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第25話 大事なことに気づかされました

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 月の下でのダンスを途中で止めて、私は誤魔化すように笑みを浮かべました。それはもしかしたら、泣いているように見えたかもしれません。上手に表情を作れた気がしないから。

「向き合えって……何をおっしゃってるのか」

 アーサー様の左手が私の右手から離れて、指先がとても冷たく感じられます。彼は私に背を向けて月を見上げました。赤い月は確かにエメリナの瞳のようで、でもその瞳はまるで私を責めているようにも見えて。

「逃げ出したい?」

「え?」

 不意に投げかけられたシンプルな問いに答えることができませんでした。アーサー様は私に背を向けたまま続けます。

「いいよ。今日だけ、逃がしてあげる」

 一瞬、何を言われたのかわかりませんでした。でも彼が拳をぎゅっと握ってるのを見て、私は急に腹が立ってきました。

「アーサー様は私を買い被りすぎていると思います」

「買い被る?」

「そんなポエムな言葉を投げかけられたって私にはそれを理解するほどの頭脳がありません!」

「ポエ……ッ」

 アーサー様が振り返りました。何を言われたのかわからないといったような表情で、スミレの瞳をまん丸にして。

 言ってしまってから、私は王太子殿下に向かってなんてことを言ってしまったのかしらって、急に血の気が引いてしまいました。いいえ、血がどこかに行ったなら、ぐるぐる回転させるのみ! というわけでテーブルに置かれたままのグラスの中のワインを一気に流し込みます。ついでにもう一杯手酌で注いで、それも飲み干しました。

 うん、ちょっとあったかくなってきました。

「エメリナ、そんな一気に」

「いいですか、殿下。ダンスはひとりでなんて踊れません。私はいつだって貴方を信頼して身体を預けて来たでしょう。それは物理的なことだけを指しているわけではなくて、スラットリー男爵家のことだってパレードの件だって、殿下が大丈夫と言えば私はそれだけで安堵するくらいに信頼してるんです」

「あ、はい。その節はありがとうございます」

 さらにもう一杯飲もうとしたのを、一足飛びにそばへ来たアーサー様が阻止しました。どうして。

「私に一体何を求めてらっしゃるのか、もっと具体的に言っていただかないと――」

「気持ちを聞かせろって言ってる」

 アーサー様が私の手からグラスを奪い取ってテーブルへ置きます。そして私自身がまるでワイングラスであるかのように、優しく背中に腕を回しました。肩にアーサー様のお顔が埋められます。

「俺が他の女性と親しくしたら嫉妬してくれるのかとか、予言が外れて君は俺の婚約者のままだけどそれについてどう感じているのかとか、そもそも俺のことをどう思っているのかとか」

「えっと、それは」

 アーサー様の身体が離れ、椅子から取り上げたショールを私の肩に掛けました。そのままゆっくりと私自身を椅子へと誘導して座らせ、ご自身も向かいの椅子へ。

「君は昔から君だった。覚えてるかわからないけど、幼いころ君は『お酒は大人になってから』と言ったんだ。不思議なことを言うものだと思ったけど、最近は酒が若年者に与える影響について論じるものも少なくなくてね、今になってなるほどと驚いてる」

 この国では十三歳から飲酒が認められていますし、さらに小さな子にも薄めたものを飲ませたりします。飲料水の確保が難しかった昔ならいざ知らず、いまこの時代では不要な習慣です。

「前世では当然のことで」

「うん。君が前世を思い出す前の話だよ。他にもある。子どもにコルセットは良くないとか、貧困層の子どもにも学びをとか、子どもは国の宝だとか。はは、君が妙に熱くなるのは決まって子どもの話ばかりだったね」

 確かに、当時は成長を阻害するコルセットを子どもに強要するなんてと憤慨したんです。
 アーサー様が思い出を語るたび、当時の気持ちを思い出しました。着ぐるみのようにエメリナという人物を動かしているつもりでいた私と、ガワだったはずのエメリナとが少しずつ一体となっていく感覚。

「私……突然、前世を思い出してしまったから、過去のエメリナとは別の人格かと思って」

「違うよ。君はずっと君だ」

 そうでした。過去のエメリナに、原作に描かれたエメリナ像を押し付けたのは私自身なのです。原作を思い出してしまったが故の、思い込み。

「でも、アーサー様だって私を分けていらしたでしょ。理解できないとか理解したいとか」

「ああ、それね」

 アーサー様は楽しげに笑って私のグラスにワインを注いでくださいました。飲酒が解禁です。彼の回答を聞くのが少し怖い気がして、唇の乾きをワインで潤しました。

「子どもは国の宝だって言ったときのこと、覚えてるかな。あまりの熱量に俺が『もっとツンとした子だと思ってた』って言ったんだ。君はなんだって完璧にこなすし、笑顔も少なかったからね。そしたら君が――」

「お互い様でしょって……申し訳ありません、あの時はまだ」

「いいんだ。それから俺たちは話をする機会が増えた。というか、何かと理由をこじつけて俺が時間をとるよう駄々をこねたんだけどね。そこで俺は君を理解できないんじゃなくて、理解しようとしなかったんだって気づかされた」

 今度はアーサー様がグラスを一気に空ける番でした。

「ヘリン公国の発音が難しいって拗ねたとき、俺が喋れるんだから練習しなくていいって言ったことがあった。ひとつくらいできないことがあってほしかったんだ、情けないことにね」

「ふふ、そういえばそんなことも……あ」

「思い出した?」

 グラスを取り落としそうになって、どうにかテーブルへと戻しました。

 あのとき私は「勉強するのはいつか王妃になるかもしれないからだけど、勉強したいのは貴方の隣にいたいから。貴方のおじい様やおばあ様とちゃんとお喋りしたいから」そう答えたはずです。
 私はずっと前から彼を愛し、王妃となって添い遂げる覚悟を持っていた。白い布にインクを落としたように、当時の気持ちが胸に広がっていきます。

 切なさと喜びと愛しさとが胸にいっぺんに去来して、今すぐにもアーサー様の胸に飛び込みたくなって。
 でも道徳的な周防エミリが邪魔をするんですけど! 学院内で不純異性交遊ダメ、絶対!
 いったんここは退きましょう。戦略的撤退です。周防エミリの勝ち。

 席を立った私にアーサー様は何も言わず頷きました。「今日だけ逃がしてあげる」の意味がわかったというか、その優しさに感謝して私は屋上を後に。

 やばいです、やばい。脈拍がおかしい。
 着ぐるみの中の第三者って顔で他人事のようにしてたけど、そうじゃなくて。私はずっと、今も、彼を愛してる……!



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