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第一章 義士
脛毛の筆(2)
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苛立つ丹波とは対象的に、側では源太左衛門が所在なさげに、扇子を開いたり閉じたりしていた。やがて、ぱちりと音を立てて扇子を閉じると、丹波に視線を向けた。
「……であれば、ひとまず揚屋に入れて改心を促し、その後の流れ次第で蟄居では如何か」
丹波は憮然とした表情のままだが、源太左衛門の言葉に、広間の空気が緩んだのがわかった。
「あの者の能力そのものは、優れておりましょう。また、方向はいささかずれておるものの、忠心に欠けているわけではございますまい。然らば、三浦の申すところの『変事に備え有志を養う』のが、得策かと存じます」
やや皮肉の色を帯びているものの、源太左衛門の声は至極穏やかだった。どうやら、丹波ら保守派の「断固処断すべし」という意見と、和左衛門や樽井に代表される温情派の折衷案を取るつもりらしい。
「甘くはござらぬか」
丹波の言葉にも、源太左衛門は動じなかった。
「第二の藤田芳之助を出す方がまずかろう。のう、鳴海殿」
だから、こちらへ水を向けないでほしい。鳴海はそう思いつつも、渋々肯いた。脳裏には、同志として迎え入れられたはずの三浦平八郎にいいように使われている芳之助の姿があった。
「尊皇の言い分はともかく、不平不満を爆発させて他国の妙な者の走狗となられては、我々が困ります。我が藩論を割ることが水戸の勤皇派の目的だとしたら、足元を掬われかねません。守山が我が藩の助郷騒動にも首を突っ込んできたことからしても、些細なことから我が藩を動揺させようとしているのやもしれませぬ。まずは隙を見せぬようにすることが肝要かと存じまする」
先程の羽木の話からしても、水戸藩が割れて混乱しているのは確かである。仮に水戸を代表とする勤皇派が大勢を握り、彼らが主張する「攘夷」をそのまま受け入れれば、二本松の主力産業である生糸輸出にも大きな影響が出るだろう。そうなったときに、結局割を食うのは二本松自身である。愛民謝農の精神はともかく、その一端を崩しかねない「攘夷」の危険性については、藩内の勤皇派にもきちんと説明するべきではないか。先日の黄山との会談から、鳴海はそのように感じていた。
丹波がじっとこちらを見ている。構うものか。鳴海は努めて平静を装いながら、時間が過ぎるのを待った。
「……つまり、お主は日野殿のご提案に賛成なのだな?」
発せられた丹波の声に怒りの色が含まれていないことに、鳴海は胸を撫で下ろした。とりあえずは、丹波の面目もこれで保てる。もしも過剰な処分をすれば、今度は和左衛門ら改革派の新たな反発を招く。それ自体が守山の三浦の狙いだったとしたら、恐ろしいまでの手腕だ。
「なるほどのう……」
感情的に走りがちな丹波だが、決して暗愚というわけではない。鳴海としては、その点に賭けるしかなかった。
「では、三浦は揚屋に入れて改心を促す。その後は、追って沙汰を申し付けるものとする」
丹波が決断を下した。献言の内容が過激であったこと、そして他藩の過激派の者と接触した事自体は罰せられるべきであるが、これで勤皇派の口撃材料となるであろう丹波の激情による処分とは見做されない。
源太左衛門が、ほっと息を吐き出した。丹波とは義理の兄弟であるが、源太左衛門にとっても緊張する時間だったのだろう。
会議が終了すると、鳴海は首筋を揉んだ。詰番であるとはいえ、本来は話を聞いているだけで済むはずだった。にも関わらず、このところどうも本来の職分を超えた判断を迫られることが多い気がする。それも、人から頼られそれに応えてきた結果、意図せず自分の職分を超えた知見・判断を求められるからであるが。
どうやら、守山の三浦との悪縁からは逃れられないらしい。
ふと見ると、新十郎と一学が談笑しているのが目に入った。新十郎がこちらに気づいて、軽く会釈をしてくる。鳴海も会釈を返したが、新十郎の人脈の広さには改めて驚くばかりだった。
「鳴海殿。いつの間に御家老の方々から頼られるようになったのです?」
半ば呆れたように、志摩が脇腹を突いた。側で、与兵衛もやや心配気な顔を作っている。
「わからぬが、気がついたらこうなっていた」
本来の鳴海の性格からすれば、面倒事は御免なのだ。だが、夏に新十郎に頼まれて出向いた脱藩騒動といい、先日の小原田騒動といい、剣術の腕を見込まれて出かけただけのはずが、いつの間にか政治的な謀略に巻き込まれている。
「彦十郎家の家格からすると、思いの外、お主が番頭に昇格する日は早いかもしれぬな」
与兵衛の言葉に、鳴海は顔を顰めた。詰番の者は志摩を始め、丹羽石見の息子である内蔵助や高根寿祺、先程三浦を庇った樽井弥五右衛門などがいるではないか。それらを飛び越えて自分が番頭になるなど、さすがに早すぎると思う。
だが与兵衛は、首を振った。
「彦十郎家は、元々執政職をも務める家柄。御家老方も、縫殿助殿が番頭をしばらく勤め上げた後、いずれは家老職に就いて頂くつもりだったのかもしれぬ」
年齢順からすると、現家老である丹波や江口、浅尾らの次の家老候補として、暗黙の内に彦十郎家の者が指名されていたということだろうか。だが、これだけ情勢が混沌としている中で家老になるというのは、考えただけで気が重かった。
「鳴海殿は一を聞いて十を知るようなところがお有りですからねえ。しかも、いつの間にか民政の知識も学ばれるなど、真面目そのものですし」
志摩の褒め言葉も、今は微妙である。
「藩のためならば外の者とはいくらでも渡り合ってみせるが、藩内での駆け引きは御免被る」
鳴海のぼやきに、志摩が笑顔を浮かべた。
「そういうところが、皆に好かれるのでしょうけれど」
「……であれば、ひとまず揚屋に入れて改心を促し、その後の流れ次第で蟄居では如何か」
丹波は憮然とした表情のままだが、源太左衛門の言葉に、広間の空気が緩んだのがわかった。
「あの者の能力そのものは、優れておりましょう。また、方向はいささかずれておるものの、忠心に欠けているわけではございますまい。然らば、三浦の申すところの『変事に備え有志を養う』のが、得策かと存じます」
やや皮肉の色を帯びているものの、源太左衛門の声は至極穏やかだった。どうやら、丹波ら保守派の「断固処断すべし」という意見と、和左衛門や樽井に代表される温情派の折衷案を取るつもりらしい。
「甘くはござらぬか」
丹波の言葉にも、源太左衛門は動じなかった。
「第二の藤田芳之助を出す方がまずかろう。のう、鳴海殿」
だから、こちらへ水を向けないでほしい。鳴海はそう思いつつも、渋々肯いた。脳裏には、同志として迎え入れられたはずの三浦平八郎にいいように使われている芳之助の姿があった。
「尊皇の言い分はともかく、不平不満を爆発させて他国の妙な者の走狗となられては、我々が困ります。我が藩論を割ることが水戸の勤皇派の目的だとしたら、足元を掬われかねません。守山が我が藩の助郷騒動にも首を突っ込んできたことからしても、些細なことから我が藩を動揺させようとしているのやもしれませぬ。まずは隙を見せぬようにすることが肝要かと存じまする」
先程の羽木の話からしても、水戸藩が割れて混乱しているのは確かである。仮に水戸を代表とする勤皇派が大勢を握り、彼らが主張する「攘夷」をそのまま受け入れれば、二本松の主力産業である生糸輸出にも大きな影響が出るだろう。そうなったときに、結局割を食うのは二本松自身である。愛民謝農の精神はともかく、その一端を崩しかねない「攘夷」の危険性については、藩内の勤皇派にもきちんと説明するべきではないか。先日の黄山との会談から、鳴海はそのように感じていた。
丹波がじっとこちらを見ている。構うものか。鳴海は努めて平静を装いながら、時間が過ぎるのを待った。
「……つまり、お主は日野殿のご提案に賛成なのだな?」
発せられた丹波の声に怒りの色が含まれていないことに、鳴海は胸を撫で下ろした。とりあえずは、丹波の面目もこれで保てる。もしも過剰な処分をすれば、今度は和左衛門ら改革派の新たな反発を招く。それ自体が守山の三浦の狙いだったとしたら、恐ろしいまでの手腕だ。
「なるほどのう……」
感情的に走りがちな丹波だが、決して暗愚というわけではない。鳴海としては、その点に賭けるしかなかった。
「では、三浦は揚屋に入れて改心を促す。その後は、追って沙汰を申し付けるものとする」
丹波が決断を下した。献言の内容が過激であったこと、そして他藩の過激派の者と接触した事自体は罰せられるべきであるが、これで勤皇派の口撃材料となるであろう丹波の激情による処分とは見做されない。
源太左衛門が、ほっと息を吐き出した。丹波とは義理の兄弟であるが、源太左衛門にとっても緊張する時間だったのだろう。
会議が終了すると、鳴海は首筋を揉んだ。詰番であるとはいえ、本来は話を聞いているだけで済むはずだった。にも関わらず、このところどうも本来の職分を超えた判断を迫られることが多い気がする。それも、人から頼られそれに応えてきた結果、意図せず自分の職分を超えた知見・判断を求められるからであるが。
どうやら、守山の三浦との悪縁からは逃れられないらしい。
ふと見ると、新十郎と一学が談笑しているのが目に入った。新十郎がこちらに気づいて、軽く会釈をしてくる。鳴海も会釈を返したが、新十郎の人脈の広さには改めて驚くばかりだった。
「鳴海殿。いつの間に御家老の方々から頼られるようになったのです?」
半ば呆れたように、志摩が脇腹を突いた。側で、与兵衛もやや心配気な顔を作っている。
「わからぬが、気がついたらこうなっていた」
本来の鳴海の性格からすれば、面倒事は御免なのだ。だが、夏に新十郎に頼まれて出向いた脱藩騒動といい、先日の小原田騒動といい、剣術の腕を見込まれて出かけただけのはずが、いつの間にか政治的な謀略に巻き込まれている。
「彦十郎家の家格からすると、思いの外、お主が番頭に昇格する日は早いかもしれぬな」
与兵衛の言葉に、鳴海は顔を顰めた。詰番の者は志摩を始め、丹羽石見の息子である内蔵助や高根寿祺、先程三浦を庇った樽井弥五右衛門などがいるではないか。それらを飛び越えて自分が番頭になるなど、さすがに早すぎると思う。
だが与兵衛は、首を振った。
「彦十郎家は、元々執政職をも務める家柄。御家老方も、縫殿助殿が番頭をしばらく勤め上げた後、いずれは家老職に就いて頂くつもりだったのかもしれぬ」
年齢順からすると、現家老である丹波や江口、浅尾らの次の家老候補として、暗黙の内に彦十郎家の者が指名されていたということだろうか。だが、これだけ情勢が混沌としている中で家老になるというのは、考えただけで気が重かった。
「鳴海殿は一を聞いて十を知るようなところがお有りですからねえ。しかも、いつの間にか民政の知識も学ばれるなど、真面目そのものですし」
志摩の褒め言葉も、今は微妙である。
「藩のためならば外の者とはいくらでも渡り合ってみせるが、藩内での駆け引きは御免被る」
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