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第一章 義士
小原田騒動(6)
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芳之助の嫌味に、初めて鳴海は顔色を変えた。さすがに丹波と似ていると言われるのは、不快である。が、その言葉でぴんとくるものがあった。
将たる者、簡単に己の感情を敵方に悟らせてはならない。北条谷で小川平助に教わったことを噛み締めながら、鳴海は重々しく述べた。
「再度申し付ける。二本松の封土を蹂躙する者は、何人たりとも許さぬ。たとえ、相手が誰であろうとも、だ」
さらに、側で芳之助を見守っている平八郎を見据え、いつぞやの言葉をそっくり返した。
「三浦殿が守山の立場を守ろうとするが如く、二本松にも二本松の立場というものがござる。余分な手出しはお控え願いたい」
鳴海の言葉に、初めて三浦は真顔になった。どうやら、鳴海は自分の意のままに操れない人間だと悟ったらしい。が、すぐに再び笑みを取り戻した。やはり、一枚上手である。
「さすがでございますな、大谷鳴海殿」
そして、腰を上げて自室へ引き取ろうとした。
「三浦様、江戸に向かわれるご予定の猿田様は、永田町を訪ねると申されておったのでしょう?我々がこの始末で良いものでしょうか」
尚も食い下がろうとする芳之助に、平八郎が鋭い視線を向けた。
「口を慎め、芳之助」
感情を顕にし、うっかり芳之助の名を呼び捨てにしたところを見ても、この二人の関係は自ずと知れるというものだった。
鳴海も、芳之助の言葉は聞き捨てならなかった。江戸の永田町には、二本松藩の公邸がある。
「どういうわけだ、芳之助」
だが、平八郎は芳之助を急き立てて、自室の襖をぴしゃりと締めてしまった。
「成渡、表口を頼む」
鳴海は素早く成渡に命じた。だっと成渡が駆け出すが、間もなくして戻ってきた。どうやら三浦平八郎と藤田芳之助は、裏口から逃げ出してしまったらしい。
「止むを得まい。明日には二本松へ戻って、この始末を日野様に報告する」
鳴海の言葉に、張り詰めていた空気が緩んだ。そして、そのまま酒の席はお開きとなった。
思いがけない遭遇があったものの、五番組が呼ばれたのは、あくまでも助郷減免交渉の場の助っ人のためである。結局は減免交渉は失敗に終わり、武官にも本来は口を挟む権限はないのだから、鳴海らは二本松へ戻るほかなかった。
それにしても、芳之助は悪い風体になっていた。二本松を出た頃は、貧しくとももう少し清潔感のある身なりをしていた。また、あれほど卑屈な物言いをしなかったはずである。
「芳之助殿は、水戸に匿われているのですが」
消灯までの僅かな時間の間に、成渡が再び先程の件を蒸し返した。芳之助は剣豪として藩内では名を馳せていたから、芳之助の落ちぶれた様子は、成渡なりに衝撃的だったのかもしれない。
「脱藩騒動の折り、先程の三浦殿が水戸への橋渡しを引き受けた。いくらなんでも、水戸と事を構えるわけにはいかなかったから、芳之助の放逐で始末をつけるしかなかったがな」
「そのようなご事情がおありでしたか」
鳴海なりに、先程は平八郎に一矢報いたつもりである。だが、本気で事を構えられれば、やはり厄介な相手には違いなかった。
「ところで、女達を呼んだのは誰だったのでしょう」
少しばかり名残惜しかったのか、孫九郎が屈託のない様子で、鳴海に問いを投げかけた。
「あれは、大方羽木殿あたりが差し向けたのではあるまいか」
先程芳之助に丹波に擬えられたことで、鳴海の直感がひらめいたのだった。羽木権蔵は、常任郡代の任務に就いている。確かに事務処理能力には優れているのだが、一方で、丹波の懐刀という顔も持ち合わせていた。丹波は現在江戸にいるため、今日のことについて直接指示を受けたとは思えないから、羽木が勝手に気を回したのかもしれない。
「つまり、助郷免除の交渉失敗を黙っておいてほしいという意味ですか」
成渡が、呆れたように呟いた。
「或いは、丹波様に忠誠を尽くせという意味合いかもしれぬな」
鳴海は苦笑交じりに解説した。
小川平助が述べていたように、丹波なりに鳴海を気に入っているのかもしれない。だが、鳴海は二本松への忠義の志は誰にも負けないつもりだが、丹波個人に忠義を誓っているわけではない。
「確かに、労いに女を差し向けようという発想は、丹波様に近しい者の発想でしょう。少しばかり惜しかった気もしますが」
ひっそりと、孫九郎が笑う。だが、「五番組は女にだらしない」などという噂が流れては、皆が困る。
「それにしても、芳之助は何のために郡山に舞い戻ってきたのでしょう」
成渡も、芳之助の言い分は端から信じていない様子だった。
あの男は、既に水戸や守山の間者として使われてるのではないか。鳴海はそう感じていたが、まだ組の者に話せる段階ではなかった。今回、わざわざ水戸から芳之助が郡山に出向いてきた真の目的は、二本松藩の領民の不平不満を煽ることにあったのではないか。それだけ水戸の天狗者らに心酔しているのかもしれないが、二本松の内情についてぺらぺらと漏らされたのでは、たまったものではない。
そして、二本松へ戻って源太左衛門に報告すべきことは、それだけではなかった。水戸藩の猿田が永田町を訪ねるということは、やはり水戸藩が何かを企んでいるということだろう。守山藩の三浦がしきりに二本松藩の人間と接触しようとしていることといい、水戸藩の不逞の輩は、他藩の人間も巻き込みながら、騒動を起こそうとしているのではないか。
「羽木殿にも、後で釘を差しておく」
鳴海はそう言い切ると、ふっと息を吹きかけ、行灯の明かりを消した。
江戸で三浦権太夫が再び騒動を起こした。その知らせが二本松に届いたのは、鳴海たちが二本松へ戻ってから数日後のことだった――。
将たる者、簡単に己の感情を敵方に悟らせてはならない。北条谷で小川平助に教わったことを噛み締めながら、鳴海は重々しく述べた。
「再度申し付ける。二本松の封土を蹂躙する者は、何人たりとも許さぬ。たとえ、相手が誰であろうとも、だ」
さらに、側で芳之助を見守っている平八郎を見据え、いつぞやの言葉をそっくり返した。
「三浦殿が守山の立場を守ろうとするが如く、二本松にも二本松の立場というものがござる。余分な手出しはお控え願いたい」
鳴海の言葉に、初めて三浦は真顔になった。どうやら、鳴海は自分の意のままに操れない人間だと悟ったらしい。が、すぐに再び笑みを取り戻した。やはり、一枚上手である。
「さすがでございますな、大谷鳴海殿」
そして、腰を上げて自室へ引き取ろうとした。
「三浦様、江戸に向かわれるご予定の猿田様は、永田町を訪ねると申されておったのでしょう?我々がこの始末で良いものでしょうか」
尚も食い下がろうとする芳之助に、平八郎が鋭い視線を向けた。
「口を慎め、芳之助」
感情を顕にし、うっかり芳之助の名を呼び捨てにしたところを見ても、この二人の関係は自ずと知れるというものだった。
鳴海も、芳之助の言葉は聞き捨てならなかった。江戸の永田町には、二本松藩の公邸がある。
「どういうわけだ、芳之助」
だが、平八郎は芳之助を急き立てて、自室の襖をぴしゃりと締めてしまった。
「成渡、表口を頼む」
鳴海は素早く成渡に命じた。だっと成渡が駆け出すが、間もなくして戻ってきた。どうやら三浦平八郎と藤田芳之助は、裏口から逃げ出してしまったらしい。
「止むを得まい。明日には二本松へ戻って、この始末を日野様に報告する」
鳴海の言葉に、張り詰めていた空気が緩んだ。そして、そのまま酒の席はお開きとなった。
思いがけない遭遇があったものの、五番組が呼ばれたのは、あくまでも助郷減免交渉の場の助っ人のためである。結局は減免交渉は失敗に終わり、武官にも本来は口を挟む権限はないのだから、鳴海らは二本松へ戻るほかなかった。
それにしても、芳之助は悪い風体になっていた。二本松を出た頃は、貧しくとももう少し清潔感のある身なりをしていた。また、あれほど卑屈な物言いをしなかったはずである。
「芳之助殿は、水戸に匿われているのですが」
消灯までの僅かな時間の間に、成渡が再び先程の件を蒸し返した。芳之助は剣豪として藩内では名を馳せていたから、芳之助の落ちぶれた様子は、成渡なりに衝撃的だったのかもしれない。
「脱藩騒動の折り、先程の三浦殿が水戸への橋渡しを引き受けた。いくらなんでも、水戸と事を構えるわけにはいかなかったから、芳之助の放逐で始末をつけるしかなかったがな」
「そのようなご事情がおありでしたか」
鳴海なりに、先程は平八郎に一矢報いたつもりである。だが、本気で事を構えられれば、やはり厄介な相手には違いなかった。
「ところで、女達を呼んだのは誰だったのでしょう」
少しばかり名残惜しかったのか、孫九郎が屈託のない様子で、鳴海に問いを投げかけた。
「あれは、大方羽木殿あたりが差し向けたのではあるまいか」
先程芳之助に丹波に擬えられたことで、鳴海の直感がひらめいたのだった。羽木権蔵は、常任郡代の任務に就いている。確かに事務処理能力には優れているのだが、一方で、丹波の懐刀という顔も持ち合わせていた。丹波は現在江戸にいるため、今日のことについて直接指示を受けたとは思えないから、羽木が勝手に気を回したのかもしれない。
「つまり、助郷免除の交渉失敗を黙っておいてほしいという意味ですか」
成渡が、呆れたように呟いた。
「或いは、丹波様に忠誠を尽くせという意味合いかもしれぬな」
鳴海は苦笑交じりに解説した。
小川平助が述べていたように、丹波なりに鳴海を気に入っているのかもしれない。だが、鳴海は二本松への忠義の志は誰にも負けないつもりだが、丹波個人に忠義を誓っているわけではない。
「確かに、労いに女を差し向けようという発想は、丹波様に近しい者の発想でしょう。少しばかり惜しかった気もしますが」
ひっそりと、孫九郎が笑う。だが、「五番組は女にだらしない」などという噂が流れては、皆が困る。
「それにしても、芳之助は何のために郡山に舞い戻ってきたのでしょう」
成渡も、芳之助の言い分は端から信じていない様子だった。
あの男は、既に水戸や守山の間者として使われてるのではないか。鳴海はそう感じていたが、まだ組の者に話せる段階ではなかった。今回、わざわざ水戸から芳之助が郡山に出向いてきた真の目的は、二本松藩の領民の不平不満を煽ることにあったのではないか。それだけ水戸の天狗者らに心酔しているのかもしれないが、二本松の内情についてぺらぺらと漏らされたのでは、たまったものではない。
そして、二本松へ戻って源太左衛門に報告すべきことは、それだけではなかった。水戸藩の猿田が永田町を訪ねるということは、やはり水戸藩が何かを企んでいるということだろう。守山藩の三浦がしきりに二本松藩の人間と接触しようとしていることといい、水戸藩の不逞の輩は、他藩の人間も巻き込みながら、騒動を起こそうとしているのではないか。
「羽木殿にも、後で釘を差しておく」
鳴海はそう言い切ると、ふっと息を吹きかけ、行灯の明かりを消した。
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