稀代の悪女が誘拐された

伊賀海栗

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第1話 婚約破棄されました

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 絢爛たる王城のホールで、誕生日を迎え本日の主役となった王太子ベルトルド様が海のような深い青の瞳でこちらを鋭く睨みました。

「公爵令嬢ピエリナ・ウル・サヴィーニ。ただいまをもって貴様との婚約を破棄する」

「……恐れながら、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 ベルトルド様は横に控える明るい栗色の髪をした若い令嬢の腰をとって引き寄せます。伏目がちの令嬢はしなだれかかるようにしてベルトルド様に寄り添いました。
 不純ですわ。婚前の男女が、しかもベルトルド様はまだわたくしという婚約者のある身ですのに。

 以前にも何度か同じようにお二人に進言したことがございますが、聞き入れてはくださらないままでした。

「ふん、白々しい。稀代の悪女と名を馳せているのを知らぬわけではあるまい? 貴様が伯爵令嬢クラリッサを手酷く虐めたばかりか、貴族の模範となるべき立場にありながらその身分を盾に好き放題に振る舞っているとの報告がいくつも寄せられている」

「全く、身に覚えのないことばかりでございます」

「クラリッサに熱い茶をかけ火傷を負わせたろう。その侯爵家の茶会に集まった客人たち、その立場でもってクラリッサへの加虐を命じられた伯爵令息、令嬢、並びに子爵など証言はいくらでも集まるのだがな?」

 周囲を見渡しました。先日のお茶会のホステスであった侯爵令嬢はそっぽを向いています。かつて社交の場で言葉を交わした皆さんの多くがどこか遠くを見ていたり、または薄っすらと笑みを浮かべていたり。

 ああ、こういった状況を「嵌められた」と表現するのかしら。

 再び正面を見据えればベルトルド様に寄り添う伯爵令嬢クラリッサ様。目が合うなり彼女は包帯を巻いた手を彼の腕に乗せ、小さく笑みを浮かべました。それはあまりにも浅ましい表情でした。

「証言だけでそうと断じるのは早計にございます」

「では皆に問おうか。ピエリナの無実を証言できる者はここへ。たとえば茶会の場でそのような事実はなかったと言える者は?」

 声をあげる者はおりません。
 わたくしは孤独でした。今も、今までも。

 幼き時分にベルトルド殿下との婚約が成って、以来わたくしは国母となるべく努力してまいりました。清くあれ美しくあれと心掛けてきたのですが、貴族として正しくあることを他者にも求めすぎた……という自覚はございます。
 口うるさいわたくしを誰が庇うでしょう。きっとわたくしが王妃となる国を誰も求めてはいないのね。

「証言は正しかったようだな」

 両親を見れば、憤りを隠しもしない真っ赤なお顔でわたくしを睨みつけていました。結果ばかり求めてわたくしの努力を認めてくださったことのないお父様、お母様。常に上を上をとおっしゃる両親にとって、このような失態は到底許せるものではないでしょうね。

 会場の奥では国王陛下、王妃殿下が眉をひそめながらこちらを見つめていらっしゃいます。が、ベルトルド殿下を制止なさらないということは……。
 わたくしの視線に気付いたのか、ベルトルド様がスンと鼻を鳴らしました。

「父上もお認めになっている。『人心を掴むことのできぬ者に王妃は務まらぬ』とのことだ」

 確かに、それはその通りです。
 清廉潔白であれ。未来の王妃となるわたくしが自身に課した誓約。これがあだとなったわけですね。

 言葉を失うわたくしに、ベルトルド様は勝ち誇ったように顎をついと上げました。

「先にも言った通り、私は今この時をもって公爵令嬢ピエリナとの婚約を破棄する。また彼女の罪を贖うべく伯爵令嬢クラリッサ・セ・パルマを新たな婚約者としよう」

 じっと成り行きを見守っていた会場の皆さんはここで一斉に拍手をしました。それはわたくしに突きつけられた明確な拒絶。十八年が否定され、人格が否定され、立場が否定されたのです。

 なんて惨めなのかしら!
 ベルトルド様とクラリッサ嬢を讃える声が、新たな婚約を祝う声が、わたくしの心をズタズタに切り裂いていきます。

 目の前はもう真っ暗なのに、誰も助けてはくださらない。わたくしは倒れてしまわないよう足に力を入れて真っ直ぐに立って、無様を見せぬよう淑女の礼カーテシーをとりました。
 もはや、ベルトルド様の視線はこちらにないけれど。

 会場を後にして公爵家のタウンハウスへと戻り、着替え終えたところで両親も戻っていらっしゃいました。お出迎えにエントランスホールへ行くと、会場で見たのと同じ真っ赤なお顔でわたくしに指を突きつけます。

「ピエリナ、お前は明日の朝いちばんに修道院へやる」

「修道院でございますか」

「こうなってしまっては嫁の貰い手など、我がサヴィーニ家の威信を損なうような輩しか残っておらん! せめて被害を最小限に抑え……もしできるものなら聖女となって返り咲いてみせよ」

「聖女だなんて。わたくしは魔法の心得はあまり」

 ベルトルド様との婚約が成立して以来、わたくしに求められたのは社会情勢への深い理解と、民へ見せる王家の良心としての仮面。つまり清く正しい王家のイメージを醸成するための表皮となることでした。
 いずれ生まれる子どもたちのため魔力は多いことが条件となっていますが、わたくし自身が魔法を使える必要はなく。基礎術式をさらっただけなのです。

 一方で聖女様というのは、数ある魔法の中でも適性と技術の双方を高い水準で求められる治癒魔法が必須なのです。なりたいからといってなれるものではありません。

「そのような心構えだから王家より見限られるのだ! 人間を動かすことも満足にできぬとは、これまで一体何をやってきたというのか」

「わたしはあなたが誰かを虐めただなんて思っていませんよ。それは旦那様も同じ。でもねピエリナ、あなたの頑固さで社交界を渡っていくことはできません」

「頑固って」

「国家の資料に不正な会計を見つけたのでしょう? それを是正しようと? でもね、国とは濁った部分もなければ成立しないのですよ」

「もうよい。荷物をまとめておけ。持ち込めるものなどたかが知れているがな」

 清く正しくあれと言いながら、この国の貴族たちは清水の中で生きていくことはできなかったのですね。だからわたくしを追い出した……。

 部屋に戻ると侍女のダーチャがすでに荷物を作り始めていました。我が公爵家の領地を管理する子爵家の娘で、誠心誠意わたくしに尽くしてくれた唯一の侍女であり友人。

「お金になるようなものはあまりないけれど、宝石もドレスもダーチャにあげるわ」

「いけません。修道院が必ずしも清貧であるとは限りませんから、せめて宝石類だけでも肌身に隠してお持ちください。御身のお役にたつこともございましょう」

「ダーチャのほうが世間を見る目はあるわね」

「世間がお嬢様を見る目がなかったのです」

 ふたりで抱き合って大泣きしました。子どもみたいに泣いたのは初めてです。子どものときだって泣いてはいけないと我慢してきたんですもの。


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