鬼と天狗

篠川翠

文字の大きさ
上 下
37 / 196
第一章 義士

江戸の火種(3)

しおりを挟む
 会議の終了後、下城しようとした鳴海は、新十郎と羽木に呼び止められた。
「鳴海殿。先程のお話について少しお伺いしてもよろしいでしょうか」
 少なくとも、和左衛門と話すよりは気楽である。鳴海は二人を落ノ間に誘った。会議が終わって既に皆下城したのか、他に人の姿は見当たらない。
「鳴海殿。藤田芳之助が郡山に出入りしていたそうですな。あの場にいたという市之進からも、知らせが参りました」
 新十郎の顔は、やや強張っていた。新十郎なりに、あの脱藩騒動の顛末は気になっていたらしい。
「左様。郡山の代官所に呼ばれて騒動の助太刀に参った折に、大野屋という旅籠で守山藩の三浦殿と共にいるのに出食わした」
 それを聞いた新十郎と羽木が、顔を見合わせた。
「あのとき、やはり藤田を斬るべきでしたでしょうか」
 新十郎の言葉に、鳴海は首を横に振った。
「藤田は小者かもしれぬが、水戸の天狗党の息が掛かっているのは間違いない。郡山へ参っていたのも、表向きは水戸の猿田殿の言いつけで守山の情勢を探りに来ていたということであるし、仮に守山領で斬っていたのならば、守山との争いになっていたかもしれぬ。あの男にますます手を出しにくくなっているのは、確かだがな」
 その言葉に、羽木も肯いた。
「三浦平八郎は、郡山の助郷騒動の折りに、幕府の人間である小野殿に袖の下を通して、逃がすほどの知恵やつながりのある人物。藤田そのものは恐れる程ではございませぬが、それを陰で使嗾する人間は厄介でござる」
 だが、と鳴海は思った。
 藤田自身は、その立場をどのように思っているのか。先日の邂逅では、決して見栄えの良い身なりではなかったし、虚勢を張っているようにも感じられた。水戸藩は大藩である。まして、今では全国各地から尊皇攘夷の思想に憧れて、多くの浪士が集っているであろう。その中で、たかだか二本松の一剣士が身を立てることができるものだろうか。藤田自身も切迫していて、思わず江戸での機密を漏らしてしまったのではないか。
「丹波様は、此度の件は非常にお怒りです」
 羽木の言葉に、鳴海は何とも言いようがなかった。鳴海自身も、丹波とはそれなりに付き合いがあった。鳴海なりに丹波の気性を理解しており、改めて羽木の口から言われることのほどではない。さらに、羽木が気を回したと思われる郡山の女達の一件は不快でしかなかった。その鳴海の不快感にお構いなしに、羽木は言葉を続けた。
「藤田家の場合、八郎兵衛家まで処分を及ぼしたでしょう?あれがやりすぎだという声が一部であるのも、また事実。然らば、たかだか丹波様への献言のみを以て処分するのもやりすぎの感はありますが、背後に水戸が絡んでいるとなると……」
 羽木の隣に座っている新十郎が、渋面を作った。確かに、羽木の言う通りである。二人がわざわざ鳴海に個人的に話を通しにきたのは、鳴海が三浦平八郎が対峙して一筋縄ではいかない男であることを、身を以て知っているからだろう。その経験を踏まえた上で、鳴海の意見を聞きたいに違いなかった。
「三浦の場合は、藤田のような処断をするのは愚策ではあるまいか」
 熟考の末、鳴海はきっぱりと言い切った。
「三浦一族は、古くからの忠臣。たとえ権太夫一人が妙な思想の持ち主だとしても、一族の藩公への忠義心は本物だ。さらに、あの男は多くの御仁から人望を集めている。それに対して果断な処分をしたとなれば、いらぬ反発を招こう。その加減を丹波様が見誤らならければ、の話だがな」
 三浦一族が本来は忠臣であるのは、権太夫の叔父である小川平助や十右衛門の話からも、感じられることだった。
 鳴海の言葉に新十郎は苦笑し、羽木は渋い顔をした。
「丹波様の御振る舞いが決して私情のものだけではないのは、鳴海殿もよく存じておろうに」
「存じて上げてはおるが、丹波様のお振る舞いも誤解されるものが多すぎる。たとえば、江戸から丹波家の学問指南として招いたはずの者に、芸妓達の行儀作法を仕込んでもてなさせるなど、力を注ぐべき箇所がずれておろう」
 鳴海は、ちくりと先日のことを皮肉ってみせた。二本松に帰ってきてから、玲子に「金子類という女性を知っているか」と尋ねたところ、どうやら丹波家の学問指南役として招かれているらしいとの話を教えてくれたのだった。もっともあの女達がきっかけで、三浦平八郎らと邂逅したようなものだが。
「お気に召しませんでしたか」
 色事の話をしているというのに、真面目な顔をしてみせる羽木に、新十郎も呆れた顔を向けた。
「羽木殿……。何をなさったのです」
 鳴海にとっても、不名誉な話である。さり気なく話を元に戻すことにした。
「かような浮かれた真似も、勤皇派からすれば付け入る隙となる。今後は、あのような真似事は一切謹んでもらいたい」
 組頭として、そこは、きっぱりと羽木に伝えなければならなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

処理中です...