26 / 32
第26話 婚約者がいなくなりました
しおりを挟むあの月夜からアーサー様はご多忙とのことで、ほとんどお会いできずにいます。私が避けているせいももちろんあるのですけど、スラットリー男爵家のアレコレが佳境のようです。
司書の先生を通してスラットリー家についての報告は定期的にいただいています。近ごろシャリマ旧街道の警備中、野盗に襲われかけた旅人を保護したところそれがヘリン公国からの密使であることがわかったと聞きました。
こちらへその連絡が来ているのですから、密使はすでに王城へ到着してその任務を完了していることでしょう。原作通りであれば、ヘリン公国との平和友好条約および両国の資源に関する協定が早々に結ばれるはず。
学院のほうはといえば、夏休みも終わりに近づいて寮にたくさんの人が戻って来ました。以前、友人たちが言っていたように休学をする生徒も少なくないようです。それは条約の締結が発表されればきっと解決するでしょう。
秋から私たちはそれぞれひとつずつ学年が上がります。新入生を迎える前に、マリナレッタさんの礼法やダンスが淑女にふさわしいものになりつつあり、私もホッとしたというか。ヒロインが下級生にバカにされる姿なんて見たくありませんからね。
今日はいつものようにカフェのテラス席で刺繍を。今はまだ暑いと思えるような気温ですが、庭にある木の一部では少し葉の色が変わりつつあるものも。そのうちテラスに出るのは難しくなるでしょう。
「わ、素敵なデザインですね」
顔を上げた先にはマリナレッタさんがいました。対面の椅子を手で指し示すと、彼女は一礼してそちらへ座ります。ふふ、本当に所作が綺麗になりましたね。
「アーサー様に刺繍しろって言われてしまったから」
「獅子と……月ですか?」
「そのつもりだったのだけど、どう見ても赤いマルを足しただけでしょう。月だと思ってもらえてよかったわ」
赤いマルなんて日本人の私からすれば日の丸ですよ日の丸。こっちでは月って言われるんですから面白いものですね。
「獅子を見守ってるみたいで素敵だと思います」
「ふふ、ありがとう。あ、そういえばお家のほうは大丈夫?」
「おかげさまで……。本来なら私が領地へ戻って立て直したりするべきなのでしょうけど、私の勉強はただでさえ遅れているし、領地経営についてはまだ素人だし、来なくていいと父が」
「そう。でも、そうね。アーサー様なら悪いようにはしないはずよ」
後妻、執事、そして男爵を診た医師は国から派遣された部隊によって捕縛されました。王家主導で調査が行われたことや男爵の状態が良くないこともあって、代理人を立てた上で王都で裁判などが行われるそうです。
スラットリー家はこれでひと段落、でしょうか。
「そうですね、殿下も我が家に立ち寄って様子を見てくださると」
「え?」
「え?」
二人で目を見合わせてぱちくりと見つめ合いました。
え、今なんておっしゃった? アーサー様がスラットリー家へ立ち寄る……?
「あの、いまなんて」
「ごめんなさい、まさかご存知じゃないとは思わなくて。え、どうしよう言っていいのかな」
「待って、言っていいです。責めないし責めさせないし。大丈夫、何かあったら予言書に書いてあったって言うから」
「予言書って! アハハ、エメリナさまも冗談をおっしゃるんですね」
まぁそういう反応になりますよね。
その後マリナレッタさんがおずおずと話してくれたのは、アーサー様が遠方へお出かけになるらしいということでした。途中でスラットリー領へ立ち寄るというのですから、東へ向かうのでしょうけど。
「あまり詳しく聞いていなくて、ごめんなさい。たしか三日前くらいに出発されたような」
「いえ、大丈夫よ。ありがとう」
どおりで最近まるで姿をお見かけしないなと思ったんですよ! こ、婚約者に何も言わず、長期でお出かけしますか普通? しません、断じてしませんっ!
しかも、しかもマリナレッタさんには伝えて行くって。待って、アーサー様とマリナレッタさんの間には何もないとわかってますけど、二人が恋仲になる世界線を知ってる私にとってはほら、元カノみたいな感覚あるじゃないですか!
元カノに、元カノに出掛けるって言って私に何も言わないとかっ!
ぷりぷりする私に、マリナレッタさんが目を細めました。
「エメリナ様もそんな風に拗ねたりなさるんですね」
「拗ねる?」
「はい。こういうの不敬って言うのかもしれないですけど、可愛いです、すごく」
「不敬だなんて咎めたりしないけど、ちょっと感情が出すぎたかしら。気を付けるわ」
可愛いのにーもったいないーと唇を尖らせるマリナレッタさんにはしたないと注意して、私は図書館へ向かいました。もうひとり、詰めておかねばならない人物がいますからね!
司書の先生は、私の姿を見るなり奥の事務室へ逃げようとしました。一瞬、やべって顔になったのを見逃してませんよ、私は。
「どこへ行くおつもりですか?」
「いや……」
「どちらへ行かれたんですか?」
「その……」
手に扇など握っていませんので、人差し指と中指とで机をトントンと叩きます。背中を丸めるようにして小さくなっていた司書の先生ですが、上目遣いでこちらの様子を窺ってため息をつきました。
特大のため息をつきたいのはこちらですけど⁉
「ちょっと、ヘリン公国まで」
「へ、ヘリン公国ですって⁉ ちょっとそこまでってノリで向かう場所じゃなくてよ? それに……」
それ以上言葉が続かなくて、私は盛大なため息とともにその場にしゃがみ込んでしまいました。
だって滞在日数にもよるでしょうけど、今ヘリン公国へ行ったのなら聖トムスンデーに間に合わないじゃない!
0
お気に入りに追加
953
あなたにおすすめの小説
朝方の婚約破棄 ~寝起きが悪いせいで偏屈な辺境伯に嫁ぎます!?~
有木珠乃
恋愛
メイベル・ブレイズ公爵令嬢は寝起きが悪い。
それなのに朝方、突然やって来た婚約者、バードランド皇子に婚約破棄を言い渡されて……迷わず枕を投げた。
しかし、これは全てバードランド皇子の罠だった。
「今朝の件を不敬罪とし、婚約破棄を免罪符とする」
お陰でメイベルは牢屋の中へ入れられてしまう。
そこに現れたのは、偏屈で有名なアリスター・エヴァレット辺境伯だった。
話をしている内に、実は罠を仕掛けたのはバードランド皇子ではなく、アリスターの方だと知る。
「ここから出たければ、俺と契約結婚をしろ」
もしかして、私と結婚したいがために、こんな回りくどいことをしたんですか?
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
聖女は友人に任せて、出戻りの私は新しい生活を始めます
あみにあ
恋愛
私の婚約者は第二王子のクリストファー。
腐れ縁で恋愛感情なんてないのに、両親に勝手に決められたの。
お互い納得できなくて、婚約破棄できる方法を探してた。
うんうんと頭を悩ませた結果、
この世界に稀にやってくる異世界の聖女を呼び出す事だった。
聖女がやってくるのは不定期で、こちらから召喚させた例はない。
だけど私は婚約が決まったあの日から探し続けてようやく見つけた。
早速呼び出してみようと聖堂へいったら、なんと私が異世界へ生まれ変わってしまったのだった。
表紙イラスト:San+様(Twitterアカウント@San_plus_)
―――――――――――――――――――――――――
※以前投稿しておりました[聖女の私と異世界の聖女様]の連載版となります。
※連載版を投稿するにあたり、アルファポリス様の規約に従い、短編は削除しておりますのでご了承下さい。
※基本21時更新(50話完結)
婚約破棄をいたしましょう。
見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。
しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。
悪役令嬢の居場所。
葉叶
恋愛
私だけの居場所。
他の誰かの代わりとかじゃなく
私だけの場所
私はそんな居場所が欲しい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。
※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。
※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。
※完結しました!番外編執筆中です。
【完結】夜会で借り物競争をしたら、イケメン王子に借りられました。
櫻野くるみ
恋愛
公爵令嬢のセラフィーナには生まれつき前世の記憶があったが、覚えているのはくだらないことばかり。
そのどうでもいい知識が一番重宝されるのが、余興好きの国王が主催する夜会だった。
毎年余興の企画を頼まれるセラフィーナが今回提案したのは、なんと「借り物競争」。
もちろん生まれて初めての借り物競争に参加をする貴族たちだったが、夜会は大いに盛り上がり……。
気付けばセラフィーナはイケメン王太子、アレクシスに借りられて、共にゴールにたどり着いていた。
果たしてアレクシスの引いたカードに書かれていた内容とは?
意味もなく異世界転生したセラフィーナが、特に使命や運命に翻弄されることもなく、王太子と結ばれるお話。
とにかくツッコミどころ満載のゆるい、ハッピーエンドの短編なので、気軽に読んでいただければ嬉しいです。
完結しました。
小説家になろう様にも投稿しています。
小説家になろう様への投稿時から、タイトルを『借り物(人)競争』からただの『借り物競争』へ変更いたしました。
婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?
ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定
悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!
たぬきち25番
恋愛
気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡
※マルチエンディングです!!
コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m
2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。
楽しんで頂けると幸いです。
悪役令嬢ってこれでよかったかしら?
砂山一座
恋愛
第二王子の婚約者、テレジアは、悪役令嬢役を任されたようだ。
場に合わせるのが得意な令嬢は、婚約者の王子に、場の流れに、ヒロインの要求に、流されまくっていく。
全11部 完結しました。
サクッと読める悪役令嬢(役)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる