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第二章
5-11 煉獄vs最強 そして決着
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この人、どっから出て来た? 十二人がいる場所はまだ遠い。いや、そもそもあの十二人の中にヘクトル殿下はいなかった。……なら、どこから?
困惑していると、ヘクトル殿下は安心した顔で言った。
「煉獄を打ち破る! と意気揚々としていた十二人を送り出し、後方から見ていたんだけどね。そうしたら、ラックスくんが落ちて来ただろ? これは助けねばと、とりあえず邪魔な壁を斬り裂き、ここまで来たというわけだ。本当に間に合って良かった」
「?????」
説明を聞いたら余計分からなくなった。十二人よりも後方にいた? でも、今はここにいる。後、なにを斬り裂いたって? さっぱり理解ができない。
そんな俺に、殿下は手を差し伸べた。
「とりあえず、立てるかい?」
「はい、大丈夫です。……ではありませんでした! 助けていただきありがとうございます!」
少し冷静さを取り戻し、ヘクトル殿下へ深く頭を下げる。ポンポンと肩を叩き、殿下は笑っていた。
「さて、これからどうする?」
「えぇっと、想定外のことばかり起きていまして……うぉっ!?」
ドスンッ、と音がして振り向く。そこにいたのは、勇者様を抱え、エルを背負っているベーヴェだった。
「本当に想定外ばっかりですよ! あなたが落ちたことなんて気にせず、シルド将軍を殺すべきでした! もしかしたらいけたかもしれないのに、完全に失態です!」
「ぶつくさ言っている場合か! こうなれば仕方ない。ヘクトルよ、吾と、魔王エル=ウィズヴィースと手を組め!」
「……ふむ」
ヘクトル殿下が困った顔を見せた瞬間、後ろへ下がったベーヴェが勇者様の喉元に手を添えた。説得どころではない、これでは脅迫だ。
「落ち着けベーヴェ!」
「落ち着くのは姉上のほうです。ヘクトルに対し、交渉を有利に進めるカードを我々は持ち合わせています。今、使わずしていつ使うのですか。なによりも、時間がありません」
時間が無い? 眉根を寄せると同時に、その焦りを理解した。
「――仲違い、か。つまりは全員始末する良い機会ということだな」
トンッ、と軽い足音。先には右腕に蒼い炎を纏わせたシルドの姿があった。
あぁもう、次から次へと問題が降りかかってくる。ヘクトル殿下の説得をしたかったのに、シルドの相手もしなければならない。
しかも右腕は健在。エルを見れば、すまないと目で語っていた。
失敗したものは仕方ない。だが、打開する必要はある。
……数秒でヘクトル様を説得し、仲間に引き入れるしかない。だが口を開こうとした瞬間、先に声が聞こえた。
「チャンスだぜヘクトル! まずは勇者様をこちらへ連れ戻せ。後は、魔族たちを一網打尽だ!」
「ヘクトル兄様がいればシルドを打開できます。今が、その機会です!」
ヘクトル様は、俺を助けるために来た、と言ってくれた。
しかし、その考えは改めなければならない。彼は俺を助けるために来てくれたのではなく、向かう先へたまたま俺が落ちてきただけだったのだ。
そりゃそうだろう。最高戦力の一人であり、王族のヘクトル様が、一般兵士を助けるために来るはずがない。他の王族たちの言葉のほうが、余程、信ぴょう性が……。
「ちょっとお前たちは黙っていろ。さっきも言ったが、僕が予定より早く赴いたのはラックスくんを助けるためだ。さも計画通り、みたいな顔をするのはやめたまえ」
「えっ」
「ん?」
想定外の答えに、混乱していた頭がさらに混乱する。すでに思考が停止しかけていた俺は、一つ頷いた後に、思考することを放棄した。
「どうすればいいですか、勇者様!?」
「はぁー、ラックスさんは難しく考えすぎているのよ……。ヘクトル様! この二人は味方です! 事情は後で説明しますので、まずはシルドを倒しましょう!」
「勇者様、さすがにそれは――」
「よし、分かった」
ヘクトル様はスラリと剣を抜いた。その威風堂々たる佇まいに、思わず背筋を伸ばす。
ではなく、ヘクトル様も考えなさすぎじゃないかな? そんな説明で納得していいんですか?
首を傾げていると、ヘクトル様が胸を張って言う。
「我が国は勇者を召還した。その勇者の言葉を信じず、なにを信じるんだい? ――勇者至上主義。それが、生き残る唯一の術だと信じて疑わないよ」
一切の曇りなき瞳。……ヘクトル様がそう言うのならば、俺のやることも変わらない。勇者様とヘクトル様の考えに従い、戦うことにしよう。
さて、では右腕を取り戻し、シルドを倒そう。
分かりやすい状況になったなと、俺も剣を構えた。
『お主、完全に思考を放棄したな。ヘクトルはあぁ見えて、しっかり考えているぞ』
『俺に難しいことを求めないでくれ……』
この身にできることなど、最初から多くは無い。敵の攻撃を掻い潜って右腕に触れ、弱らせる。後はこの身を盾にする。ただし、死んだりしないように頑張る、怒られるから。これくらいのものだ。
やるぞ、と気合を入れた。
まずはなによりも、相手に隙を作らねばならない。……そして、落ち着いてさえれいば、その方法はすでに考えられてあった。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
「ラックスくん?」
いきなりの突撃。ヘクトル様が驚いた声を出す。
だが、問題はない。これも計画の内で、この隙を誰かが突いてくれるはずだ。
「消えろ、愚かな魔王とニンゲンたちよ。……《パーガトリー》」
シルドの声に合わせ、伸ばした右腕から蒼い炎の壁が現出する。逃げ場の無い広さ。耐えることのできない熱量。撃たれた時点でこちらの敗北だ。
……普通ならば、だが。
俺はマジックバックを取り出し、前へ突き出す。シルドが怪訝そうに眉根を寄せた。
「なにを――――っ!?」
すぐにその顔が険しくなる。だが、それもそのはずだろう。蒼い炎の壁は鞄に吸い込まれ、すでに存在しない。そして……俺は告げた。
「《パーガトリー》」
鞄より解放された最高位の魔法が、今度はその術者に向けて放たれる。
恐らく、シルドからすれば数え切れぬほど使用した魔法。……だが、自分に向けて撃ったことはないだろう?
目を見開いたシルドが、手を突き出した状態のまま、先ほどより強い声で叫んだ。
「《パーガトリー》!」
二つの蒼い炎の壁がぶつかり合い、周囲に熱風を撒き散らし、せめぎ合った末……同時に消えた。
いける、と思った。
マジックバッグがあれば、シルドの最強の魔法を防ぎ続けることができる。その隙を突いて、エルが右腕に触れるか、誰かがシルドを倒せばいい。そんな簡単な構図が浮かび、笑みすら浮かべていた。
勝てると思っていたシルドは、どれだけ動揺しているのだろうか?
改めて、その顔へ目を向ける。
だが――平然としている顔を見て、自分が間違えていたことに気付いた。
「《パーガトリー》」
「同じことを!」
……繰り返すか? 自問自答をしながら、マジックバッグで吸い込む。
「「《パーガトリー》」」
俺と、シルドの声が重なる。まるで時間を巻き戻したかのように、先ほどと同じ状況が再現された。違和感が、より強くなる。
そして、その理由が明らかとなった。
「《パーガトリー》」
まだ二つの魔法がせめぎ合っており、相殺されていない。そんな中に、次のパーガトリーが投入される。
「連、射……っ!?」
「《パーガトリー》」
蒼い炎の壁が立ち並び、こちらへ迫りくる。一発は吸い込めるだろう。それを放つことで二発目も相殺できるだろう。……しかし、三発目は? 四発目は?
なぜシルドが動揺していなかったのか。
簡単だ、本気では無かったからだ。
今さらながらに己の迂闊さを呪う。
隙を作れると、自分も力になれると、できる以上のことをやろうとしていた。自分にだってやれるのだと、そう考えてしまった。
勇者様は? エルは? ベーヴェは? ヘクトル様は?
魔法の向こうに行く機会はあっただろうか。もしいけていれば、シルドを打ち取ってくれるかもしれない。
振り向く時間は無い。ただ信じるしかないと、そう思ったときだ。
目の前に、散歩しているかのような軽い足取りで、進み出た人がいた。
「ヘクト――」
「もうこれは飽きた」
下がってください、と言うよりも早く、ヘクトル様が剣を振り下ろす。
一度に一枚。蒼い炎の壁は斬り裂かれ、霧散して周囲に蒼い火の粉が散っては舞う。
今度こそ本当に、シルドの目が驚愕で見開かれた。
「ミューステルム王国の切り札。まさかこれほどか!」
「……感心している暇があったら本気を出してくれ。まさか、こんなものじゃないんだろ?」
ヘクトル様の挑発にシルドが顔を歪める。
「いいだろう。ならばその矮小な身で、真の《パーガトリー》を受け、後悔するがいい!」
シルドが両手を前に突き出し、ニヤリと笑った。
「《パーガトリー》!」
右手から蒼い炎の壁が。左手から赤い炎の壁が。恐らく、左手のものが元のパーガトリーなのだろう。
その二つは反発し合うこともなく混ざり合い、紫色の炎へと変色した。
まだ触れたわけではない。十分に距離だってある。なのに、その熱気で汗が蒸発していく。届くより先に体は干からび、そして、灰になる。
まるで予知のように未来が脳裏に浮かぶ。
声を出そうとしたが、ただ咳き込む。熱気で息を吸うことができず、その場へ座り込んだ。
しかし、ヘクトル様は違った。
「――いいぞ、シルド。僕はそういうのを待っていた」
その声に、なぜか背筋がぞくりとする。
僅かに横顔を覗き見られるだけだったが、ヘクトル様は薄く笑っているように見えた。
一歩、また一歩と。熱気を放つ紫の壁へ近づいて行く。声も出せぬまま見ていると、首根っこを掴まれた。
「ただのニンゲンに耐えられる熱気じゃないでしょ! 逃げますよ!」
恐らく、勇者様とエルは避難させてくれたのだろう。そしてさらに俺を助けに戻ってくれたベーヴェに対し、申し訳なさを覚えながらも、首を横へ振る。今、この場を離れるわけにはいかない。
「あぁもう、大丈夫ですよ。勝敗は決したんです!」
決した? まだ終わっていないのに、なぜそういうことになる?
不思議に思いながら、浅く呼吸を繰り返す。……前に立つ人が熱気を遮っているのか、幾分楽になっているよう感じた。
「では、少々本気でいかせてもらう」
ヘクトル様が最上段に剣を構えた。
瞬間、彼の全身から魔力が迸り、剣から立ち上ったそれが、龍のように空へ昇った。
「……化け物め」
ベーヴェが厳しい顔つきのまま言う。
俺はと言えば、その姿を見て……あぁ、こんな風になりたかったのか、と童が英雄を見るような気持ちのまま、ヘクトル様を見ていた。
等身大の自分でやれることをやればいい。そんなのは全て自分を誤魔化していただけで、本心では強くなりたかったに決まっている。
あのような、圧倒的な強さを手に入れ、勇者様の仲間だと胸を張り、横に立ちたかった。そんな本当の気持ちを、一瞬で引きずり出された。
目を放さぬまま、拳を握る。
ヘクトル様が剣を振り下ろし、紫炎の壁ごとシルドが真っ二つに割れた。
見て見ぬふりをし続けた理想が、目の前にいる。敬意しかもっていなかった相手に、僅かながらの黒い感情を抱いた。
“嫉妬”と呼ばれるそれを抑え込もうと、胸を強く掴む。国を守るために生きてきた、王族の統治を信じていた、そんな自分が穢れていくように感じる。
「このまま味方につく、なんて都合の良い状況になればいいですけどねぇ。いざというときのために、あれを倒す方法も考えなければ……。聞いていますか?」
「……」
ベーヴェに答えず、ふらふらと前へ進む。手を伸ばした先にいるのはヘクトル様だ。なにがしたいのかも分からぬまま、そこへ指先を届かせようとした。
こちらに気付いたらしく、ヘクトル様はシルドの右腕を掲げて笑みを浮かべる。
「終わったよ、ラックスくん。この右腕が――」
ヘクトル様の笑みが消え、顔が引き締まる。右腕を手放し、剣を構えていた。
「避けるんです!」
ベーヴェがよく分からないことを言った。
『逃げろ!』
エルの声に、体が自然と動く。
――だが動きよりも早く、全身に鎖が巻き付いた。
誰かの声が聞こえる。
「――見つけた。お前だ」
振り向くこともできない。抗う力も無い。なにもできぬまま、体が引っ張られる。
本当は強くなりたかったことを自覚した俺は、また無力さに苛まれる。いつも、俺は弱いままだ。
「ラックスさん!」
白い羽が舞う中、慌てている勇者様。
それが最後に見た光景となった。
◇
「これだ、これが【神の箱】だ」
「ようやく計画は進む。我々天使を、有翼人呼ばわりする愚か者共を始末できる」
「魔王などと大層な名を名乗る混ざり者を消し去る。不死など関係ない。二度と出さなければいい」
「この検体はどうする? 箱は手に入れた。始末するか?」
「ダメだ、これが必要だ」
「……ただのニンゲンだぞ?」
「ふっ、そうではない。エル=ウィズヴィースとの繋がりは断ち切ったが、あの小娘の右目を宿し、魂が僅かばかりに溶け合っている」
「ふむ、なるほど。他にも何かあると思ったが、これは勇者の加護か。今は微々たる効果しか及ぼしていないが、これならば無限に強くなれるはずだ」
「【神の箱】、魔王の魂、勇者の加護。後は我々天使が調整を行えば完成する」
「万物を閉じ込める力。不死特性。強靭な肉体。膨大な魔力。無限の成長。……恐らく、同じ攻撃は二度通じぬようになるだろう」
「ならば、これで魔族を滅ぼせる。我らに逆らった人間もだ。有翼人の統治する、正しい世界が戻ってくる」
「では、始めよう。これは我々の切り札となり、やつらにとっての『災厄』となる」
「おめでとう、人種族の若者。……いや、ラックス=スタンダード。君は望んだ以上の力を手に入れ、天使たちを救う英雄となるぞ」
この日、自分たちは神に次ぐ者、天使であると自負する愚かなる有翼人の上層部によって
――『災厄』が産まれた。
困惑していると、ヘクトル殿下は安心した顔で言った。
「煉獄を打ち破る! と意気揚々としていた十二人を送り出し、後方から見ていたんだけどね。そうしたら、ラックスくんが落ちて来ただろ? これは助けねばと、とりあえず邪魔な壁を斬り裂き、ここまで来たというわけだ。本当に間に合って良かった」
「?????」
説明を聞いたら余計分からなくなった。十二人よりも後方にいた? でも、今はここにいる。後、なにを斬り裂いたって? さっぱり理解ができない。
そんな俺に、殿下は手を差し伸べた。
「とりあえず、立てるかい?」
「はい、大丈夫です。……ではありませんでした! 助けていただきありがとうございます!」
少し冷静さを取り戻し、ヘクトル殿下へ深く頭を下げる。ポンポンと肩を叩き、殿下は笑っていた。
「さて、これからどうする?」
「えぇっと、想定外のことばかり起きていまして……うぉっ!?」
ドスンッ、と音がして振り向く。そこにいたのは、勇者様を抱え、エルを背負っているベーヴェだった。
「本当に想定外ばっかりですよ! あなたが落ちたことなんて気にせず、シルド将軍を殺すべきでした! もしかしたらいけたかもしれないのに、完全に失態です!」
「ぶつくさ言っている場合か! こうなれば仕方ない。ヘクトルよ、吾と、魔王エル=ウィズヴィースと手を組め!」
「……ふむ」
ヘクトル殿下が困った顔を見せた瞬間、後ろへ下がったベーヴェが勇者様の喉元に手を添えた。説得どころではない、これでは脅迫だ。
「落ち着けベーヴェ!」
「落ち着くのは姉上のほうです。ヘクトルに対し、交渉を有利に進めるカードを我々は持ち合わせています。今、使わずしていつ使うのですか。なによりも、時間がありません」
時間が無い? 眉根を寄せると同時に、その焦りを理解した。
「――仲違い、か。つまりは全員始末する良い機会ということだな」
トンッ、と軽い足音。先には右腕に蒼い炎を纏わせたシルドの姿があった。
あぁもう、次から次へと問題が降りかかってくる。ヘクトル殿下の説得をしたかったのに、シルドの相手もしなければならない。
しかも右腕は健在。エルを見れば、すまないと目で語っていた。
失敗したものは仕方ない。だが、打開する必要はある。
……数秒でヘクトル様を説得し、仲間に引き入れるしかない。だが口を開こうとした瞬間、先に声が聞こえた。
「チャンスだぜヘクトル! まずは勇者様をこちらへ連れ戻せ。後は、魔族たちを一網打尽だ!」
「ヘクトル兄様がいればシルドを打開できます。今が、その機会です!」
ヘクトル様は、俺を助けるために来た、と言ってくれた。
しかし、その考えは改めなければならない。彼は俺を助けるために来てくれたのではなく、向かう先へたまたま俺が落ちてきただけだったのだ。
そりゃそうだろう。最高戦力の一人であり、王族のヘクトル様が、一般兵士を助けるために来るはずがない。他の王族たちの言葉のほうが、余程、信ぴょう性が……。
「ちょっとお前たちは黙っていろ。さっきも言ったが、僕が予定より早く赴いたのはラックスくんを助けるためだ。さも計画通り、みたいな顔をするのはやめたまえ」
「えっ」
「ん?」
想定外の答えに、混乱していた頭がさらに混乱する。すでに思考が停止しかけていた俺は、一つ頷いた後に、思考することを放棄した。
「どうすればいいですか、勇者様!?」
「はぁー、ラックスさんは難しく考えすぎているのよ……。ヘクトル様! この二人は味方です! 事情は後で説明しますので、まずはシルドを倒しましょう!」
「勇者様、さすがにそれは――」
「よし、分かった」
ヘクトル様はスラリと剣を抜いた。その威風堂々たる佇まいに、思わず背筋を伸ばす。
ではなく、ヘクトル様も考えなさすぎじゃないかな? そんな説明で納得していいんですか?
首を傾げていると、ヘクトル様が胸を張って言う。
「我が国は勇者を召還した。その勇者の言葉を信じず、なにを信じるんだい? ――勇者至上主義。それが、生き残る唯一の術だと信じて疑わないよ」
一切の曇りなき瞳。……ヘクトル様がそう言うのならば、俺のやることも変わらない。勇者様とヘクトル様の考えに従い、戦うことにしよう。
さて、では右腕を取り戻し、シルドを倒そう。
分かりやすい状況になったなと、俺も剣を構えた。
『お主、完全に思考を放棄したな。ヘクトルはあぁ見えて、しっかり考えているぞ』
『俺に難しいことを求めないでくれ……』
この身にできることなど、最初から多くは無い。敵の攻撃を掻い潜って右腕に触れ、弱らせる。後はこの身を盾にする。ただし、死んだりしないように頑張る、怒られるから。これくらいのものだ。
やるぞ、と気合を入れた。
まずはなによりも、相手に隙を作らねばならない。……そして、落ち着いてさえれいば、その方法はすでに考えられてあった。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
「ラックスくん?」
いきなりの突撃。ヘクトル様が驚いた声を出す。
だが、問題はない。これも計画の内で、この隙を誰かが突いてくれるはずだ。
「消えろ、愚かな魔王とニンゲンたちよ。……《パーガトリー》」
シルドの声に合わせ、伸ばした右腕から蒼い炎の壁が現出する。逃げ場の無い広さ。耐えることのできない熱量。撃たれた時点でこちらの敗北だ。
……普通ならば、だが。
俺はマジックバックを取り出し、前へ突き出す。シルドが怪訝そうに眉根を寄せた。
「なにを――――っ!?」
すぐにその顔が険しくなる。だが、それもそのはずだろう。蒼い炎の壁は鞄に吸い込まれ、すでに存在しない。そして……俺は告げた。
「《パーガトリー》」
鞄より解放された最高位の魔法が、今度はその術者に向けて放たれる。
恐らく、シルドからすれば数え切れぬほど使用した魔法。……だが、自分に向けて撃ったことはないだろう?
目を見開いたシルドが、手を突き出した状態のまま、先ほどより強い声で叫んだ。
「《パーガトリー》!」
二つの蒼い炎の壁がぶつかり合い、周囲に熱風を撒き散らし、せめぎ合った末……同時に消えた。
いける、と思った。
マジックバッグがあれば、シルドの最強の魔法を防ぎ続けることができる。その隙を突いて、エルが右腕に触れるか、誰かがシルドを倒せばいい。そんな簡単な構図が浮かび、笑みすら浮かべていた。
勝てると思っていたシルドは、どれだけ動揺しているのだろうか?
改めて、その顔へ目を向ける。
だが――平然としている顔を見て、自分が間違えていたことに気付いた。
「《パーガトリー》」
「同じことを!」
……繰り返すか? 自問自答をしながら、マジックバッグで吸い込む。
「「《パーガトリー》」」
俺と、シルドの声が重なる。まるで時間を巻き戻したかのように、先ほどと同じ状況が再現された。違和感が、より強くなる。
そして、その理由が明らかとなった。
「《パーガトリー》」
まだ二つの魔法がせめぎ合っており、相殺されていない。そんな中に、次のパーガトリーが投入される。
「連、射……っ!?」
「《パーガトリー》」
蒼い炎の壁が立ち並び、こちらへ迫りくる。一発は吸い込めるだろう。それを放つことで二発目も相殺できるだろう。……しかし、三発目は? 四発目は?
なぜシルドが動揺していなかったのか。
簡単だ、本気では無かったからだ。
今さらながらに己の迂闊さを呪う。
隙を作れると、自分も力になれると、できる以上のことをやろうとしていた。自分にだってやれるのだと、そう考えてしまった。
勇者様は? エルは? ベーヴェは? ヘクトル様は?
魔法の向こうに行く機会はあっただろうか。もしいけていれば、シルドを打ち取ってくれるかもしれない。
振り向く時間は無い。ただ信じるしかないと、そう思ったときだ。
目の前に、散歩しているかのような軽い足取りで、進み出た人がいた。
「ヘクト――」
「もうこれは飽きた」
下がってください、と言うよりも早く、ヘクトル様が剣を振り下ろす。
一度に一枚。蒼い炎の壁は斬り裂かれ、霧散して周囲に蒼い火の粉が散っては舞う。
今度こそ本当に、シルドの目が驚愕で見開かれた。
「ミューステルム王国の切り札。まさかこれほどか!」
「……感心している暇があったら本気を出してくれ。まさか、こんなものじゃないんだろ?」
ヘクトル様の挑発にシルドが顔を歪める。
「いいだろう。ならばその矮小な身で、真の《パーガトリー》を受け、後悔するがいい!」
シルドが両手を前に突き出し、ニヤリと笑った。
「《パーガトリー》!」
右手から蒼い炎の壁が。左手から赤い炎の壁が。恐らく、左手のものが元のパーガトリーなのだろう。
その二つは反発し合うこともなく混ざり合い、紫色の炎へと変色した。
まだ触れたわけではない。十分に距離だってある。なのに、その熱気で汗が蒸発していく。届くより先に体は干からび、そして、灰になる。
まるで予知のように未来が脳裏に浮かぶ。
声を出そうとしたが、ただ咳き込む。熱気で息を吸うことができず、その場へ座り込んだ。
しかし、ヘクトル様は違った。
「――いいぞ、シルド。僕はそういうのを待っていた」
その声に、なぜか背筋がぞくりとする。
僅かに横顔を覗き見られるだけだったが、ヘクトル様は薄く笑っているように見えた。
一歩、また一歩と。熱気を放つ紫の壁へ近づいて行く。声も出せぬまま見ていると、首根っこを掴まれた。
「ただのニンゲンに耐えられる熱気じゃないでしょ! 逃げますよ!」
恐らく、勇者様とエルは避難させてくれたのだろう。そしてさらに俺を助けに戻ってくれたベーヴェに対し、申し訳なさを覚えながらも、首を横へ振る。今、この場を離れるわけにはいかない。
「あぁもう、大丈夫ですよ。勝敗は決したんです!」
決した? まだ終わっていないのに、なぜそういうことになる?
不思議に思いながら、浅く呼吸を繰り返す。……前に立つ人が熱気を遮っているのか、幾分楽になっているよう感じた。
「では、少々本気でいかせてもらう」
ヘクトル様が最上段に剣を構えた。
瞬間、彼の全身から魔力が迸り、剣から立ち上ったそれが、龍のように空へ昇った。
「……化け物め」
ベーヴェが厳しい顔つきのまま言う。
俺はと言えば、その姿を見て……あぁ、こんな風になりたかったのか、と童が英雄を見るような気持ちのまま、ヘクトル様を見ていた。
等身大の自分でやれることをやればいい。そんなのは全て自分を誤魔化していただけで、本心では強くなりたかったに決まっている。
あのような、圧倒的な強さを手に入れ、勇者様の仲間だと胸を張り、横に立ちたかった。そんな本当の気持ちを、一瞬で引きずり出された。
目を放さぬまま、拳を握る。
ヘクトル様が剣を振り下ろし、紫炎の壁ごとシルドが真っ二つに割れた。
見て見ぬふりをし続けた理想が、目の前にいる。敬意しかもっていなかった相手に、僅かながらの黒い感情を抱いた。
“嫉妬”と呼ばれるそれを抑え込もうと、胸を強く掴む。国を守るために生きてきた、王族の統治を信じていた、そんな自分が穢れていくように感じる。
「このまま味方につく、なんて都合の良い状況になればいいですけどねぇ。いざというときのために、あれを倒す方法も考えなければ……。聞いていますか?」
「……」
ベーヴェに答えず、ふらふらと前へ進む。手を伸ばした先にいるのはヘクトル様だ。なにがしたいのかも分からぬまま、そこへ指先を届かせようとした。
こちらに気付いたらしく、ヘクトル様はシルドの右腕を掲げて笑みを浮かべる。
「終わったよ、ラックスくん。この右腕が――」
ヘクトル様の笑みが消え、顔が引き締まる。右腕を手放し、剣を構えていた。
「避けるんです!」
ベーヴェがよく分からないことを言った。
『逃げろ!』
エルの声に、体が自然と動く。
――だが動きよりも早く、全身に鎖が巻き付いた。
誰かの声が聞こえる。
「――見つけた。お前だ」
振り向くこともできない。抗う力も無い。なにもできぬまま、体が引っ張られる。
本当は強くなりたかったことを自覚した俺は、また無力さに苛まれる。いつも、俺は弱いままだ。
「ラックスさん!」
白い羽が舞う中、慌てている勇者様。
それが最後に見た光景となった。
◇
「これだ、これが【神の箱】だ」
「ようやく計画は進む。我々天使を、有翼人呼ばわりする愚か者共を始末できる」
「魔王などと大層な名を名乗る混ざり者を消し去る。不死など関係ない。二度と出さなければいい」
「この検体はどうする? 箱は手に入れた。始末するか?」
「ダメだ、これが必要だ」
「……ただのニンゲンだぞ?」
「ふっ、そうではない。エル=ウィズヴィースとの繋がりは断ち切ったが、あの小娘の右目を宿し、魂が僅かばかりに溶け合っている」
「ふむ、なるほど。他にも何かあると思ったが、これは勇者の加護か。今は微々たる効果しか及ぼしていないが、これならば無限に強くなれるはずだ」
「【神の箱】、魔王の魂、勇者の加護。後は我々天使が調整を行えば完成する」
「万物を閉じ込める力。不死特性。強靭な肉体。膨大な魔力。無限の成長。……恐らく、同じ攻撃は二度通じぬようになるだろう」
「ならば、これで魔族を滅ぼせる。我らに逆らった人間もだ。有翼人の統治する、正しい世界が戻ってくる」
「では、始めよう。これは我々の切り札となり、やつらにとっての『災厄』となる」
「おめでとう、人種族の若者。……いや、ラックス=スタンダード。君は望んだ以上の力を手に入れ、天使たちを救う英雄となるぞ」
この日、自分たちは神に次ぐ者、天使であると自負する愚かなる有翼人の上層部によって
――『災厄』が産まれた。
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大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
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