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第一章 義士
江戸の火種(5)
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「御用伺い」と称して彦十郎家を訪れた黄山を、鳴海が呼び止めて客間に招いたのは、年が明けてからのことだった。
「鳴海様、お久しぶりでございます。あれから御内儀ともお仲がよろしいようで、何よりでございますな」
如才なく口上を延べる黄山に、鳴海は「まあな」と相鎚を打った。昨年、この男の店で妻のりんへの贈り物として鼈甲の櫛や珊瑚の髪飾りを購入したことがあり、それがきっかけで、りんとの夫婦仲が改善されたのだった。武骨者で知られる夫からの贈り物がよほど嬉しかったのか、りんがたまに城下に買い物に行くときには、それらを身に着けているらしい。黄山は、それを目に止めたものだろう。
「ところで鳴海様がわざわざ私をお呼びになられたのは、また金子の御用向きですか?」
「嫌なことを申すな」
鳴海は、渋面を作った。確かに彦十郎家の中屋への借金はまだ残っているが、使いの者を通じて定期的に返済しているはずである。
「お主、今でも水戸と関わりはあるか?」
率直な鳴海の物言いに、黄山は首を傾げた。
「はて……。失礼ながら鳴海様は現在詰番のご身分。政には口を挟めぬのでは?」
急に警戒し出した黄山に、鳴海は真面目な表情のまま答えた。
「口は挟んでおらぬつもりだが、結果として巻き込まれておる」
斯々然々と藤田芳之助の脱藩騒動に始まり、郡山での助郷騒動、そして三浦権太夫の江戸での騒ぎの事を説明し、いずれも守山藩の人間が絡んでいることを伝えると、黄山の眉根がきつく寄せられた。
「確かに……。丹波様方が水戸の尊攘派を警戒されるのも、道理ですな」
「やはり、その行動が過激だからか」
鳴海も気になるのは、その点だった。
「いえ、それだけではなくてですね」
黄山はしばし沈黙していたが、鳴海は辛抱強くその先を待った。
しばらくすると、黄山は説明を続けた。
「尊攘派の皆様が警戒されるのは、異人たちが乱暴狼藉を働き、力に物を言わせてこの国を我が物にせんとしているのではないか。そういうことですよね。ですが、我々商人にとっては、異人の皆様は有り難い客人という面もあるのですよ」
「客人?」
聞いて、少し嫌な気分になった。それは、相手に都合よく日の本の国土を蹂躙させるということではないのか。
「鳴海様も、何か誤解されていませんか?」
黄山は、苦笑を浮かべた。
「ここ数年、二本松領内では蚕を飼う者が増えております。なぜだかお分かりになりますか?」
唐突に虫の話が出てきて、鳴海は戸惑った。彦十郎家では、虫を飼う趣味のある者はいない。
「蚕……。お主の商売の種だな」
中屋の本業は代々蚕種業であり、蚕を飼育するための産卵紙を大きく商っているというのは、何かの折りに聞いたことがあった。
「左様でございます。その蚕ですが、安政六年(一八五九)に幕府が開国を決めて以来、我々の客人は日の本国内に留まらず、外つ海のお客様に向けても、蚕種や生糸を商うようになりました」
鳴海は黙って聞いていた。鳴海も普段纏っているのは絹の着物だが、その原材料まで思いを馳せたことはない。絹は蚕が吐き出す糸から作られるのだというのを、一般知識として知っている程度である。
「日の本の国の中でも、この奥州、とりわけ信達地域で生まれる生糸は世界においても高く評価され、高い値をつけて取引されております。折も折、欧州では蚕の病が流行り、生糸が思うように採れないのだとか。それもありまして、この二本松から蚕種や生糸は大量に輸出されているのですよ。今まで養蚕を手掛けたことのない農家でも、ほうぼうで増築して蚕室を拵え蚕を飼う者が増えましたが、それでも輸出が間に合わないほどです。実際、領内でも昔に較べて桑畑が増えたでしょう?」
「ふむ……」
それは知らなかった。だが、確かに言われてみれば、近年になって、鳴海が子供の頃よりも桑畑が増えたような気はする。桑は、蚕の餌であった。
だが、それと尊攘派の動きがどのように関連するのか。
「鳴海様、お久しぶりでございます。あれから御内儀ともお仲がよろしいようで、何よりでございますな」
如才なく口上を延べる黄山に、鳴海は「まあな」と相鎚を打った。昨年、この男の店で妻のりんへの贈り物として鼈甲の櫛や珊瑚の髪飾りを購入したことがあり、それがきっかけで、りんとの夫婦仲が改善されたのだった。武骨者で知られる夫からの贈り物がよほど嬉しかったのか、りんがたまに城下に買い物に行くときには、それらを身に着けているらしい。黄山は、それを目に止めたものだろう。
「ところで鳴海様がわざわざ私をお呼びになられたのは、また金子の御用向きですか?」
「嫌なことを申すな」
鳴海は、渋面を作った。確かに彦十郎家の中屋への借金はまだ残っているが、使いの者を通じて定期的に返済しているはずである。
「お主、今でも水戸と関わりはあるか?」
率直な鳴海の物言いに、黄山は首を傾げた。
「はて……。失礼ながら鳴海様は現在詰番のご身分。政には口を挟めぬのでは?」
急に警戒し出した黄山に、鳴海は真面目な表情のまま答えた。
「口は挟んでおらぬつもりだが、結果として巻き込まれておる」
斯々然々と藤田芳之助の脱藩騒動に始まり、郡山での助郷騒動、そして三浦権太夫の江戸での騒ぎの事を説明し、いずれも守山藩の人間が絡んでいることを伝えると、黄山の眉根がきつく寄せられた。
「確かに……。丹波様方が水戸の尊攘派を警戒されるのも、道理ですな」
「やはり、その行動が過激だからか」
鳴海も気になるのは、その点だった。
「いえ、それだけではなくてですね」
黄山はしばし沈黙していたが、鳴海は辛抱強くその先を待った。
しばらくすると、黄山は説明を続けた。
「尊攘派の皆様が警戒されるのは、異人たちが乱暴狼藉を働き、力に物を言わせてこの国を我が物にせんとしているのではないか。そういうことですよね。ですが、我々商人にとっては、異人の皆様は有り難い客人という面もあるのですよ」
「客人?」
聞いて、少し嫌な気分になった。それは、相手に都合よく日の本の国土を蹂躙させるということではないのか。
「鳴海様も、何か誤解されていませんか?」
黄山は、苦笑を浮かべた。
「ここ数年、二本松領内では蚕を飼う者が増えております。なぜだかお分かりになりますか?」
唐突に虫の話が出てきて、鳴海は戸惑った。彦十郎家では、虫を飼う趣味のある者はいない。
「蚕……。お主の商売の種だな」
中屋の本業は代々蚕種業であり、蚕を飼育するための産卵紙を大きく商っているというのは、何かの折りに聞いたことがあった。
「左様でございます。その蚕ですが、安政六年(一八五九)に幕府が開国を決めて以来、我々の客人は日の本国内に留まらず、外つ海のお客様に向けても、蚕種や生糸を商うようになりました」
鳴海は黙って聞いていた。鳴海も普段纏っているのは絹の着物だが、その原材料まで思いを馳せたことはない。絹は蚕が吐き出す糸から作られるのだというのを、一般知識として知っている程度である。
「日の本の国の中でも、この奥州、とりわけ信達地域で生まれる生糸は世界においても高く評価され、高い値をつけて取引されております。折も折、欧州では蚕の病が流行り、生糸が思うように採れないのだとか。それもありまして、この二本松から蚕種や生糸は大量に輸出されているのですよ。今まで養蚕を手掛けたことのない農家でも、ほうぼうで増築して蚕室を拵え蚕を飼う者が増えましたが、それでも輸出が間に合わないほどです。実際、領内でも昔に較べて桑畑が増えたでしょう?」
「ふむ……」
それは知らなかった。だが、確かに言われてみれば、近年になって、鳴海が子供の頃よりも桑畑が増えたような気はする。桑は、蚕の餌であった。
だが、それと尊攘派の動きがどのように関連するのか。
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