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第四章
79:一宿一飯の恩義(1)
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「やっと人里に出たな……」
冷えた空気の漂う早朝、錬は独りごちる。
夜通し川沿いを歩いた末にようやく見つけたのは小規模な村だった。
周囲は柵で囲まれており、麦畑や家畜などの牧歌的な風景が広がる。柵の近くには見張り台があり、初老の男が藁で何かを編んでいるのが見えた。
「すみませーん! 村に入ってもいいでしょうか?」
「これはこれは。お若いのに巡礼ですかな?」
「巡礼?」
「おや、違いましたか? 聖堂教会の御方々が着られている衣服ですんで、てっきりそうかと思うたんですが」
どう答えるべきか一瞬迷ったが、下手に嘘をついてボロが出ても困る。ここは目的をボカしておくだけに留めるべきだと錬は判断した。
「巡礼ではないです。ローズベル公爵領へ向かう途中でして」
「ローズベル公爵領とはまた、ずいぶん遠くに」
「遠いんですか?」
「歩きなら十日以上は掛かるかのう。竜車が使えりゃ三日ほどで行けますが」
「この村に竜車は?」
「村にはねぇです。でも月に一度行商が竜車に乗って来るんで、それに同乗させてもらえば早く着きますで」
「行商ですか。次はいつ頃来るんです?」
「前に来たのは一ヶ月くれぇ前なんで、まぁ二、三日もすれば来るんじゃねぇかと」
「なるほど」
今の錬は無一文である。
さすがに無賃乗車はできないだろうから、テラミス戦で拾って充填しておいた魔石二つのうち一つは売るしかないかもしれない。
「しかし旅にしては軽装ですなぁ。荷物さぁないのですか?」
「えぇっと、色々と持ってはいたんですが、奪われてしまいまして」
「なんと……。テラミス様が盗賊退治をしてくださったばかりだっちゅうのに、まだ性懲りもなく出てきとるんですか」
「はは……」
(奪ったのがそのテラミスで、逃げるためにガチンコバトルしたなんて言ったら村を追い出されかねないな……黙っとこう)
そんな錬の思惑など知る由もなく、初老の男はくしゃりとシワを寄せて笑った。
「ワシはこの村の村長をしとります。何もねぇ村ですが、どうぞゆっくりしてってくだせぇ」
「ありがとうございます。できればどこかで休みたいんですが、あいにくお金の持ち合わせがなくて……」
「んなもん気にせんでええです。聖堂教会の御方を無下に扱うわけにはいきませんで。うちの納屋で良けりゃどうぞ使ってくだせぇ」
「いいんですか?」
「聖堂教会とテラミス様には普段から世話になっとりますんでなぁ」
「そういう事ならお言葉に甘えて……」
柵を開けて通されたのは、人口が百人いるかどうかといった小さな農村である。
道中に数人の村人とすれ違ったが、皆感じの良い笑顔で会釈してくれた。
「こちらです」
案内されたのは木製の粗末な小屋だった。紐で縛った薪が高く積まれている。
「藁束があるんで適当に敷いてくだせぇ。ワシらは本宅におりますんで、何かあったらどうぞ」
「ご丁寧にどうもありがとうございます」
にっこり笑みを浮かべて村長は歩いて行く。
言われた通りに藁を敷き、疲れから錬は泥のように眠ったのだった。
錬が目覚めたのは翌日の早朝だった。
どうやら丸一日眠りこけてしまったらしい。
「ゆっくり眠れましたかな?」
「ええ……おかげさまで」
「ワシらはさっき食事が済んだとこです。よかったら信徒様もお一つどうです?」
そう言って両手に収まらないほど大きな芋を一つ渡してくれる。
王都でもよく見かける芋を蒸しただけのものだが、ほんのり温かく香ばしい匂いに空っぽの胃が悲鳴を上げた。
「何から何までありがとうございます」
「困った時はお互い様ですからなぁ」
そうして適当な切り株に腰掛けて食べていると、庭先では櫛状の道具で麦穂を擦り付けている少女がいた。
「あちらの方は?」
「ワシの孫娘です。村に良い男がいねぇってんで、いつも嘆いとるんですわ。信徒様より少し年は上ですが、良かったら嫁にどうです?」
「何勝手な事言ってんのさ、このジジイ!」
「カッカッカ!」
快活に笑う村長を少女は睨み付ける。それから錬の方を見て苦笑いを浮かべた。
「うちの爺ちゃんが変な事言って悪いね。まぁ聖堂教会の人なら歓迎するよ。ゆっくりしてって」
「聖堂教会はずいぶんと好感が持たれているんですね」
「そりゃそうよ。盗賊が出たらやっつけてくれるし、飢饉の時は食べ物をくれるし。去年は麦が不作で税収が重いって嘆いたら王宮に掛け合ってくれたんだ」
「孫の言う通りです。王女のテラミス様が来られてから、聖堂教会もずいぶん変わられました。今じゃ困った時は聖堂教会に相談すれば大抵何とかしてくれると皆信頼を寄せておりますで」
「なるほど……」
そこまで手厚い対応をしてくれる組織ならこの好待遇も理解できる。
国ができない周囲へのフォローを聖堂教会が一手に担っているわけだ。
「ところでさっきからそれ、何やってるんです?」
「脱穀よ。今は麦の収穫の時期だから」
少女は木の台に固定された櫛に麦穂を通し、引っ張ると籾がこぼれ落ちる。どうやら手動の脱穀機のようだ。
「良ければ手伝ってもいいですか?」
「いやそんな、信徒の方にさせるわけには……」
「少しでいいので」
錬は麦穂の束を受け取り、櫛で扱く。
引っ掛けるだけで籾が面白いようにポロポロと落ちるように見えたが、実際にやってみるとなかなかの重労働である。
「結構大変な作業ですね……」
「そりゃ大変よ。でもやらなきゃおまんまが食えないからねぇ」
「それはそうですね。どうもありがとうございました」
「もういいの?」
「ええ、参考になりました」
麦穂を返し、錬は頭の中で構造を考える。
(これなら自動化できそうだな)
そして近くに納屋に置いてある薪を一束手に取った。
「この薪、少しいただいてもいいですか?」
「構わねぇですが、火を焚くので?」
「いえ、ちょっとした工作に使います」
錬は魔光石銃を使い、薪を切り分ける。そして穴を開け、装置を組み上げた。
火炎石回路の爆発力ではなく、固体を射出する核石回路の運動エネルギーを回転エネルギーに変える単気筒魔石エンジンである。
出力軸には回転ドラムがあり、ハリネズミのように木の枝を全面に差し込んでいる。
加工の途中で魔力が切れ、魔光石を魔石に交換する事にはなったが、道具の存在は加工時間を飛躍的に縮めてくれる。おかげでわずか三十分ほどで完成した。
「こんなもんかな」
「さっきから何を作ってたの?」
「動力付きの脱穀機です。見てください」
錬はもう一度麦穂を一束借り、レバーを倒して魔石エンジンを動かす。
すると木を叩くような音を鳴らしながら棘々のドラムが回り、麦穂が数秒で丸裸になった。
「な、なんじゃこりゃあ……!?」
「便利でしょう?」
唖然とする彼らへ、錬は満面の笑みを浮かべる。
魔石エンジンには魔光石の欠片を組み込んであるため、魔力が尽きても月の光を浴びればまた充填が可能だ。魔石の補充が難しい農村であってもこれなら毎日使えるだろう。
「すごい! すごいよ爺ちゃんっ!? 脱穀が秒でできちゃう!」
「ひょお~~!?」
驚愕する村長と孫娘。
「まさか、こりゃあ魔法具ってやつでは……!?」
「世間ではそう呼ばれているみたいですね」
「こ、こんなすげぇもの、ワシらどうしたらいいので……?」
「一宿一飯のお礼です。どうぞ日々の生活に役立ててください」
「へぇぇぇ……!?」
恐縮しっぱなしの彼らへ笑いかける。
そんな時、騎竜のいななきが聞こえてきた。
「行商が来ましたかな? 信徒様、行きましょう」
村長に連れられ、騎竜の声が聞こえた村の入り口へ向かう。
だがそこにいたのは行商ではなかった。
薄汚れた侍女服を着て騎竜のそばに立つ少女。
メリナだ。
とっさに魔石銃へ手をかける。いきなり攻撃はしてこないだろうが、警戒はしておくべきだろう。
けれどメリナは目に大粒の涙を浮かべて表情を歪ませ――何を思ったかいきなり地面に額を擦り付けた。
「大賢者様っ!」
「は……? 大賢者?」
周囲の村人達が困惑する。
「こちらにいらしたのですね。お探ししました……!」
「俺を連れ戻しにきたのか?」
問い詰めるような錬の言葉に、しかし彼女は平伏したまま首を横に振る。
「助けを、求めに来ました……」
「助けだと? 俺に?」
「……あれだけの仕打ちをしておいて、今更こんな事を口にするのはおこがましいとは思います。気が収まらないなら私の命と引き換えでも構いません。だからどうか……どうかお願い致します!」
メリナは顔を上げ、泣き腫らした目で懇願するように叫んだ。
「テラミス様をお救いください……っ」
冷えた空気の漂う早朝、錬は独りごちる。
夜通し川沿いを歩いた末にようやく見つけたのは小規模な村だった。
周囲は柵で囲まれており、麦畑や家畜などの牧歌的な風景が広がる。柵の近くには見張り台があり、初老の男が藁で何かを編んでいるのが見えた。
「すみませーん! 村に入ってもいいでしょうか?」
「これはこれは。お若いのに巡礼ですかな?」
「巡礼?」
「おや、違いましたか? 聖堂教会の御方々が着られている衣服ですんで、てっきりそうかと思うたんですが」
どう答えるべきか一瞬迷ったが、下手に嘘をついてボロが出ても困る。ここは目的をボカしておくだけに留めるべきだと錬は判断した。
「巡礼ではないです。ローズベル公爵領へ向かう途中でして」
「ローズベル公爵領とはまた、ずいぶん遠くに」
「遠いんですか?」
「歩きなら十日以上は掛かるかのう。竜車が使えりゃ三日ほどで行けますが」
「この村に竜車は?」
「村にはねぇです。でも月に一度行商が竜車に乗って来るんで、それに同乗させてもらえば早く着きますで」
「行商ですか。次はいつ頃来るんです?」
「前に来たのは一ヶ月くれぇ前なんで、まぁ二、三日もすれば来るんじゃねぇかと」
「なるほど」
今の錬は無一文である。
さすがに無賃乗車はできないだろうから、テラミス戦で拾って充填しておいた魔石二つのうち一つは売るしかないかもしれない。
「しかし旅にしては軽装ですなぁ。荷物さぁないのですか?」
「えぇっと、色々と持ってはいたんですが、奪われてしまいまして」
「なんと……。テラミス様が盗賊退治をしてくださったばかりだっちゅうのに、まだ性懲りもなく出てきとるんですか」
「はは……」
(奪ったのがそのテラミスで、逃げるためにガチンコバトルしたなんて言ったら村を追い出されかねないな……黙っとこう)
そんな錬の思惑など知る由もなく、初老の男はくしゃりとシワを寄せて笑った。
「ワシはこの村の村長をしとります。何もねぇ村ですが、どうぞゆっくりしてってくだせぇ」
「ありがとうございます。できればどこかで休みたいんですが、あいにくお金の持ち合わせがなくて……」
「んなもん気にせんでええです。聖堂教会の御方を無下に扱うわけにはいきませんで。うちの納屋で良けりゃどうぞ使ってくだせぇ」
「いいんですか?」
「聖堂教会とテラミス様には普段から世話になっとりますんでなぁ」
「そういう事ならお言葉に甘えて……」
柵を開けて通されたのは、人口が百人いるかどうかといった小さな農村である。
道中に数人の村人とすれ違ったが、皆感じの良い笑顔で会釈してくれた。
「こちらです」
案内されたのは木製の粗末な小屋だった。紐で縛った薪が高く積まれている。
「藁束があるんで適当に敷いてくだせぇ。ワシらは本宅におりますんで、何かあったらどうぞ」
「ご丁寧にどうもありがとうございます」
にっこり笑みを浮かべて村長は歩いて行く。
言われた通りに藁を敷き、疲れから錬は泥のように眠ったのだった。
錬が目覚めたのは翌日の早朝だった。
どうやら丸一日眠りこけてしまったらしい。
「ゆっくり眠れましたかな?」
「ええ……おかげさまで」
「ワシらはさっき食事が済んだとこです。よかったら信徒様もお一つどうです?」
そう言って両手に収まらないほど大きな芋を一つ渡してくれる。
王都でもよく見かける芋を蒸しただけのものだが、ほんのり温かく香ばしい匂いに空っぽの胃が悲鳴を上げた。
「何から何までありがとうございます」
「困った時はお互い様ですからなぁ」
そうして適当な切り株に腰掛けて食べていると、庭先では櫛状の道具で麦穂を擦り付けている少女がいた。
「あちらの方は?」
「ワシの孫娘です。村に良い男がいねぇってんで、いつも嘆いとるんですわ。信徒様より少し年は上ですが、良かったら嫁にどうです?」
「何勝手な事言ってんのさ、このジジイ!」
「カッカッカ!」
快活に笑う村長を少女は睨み付ける。それから錬の方を見て苦笑いを浮かべた。
「うちの爺ちゃんが変な事言って悪いね。まぁ聖堂教会の人なら歓迎するよ。ゆっくりしてって」
「聖堂教会はずいぶんと好感が持たれているんですね」
「そりゃそうよ。盗賊が出たらやっつけてくれるし、飢饉の時は食べ物をくれるし。去年は麦が不作で税収が重いって嘆いたら王宮に掛け合ってくれたんだ」
「孫の言う通りです。王女のテラミス様が来られてから、聖堂教会もずいぶん変わられました。今じゃ困った時は聖堂教会に相談すれば大抵何とかしてくれると皆信頼を寄せておりますで」
「なるほど……」
そこまで手厚い対応をしてくれる組織ならこの好待遇も理解できる。
国ができない周囲へのフォローを聖堂教会が一手に担っているわけだ。
「ところでさっきからそれ、何やってるんです?」
「脱穀よ。今は麦の収穫の時期だから」
少女は木の台に固定された櫛に麦穂を通し、引っ張ると籾がこぼれ落ちる。どうやら手動の脱穀機のようだ。
「良ければ手伝ってもいいですか?」
「いやそんな、信徒の方にさせるわけには……」
「少しでいいので」
錬は麦穂の束を受け取り、櫛で扱く。
引っ掛けるだけで籾が面白いようにポロポロと落ちるように見えたが、実際にやってみるとなかなかの重労働である。
「結構大変な作業ですね……」
「そりゃ大変よ。でもやらなきゃおまんまが食えないからねぇ」
「それはそうですね。どうもありがとうございました」
「もういいの?」
「ええ、参考になりました」
麦穂を返し、錬は頭の中で構造を考える。
(これなら自動化できそうだな)
そして近くに納屋に置いてある薪を一束手に取った。
「この薪、少しいただいてもいいですか?」
「構わねぇですが、火を焚くので?」
「いえ、ちょっとした工作に使います」
錬は魔光石銃を使い、薪を切り分ける。そして穴を開け、装置を組み上げた。
火炎石回路の爆発力ではなく、固体を射出する核石回路の運動エネルギーを回転エネルギーに変える単気筒魔石エンジンである。
出力軸には回転ドラムがあり、ハリネズミのように木の枝を全面に差し込んでいる。
加工の途中で魔力が切れ、魔光石を魔石に交換する事にはなったが、道具の存在は加工時間を飛躍的に縮めてくれる。おかげでわずか三十分ほどで完成した。
「こんなもんかな」
「さっきから何を作ってたの?」
「動力付きの脱穀機です。見てください」
錬はもう一度麦穂を一束借り、レバーを倒して魔石エンジンを動かす。
すると木を叩くような音を鳴らしながら棘々のドラムが回り、麦穂が数秒で丸裸になった。
「な、なんじゃこりゃあ……!?」
「便利でしょう?」
唖然とする彼らへ、錬は満面の笑みを浮かべる。
魔石エンジンには魔光石の欠片を組み込んであるため、魔力が尽きても月の光を浴びればまた充填が可能だ。魔石の補充が難しい農村であってもこれなら毎日使えるだろう。
「すごい! すごいよ爺ちゃんっ!? 脱穀が秒でできちゃう!」
「ひょお~~!?」
驚愕する村長と孫娘。
「まさか、こりゃあ魔法具ってやつでは……!?」
「世間ではそう呼ばれているみたいですね」
「こ、こんなすげぇもの、ワシらどうしたらいいので……?」
「一宿一飯のお礼です。どうぞ日々の生活に役立ててください」
「へぇぇぇ……!?」
恐縮しっぱなしの彼らへ笑いかける。
そんな時、騎竜のいななきが聞こえてきた。
「行商が来ましたかな? 信徒様、行きましょう」
村長に連れられ、騎竜の声が聞こえた村の入り口へ向かう。
だがそこにいたのは行商ではなかった。
薄汚れた侍女服を着て騎竜のそばに立つ少女。
メリナだ。
とっさに魔石銃へ手をかける。いきなり攻撃はしてこないだろうが、警戒はしておくべきだろう。
けれどメリナは目に大粒の涙を浮かべて表情を歪ませ――何を思ったかいきなり地面に額を擦り付けた。
「大賢者様っ!」
「は……? 大賢者?」
周囲の村人達が困惑する。
「こちらにいらしたのですね。お探ししました……!」
「俺を連れ戻しにきたのか?」
問い詰めるような錬の言葉に、しかし彼女は平伏したまま首を横に振る。
「助けを、求めに来ました……」
「助けだと? 俺に?」
「……あれだけの仕打ちをしておいて、今更こんな事を口にするのはおこがましいとは思います。気が収まらないなら私の命と引き換えでも構いません。だからどうか……どうかお願い致します!」
メリナは顔を上げ、泣き腫らした目で懇願するように叫んだ。
「テラミス様をお救いください……っ」
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