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第一章 義士
江戸の火種(6)
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「生糸の輸出は、現在の二本松の財政において重要な産物。その儲けは、馬鹿になりませぬ。二本松の台所を、多少なりとも救ってくれましょう」
黄山は、若干皮肉めいた笑みを浮かべたが、すぐに真顔に戻った。
「それが止まったら、どうなります?」
「止まる?」
鳴海は、はっとした。
「それは、攘夷を指したものか……」
黄山が、肯いた。
「水戸の尊攘派は、横浜の鎖港を主張しているとか。生糸の九割方は、横浜の港から世界に向けて輸出されます。中でも当地の生糸が占める割合は大きい。水戸の尊攘派の言うように攘夷及び横浜鎖港を実行したら、当然輸出も止まります。結果として、二本松の歳入は大打撃を被るでしょうな」
ようやく丹波らの懸念の正体が、掴めたような気がする。丹波が尊攘派を取り締まるのは、何も感情的な理由からだけではない。天狗党らの主張する攘夷が実行されれば、二本松の財政悪化に拍車が掛かるのは、必須であった。
「丹波様は、やはり江戸の在府歴が長い御方なだけあって、何が二本松の台所を支えているのか、よくご存知でいらっしゃる」
そう述べると、黄山は出された茶をゆっくりと啜った。
鳴海も、茶を啜りながら黄山の言葉を噛み締めた。
新十郎や羽木も、郡代見習いや郡代をしている者であるから、近年の農村事情も把握しているのだろう。だが、同じように行政の総括である和左衛門はどうなのか。
「和左衛門殿は、生糸の事情についてご存知なのか?」
鳴海の質問に、黄山は微かに苦笑を浮かべた。
「勿論ある程度はご存知でしょう。ですが、絹は贅沢品ですしね。どうも絹の行方や相場についてはあまりお詳しくないようで……。和左衛門様がいかに農政に深くご関心を持たれていたとしても、二本松全ての産業を正確に把握しているとは思えませんし、私も和左衛門様には強いて絹の話をしたことはございません。和左衛門様に殖産としてお勧めしたのは、別の物でした」
なるほど、黄山も利に敏いというべきか。相手の嗜好を把握しつつ最善の提案をするところは、さすがは商人である。建前上商売をご法度としている武士では、出てこない発想だった。
「すると、水戸の天狗者らは……」
肝心なのは、そこである。
「左様。水戸藩は特に横浜からの輸出品は扱っておりませぬ。従って横浜を鎖港しても、痛くも痒くもないでしょう。頭にあるのは、異人への恐怖と尊皇の思いのみではありませんか」
どこか侮蔑の色を滲ませながら、黄山は言い切った。
それにしても、この黄山は遠慮なく批判するものである。和左衛門と交流があり、かつては水戸の藤田東湖の門下にいたというのであるから、それなりに尊皇攘夷の理論を支持しているのかと思えば、必ずしもそうではない。ふと羽木の言葉を思い出して、鳴海は別の質問をしてみた。
「そなたは、水戸の藤田東湖殿の門下にもいたそうだな」
鳴海の質問に、黄山は軽く笑った。
「ご心配なく。既に天狗党の者らとは、一線を画しております」
「そのようだな」
確かに彼らと一線を画していなければ、このように堂々と批判出来ないだろう。商人の凄みというものを、黄山の言葉の端々から感じた。
「ついでに申しますと、現在水戸の天狗党の領袖と目されている藤田小四郎は、小者ですよ。口は大きいが、お父上のような器量はございません」
「言うな」
言葉の端に上らせているのが他藩の武士ということもあるのか、一切遠慮のない批判に、鳴海も苦笑せざるを得なかった。仮に批判の対象が二本松藩の武士であったら、手打ちにされても文句は言えない。
「中屋も、丹羽家を始めとする二本松家中の方々の御恩があってこその家ですからね。
その御恩に報いなければ、先祖に顔向け出来ませんよ」
ふふっと声を立てて、黄山が笑った。まるで、武士のようなことを言うと、鳴海は思った。商人でありながら、武士の性根も持ち合わせる。面白い男である。
黄山は如才ないが、この男が丹波からも和左衛門からも信頼されるのが、何となく納得できた。
黄山は、若干皮肉めいた笑みを浮かべたが、すぐに真顔に戻った。
「それが止まったら、どうなります?」
「止まる?」
鳴海は、はっとした。
「それは、攘夷を指したものか……」
黄山が、肯いた。
「水戸の尊攘派は、横浜の鎖港を主張しているとか。生糸の九割方は、横浜の港から世界に向けて輸出されます。中でも当地の生糸が占める割合は大きい。水戸の尊攘派の言うように攘夷及び横浜鎖港を実行したら、当然輸出も止まります。結果として、二本松の歳入は大打撃を被るでしょうな」
ようやく丹波らの懸念の正体が、掴めたような気がする。丹波が尊攘派を取り締まるのは、何も感情的な理由からだけではない。天狗党らの主張する攘夷が実行されれば、二本松の財政悪化に拍車が掛かるのは、必須であった。
「丹波様は、やはり江戸の在府歴が長い御方なだけあって、何が二本松の台所を支えているのか、よくご存知でいらっしゃる」
そう述べると、黄山は出された茶をゆっくりと啜った。
鳴海も、茶を啜りながら黄山の言葉を噛み締めた。
新十郎や羽木も、郡代見習いや郡代をしている者であるから、近年の農村事情も把握しているのだろう。だが、同じように行政の総括である和左衛門はどうなのか。
「和左衛門殿は、生糸の事情についてご存知なのか?」
鳴海の質問に、黄山は微かに苦笑を浮かべた。
「勿論ある程度はご存知でしょう。ですが、絹は贅沢品ですしね。どうも絹の行方や相場についてはあまりお詳しくないようで……。和左衛門様がいかに農政に深くご関心を持たれていたとしても、二本松全ての産業を正確に把握しているとは思えませんし、私も和左衛門様には強いて絹の話をしたことはございません。和左衛門様に殖産としてお勧めしたのは、別の物でした」
なるほど、黄山も利に敏いというべきか。相手の嗜好を把握しつつ最善の提案をするところは、さすがは商人である。建前上商売をご法度としている武士では、出てこない発想だった。
「すると、水戸の天狗者らは……」
肝心なのは、そこである。
「左様。水戸藩は特に横浜からの輸出品は扱っておりませぬ。従って横浜を鎖港しても、痛くも痒くもないでしょう。頭にあるのは、異人への恐怖と尊皇の思いのみではありませんか」
どこか侮蔑の色を滲ませながら、黄山は言い切った。
それにしても、この黄山は遠慮なく批判するものである。和左衛門と交流があり、かつては水戸の藤田東湖の門下にいたというのであるから、それなりに尊皇攘夷の理論を支持しているのかと思えば、必ずしもそうではない。ふと羽木の言葉を思い出して、鳴海は別の質問をしてみた。
「そなたは、水戸の藤田東湖殿の門下にもいたそうだな」
鳴海の質問に、黄山は軽く笑った。
「ご心配なく。既に天狗党の者らとは、一線を画しております」
「そのようだな」
確かに彼らと一線を画していなければ、このように堂々と批判出来ないだろう。商人の凄みというものを、黄山の言葉の端々から感じた。
「ついでに申しますと、現在水戸の天狗党の領袖と目されている藤田小四郎は、小者ですよ。口は大きいが、お父上のような器量はございません」
「言うな」
言葉の端に上らせているのが他藩の武士ということもあるのか、一切遠慮のない批判に、鳴海も苦笑せざるを得なかった。仮に批判の対象が二本松藩の武士であったら、手打ちにされても文句は言えない。
「中屋も、丹羽家を始めとする二本松家中の方々の御恩があってこその家ですからね。
その御恩に報いなければ、先祖に顔向け出来ませんよ」
ふふっと声を立てて、黄山が笑った。まるで、武士のようなことを言うと、鳴海は思った。商人でありながら、武士の性根も持ち合わせる。面白い男である。
黄山は如才ないが、この男が丹波からも和左衛門からも信頼されるのが、何となく納得できた。
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