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第一章 義士
律の調べ(7)
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十月最後の大安吉日に行われた祝言において、鳴海の父である養泉は、とても病人とは思えないほど矍鑠とした姿で、内藤家の祝宴の席についた。周りへの見栄もあったのだろう。出された食膳も全て平らげ、酒すら口にして周りを慌てさせた。孫娘の晴れ姿を見守るその眼差しは優しく、また、志津も日頃とは打って変わったような、貞淑な花嫁姿を披露した。
鳴海自身も、彦十郎家から内藤家までのわずか数十丁の道のりを、当主として花嫁行列の提灯持ちの役を務めたのだった。
「公も、今頃照子様を嫁がせるに当たって、寂しがっておられるのでしょうか」
家に戻ってからの内々の宴席で、衛守が寂しげに笑った。
「そう言えば、我が家から婚礼を出したのも、久しぶりだったな」
鳴海も衛守の杯を受けながら、それを煽った。かつては養泉や水山の大勢の娘に囲まれて育った二人だが、皆それぞれに嫁いだり、思いがけず早逝したりした。女達のきゃらきゃらとした声に慣れて育ったため、その声があまり聞こえなくなると、それはそれでいささか落ち着かないような気もする。我ながら、勝手だとは思うのだが。
「そういう衛守様は、アサ様とはどうなされているのです?」
義妹の結婚式の華やかさに乗じたのか、珍しく一緒に酒宴に加わったりんが、衛守に尋ねた。衛守も、かねてより上崎家の息女であるアサと付き合っており、どうやら二人の間では、ぽつぽつと結婚の話も持ち上がっているらしかった。
「一応家作を探してはいるのですがね。まだ広間番の身ですし、扶持米だけではどうにもならないですから。何かしらお役目を頂戴したら、この家を出て、アサを迎えるつもりですけれど」
さらりと述べた義弟の言葉に、鳴海はぎょっとした。衛守は数少ない鳴海の良き理解者であり、密かに頼りにしているのだ。
「彦十郎家も、だんだん人が抜けていきますねえ」
玲子がそう言って水山の杯に酒を注いだ、その時である。隠居部屋への渡り廊下をバタバタと駆けてくる足音がした。日頃、躾のやかましい彦十郎家でそのような音を聞くことは滅多にない。
「養泉様の息が、ございませぬ!」
「何ですと?」
足音の主は、祖母の華だった。養泉は、華と一緒に隠居部屋に住んでいる。先程、養泉は「孫娘の祝言で疲れたから」と言って、一足先に、自室へ引き上げていたのだった。
家族一同、慌てて隠居部屋に駆けつけると、そこには確かに養泉の体があった。だが、鳴海がその手を握ってみると、既に拍動は止まっていて、冷たい。
「父上……」
鳴海は、何か熱いものが頬を流れるのを感じた。それが、自分の涙だと気づいたのは、周りが啜り泣く声が耳に入ったからだ。
孫娘の晴れ姿を目にしたその晩、父は死んだ。ある意味では、最上の旅立ちではないだろうか。だが、鳴海の子を見てみたかったという願いは、とうとう叶えてやれなかった。諸事情はあるが、鳴海の子を見せてやれなかったのは、親不孝ではなかったか。鳴海なりのりんへの気遣いのつもりだったが、今ばかりはいたたまれなかった。
「鳴海殿。内藤家には、このことは……」
水山が、鳴海に尋ねた。養泉の死を受けて、彼もまた、既に鳴海を義理の息子としてはなく、当主として扱い始めている。夏の縫殿助の死以来、その兆しはあったが、鳴海は紛れもなく彦十郎家の当主の座に就いたのだった。
自分が悲嘆に暮れている場合ではない。鳴海はぐいと眦を拭うと、小声で告げた。
「今事を告げれば、内藤家の祝い事に水を差しましょう。せめて今晩だけは伏せて、通夜の知らせは明朝、私が直接内藤家に知らせに参ります」
鳴海の言葉に、水山が肯いた。
今頃、志津は新床を迎えている頃だろう。さすがに、その祝事の邪魔立てをするのは、鳴海も気が進まなかった。
「夏の縫殿助に続けて、養泉様もこんなに早く逝かれるなんて……」
日頃陽気で大らかな玲子も、涙を隠せない。本当に、玲子の言う通りである。彦十郎家でこのように弔事が立て続けに起こったのは、鳴海の記憶にはなかった。
鳴海が涙を流すのが許されたのはわずかな時間で、鳴海は次々と指示を出さねばならなかった。菩提寺である大隣寺への連絡や各種打ち合わせは、衛守の役割。女性陣には、葬儀の参列者への食膳の支度を頼む。さらに下男や侍女には、城下へ葬式用の引き出物を買いに行かせる。
そうして翌朝、城へ「父が亡くなったため、忌引をもらう」との知らせを届けた際に、応対してくれたのは、奇しくも義妹の嫁ぎ先の主、内藤四郎衛門だった。城を預かる大城代だから四郎衛門が応対しても不思議ではないのだが、相当に驚いたらしく、一瞬絶句していたのが、印象的だった。
大隣寺での葬儀には、結婚したばかりの志津も、夫である四郎と共に出席した。志津も可愛がってくれた祖父の死を悲しんだが、彼女の花嫁姿を披露できたのは、養泉への何よりの供養だったのではないかと、参列者が話しているのが鳴海の耳に入った。さらに野辺送りには、本家からも与兵衛や志摩らが加わり、あれこれと手伝ってくれた。
また、父の交友関係は、鳴海の想像以上に広かったらしい。長国公の非公式の使者として弔問に訪れたのは、源太左衛門だった。彦十郎家と日野家との交わりも代々続いているが、源太左衛門の長国公からの使者という立場は、彦十郎家の重みを感じさせるものでもあった。
養泉の喪に服している鳴海は、葬儀の直後に行われた照子姫の婚礼行列や、祐吉君の出立などの華やかな場に参列することが叶わない。仕方のないことではあるが、少しばかり、それが心残りだった。
鳴海自身も、彦十郎家から内藤家までのわずか数十丁の道のりを、当主として花嫁行列の提灯持ちの役を務めたのだった。
「公も、今頃照子様を嫁がせるに当たって、寂しがっておられるのでしょうか」
家に戻ってからの内々の宴席で、衛守が寂しげに笑った。
「そう言えば、我が家から婚礼を出したのも、久しぶりだったな」
鳴海も衛守の杯を受けながら、それを煽った。かつては養泉や水山の大勢の娘に囲まれて育った二人だが、皆それぞれに嫁いだり、思いがけず早逝したりした。女達のきゃらきゃらとした声に慣れて育ったため、その声があまり聞こえなくなると、それはそれでいささか落ち着かないような気もする。我ながら、勝手だとは思うのだが。
「そういう衛守様は、アサ様とはどうなされているのです?」
義妹の結婚式の華やかさに乗じたのか、珍しく一緒に酒宴に加わったりんが、衛守に尋ねた。衛守も、かねてより上崎家の息女であるアサと付き合っており、どうやら二人の間では、ぽつぽつと結婚の話も持ち上がっているらしかった。
「一応家作を探してはいるのですがね。まだ広間番の身ですし、扶持米だけではどうにもならないですから。何かしらお役目を頂戴したら、この家を出て、アサを迎えるつもりですけれど」
さらりと述べた義弟の言葉に、鳴海はぎょっとした。衛守は数少ない鳴海の良き理解者であり、密かに頼りにしているのだ。
「彦十郎家も、だんだん人が抜けていきますねえ」
玲子がそう言って水山の杯に酒を注いだ、その時である。隠居部屋への渡り廊下をバタバタと駆けてくる足音がした。日頃、躾のやかましい彦十郎家でそのような音を聞くことは滅多にない。
「養泉様の息が、ございませぬ!」
「何ですと?」
足音の主は、祖母の華だった。養泉は、華と一緒に隠居部屋に住んでいる。先程、養泉は「孫娘の祝言で疲れたから」と言って、一足先に、自室へ引き上げていたのだった。
家族一同、慌てて隠居部屋に駆けつけると、そこには確かに養泉の体があった。だが、鳴海がその手を握ってみると、既に拍動は止まっていて、冷たい。
「父上……」
鳴海は、何か熱いものが頬を流れるのを感じた。それが、自分の涙だと気づいたのは、周りが啜り泣く声が耳に入ったからだ。
孫娘の晴れ姿を目にしたその晩、父は死んだ。ある意味では、最上の旅立ちではないだろうか。だが、鳴海の子を見てみたかったという願いは、とうとう叶えてやれなかった。諸事情はあるが、鳴海の子を見せてやれなかったのは、親不孝ではなかったか。鳴海なりのりんへの気遣いのつもりだったが、今ばかりはいたたまれなかった。
「鳴海殿。内藤家には、このことは……」
水山が、鳴海に尋ねた。養泉の死を受けて、彼もまた、既に鳴海を義理の息子としてはなく、当主として扱い始めている。夏の縫殿助の死以来、その兆しはあったが、鳴海は紛れもなく彦十郎家の当主の座に就いたのだった。
自分が悲嘆に暮れている場合ではない。鳴海はぐいと眦を拭うと、小声で告げた。
「今事を告げれば、内藤家の祝い事に水を差しましょう。せめて今晩だけは伏せて、通夜の知らせは明朝、私が直接内藤家に知らせに参ります」
鳴海の言葉に、水山が肯いた。
今頃、志津は新床を迎えている頃だろう。さすがに、その祝事の邪魔立てをするのは、鳴海も気が進まなかった。
「夏の縫殿助に続けて、養泉様もこんなに早く逝かれるなんて……」
日頃陽気で大らかな玲子も、涙を隠せない。本当に、玲子の言う通りである。彦十郎家でこのように弔事が立て続けに起こったのは、鳴海の記憶にはなかった。
鳴海が涙を流すのが許されたのはわずかな時間で、鳴海は次々と指示を出さねばならなかった。菩提寺である大隣寺への連絡や各種打ち合わせは、衛守の役割。女性陣には、葬儀の参列者への食膳の支度を頼む。さらに下男や侍女には、城下へ葬式用の引き出物を買いに行かせる。
そうして翌朝、城へ「父が亡くなったため、忌引をもらう」との知らせを届けた際に、応対してくれたのは、奇しくも義妹の嫁ぎ先の主、内藤四郎衛門だった。城を預かる大城代だから四郎衛門が応対しても不思議ではないのだが、相当に驚いたらしく、一瞬絶句していたのが、印象的だった。
大隣寺での葬儀には、結婚したばかりの志津も、夫である四郎と共に出席した。志津も可愛がってくれた祖父の死を悲しんだが、彼女の花嫁姿を披露できたのは、養泉への何よりの供養だったのではないかと、参列者が話しているのが鳴海の耳に入った。さらに野辺送りには、本家からも与兵衛や志摩らが加わり、あれこれと手伝ってくれた。
また、父の交友関係は、鳴海の想像以上に広かったらしい。長国公の非公式の使者として弔問に訪れたのは、源太左衛門だった。彦十郎家と日野家との交わりも代々続いているが、源太左衛門の長国公からの使者という立場は、彦十郎家の重みを感じさせるものでもあった。
養泉の喪に服している鳴海は、葬儀の直後に行われた照子姫の婚礼行列や、祐吉君の出立などの華やかな場に参列することが叶わない。仕方のないことではあるが、少しばかり、それが心残りだった。
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