鬼と天狗

篠川翠

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第一章 義士

北条谷談義(3)

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「凄まじいですな……」 
 十右衛門の声も、やや慄いている。十右衛門も、この話は初めて聞くのかも知れなかった。
「さすがに、この部分はまだ修行中の子らには教えられませぬが」
 柔和な表情に戻った平助は、再び苦笑を浮かべた。
「あまり思い詰めると、番頭の重責に押し潰されましょう。今はまだ、将たる者の心構えとして聞いていただくだけで十分です。そもそも、江戸界隈で異国の者が姿を見せるようになったとは言え、富津の在番組からも特に戦になりそうだという話も上がってきた試しがないことですし」
 平助の言葉に、鳴海も体の強張りを解いた。
 それにしても、これだけのことを教授できる当代平助も、なかなかの智者に違いない。
「兄者。今の理屈からすると、今の二本松藩には将に相応しくない御仁が幾人もおるようだが」
 十右衛門の声には、若干揶揄の響きが含まれていた。無論、目の前に慣れ親しんだ兄や鳴海がいるからこその、軽口である。
 そこで鳴海は、ふと思いついて平助に尋ねてみた。
「君主と将の関係についてですが、君主は主に文を表とし、武を裏とする。基本的には文徳をもって政を行うと聞いたことがあるが、今の二本松の制度は、平助殿はどのようにお考えでござるか」
 平助が、しばし黙考した。
「それは、家老が軍事総裁の職をも兼ねることでしょうか?」
 鳴海は、肯いてみせた。
「家老が行政の長であることについては、疑う余地がござらぬ。また、道理に適っているとも思う。だが、軍全てを束ねることについては、まかり間違えば国を軍国主義に導き、国を疲弊させることにつながるのではございませぬか?」
 鳴海の言葉に、平助は微笑を開いた。
「鳴海殿は武勇に優れた御方と聞いておりますが、それだけではないのですな」
 一体自分の評判は、どうなっているのか。鳴海は、憮然とした。
「鳴海殿の仰る通りです。だが、戦場に兵を連れて行く場合、政の大局も見極めた判断も必要とされる。そのような判断をする者は、やはり家老でなくてはならないでしょう。それを踏まえれば、現在の二本松の在り方は間違っていません」
 平助は、きっぱりと言い切った。
「ふむ……」
 傍らで、十右衛門も考え込んでいる。脳裏には、やはり丹波のことがあるに違いない。
「皆が好きなように申しておりますが、丹波殿は間を使う術や他藩とのつながりをつける術に長けていらっしゃる。これもまた、山鹿流に言えば、必要不可欠。清廉潔白さを求められる御方にとっては目障りかもしれませんが、やはり二本松藩にとっては必要な御方でございましょう」
 鳴海や十右衛門の機先を制し、平助がようやく丹波の名前を口にした。その口ぶりからすると、平助も、丹波の行っていることは知っているに違いない。ただし、その是非はともかくとして、一定の理解は示している。鳴海もその点については、平助と同じ判断だ。
「十右衛門。二本松の者は、皆それぞれに守らねばならぬ職分というものがある。それを超えれば国の乱れの元となろう」
 弟を嗜める平助の穏やかな声色に、鳴海は胸を撫で下ろした。もちろん鳴海もそれを思うからこそ、渋々ながらも丹波に従っているのだった。
「だが兄者。万が一二本松が戦をすることになった場合、総裁の座に誰が就くかで、戦局は大きく変わりそうだな」
 相変わらずずけずけという十右衛門の言葉にも、平助は再び苦笑を浮かべたのみに留めていた。何も意見を言わないところを見ると、本音では平助も同感なのかもしれない。
 ややもすれば、己の感情をむき出しにする丹波を総裁にしたらと考えると、鳴海もやはり不安が拭えない。
「その辺りの機微や差配は、他の御家老方や殿にお任せするしかあるまいが……。たとえ家老座上とは言え、二本松藩は丹波殿一人で動かされるような、甘い国であってはなりませぬ」
 藩是に関わる話はこれで終わり、というように平助は締め括った。その言葉を、鳴海は噛み締めた。
 二本松藩の上層部は、必ずしも全員が丹波の意のままになっているわけではないし、するべきではない。それが、兵学者ではなく、一藩士としての平助の本音なのだろう。できるだけ藩の兵学者として客観的な評価を下そうとする一方で、己の信念を別に持つ平助に、鳴海は好意を抱いた。
「先程、間の話が出ましが、将たる者、敵の情報を掴むための心得もあったかと思います。その辺りを、今一度お教え願えませぬか」
 丹波の人品のことはひとまず橫に置くとして、丹波が長けているという間の使い方については、鳴海も興味があった。戦国の世の頃には、どの大名も活発に間を使っていたというが、その考え方は今でも通用しそうである。さらに、なぜ丹波は自分に勤王党について探らせたのか、その理由も気になる。
「なかなか鋭いところを突かれますな」
 平助は、再び微笑を開いた。
 曰く、敵情を把握するには、「視・観・察」が大切である。
 視は、目に映る現象をそのまま捉える。これを陽とするならば、観は、視たままの現象が成り立つ背景やその意図(陰)を見抜くことを指す。察は視・観を踏まえ、陰陽の対立や矛盾を洗い出した上で、総合的な所見に立つことを言う。情報は多いに越したことはないが、情報を持ち帰ってくる者は有利な情報だけではなく、不利な情報も持ち帰ってくるのが望ましい。有利な情報のみでは、兵全体の過信や慢心を生みかねないからだ。また、判断を下す者は一面的な情報で一喜一憂してはならない。
「あらかじめ謀りごとを知り、見聞を広くし、視・観・察を以て内外の状況を把握する。これこそ、戦わずして勝つための方法であり、素行様の教えの真髄でございます」
 その言葉に、鳴海は首を傾げた。
「戦わずして、勝つと?」
 それでは、日頃から武芸を鍛錬し、組の者らにもそのように伝えている自分らのしていることは、意味がないではないか。
「鳴海殿。ご自身が武芸を鍛錬されていること、兵卒として教えられてきたことと、兵法の教えを混同されてはなりませぬ。兵卒としては道を守り武芸に励み、上役や公のために身上を捧げるのが何より大切。ですが、将がその心得のまま突き進んでは、多くの兵を失い人心の離れる元となります。敵を見れば戦いを仕掛け、城を見ると攻撃を命じるのは、愚将のすること。人間、死地に立った人間を敵に回せば、味方の損害も大きくなり、ゆくゆくは内からの評価も落ちます」
 鳴海は、我が身を振り返った。今の自分のままであれば、確かに自分の組の者に迷惑を掛けかねない。元々鳴海自身は武芸を好み、相手が強いと思えば自らの腕を試したくなる性分だからだ。
「ひょっとして、小川殿は、丹波様が『戦わずして勝つ』方法で、二本松を守ろうとしていると、お考えか?」
 鳴海が投げかけた疑問に、平助はやや目を見開いた。
「左様」
 まんざらでもなさそうに、平助が笑う。
「やはり、鳴海殿は将たる者の素質をお持ちですな」
 ヒュウっと、傍らで十右衛門が口笛を吹いた。
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