鬼と天狗

篠川翠

文字の大きさ
上 下
34 / 196
第一章 義士

小原田騒動(6)

しおりを挟む
 芳之助の嫌味に、初めて鳴海は顔色を変えた。さすがに丹波と似ていると言われるのは、不快である。が、その言葉でぴんとくるものがあった。
 将たる者、簡単に己の感情を敵方に悟らせてはならない。北条谷で小川平助に教わったことを噛み締めながら、鳴海は重々しく述べた。
「再度申し付ける。二本松の封土を蹂躙する者は、何人たりとも許さぬ。たとえ、相手が誰であろうとも、だ」
 さらに、側で芳之助を見守っている平八郎を見据え、いつぞやの言葉をそっくり返した。
「三浦殿が守山の立場を守ろうとするが如く、二本松にも二本松の立場というものがござる。余分な手出しはお控え願いたい」
 鳴海の言葉に、初めて三浦は真顔になった。どうやら、鳴海は自分の意のままに操れない人間だと悟ったらしい。が、すぐに再び笑みを取り戻した。やはり、一枚上手である。
「さすがでございますな、大谷鳴海殿」
 そして、腰を上げて自室へ引き取ろうとした。
「三浦様、江戸に向かわれるご予定の猿田様は、永田町を訪ねると申されておったのでしょう?我々がこの始末で良いものでしょうか」
 尚も食い下がろうとする芳之助に、平八郎が鋭い視線を向けた。
「口を慎め、芳之助」
 感情を顕にし、うっかり芳之助の名を呼び捨てにしたところを見ても、この二人の関係は自ずと知れるというものだった。
 鳴海も、芳之助の言葉は聞き捨てならなかった。江戸の永田町には、二本松藩の公邸がある。
「どういうわけだ、芳之助」
 だが、平八郎は芳之助を急き立てて、自室の襖をぴしゃりと締めてしまった。
「成渡、表口を頼む」
 鳴海は素早く成渡に命じた。だっと成渡が駆け出すが、間もなくして戻ってきた。どうやら三浦平八郎と藤田芳之助は、裏口から逃げ出してしまったらしい。
「止むを得まい。明日には二本松へ戻って、この始末を日野様に報告する」
 鳴海の言葉に、張り詰めていた空気が緩んだ。そして、そのまま酒の席はお開きとなった。
 思いがけない遭遇があったものの、五番組が呼ばれたのは、あくまでも助郷減免交渉の場の助っ人のためである。結局は減免交渉は失敗に終わり、武官にも本来は口を挟む権限はないのだから、鳴海らは二本松へ戻るほかなかった。
 それにしても、芳之助は悪い風体になっていた。二本松を出た頃は、貧しくとももう少し清潔感のある身なりをしていた。また、あれほど卑屈な物言いをしなかったはずである。
「芳之助殿は、水戸に匿われているのですが」
 消灯までの僅かな時間の間に、成渡が再び先程の件を蒸し返した。芳之助は剣豪として藩内では名を馳せていたから、芳之助の落ちぶれた様子は、成渡なりに衝撃的だったのかもしれない。
「脱藩騒動の折り、先程の三浦殿が水戸への橋渡しを引き受けた。いくらなんでも、水戸と事を構えるわけにはいかなかったから、芳之助の放逐で始末をつけるしかなかったがな」
「そのようなご事情がおありでしたか」
 鳴海なりに、先程は平八郎に一矢報いたつもりである。だが、本気で事を構えられれば、やはり厄介な相手には違いなかった。
「ところで、女達を呼んだのは誰だったのでしょう」
 少しばかり名残惜しかったのか、孫九郎が屈託のない様子で、鳴海に問いを投げかけた。
「あれは、大方羽木殿あたりが差し向けたのではあるまいか」
 先程芳之助に丹波に擬えられたことで、鳴海の直感がひらめいたのだった。羽木権蔵は、常任郡代の任務に就いている。確かに事務処理能力には優れているのだが、一方で、丹波の懐刀という顔も持ち合わせていた。丹波は現在江戸にいるため、今日のことについて直接指示を受けたとは思えないから、羽木が勝手に気を回したのかもしれない。
「つまり、助郷免除の交渉失敗を黙っておいてほしいという意味ですか」
 成渡が、呆れたように呟いた。
「或いは、丹波様に忠誠を尽くせという意味合いかもしれぬな」
 鳴海は苦笑交じりに解説した。
 小川平助が述べていたように、丹波なりに鳴海を気に入っているのかもしれない。だが、鳴海は二本松への忠義の志は誰にも負けないつもりだが、丹波個人に忠義を誓っているわけではない。
「確かに、労いに女を差し向けようという発想は、丹波様に近しい者の発想でしょう。少しばかり惜しかった気もしますが」
 ひっそりと、孫九郎が笑う。だが、「五番組は女にだらしない」などという噂が流れては、皆が困る。
「それにしても、芳之助は何のために郡山に舞い戻ってきたのでしょう」 
 成渡も、芳之助の言い分は端から信じていない様子だった。
 あの男は、既に水戸や守山の間者として使われてるのではないか。鳴海はそう感じていたが、まだ組の者に話せる段階ではなかった。今回、わざわざ水戸から芳之助が郡山に出向いてきた真の目的は、二本松藩の領民の不平不満を煽ることにあったのではないか。それだけ水戸の天狗者らに心酔しているのかもしれないが、二本松の内情についてぺらぺらと漏らされたのでは、たまったものではない。
 そして、二本松へ戻って源太左衛門に報告すべきことは、それだけではなかった。水戸藩の猿田が永田町を訪ねるということは、やはり水戸藩が何かを企んでいるということだろう。守山藩の三浦がしきりに二本松藩の人間と接触しようとしていることといい、水戸藩の不逞の輩は、他藩の人間も巻き込みながら、騒動を起こそうとしているのではないか。
「羽木殿にも、後で釘を差しておく」
 鳴海はそう言い切ると、ふっと息を吹きかけ、行灯の明かりを消した。
 
 江戸で三浦権太夫が再び騒動を起こした。その知らせが二本松に届いたのは、鳴海たちが二本松へ戻ってから数日後のことだった――。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

処理中です...