその話ですか。丹波様にもしつこく聞かれましたが」
 権太夫は、ややうんざりとした表情を作った。
「帝を奉じ、互いの主君をその方向へ導かなくてはならないというだけの話ですよ」
 主君をどうこうできると考える事自体、不敬である。そのように感じたが、鳴海は話を先に進めた。
「……平八郎殿が、薩摩の過激派である西郷や月照と親しいと知ってのことか?」
 鳴海の言葉に、権太夫が顔色を変えた。どうやら、先に詰問した丹波らはその事実を権太夫には伝えなかったらしい。
「知らなかったのだな?」
 傍らで聞いていた十右衛門が、剣呑な気配を漂わせた。遠い西国である薩摩の情勢は、現在は読めない。ただし、島津斉彬が倒幕思想を密かに抱き、西郷を密偵として使っていたというのは、二本松にですら聞こえてきた話だった。権太夫が三浦平八郎は危険分子の一味である知らずに接触していたのであれば、まだ救う余地がある。
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