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第一章 義士
律の調べ(2)
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「遠藤源七郎らの伊勢参りが、それほど咎められるものでしょうか?」
こっそり与兵衛に尋ねたつもりの鳴海だったが、和左衛門の耳は、素早くその声を拾い上げた。
「鳴海殿。寄人馬について、ご理解されていらっしゃらないようですな。本宮宿などが栄えているのは、周りの農村の協力があってこそのもの。参勤交代は春や秋に集中しますが、農事の忙しい季節にぶつかる。その忙しい最中に遠藤らは物見遊山に行こうというのですぞ。農民らを激励しなければならぬ名主の者らが、遊びに出かけようなどは、もっての他でござる。また鈴石一揆のようなことがあってはなりませぬ」
和左衛門に説明されて、鳴海はようやく和左衛門の怒りの理由を理解した。和左衛門の言う「鈴石一揆」とは、嘉永二年(一八四九)、鈴石村の名主であった大内六郎の非行三十三ヶ条を挙げた陳情書が出された事件である。首謀者らは厳しく処断されたが、陳情にはれっきとした理由があった。大内六郎は名主の一方で高利貸を営んでおり、私曲の限りを尽くしたと言われている。家老座上である丹波にも賂を贈って寵を受けていたとの黒い噂も絶えなかった。この事件では、大内六郎も、箕輪村へ配置換えになり、借金も棒引きにされたが、様々な禍根を残した。
「ですが……」
尚も、鳴海は釈然としないものを感じた。確かに和左衛門の言うことも一理あるのだが、そこまで締め付けるほどのことか。
その気配を読んだか、新十郎が反撃に出た。
「義父上。これまで遠藤らにも随分と無理を押し付けて参りました。源太左衛門様の仰るように、これ以上締め付けるのは悪手かと存じます」
新十郎が、ちらりと長国公に視線を向けた。源太左衛門ですら説得に難渋しているのから、最終的な決断を公に仰ごうというつもりだろう。
鳴海も公の様子を伺うと、公は先程と変わらずにこやかに笑っておられた。だが、微かに口元を引き攣らせているのが見えた。
「和左衛門。仁井田の遠藤の件は、認めるが良い」
安堵した空気が、大書院に流れる。鳴海も、そろそろと息を吐き出した。
「ついでだから、遠藤らには二本松の弥栄も祈願してきてもらおうではないか」
長国公の軽口に、何人かが笑った。さすがに、この空気には和左衛門も逆らえないらしく、「畏まって候」と頭を下げた。
ちょんちょんと脇腹を突かれ、振り返る。突いた指の主は、志摩だった。
「日野様と和左衛門様は、あれで肝胆相照らす仲ですから」
「そうなのか?」
志摩の言葉に、鳴海は気が抜けた。志摩の言葉に、与兵衛も肯いた。
「そなたは、とばっちりを食らったな」
鳴海も、苦笑するしかない。確かに、とばっちりだった。だが、些末な疑問でもすぐに解決しておいたほうが、後々役に立つことが多いものである。
「鳴海殿。なかなかよく学んでおられますな」
にこやかに話しかけてきたのは、先程まで和左衛門と議論していた源太左衛門である。鳴海の上司の一人には違いないが、理知的な印象は、丹波とは対照的だった。
「何分、浅学非才の身でして」
鳴海も、頭を下げた。少なくとも、今までの自分のままでは、この先が思いやられる。
「養泉様も水山様も、縫殿助が亡くなられて気落ちされていたご様子でしたが……。民のことまで思いやれる跡継ぎがいらっしゃるのならば、行く末頼もしいですな」
過分な賛辞に、鳴海は顔を俯かせた。それほど、大層な考えではない。鳴海の性分として、胸の内のわだかまりをそのまま放置できないだけである。
「養泉様は、お元気でしょうか?」
源太左衛門の言葉に、鳴海は視線を落とした。実は、このところ実父の体の具合が良くない。縫殿助が死んでからしばらくして、養泉は発作を起こした。医者を呼んで手当を施したが、それ以来、養泉はしばしば「頭が痛む」と言って、床に臥せっているのだった。医者の話では、中気ではないかという見立てだった。
ようやく義妹である志津の輿入れの日取りも決まったことであるし、せめて祝言には出席させたい。それは、彦十郎家一同の願いだった。
それを告げると、源太左衛門の顔も曇った。
「彦十郎家のご不幸は、愚息が富津へ行く前に伝え聞いておりましたが……。御回復をお祈り申し上げます」
鳴海より遥かに年上だというのに、源太左衛門は丁重な見舞いの言葉を述べた。
「痛み入りまする。我が父も、源太左衛門様の言葉を喜びましょう」
鳴海も生真面目な表情を崩さずに、頭を下げた。
こっそり与兵衛に尋ねたつもりの鳴海だったが、和左衛門の耳は、素早くその声を拾い上げた。
「鳴海殿。寄人馬について、ご理解されていらっしゃらないようですな。本宮宿などが栄えているのは、周りの農村の協力があってこそのもの。参勤交代は春や秋に集中しますが、農事の忙しい季節にぶつかる。その忙しい最中に遠藤らは物見遊山に行こうというのですぞ。農民らを激励しなければならぬ名主の者らが、遊びに出かけようなどは、もっての他でござる。また鈴石一揆のようなことがあってはなりませぬ」
和左衛門に説明されて、鳴海はようやく和左衛門の怒りの理由を理解した。和左衛門の言う「鈴石一揆」とは、嘉永二年(一八四九)、鈴石村の名主であった大内六郎の非行三十三ヶ条を挙げた陳情書が出された事件である。首謀者らは厳しく処断されたが、陳情にはれっきとした理由があった。大内六郎は名主の一方で高利貸を営んでおり、私曲の限りを尽くしたと言われている。家老座上である丹波にも賂を贈って寵を受けていたとの黒い噂も絶えなかった。この事件では、大内六郎も、箕輪村へ配置換えになり、借金も棒引きにされたが、様々な禍根を残した。
「ですが……」
尚も、鳴海は釈然としないものを感じた。確かに和左衛門の言うことも一理あるのだが、そこまで締め付けるほどのことか。
その気配を読んだか、新十郎が反撃に出た。
「義父上。これまで遠藤らにも随分と無理を押し付けて参りました。源太左衛門様の仰るように、これ以上締め付けるのは悪手かと存じます」
新十郎が、ちらりと長国公に視線を向けた。源太左衛門ですら説得に難渋しているのから、最終的な決断を公に仰ごうというつもりだろう。
鳴海も公の様子を伺うと、公は先程と変わらずにこやかに笑っておられた。だが、微かに口元を引き攣らせているのが見えた。
「和左衛門。仁井田の遠藤の件は、認めるが良い」
安堵した空気が、大書院に流れる。鳴海も、そろそろと息を吐き出した。
「ついでだから、遠藤らには二本松の弥栄も祈願してきてもらおうではないか」
長国公の軽口に、何人かが笑った。さすがに、この空気には和左衛門も逆らえないらしく、「畏まって候」と頭を下げた。
ちょんちょんと脇腹を突かれ、振り返る。突いた指の主は、志摩だった。
「日野様と和左衛門様は、あれで肝胆相照らす仲ですから」
「そうなのか?」
志摩の言葉に、鳴海は気が抜けた。志摩の言葉に、与兵衛も肯いた。
「そなたは、とばっちりを食らったな」
鳴海も、苦笑するしかない。確かに、とばっちりだった。だが、些末な疑問でもすぐに解決しておいたほうが、後々役に立つことが多いものである。
「鳴海殿。なかなかよく学んでおられますな」
にこやかに話しかけてきたのは、先程まで和左衛門と議論していた源太左衛門である。鳴海の上司の一人には違いないが、理知的な印象は、丹波とは対照的だった。
「何分、浅学非才の身でして」
鳴海も、頭を下げた。少なくとも、今までの自分のままでは、この先が思いやられる。
「養泉様も水山様も、縫殿助が亡くなられて気落ちされていたご様子でしたが……。民のことまで思いやれる跡継ぎがいらっしゃるのならば、行く末頼もしいですな」
過分な賛辞に、鳴海は顔を俯かせた。それほど、大層な考えではない。鳴海の性分として、胸の内のわだかまりをそのまま放置できないだけである。
「養泉様は、お元気でしょうか?」
源太左衛門の言葉に、鳴海は視線を落とした。実は、このところ実父の体の具合が良くない。縫殿助が死んでからしばらくして、養泉は発作を起こした。医者を呼んで手当を施したが、それ以来、養泉はしばしば「頭が痛む」と言って、床に臥せっているのだった。医者の話では、中気ではないかという見立てだった。
ようやく義妹である志津の輿入れの日取りも決まったことであるし、せめて祝言には出席させたい。それは、彦十郎家一同の願いだった。
それを告げると、源太左衛門の顔も曇った。
「彦十郎家のご不幸は、愚息が富津へ行く前に伝え聞いておりましたが……。御回復をお祈り申し上げます」
鳴海より遥かに年上だというのに、源太左衛門は丁重な見舞いの言葉を述べた。
「痛み入りまする。我が父も、源太左衛門様の言葉を喜びましょう」
鳴海も生真面目な表情を崩さずに、頭を下げた。
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