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1-1 働きたくない王子と変な爺さん
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「――オリアス砦をお前に任せよう」
陛下の言葉に、周囲へ目を配る。
しかし、他には誰もいない。この部屋にいるのは、俺と陛下だけだ。
背もたれへ体を完全に預けながら首を傾げると、陛下が話を続けた。
「オリアス砦は東南の国境に位置している。隣接している国との関係も良好で、特に大きな問題が起きたことは無い。兵の数は約300人。任期は未定だ」
分かったか? と陛下は目で訴えかける。
だが根本的に分かっていないことがあり、それを口にした。
「誰が行くのですか?」
「この流れでお前以外の誰が行くというのだ、第六王子セス=カルトフェルンよ」
「……ハッハッハッハッ!」
笑いながら立ち上がり、手の平を叩きながら歩き、扉を開いてこの場を後に――パンパンッと、陛下が二度手を叩く。すぐに鎧を着た兵が二人現れ、俺の体を縛り上げた。
「へ、陛下!? 話し合いましょう!」
「話し合うだけ無駄だ。お前は王族でありながら、国のために働こうとしなかった。……しかし、私も可愛い我が子へ鬼にはなりきれない。十五歳の引き籠りであろうとも、可愛いものは可愛いのだ」
「せめて縄を解いてから言ってもらえませんか!?」
嘆願空しく、陛下は目を合わせることもなく話を続ける。
「セスよ、安心するが良い。十歳の時に渡した資金を、半年もせずに全額失ったことも許している。オリアス砦は辺境にあり、近くにまともな町は一つしかないが、お前ならば退屈しないだろう。部屋に引き篭もっているのと変わらんからな。……あぁ、そうだ。手柄の一つでも立てれば、城へ戻すことを約束しよう」
「そんな何も無い場所で手柄を立てろと!?」
「そうだ。オリアス砦からの報告では、一度も問題が起きたことはない。では、吉報を楽しみにしているぞ」
「陛下! お慈悲を! ……父上ええええええええええええええ!?」
こうして十五年間、怠惰な生活を送り続けていた俺は、辺境の砦へ送り込まれることになったのであった……。辛い……。
縛られたまま乗せられた馬車の中には、俺と剣を腰に差した爺さんが一人。馬車の周囲には騎兵と、物資を載せた馬車が数台あった。
向かいに座っている身なりの良い爺さんは、俺を見ながらニコニコしている。年寄りってのは大体こんな感じだ。
すでに全てを諦めている俺は、寝転がりながら天井を見る。
陛下は特に問題の起きていない砦だと言っていた。なら、体制は変えるべきではないので、俺がやることは無いということになる。
……よし、到着したら自分の部屋を居心地の良いものに変え、後は今まで通り過ごそう。どうせ手柄なんて立てたいとも思わないし、骨を埋める覚悟はできた。
心の中は隠棲気分でいたのだが、老人と目が合う。こんなに狭い車内だ。目が合うのは当たり前かと、話かけてみることにした。
「……どうも」
「お久しぶりです、セス殿下。エルペルト=アルマーニです。老骨の身ではありますが、粉骨砕身働かせていただければと思っております」
「お、おう」
どことなく聞き覚えのある名前から、高名な貴族かなにかだろうと察する。恐らく、陛下がお目付け役として寄越したに違いない。
俺の行動は、この爺さんに監視されている。それを理解し……いや、面倒だからいいや。どうせもう城には帰れないしな。気にせずだらけていることにしよう。
それから砦までの行程。爺さんは嫌な顔一つせず、俺の面倒を見てくれた。
もしかしたら、雇われた執事だったのかもしれない。
――十日後。
オリアス砦へ辿り着いた俺は、少し緊張していた。
これから三百人の兵が俺を出迎える。挨拶もしなければならないだろう。逃げ出したい。
「セス殿下、到着いたしました」
「ど、どどどうも」
爺さんが馬車の扉を開いてくれたので、礼を述べて降りる。
さて、俺を出迎える数百の兵はどこかな……? と思っていたのだが、近寄って来たのは恰幅の良いチョビ髭親父が一人だった。
「ようこそいらっしゃいましたセス殿下! ワタクシはオリアス砦の副司令、下級騎士ファンダルでございます!」
「あぁ、よろしく頼む」
こういった上辺だけの挨拶には慣れているので、適当に返事をする。
だが相手も同じく慣れているのだろう、笑顔を崩さず話を続けてきた。
「では、こちらへ! お付きの方も……?」
ファンダルが変な顔をしているので、爺さんへ目を向ける。すると爺さんはなぜか、先ほどまで着けていなかった、目元だけを隠せる舞踏会のようなマスクを着用していた。
普通ならば、なぜそんなことをしているのかを聞くだろう。人によっては外せと言うかもしれない。
しかし、俺は別に良いかと思ったので、なにも言わなかった。ファンダルもそれに倣ったのだろう。不思議そうな顔をするだけに留めていた。
砦の中へと入り、最初に連れて行かれたのは司令室と書かれた部屋だ。
先日まではファンダルが使っていたはずだが、大急ぎで用意したらしく、室内には必要最低限の物しか置かれていなかった。
「こちらは先日まで、自分が臨時の司令室として使っておりました。もう何年も新しい上官などは来られていなかったため、まさか部屋を空けることになるとは思ってもおりませんでしたよ。ホッホッホッホッ」
ファンダルの嫌味は無視し、部屋の中へ目を配る。
部屋には扉が二つあり、横にある扉の先には広い部屋が用意されていた。自室と執務室が繋がっているとは、落ち着かないにも程がありそうだ。
……しかし、なんだろうか。シーツなどは新品だが、この部屋は妙に生活感があり、窓を開いて換気をすることにした。
「続いて砦内の説明などを――」
「いや、長旅で疲れた。少し休憩させてもらおう。あぁ、それと彼の部屋も近くに用意してもらえるか?」
「エルと申します。どうぞお見知りおきを」
「おぉ、これは気が利かず申し訳ありません! 執事の部屋も用意しておきましょう。では、落ち着きましたらお呼びください。……あぁそれと、くれぐれも砦内を徘徊なさらぬようお願い申し上げます。殿下の顔を知らぬ者も多く、諍いに巻き込まれても困りますので」
分かった分かったと手を軽く振ると、ファンダルは満足そうに部屋を後にした。
ようやく一息吐けると思ったのだが、今度は爺さんが苦笑いで話し始める。
「セス殿下。ファンダルはあまり良い御仁ではありませんな」
「この世界に良い輩なんて一握りだろ」
「そうですな、セス殿下のように立派な方は中々おりません」
今日までなにを見て来たのか。目が腐っているとしか思えない言葉に唖然としていたのだが、爺さんは片目を薄く開きながら言った。
「用意されていた司令室からは、物を移動した形跡がありました。それと、酒や煙草の臭いや痕跡も残っております」
「息抜きくらい許してやれ」
「確かに、息抜きは大事なことです。しかし、王族の方に、情事へ使っていた部屋を使わせるというのは、この老骨からしても見過ごせぬところです」
「……あー」
爺さんは目を光らせていたが、俺は違和感の正体が分かり、納得した感じになっていた。
他から離れており、人けの無い場所にある執務室と、なぜか大きなベッドのある部屋。嫌な臭いは、掃除の後に香水でも撒いて誤魔化そうとしたせいだろう。
分かれば気にする必要は無い。臭いなども直に消える。人が来ないのであれば、それに越したことはない。
「こんな辺境では楽しみも少ない。仕事に支障さえなければ、多少のことは見逃してやるさ」
「……畏まりました」
爺さんはどこか納得いってなさそうではあったが、深々と頭を下げる。
陛下も良い執事をつけてくれたなと、落ち着いたら礼の書状でも送ろうかと思うほどだった。
休憩中、窓が小さくノックされる。目を向けると、そこには女兵士の姿があった。
「こいつなにをしているんだ? おい、入っていいぞ」
「よろしいのですか? 敵の可能性もありますが」
「俺の命を狙ってなんの意味がある。それに、窓をノックする暗殺者がいてたまるか」
「確かに、暗殺目的ならばノックはいたしませんな。ファンかもしれません」
「もっといねぇよ」
笑いながら爺さんは女兵士を招き入れる。窓は開きっぱなしなのに許可無く入らなかったところから、最低限の常識はありそうだ。
一体どんな事情があって窓から潜入したのか。面倒ごとしか想像できずにいると、女兵士は片膝を着きながら話し始めた。
「突然の来訪を謝罪いたします、セス殿下。自分の名はシヤ=カーネ。オリアス砦に勤めている兵の一人であります!」
「そうかそうか。事情があるのは想像できるが、とりあえず窓からは危ないからやめような? 後、俺は期待に応えられないと思うので、訴えるだけ無駄だと思うぞ?」
「いえ、新たに司令となられたセス殿下以外にはどうしようもないのです! 自分がお伝えしたいのはファンダル副司令のことです! こちらへ目をお通しください!」
シヤの差し出した紙面を受け取りたくないので困っていると、爺さんが目配せしてくる。うまく断ってくれるつもりなのだろうと、小さく頷いた。
「では、私が確認させていただきます」
違う、そうじゃない! と全力で言いたかったのだが、爺さんは目を通し始めており、シヤは嬉しそうに顔を綻ばせている。
その状況で口を出す勇気は無く、意味ありげに笑うしかなかった。
程なくして、見終わった爺さんが渋い顔を見せる。確認するまでもなく、内容があれだったのだろう。
「これは、ひどいですな。女性兵士への被害が多く、数人で連れ立って歩かなければ、暴行を受ける可能性も考えられます。さらに、毎日のように町から娼婦を呼び寄せております。酒、煙草、などの嗜好品も買い漁っているようで」
「……治安の乱れは問題だが、自分の金を使っているのならいいだろう」
「いえ、国の金を使っております。ファンダルはオリアス砦が安全であることを利用し、自分に逆らう兵のクビを切っているようです。その数、二百を越えています」
驚きのあまり、目を白黒させてしまう。オリアス砦の兵数は三百。だがそのうち二百がクビを切られている? 頭が悪すぎるし、なぜ露見していない?
首を傾げていると、シヤが怒りを滲ませながら言った。
「クビを切られた兵のほとんどは、カルトフェルン王国内へ戻れないよう脅迫され、隣国へ放逐されました。現在、砦内にいる兵の数は百と少し。そのうち二十が女性兵士となっており、我々の立場は非常に弱いです」
「なぜ露見していないのですか?」
「金です。問題も起きておらず、なにかあればファンダルが責任をとることになる。それならば、金がもらえるうちは見逃してやろう、ということです」
「なるほど」
事情は分かったが、そんなことを俺に言われても困る。どうすればいいのかも分からないし、正直なにもしたくない。
二人がじっとこちらを見る中、俺はニヘラと笑った。
「ま、まぁどうにかなっているのならいいだろう。女性兵士の件だけ、それとなく――」
「セス殿下! 事態は切迫しております! どうか、どうか自分たちをお助けください!」
困る、俺はなにもできない、責任もとりたくない、ボンヤリ夜空とか眺めて生きたい。
オロオロしていると、爺さんがふむ、と頷いた。
「気づいたのですが、ファンダルはセス殿下を抱き込み、どこかで責任を擦るつもりではないでしょうか? 王族がやったとなれば、事件は明るみに出ませんからな」
「……」
そんなことをしても証拠は無いのだが、証拠くらいでっち上げてくるかもしれない。
爺さんの言うことは推測でしかないが、あり得るかあり得ないかと聞かれれば……俺でもあり得ると思ってしまう内容だった。
苦渋の決断を強いられた俺は、心の内で血の涙を流しながら言った。
「……俺が静かに暮らすためにも、この問題は解決する必要がありそうだ」
「セス殿下! ありがとうございます!」
「流石です、セス殿下」
二人の顔が明るくなる中。俺はただ一人、鳥になってどこか知らない場所へ飛び立ちたい、と願うのだった。
陛下の言葉に、周囲へ目を配る。
しかし、他には誰もいない。この部屋にいるのは、俺と陛下だけだ。
背もたれへ体を完全に預けながら首を傾げると、陛下が話を続けた。
「オリアス砦は東南の国境に位置している。隣接している国との関係も良好で、特に大きな問題が起きたことは無い。兵の数は約300人。任期は未定だ」
分かったか? と陛下は目で訴えかける。
だが根本的に分かっていないことがあり、それを口にした。
「誰が行くのですか?」
「この流れでお前以外の誰が行くというのだ、第六王子セス=カルトフェルンよ」
「……ハッハッハッハッ!」
笑いながら立ち上がり、手の平を叩きながら歩き、扉を開いてこの場を後に――パンパンッと、陛下が二度手を叩く。すぐに鎧を着た兵が二人現れ、俺の体を縛り上げた。
「へ、陛下!? 話し合いましょう!」
「話し合うだけ無駄だ。お前は王族でありながら、国のために働こうとしなかった。……しかし、私も可愛い我が子へ鬼にはなりきれない。十五歳の引き籠りであろうとも、可愛いものは可愛いのだ」
「せめて縄を解いてから言ってもらえませんか!?」
嘆願空しく、陛下は目を合わせることもなく話を続ける。
「セスよ、安心するが良い。十歳の時に渡した資金を、半年もせずに全額失ったことも許している。オリアス砦は辺境にあり、近くにまともな町は一つしかないが、お前ならば退屈しないだろう。部屋に引き篭もっているのと変わらんからな。……あぁ、そうだ。手柄の一つでも立てれば、城へ戻すことを約束しよう」
「そんな何も無い場所で手柄を立てろと!?」
「そうだ。オリアス砦からの報告では、一度も問題が起きたことはない。では、吉報を楽しみにしているぞ」
「陛下! お慈悲を! ……父上ええええええええええええええ!?」
こうして十五年間、怠惰な生活を送り続けていた俺は、辺境の砦へ送り込まれることになったのであった……。辛い……。
縛られたまま乗せられた馬車の中には、俺と剣を腰に差した爺さんが一人。馬車の周囲には騎兵と、物資を載せた馬車が数台あった。
向かいに座っている身なりの良い爺さんは、俺を見ながらニコニコしている。年寄りってのは大体こんな感じだ。
すでに全てを諦めている俺は、寝転がりながら天井を見る。
陛下は特に問題の起きていない砦だと言っていた。なら、体制は変えるべきではないので、俺がやることは無いということになる。
……よし、到着したら自分の部屋を居心地の良いものに変え、後は今まで通り過ごそう。どうせ手柄なんて立てたいとも思わないし、骨を埋める覚悟はできた。
心の中は隠棲気分でいたのだが、老人と目が合う。こんなに狭い車内だ。目が合うのは当たり前かと、話かけてみることにした。
「……どうも」
「お久しぶりです、セス殿下。エルペルト=アルマーニです。老骨の身ではありますが、粉骨砕身働かせていただければと思っております」
「お、おう」
どことなく聞き覚えのある名前から、高名な貴族かなにかだろうと察する。恐らく、陛下がお目付け役として寄越したに違いない。
俺の行動は、この爺さんに監視されている。それを理解し……いや、面倒だからいいや。どうせもう城には帰れないしな。気にせずだらけていることにしよう。
それから砦までの行程。爺さんは嫌な顔一つせず、俺の面倒を見てくれた。
もしかしたら、雇われた執事だったのかもしれない。
――十日後。
オリアス砦へ辿り着いた俺は、少し緊張していた。
これから三百人の兵が俺を出迎える。挨拶もしなければならないだろう。逃げ出したい。
「セス殿下、到着いたしました」
「ど、どどどうも」
爺さんが馬車の扉を開いてくれたので、礼を述べて降りる。
さて、俺を出迎える数百の兵はどこかな……? と思っていたのだが、近寄って来たのは恰幅の良いチョビ髭親父が一人だった。
「ようこそいらっしゃいましたセス殿下! ワタクシはオリアス砦の副司令、下級騎士ファンダルでございます!」
「あぁ、よろしく頼む」
こういった上辺だけの挨拶には慣れているので、適当に返事をする。
だが相手も同じく慣れているのだろう、笑顔を崩さず話を続けてきた。
「では、こちらへ! お付きの方も……?」
ファンダルが変な顔をしているので、爺さんへ目を向ける。すると爺さんはなぜか、先ほどまで着けていなかった、目元だけを隠せる舞踏会のようなマスクを着用していた。
普通ならば、なぜそんなことをしているのかを聞くだろう。人によっては外せと言うかもしれない。
しかし、俺は別に良いかと思ったので、なにも言わなかった。ファンダルもそれに倣ったのだろう。不思議そうな顔をするだけに留めていた。
砦の中へと入り、最初に連れて行かれたのは司令室と書かれた部屋だ。
先日まではファンダルが使っていたはずだが、大急ぎで用意したらしく、室内には必要最低限の物しか置かれていなかった。
「こちらは先日まで、自分が臨時の司令室として使っておりました。もう何年も新しい上官などは来られていなかったため、まさか部屋を空けることになるとは思ってもおりませんでしたよ。ホッホッホッホッ」
ファンダルの嫌味は無視し、部屋の中へ目を配る。
部屋には扉が二つあり、横にある扉の先には広い部屋が用意されていた。自室と執務室が繋がっているとは、落ち着かないにも程がありそうだ。
……しかし、なんだろうか。シーツなどは新品だが、この部屋は妙に生活感があり、窓を開いて換気をすることにした。
「続いて砦内の説明などを――」
「いや、長旅で疲れた。少し休憩させてもらおう。あぁ、それと彼の部屋も近くに用意してもらえるか?」
「エルと申します。どうぞお見知りおきを」
「おぉ、これは気が利かず申し訳ありません! 執事の部屋も用意しておきましょう。では、落ち着きましたらお呼びください。……あぁそれと、くれぐれも砦内を徘徊なさらぬようお願い申し上げます。殿下の顔を知らぬ者も多く、諍いに巻き込まれても困りますので」
分かった分かったと手を軽く振ると、ファンダルは満足そうに部屋を後にした。
ようやく一息吐けると思ったのだが、今度は爺さんが苦笑いで話し始める。
「セス殿下。ファンダルはあまり良い御仁ではありませんな」
「この世界に良い輩なんて一握りだろ」
「そうですな、セス殿下のように立派な方は中々おりません」
今日までなにを見て来たのか。目が腐っているとしか思えない言葉に唖然としていたのだが、爺さんは片目を薄く開きながら言った。
「用意されていた司令室からは、物を移動した形跡がありました。それと、酒や煙草の臭いや痕跡も残っております」
「息抜きくらい許してやれ」
「確かに、息抜きは大事なことです。しかし、王族の方に、情事へ使っていた部屋を使わせるというのは、この老骨からしても見過ごせぬところです」
「……あー」
爺さんは目を光らせていたが、俺は違和感の正体が分かり、納得した感じになっていた。
他から離れており、人けの無い場所にある執務室と、なぜか大きなベッドのある部屋。嫌な臭いは、掃除の後に香水でも撒いて誤魔化そうとしたせいだろう。
分かれば気にする必要は無い。臭いなども直に消える。人が来ないのであれば、それに越したことはない。
「こんな辺境では楽しみも少ない。仕事に支障さえなければ、多少のことは見逃してやるさ」
「……畏まりました」
爺さんはどこか納得いってなさそうではあったが、深々と頭を下げる。
陛下も良い執事をつけてくれたなと、落ち着いたら礼の書状でも送ろうかと思うほどだった。
休憩中、窓が小さくノックされる。目を向けると、そこには女兵士の姿があった。
「こいつなにをしているんだ? おい、入っていいぞ」
「よろしいのですか? 敵の可能性もありますが」
「俺の命を狙ってなんの意味がある。それに、窓をノックする暗殺者がいてたまるか」
「確かに、暗殺目的ならばノックはいたしませんな。ファンかもしれません」
「もっといねぇよ」
笑いながら爺さんは女兵士を招き入れる。窓は開きっぱなしなのに許可無く入らなかったところから、最低限の常識はありそうだ。
一体どんな事情があって窓から潜入したのか。面倒ごとしか想像できずにいると、女兵士は片膝を着きながら話し始めた。
「突然の来訪を謝罪いたします、セス殿下。自分の名はシヤ=カーネ。オリアス砦に勤めている兵の一人であります!」
「そうかそうか。事情があるのは想像できるが、とりあえず窓からは危ないからやめような? 後、俺は期待に応えられないと思うので、訴えるだけ無駄だと思うぞ?」
「いえ、新たに司令となられたセス殿下以外にはどうしようもないのです! 自分がお伝えしたいのはファンダル副司令のことです! こちらへ目をお通しください!」
シヤの差し出した紙面を受け取りたくないので困っていると、爺さんが目配せしてくる。うまく断ってくれるつもりなのだろうと、小さく頷いた。
「では、私が確認させていただきます」
違う、そうじゃない! と全力で言いたかったのだが、爺さんは目を通し始めており、シヤは嬉しそうに顔を綻ばせている。
その状況で口を出す勇気は無く、意味ありげに笑うしかなかった。
程なくして、見終わった爺さんが渋い顔を見せる。確認するまでもなく、内容があれだったのだろう。
「これは、ひどいですな。女性兵士への被害が多く、数人で連れ立って歩かなければ、暴行を受ける可能性も考えられます。さらに、毎日のように町から娼婦を呼び寄せております。酒、煙草、などの嗜好品も買い漁っているようで」
「……治安の乱れは問題だが、自分の金を使っているのならいいだろう」
「いえ、国の金を使っております。ファンダルはオリアス砦が安全であることを利用し、自分に逆らう兵のクビを切っているようです。その数、二百を越えています」
驚きのあまり、目を白黒させてしまう。オリアス砦の兵数は三百。だがそのうち二百がクビを切られている? 頭が悪すぎるし、なぜ露見していない?
首を傾げていると、シヤが怒りを滲ませながら言った。
「クビを切られた兵のほとんどは、カルトフェルン王国内へ戻れないよう脅迫され、隣国へ放逐されました。現在、砦内にいる兵の数は百と少し。そのうち二十が女性兵士となっており、我々の立場は非常に弱いです」
「なぜ露見していないのですか?」
「金です。問題も起きておらず、なにかあればファンダルが責任をとることになる。それならば、金がもらえるうちは見逃してやろう、ということです」
「なるほど」
事情は分かったが、そんなことを俺に言われても困る。どうすればいいのかも分からないし、正直なにもしたくない。
二人がじっとこちらを見る中、俺はニヘラと笑った。
「ま、まぁどうにかなっているのならいいだろう。女性兵士の件だけ、それとなく――」
「セス殿下! 事態は切迫しております! どうか、どうか自分たちをお助けください!」
困る、俺はなにもできない、責任もとりたくない、ボンヤリ夜空とか眺めて生きたい。
オロオロしていると、爺さんがふむ、と頷いた。
「気づいたのですが、ファンダルはセス殿下を抱き込み、どこかで責任を擦るつもりではないでしょうか? 王族がやったとなれば、事件は明るみに出ませんからな」
「……」
そんなことをしても証拠は無いのだが、証拠くらいでっち上げてくるかもしれない。
爺さんの言うことは推測でしかないが、あり得るかあり得ないかと聞かれれば……俺でもあり得ると思ってしまう内容だった。
苦渋の決断を強いられた俺は、心の内で血の涙を流しながら言った。
「……俺が静かに暮らすためにも、この問題は解決する必要がありそうだ」
「セス殿下! ありがとうございます!」
「流石です、セス殿下」
二人の顔が明るくなる中。俺はただ一人、鳥になってどこか知らない場所へ飛び立ちたい、と願うのだった。
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