鬼と天狗

篠川翠

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第一章 義士

改革派の言い分(2)

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 確かに、その光景は見ものだった。和左衛門の家は本姓が山田であるが、山田丹羽家も古参の家柄の一つである。だが、鳴海が和左衛門の訪問を渋っていたのは、その家柄故ではない。
「ご覧なされ、鳴海殿」
 目の前の和左衛門は、大仰にため息をついた。出された茶碗には、普通の家なら出されるであろう茶ではなく、白湯が入っている。別に白湯が嫌いなわけではないが、仮にも鳴海は客人である。そして、客間にはずらりと名札が飾られているのであった。
「我が家にまいないを持ってきた者がこんなにもおるのですぞ。嘆かわしいと思いませぬか」
 ぐるりと首を巡らすと、名札には賂を持ってきたと思われる名主などの名前、村の名前、年月日までご丁寧に書かれているのだった。
「はあ……」
 鳴海は、曖昧に肯くしかなかった。この和左衛門は、二本松家中ではきっての倹約家として知られている。普通なら客人に茶を出してもてなすところを、白湯しか出さないのは、茶葉すら贅沢と考えているに違いなかった。吝嗇にも程がある。鳴海がわざわざ木綿の着物に着替えてきたのも、絹を着ていては「そんな贅沢をしているから、下々の者が真似をして風紀が乱れる」と、和左衛門から説教を食らうと与兵衛から忠告を受けたからだった。実際に、志摩がグチグチとやられたらしい。その和左衛門は、普段から平民と変わらぬ格好であり、逆にそこに親しみを感じる平民も多いのだろう。
 本人は賂を持ってきた者の名札を掲げて意気揚々としており、確かに一定の見せしめ効果はあるかもしれない。だが、やられた方は悪事を永久に晒されているも同然であり、たまったものではない。その名札の中に、大谷一族の名前がないのに鳴海は安堵した。
 この六十近い老人と何を語らえというのか。鳴海はここへの訪問を勧めた与兵衛を呪いつつ共通の話題を必死で探ったが、見当たらなかった。
 そこへやってきたのは、丹羽新十郎である。なぜ彼がここに、とも思ったが、新十郎は和左衛門の養子なのだから、同じ屋敷にいるのは当然だった。
「鳴海殿。先日はお疲れでござったろう」
 人当たりの柔らかい新十郎の言葉に、鳴海は頭を下げた。新十郎の言葉は、例の脱藩騒ぎの事を意味している。かねてから藤田を見張っていた鳴海と郡代見習いである新十郎が守山藩領まで追いかけていったが、結局は守山藩の者に行く手を阻まれ、当の藤田は悠々と姿を晦ましたのだった。
「あれは、藤田に不満を抱かせた者が悪い」
 和左衛門は、きっぱりと断言した。もちろん、丹波を暗に批判してのことである。だが、即座にその言葉に同意するわけには行かなかった。
「どうでしょう。藤田もあの歳で水戸に遊学など、現実が見えていないところもありました」
 鳴海は、慎重に言葉を選んだ。その言葉に傍らにいた新十郎も、鳴海の言葉に肯く。
「鳴海殿の申される通りです、義父上。藩の公費をあのような者に費やすよりも、もっと若輩の者のために使うべきでありましょう」
 遊学を認める場合、次第によっては藩の公金を遣っての遊学となる。藤田が希望していたのは水戸の弘道館への遊学であり、そこで最新の知識と剣技を学びたいというのが、藤田の言い分だった。弘道館は、歴史は二本松藩の敬学館よりも新しいが、砲術の実戦も行い、西洋の学問も学べるなど、現在尊皇思想の持ち主らの憧れの藩校でもある。
 新十郎が、鳴海にそっと目配せを送って寄越した。どうやら、和左衛門と新十郎は必ずしも意見が一致していないらしい。だが、一方に与することの危険を察知して、鳴海は知らん顔を決め込んだ。
「お主ら、儂より若いのに考えが古いな」
 そう言っていなした和左衛門に、鳴海はむっとした。自分の考えが古いとは、どういうことだ。
「鳴海殿、三浦の倅殿をご覧あれ。殿に諫言をするなど、なかなか気骨のある若者ではないか。近年稀に見る痛快であった。あのような若者をもっと積極的に取り立ててこそ、公の御為にもなろうというもの」
 この言い分からすると、和左衛門は三浦を気に入っているようだ。和左衛門も日頃から民に親しみ、中島黄山に勧められて北山に植林させた際には、自らその指揮を取ったという話も聞いている。その杉材を藩の特産物として売出し、藩の財源に充てようという壮大な計画だったが、確かに愛民謝農の精神は、三浦と響き合うに違いない。一方的に語る和左衛門の説話を半ば聞き流しながら、鳴海はそんなことを考えていた。
「水戸の烈公は、有事に備えて梅の木を植えさせたそうな。民のためにその梅苑を誰でも出入りできるように取り計らい、今では水戸の民らは、春になるとその梅の花を愛でるのを、楽しみにしているらしい。その姿こそ、君主のあるべき姿ではないか」
「義父上」
 さすがに新十郎が、和左衛門を窘めた。聞き様によっては、藩公への批判とも取れる。
「これは、口が滑ったかな」
 和左衛門も、言い過ぎたと感じたらしい。「今のは聞かなかったことにしてくれ」と、慌てて付け加えた。鳴海は、その言葉に肯いた。この程度で丹波に密告するほど、鳴海も丹波に心酔しているわけではない。

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