アウトサイダーサイダー

シシカイ

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2、赤頭巾ちゃんが人殺しをする話③

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 ◇◆◇


 突然、俺の目の前に朝日が昇った。朝が来るのに予兆はなかった。

 朝、目覚めると養父が死んでいた。いや、正確に言うと、死にかけていた。

 リビングには、血塗れで息も絶え絶えな養父と、ナイフを持った男がいた。

 俺は何が起きているのか分からずに、ただ立ち尽くす。

「おはよう」 

 知らない男は俺の方を向くと爽やかな笑みを浮かべた。暑い日に飲むサイダーみたいな笑顔だ。

 その顔はこの状況とちぐはぐで、とても気持ちが悪いと俺は思った。

「逃げろ」
 養父はガボガボと血を吐きながら赤い海を溺れていた。

 これはなんだ。どんどんと自分の中から色がすり抜けて、やがて視界はモノクロと赤の世界に変わっていく。

「大丈夫。大丈夫。後のことは任せて。悪いようにはしないから」

 目の前の男はそう言ってしゃがみ込むと、ザクザクと無感動にナイフを養父の腹に差し込む。何度も何度も鋭い銀色が差し込まれる度、養父は叫び声を上げ、泡を吹き、目玉を白く引っくり返す。

 ここは地獄。

 今まですっかり忘れていたけれど、綺麗なものなんてあの人の笑顔以外何一つないことを思い出す。


「とりあえず、この子のことは忘れて死んでおけ。このままじゃ、ただ苦しいだけだろう?」

 男の言葉を聞きながら、俺は床に視線を落とした。乱雑に積まれた本やゴミの間から黒く光るものを見つける。

 鉛を吐き出すそれを手に取って、男に突きつけ、引き金を引く。そうすれば、俺は生き残ることができる。

 そう思ってからハッとする。死にたいとあれほど思っていたのに今更生き残ろうとするなんて馬鹿みたいだ。

「あ、そこの銃を取ってくれても構わないし、それでボクを撃ってくれてもいい」

「え?」

「そこに落ちてるやつ、銃でしょ?」

 男は養父の臓物を引き出しながらそう言った。

 俺は震える手で床に落ちていた銃を手にした。構えてみるが、震えのせいで照準が全く合わない。

「それは興奮? それとも単なる恐怖?」

 男は笑いながら俺を見つめた。真っ青な、トルコ石みたいな瞳が俺を捉える。

「まあ、この人はもう手遅れだけど、君は違う。ボクを撃てば生きられるかもしれない」

 歯の根が合わない。舌を噛み切ってしまいそうなほど、激しく歯が音を立て震えている。

 恐怖? 興奮? そんなものじゃない。多分、これは悦びだ。

 俺は自分のこめかみに銃を突きつけた。震える右手を左手で抑える。簡単な話だ。この男にくれてやる弾があるなら俺が使えばいい。

 俺は引き金を引いた。

 しかし、音以外、何も出てくることはなかった。

「あはっ、あははは!」
 男は高らかに笑う。

 俺は銃を床に落とした。

 そうだ。この銃は弾が入っていないんだった。よく見ると、それは自分が以前、自殺を試みたときに使ったものだった。

「おめでとう! 君は素晴らしい選択をした!」

「は?」

「その銃をこちらに向けてたら、ボクは容赦なく君を殺そうと思ってたんだ!」

 そう言って、男は立ち上がると、こちらに向かって歩いてくる。猫みたいに足音のない歩き方にゾッとする。

「ね、その銃に弾が入ってないの、ボクは分かってたんだ」

 そう言いながら男は俺の首筋にナイフを近づけた。ひんやりと首に冷たさを感じる。

「ねぇ、ねぇ、自分を殺そうとするってどんな感じ? キモチイイの? 楽しいの? それとも、絶望? 恐怖? 愉悦? 快楽? あ、これじゃあ、キモチイイのと一緒か……」

「な、なんで……そんな、ことを聞く、の?」

「いやいや、質問に答えて。ボクの質問でしょ?」

 男は拗ねたように唇を尖らせた。

「……嬉しい。解放されると思ったから」

「あははっ、ソイツは御生憎様。君はこの世から解放されないし、ずっと繋がれたまま。自由なんて手に入れられない。腐った肉の衣を着たまま、生きて腐っていくんだ。ホント、お可哀相」

 男の言葉はもっともだった。全てを賭けたのに俺はまた失敗しただけだった。俺は何も返せずに黙りこくった。

「でもさ、モノは考えようだ。君の足枷は外れちゃったんだから、誰も君のことなんて知らないところに行けば、それって死んだことと同じじゃない?」

「よく、意味が分からない……」

 俺が首を傾げると、男は俺を馬鹿にしたような目で見つめた。そして、溜息を大きく吐く。

「今、ボクが殺した一般的なクズ。君のオトーサン。コイツがいたから君は何処にも行けなかった。でも、今は違う。今のその自分を殺したことにして、逃げちゃえばいいんだよ。逃げた先でまたやり直して、面白可笑しく過ごせれば、それって解放されたのと変わらないでしょ?」

「つまり?」

「今の君は自殺したから、もう要らないでしょ。新しい自分だけ持って、さっさと何処かに行けばいい。軍資金ならやるからさ」

 男はナイフをしまい、代わりにポケットから無造作に紙の束を取り出した。紙だと思ったのは金だった。しかも分厚い。見たことも無い枚数を突きつけられる。

 俺はそれを素直に受け取った。

「う……」
 男の後ろで呻き声がした。養父はまだ生きていたようだ。

「あー、しぶといね」
 男はちらりと後ろを見て呟く。

 俺は思わず男の腕を掴んだ。
「ねえ、ナイフを貸して」

 男はキョトンとした顔をして、一瞬何かを考える。それから、にやりと笑うと、ナイフを渡してくれた。

「そうだな。親離れの儀式でもしようか」
 男は充分すぎるくらいに俺の考えを分かってくれていた。

 俺は自分の掌に少しだけ持て余すサイズのナイフ握り締める。
 
 特別なものは要らない。

 深々と養父の喉元に光る銀色を突き立てた。



 ◇◆◇

 俺は清々しい気持ちで街を歩いた。モノクロと赤で満たされた世界は、いつしかとても鮮やかな色に変わっていた。

「それじゃあ、ボクはここで」
 男はそう言って、俺の頭を撫でた。大きな掌はあの人と違って温かくて、薬品のようなツンとした香りがした。

「名前……」

「ん?」

「あなたの名前は?」

 男は困ったような顔をして上を向く。なんと答えて良いか考えているのだろう。少し考えてから男は笑った。

「センセイ。本名ではないけど、多くの人はそう呼ぶね」

「センセイ……」

「そ、基本的にはセンセイと呼ばれる職業のことは何となく一通りやる。だから、センセイ。こう見えて、ボクは結構ハイスペックなんだ」

 そう言われてみると、センセイは何となく知的な顔をしているようにも見えた。

「センセイ、また会えるかな?」
 俺はセンセイの腕を掴んで問うと、センセイはくしゃりと困った顔をする。

「捨てた人生拾ったら、死んだ意味がないだろう?」

 それもそうか。
 俺はセンセイの言葉に納得してセンセイの腕から手を離した。

 こうして、俺は自分と義父、二人の人間を殺した。人殺しは初めてだった。

 センセイと別れてから俺はくしゃくしゃになった紙切れみたいな金をポケットから取り出す。

 そうだ。これからあの人のところに行こう。これで、肉を買って、それで本当に自分とさよならしよう。

 俺は寂しくて悲しくて、それでもワクワクした気持ちを抱えながら肉屋に向かった。
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