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第一章 義士
改革派の言い分(6)
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そこへ通りかかったのは、先程まで話題に上っていた新十郎だった。どうやら奥の間にいる源太左衛門に、民政の報告に来たらしい。丹波は照子姫の輿入れの準備と打ち合わせをするために、江戸へ出張している。そのため、源太左衛門が国元の留守を預かっているのだった。
「先日は、どうも」
相変わらずにこやかな表情を崩さずに、新十郎は鳴海に近づいてきた。現在公も丹波も留守にしているため、城内はどこか気楽な空気が漂っていた。それにも関わらず、新十郎は剣呑な空気を漂わせている。その背後に和左衛門の姿があるのを、鳴海は認めた。
先程まで気楽に談笑していた与兵衛や志摩も、真面目な表情を取り繕った。この様子からすると、丹羽親子の仲は相当に抜き差しならない関係なのかもしれなかった。
「鳴海殿。うちの倅が茶をごちそうになったそうで、かたじけない」
和左衛門が牽制するように、やはり笑みを作りながら鳴海に近づいてきた。あの時彦十郎家の茶室で何が語られたのか、探ろうというつもりなのだろうか。
咄嗟に、鳴海は新十郎の身内を思い浮かべた。どちらの派閥にも与することなく、かつこの先鳴海と関わりを持つかもしれない人物。
「こちらこそ、軍師である小川殿に取り次いでいただけるということで、助かります」
その言葉に、新十郎が眉を上げた。
「小川殿の妻とうちの妻は、姉妹ですからね。お安いご用です」
鳴海の機転に、新十郎はほっとした様子だった。
「それはそれは……。この先鳴海殿にとっても、欠かせぬ人物ですな」
和左衛門の目は、やはり笑っていなかった。だが、とりあえずこれで、どちらかの派閥に組み込まれる危機は回避できそうである。小川家は代々軍師を務めている家柄だが、その祖父は丹羽貴明に目を掛けられ、かつ孫の当代の平助は、物議を醸している三浦家から小川家に養子に入った身。三浦権太夫の叔父でもあり、立場上独特の路線を貫いている人物だった。鳴海がその人物との縁を取り持ってくれるように頼んだという体裁であれば、新十郎が鳴海と接近しようとしても不自然ではない。
「お引き止めして申し訳ない」
鳴海は、二人に向かって軽く頭を下げた。丹羽親子も肯き返すと、いくつもの巻物を手に、奥の間の方へ姿を消した。
「……こっわあ……」
志摩もそろそろいい年の大人だというのに、少年のような感想を漏らした。
「父上。ひょっとしてあの親子、相当に険悪なのですか?」
辺りに人がいないのを確認して、志摩が与兵衛に小声で尋ねた。
「というよりも、奉仕の精神の方向性が、全く噛み合わないのだろう」
鳴海も、小声で解説してやる。
「鳴海殿。あの返答は上出来だった」
与兵衛が、小さな声で鳴海を褒めてくれた。
「我々番頭の本分は、あくまでも武者番。権力争いに巻き込まれるような愚は、避けべきだ。組の者らも、そのように導かれよ。志摩、お主もだ」
それが、与兵衛の本音だろう。大身の大谷家だからこそ取れる保身術とも言えた。だが、決して間違ってはいない。
「痛み入ります」
鳴海は自分の指導役がこの与兵衛で良かったと、つくづく思った。側には気心の知れた志摩もいるし、与兵衛・志摩親子はうまくいっている。
それにしても、先程の退っ引きならない空気は、どうしたものか。当面、新十郎とも接近するのは控えようと思った。頭の切れる男だから、そこは上手く空気を読んでくれるだろう。
「鳴海殿。短期間で随分と人馴れしたというか、空気を読むようになりましたよね」
緊張が解けたのか、志摩が鳴海をからかった。それを言われると、面白くない。鳴海とて、このような役回りは性分に合わない。少し前の鳴海だったら、さっさとあの場を切り上げて家へ帰っていただろう。それが出来ないのが、今の鳴海の立場なのだった。
「馬鹿を言え。俺だって、胃が痛い」
つい、気心の知れた志摩を相手に愚痴を零してしまった。そんな鳴海の愚痴を聞いて、志摩が吹き出す。
「家に帰ったら、りんさんに葛湯でも作ってもらったらいかがです?きっと痛んだ胃にも優しいですよ」
鳴海は、首筋を染めた。鳴海よりも遥かに年下の志摩だが、これでも本家の嫡子であることから、とうに妻も娘もいる。鳴海の弟の衛守もそうだが、どうも、鳴海とりんの夫婦仲が改善されたのを漏れ聞いているとみえ、先輩ぶってちょくちょく鳴海夫妻の仲についてからかうのだった。
「それが良い」
首筋を染めた鳴海を見て、与兵衛もおかしそうに再び笑みを浮かべた。
「りん殿の葛湯はともかく、役目上、小川殿にはこれから顔を合わせる機会も増えてまいろう。少なくとも政略家の御方ではないから、ご安心召されよ」
「先日は、どうも」
相変わらずにこやかな表情を崩さずに、新十郎は鳴海に近づいてきた。現在公も丹波も留守にしているため、城内はどこか気楽な空気が漂っていた。それにも関わらず、新十郎は剣呑な空気を漂わせている。その背後に和左衛門の姿があるのを、鳴海は認めた。
先程まで気楽に談笑していた与兵衛や志摩も、真面目な表情を取り繕った。この様子からすると、丹羽親子の仲は相当に抜き差しならない関係なのかもしれなかった。
「鳴海殿。うちの倅が茶をごちそうになったそうで、かたじけない」
和左衛門が牽制するように、やはり笑みを作りながら鳴海に近づいてきた。あの時彦十郎家の茶室で何が語られたのか、探ろうというつもりなのだろうか。
咄嗟に、鳴海は新十郎の身内を思い浮かべた。どちらの派閥にも与することなく、かつこの先鳴海と関わりを持つかもしれない人物。
「こちらこそ、軍師である小川殿に取り次いでいただけるということで、助かります」
その言葉に、新十郎が眉を上げた。
「小川殿の妻とうちの妻は、姉妹ですからね。お安いご用です」
鳴海の機転に、新十郎はほっとした様子だった。
「それはそれは……。この先鳴海殿にとっても、欠かせぬ人物ですな」
和左衛門の目は、やはり笑っていなかった。だが、とりあえずこれで、どちらかの派閥に組み込まれる危機は回避できそうである。小川家は代々軍師を務めている家柄だが、その祖父は丹羽貴明に目を掛けられ、かつ孫の当代の平助は、物議を醸している三浦家から小川家に養子に入った身。三浦権太夫の叔父でもあり、立場上独特の路線を貫いている人物だった。鳴海がその人物との縁を取り持ってくれるように頼んだという体裁であれば、新十郎が鳴海と接近しようとしても不自然ではない。
「お引き止めして申し訳ない」
鳴海は、二人に向かって軽く頭を下げた。丹羽親子も肯き返すと、いくつもの巻物を手に、奥の間の方へ姿を消した。
「……こっわあ……」
志摩もそろそろいい年の大人だというのに、少年のような感想を漏らした。
「父上。ひょっとしてあの親子、相当に険悪なのですか?」
辺りに人がいないのを確認して、志摩が与兵衛に小声で尋ねた。
「というよりも、奉仕の精神の方向性が、全く噛み合わないのだろう」
鳴海も、小声で解説してやる。
「鳴海殿。あの返答は上出来だった」
与兵衛が、小さな声で鳴海を褒めてくれた。
「我々番頭の本分は、あくまでも武者番。権力争いに巻き込まれるような愚は、避けべきだ。組の者らも、そのように導かれよ。志摩、お主もだ」
それが、与兵衛の本音だろう。大身の大谷家だからこそ取れる保身術とも言えた。だが、決して間違ってはいない。
「痛み入ります」
鳴海は自分の指導役がこの与兵衛で良かったと、つくづく思った。側には気心の知れた志摩もいるし、与兵衛・志摩親子はうまくいっている。
それにしても、先程の退っ引きならない空気は、どうしたものか。当面、新十郎とも接近するのは控えようと思った。頭の切れる男だから、そこは上手く空気を読んでくれるだろう。
「鳴海殿。短期間で随分と人馴れしたというか、空気を読むようになりましたよね」
緊張が解けたのか、志摩が鳴海をからかった。それを言われると、面白くない。鳴海とて、このような役回りは性分に合わない。少し前の鳴海だったら、さっさとあの場を切り上げて家へ帰っていただろう。それが出来ないのが、今の鳴海の立場なのだった。
「馬鹿を言え。俺だって、胃が痛い」
つい、気心の知れた志摩を相手に愚痴を零してしまった。そんな鳴海の愚痴を聞いて、志摩が吹き出す。
「家に帰ったら、りんさんに葛湯でも作ってもらったらいかがです?きっと痛んだ胃にも優しいですよ」
鳴海は、首筋を染めた。鳴海よりも遥かに年下の志摩だが、これでも本家の嫡子であることから、とうに妻も娘もいる。鳴海の弟の衛守もそうだが、どうも、鳴海とりんの夫婦仲が改善されたのを漏れ聞いているとみえ、先輩ぶってちょくちょく鳴海夫妻の仲についてからかうのだった。
「それが良い」
首筋を染めた鳴海を見て、与兵衛もおかしそうに再び笑みを浮かべた。
「りん殿の葛湯はともかく、役目上、小川殿にはこれから顔を合わせる機会も増えてまいろう。少なくとも政略家の御方ではないから、ご安心召されよ」
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