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第一章 義士
脱藩者(1)
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その知らせがもたらされたのは、小書院の間に、番頭及び詰番の者らが集められた席でのことだった。ここに集える者は、ある程度の大身に限られる。丹波としては下士らに委細を知られたくないのだろうが、このような振る舞いが姑息であり、皆に嫌われる要因なのだと、鳴海は密かに思っていた。
「近頃、尊皇攘夷を掲げる不逞の輩が藩内にも跋扈しているというのは、皆も聞き知っておろう」
いきなりの居丈高な物言いに、鳴海は思わず顔を顰めそうになった。だが、辛うじてこらえる。丹波は、どのような言いがかりをつけるか、わからないところがあるからだ。鳴海の思いにはお構いなしに、丹波は言葉を続けた。
「郡山宿の今泉久三郎から報告があった。どうも、守山陣所に活発に人が出入りしているとの由」
ふむ、と考え込んだのは、最古参の家老である日野源太左衛門である。その妻は丹波の姉であり、源太左衛門自身も丹波よりも年上である。そのため、丹波に異を唱えられる数少ない人物であった。
郡山の地において、二本松藩と守山藩は阿武隈川を挟んで領内を二分している。大まかに言えば阿武隈川の西側が二本松藩領、東側が守山藩や三春藩領なのだが、元は同じ土地に住まう者らであるから、二本松藩と守山藩の間では日頃から活発な人の往来がある。今更気にするほどのことではないとも言えた。
それを口にしたのは、番頭の一人である丹羽一学だった。だが、丹波は首を横に振った。
「領内の者らの往来の話ではない。守山陣屋に二本松藩士が足を運ぶこと自体が、不審である」
「藩士が、出入り……」
源太左衛門も、さすがにその報告には眉を顰めた。確かに、他領である守山陣屋に自藩の者が出入りするというのは、話が穏やかではない。しかも、守山陣屋に二本松藩士が出入りしなければならないような事件は、特に報告されていないのである。
「守山藩は水戸藩の御連枝。当然、水戸とつながりのある者が出入りしていると考えるべきであろう」
丹波の言わんとしているところが、次第に見えてくる。丹波の言うように、守山藩は水戸藩の支藩であり、その藩風は水戸本家の影響を色濃く受けている。水戸藩は、斉昭が幕府に睨まれて隠居に追いやられて以来、その藩論は斉昭の意向を受けた改革派と、あくまでも幕府の意向に従おうという保守派に割れている。万延元年(一八六〇年)三月三日、大老の井伊直弼が殺害されたのは、皮肉にも御三家の一つである水戸藩の改革派らによるものであった。同年の八月にはその旗頭であった斉昭も死去したが、跡目を継いだ慶篤は父の斉昭と異なり、優柔不断かつ日和見なところがある。そのため、水戸藩政はますます混乱を極めていた。
「守山藩の藩主は、現在松平頼升殿だったか」
鳴海の横で、大谷与兵衛が呟いた。番頭の中でも一番の年嵩であり、その分、家老の面々に劣らず世知に通じている。与兵衛の言葉に、丹波が肯いた。
「頼升殿は、水戸の慶篤殿と同じようにずっと江戸に在府されておる。それよりも問題は、国元で騒いでいる天狗者であろう」
丹波の言う所の「天狗者」とは、水戸藩の改革派を指した。その名の由来は、斉昭が「水戸では改革の気骨のある者を天狗と言う」と称したことによる。
「つまり、水戸と心を通じている守山藩の天狗者に、二本松藩士で接触している者がいるということでしょうか」
家老の一人である、浅尾数馬介が丹波に尋ねた。浅尾の姓を名乗っているが、丹波の実弟でもあり、やはり勤王派を警戒している一人である。
「左様。中でも守山藩の三浦平八郎という者が、なかなか侮れん。常州の松川陣屋総領と御目付役を兼ねる男のはずだが、どのようなわけか、守山にもしきりに出入りしているとのことだ」
「三浦……」
鳴海は、そっとその名字を口にした。あの、今年二月に藩主に建言をした三浦権太夫と同じ名字である。偶然かもしれないが、そうではないかもしれなかった。穿ち過ぎだろうか。
「うちの家中の三浦とのつながりは?」
鳴海の懸念をそのまま口にしたのは、江口三郎右衛門である。丹波より一つ下であるが、勤皇派には一定の理解を示している。少なくとも、丹波のような頑迷さはない分だけ、勤皇派からは支持を集めていた。
「丸っきり縁がないわけではないようです。ただし、三浦平八郎自身は守山藩の江戸藩邸生まれのはず。たとえ血縁があったとしても、ごく遠い血筋でありましょう」
庇い立てしたのは、鳴海と同じように現在詰番の樽井弥五左衛門だった。彼の姉である春は、三浦権太夫の妻である。義兄である三浦権太夫を庇うのは、無理もなかった。
「ふむ……」
丹波が唸った。さしもの丹波も、名字が同じというだけで三浦に嫌疑をかけるのは無理があると、悟ったらしい。
そこへやってきたのは、丹羽新十郎だった。今年五月、弘化四年に領内大平村で発生した半吾・源吾両名による名主殺人事件を、鮮やかに捌いてみせた切れ者である。その功績により、現在は行政の長である郡代見習いの身分に出世していた。新十郎は、一同に軽く頭を下げると、思いも寄らない事態を告げた。
「近頃、尊皇攘夷を掲げる不逞の輩が藩内にも跋扈しているというのは、皆も聞き知っておろう」
いきなりの居丈高な物言いに、鳴海は思わず顔を顰めそうになった。だが、辛うじてこらえる。丹波は、どのような言いがかりをつけるか、わからないところがあるからだ。鳴海の思いにはお構いなしに、丹波は言葉を続けた。
「郡山宿の今泉久三郎から報告があった。どうも、守山陣所に活発に人が出入りしているとの由」
ふむ、と考え込んだのは、最古参の家老である日野源太左衛門である。その妻は丹波の姉であり、源太左衛門自身も丹波よりも年上である。そのため、丹波に異を唱えられる数少ない人物であった。
郡山の地において、二本松藩と守山藩は阿武隈川を挟んで領内を二分している。大まかに言えば阿武隈川の西側が二本松藩領、東側が守山藩や三春藩領なのだが、元は同じ土地に住まう者らであるから、二本松藩と守山藩の間では日頃から活発な人の往来がある。今更気にするほどのことではないとも言えた。
それを口にしたのは、番頭の一人である丹羽一学だった。だが、丹波は首を横に振った。
「領内の者らの往来の話ではない。守山陣屋に二本松藩士が足を運ぶこと自体が、不審である」
「藩士が、出入り……」
源太左衛門も、さすがにその報告には眉を顰めた。確かに、他領である守山陣屋に自藩の者が出入りするというのは、話が穏やかではない。しかも、守山陣屋に二本松藩士が出入りしなければならないような事件は、特に報告されていないのである。
「守山藩は水戸藩の御連枝。当然、水戸とつながりのある者が出入りしていると考えるべきであろう」
丹波の言わんとしているところが、次第に見えてくる。丹波の言うように、守山藩は水戸藩の支藩であり、その藩風は水戸本家の影響を色濃く受けている。水戸藩は、斉昭が幕府に睨まれて隠居に追いやられて以来、その藩論は斉昭の意向を受けた改革派と、あくまでも幕府の意向に従おうという保守派に割れている。万延元年(一八六〇年)三月三日、大老の井伊直弼が殺害されたのは、皮肉にも御三家の一つである水戸藩の改革派らによるものであった。同年の八月にはその旗頭であった斉昭も死去したが、跡目を継いだ慶篤は父の斉昭と異なり、優柔不断かつ日和見なところがある。そのため、水戸藩政はますます混乱を極めていた。
「守山藩の藩主は、現在松平頼升殿だったか」
鳴海の横で、大谷与兵衛が呟いた。番頭の中でも一番の年嵩であり、その分、家老の面々に劣らず世知に通じている。与兵衛の言葉に、丹波が肯いた。
「頼升殿は、水戸の慶篤殿と同じようにずっと江戸に在府されておる。それよりも問題は、国元で騒いでいる天狗者であろう」
丹波の言う所の「天狗者」とは、水戸藩の改革派を指した。その名の由来は、斉昭が「水戸では改革の気骨のある者を天狗と言う」と称したことによる。
「つまり、水戸と心を通じている守山藩の天狗者に、二本松藩士で接触している者がいるということでしょうか」
家老の一人である、浅尾数馬介が丹波に尋ねた。浅尾の姓を名乗っているが、丹波の実弟でもあり、やはり勤王派を警戒している一人である。
「左様。中でも守山藩の三浦平八郎という者が、なかなか侮れん。常州の松川陣屋総領と御目付役を兼ねる男のはずだが、どのようなわけか、守山にもしきりに出入りしているとのことだ」
「三浦……」
鳴海は、そっとその名字を口にした。あの、今年二月に藩主に建言をした三浦権太夫と同じ名字である。偶然かもしれないが、そうではないかもしれなかった。穿ち過ぎだろうか。
「うちの家中の三浦とのつながりは?」
鳴海の懸念をそのまま口にしたのは、江口三郎右衛門である。丹波より一つ下であるが、勤皇派には一定の理解を示している。少なくとも、丹波のような頑迷さはない分だけ、勤皇派からは支持を集めていた。
「丸っきり縁がないわけではないようです。ただし、三浦平八郎自身は守山藩の江戸藩邸生まれのはず。たとえ血縁があったとしても、ごく遠い血筋でありましょう」
庇い立てしたのは、鳴海と同じように現在詰番の樽井弥五左衛門だった。彼の姉である春は、三浦権太夫の妻である。義兄である三浦権太夫を庇うのは、無理もなかった。
「ふむ……」
丹波が唸った。さしもの丹波も、名字が同じというだけで三浦に嫌疑をかけるのは無理があると、悟ったらしい。
そこへやってきたのは、丹羽新十郎だった。今年五月、弘化四年に領内大平村で発生した半吾・源吾両名による名主殺人事件を、鮮やかに捌いてみせた切れ者である。その功績により、現在は行政の長である郡代見習いの身分に出世していた。新十郎は、一同に軽く頭を下げると、思いも寄らない事態を告げた。
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