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三章 薄藍の魔導書(アルファルド編)
5.またもや逃亡
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***
俺は少年を屋敷に連れ帰った。
予想通り、お父様もお母様も記憶のない少年に同情的だった。寧ろ、「親や住む場所が見つからないのならずっといてもいい」と言っていたくらいだ。こうして暫く少年は俺の家に住むことになった。
これで一安心と思った矢先のことだ。これは一体どういうことだ。
「なんじゃこりゃあ……」
思わず、俺の口からご令嬢らしからぬ呟きが漏れた。
俺は頭を両手で掻きむしった。その仕草もこれまたご令嬢らしからぬ振る舞いなのだが、見ている者は誰もいないので俺は遠慮なくそうしてやった。
ベッドの中――俺の横では、すうすうと可愛らしい寝息を立てて、例の少年が寝ていた。
(あれ? 昨日は俺、一人で寝たよな?)
昨日帰ってきてからの記憶を辿る。ご飯やら何やらをすっ飛ばして、寝るところから思い出す。
確か、客室に送ったら、「こわい」「ねむれない」と言われて、眠りにつくまで手を握ってやったんだ。それで、眠れないという割に早く寝てくれたから、ラッキーって思いながら、一人で自室に戻った。それから寝た。やっぱり一人で寝た。間違いない。
(間違いないはずなのに、何でコイツがここにいるんだよ!)
少年はごろっと寝返りを打つ。長い銀の髪が絹糸のように零れた。長い睫毛に形の良い唇は川から上がった後のときと変わらない。違うのは血色がいいことぐらいだろうか。全く憎らしいほど愛らしい寝顔だ。
(いやいや、違う。普通は朝起きるとベッドの中には美少女が……ってやつだろ、このイベント。何故、中身が男の美少女のベッドの中に、美少女の面した男が入ってくるんだよ!)
俺は頭を抱えた。
(誰がそんな特殊なシチュエーションを求めるっていうんだ! 嗚呼、神様、どうかまともなイベント展開をお願いします。普通の美少女を俺のベッドの中に寝かせてください。男とベッドインなんて誰が望むか、こんちくしょう!)
俺ははっとした。婚約者がいるご令嬢の部屋に男が寝ているというこの状況かなりまずい。俺の顔から途端に血の気が引く。
もしも、万が一、レグルスにバレたら不貞行為ととられてもおかしくない。婚約破棄はいいとしても、何らかの罰を受ける可能性だってある。
勿論、今のレグルスはそんなことしないと思う。でも、リゲルがゲーム通りの変態と分かった今、レグルスだって何かのきっかけでゲーム通りの俺様ドS野郎にならないとは言い切る自信がない。変に刺激したくない。
「起きてください!」
俺はできるだけ小声で叫んだ。
できるだけ速やかに誰にも気づかれずにこの状況を変える必要がある。
俺は少年の肩を揺すった。頼むよ。お願いだ、起きてくれ。祈るような気持ちで何度も揺する。
少年は寝返りを打った。起きる気配がない。
「お願いです。起きてください!」
俺は泣きそうになりながら揺する。
頬を叩いてしまいたかったが、相手は美少女のような顔をしている。男とは分かっているが、こんな綺麗な顔、殴れるわけがない。どうすればいいんだ。
戸惑っている間に扉をノックする音がした。
「お嬢様、よろしいですか?」
メリーナの声だ。
「ちょっと待っていてください!」
俺は咄嗟に少年の上に布団を掛けた。頭からすっぽりと布団を掛けられた少年は相変わらず身動きもせず寝ているようだ。これで何とかごまかすしかない。
俺は直ぐに扉に向かった。そして、小さく扉を開ける。
「何の用ですか?」
今まで寝ていたという体で目を擦りながら扉の外を覗く。扉の外では息を切らしたメリーナがいた。
「お嬢様、あの方が……昨日の方がいなくなっています!」
可哀想にメリーナは真っ青な顔をしていた。
「どういうことですか?」
「あの方が起きてこられたので着替えをお手伝いしていたんですが、気づいたらいなくなっていて……私、なんてことを!」
「メリーナ、落ち着いて」
あの方ってのは、今、俺の部屋で寝ている少年のことだろう。
もう部屋にいないことがバレてしまったようだ。バレないうちにさっさと帰したかったのにそういうわけにはいかないらしい。
とにかく、今は時間を稼いでごまかすしかない。
「メリーナ、わたくしも探すのを手伝います。出れるように少し準備をするので、その間、廊下や客室を調べてください。もしかしたら寝ぼけて他の部屋に入り込んでしまったのかもしれませんから」
俺は冷静を装ってそうメリーナに指示した。
「分かりました。そのように」
メリーナは真っ青の顔のまま頷く。
俺の部屋で寝ているのだから探す必要もないんだが、そんなことは言えるわけもない。
「大丈夫。すぐに見つかりますから」
俺はそう言って微笑む。
(だって、俺の部屋で寝てるんだし。)
メリーナは泣きそうになりながら頷く。その顔に罪悪感いっぱいになる。
俺は素早く扉を閉めると、くるりとベッドの方を振り返る。
こうなったら、準備しているふりをして少年を起こそう。そして、何処からか見つけてきた体でメリーナたちのもとに連れて行けばなんとかなるだろう。素早さが肝心だ。
俺は布団をめくった。そこには寝息を立てている少年がいるはずだった。
いない。さっきまでいたのに何処に行った、あのお騒がせ野郎は。
扉は一つだ。確実にこの部屋にいるはずなのだ。
俺は視線を巡らせる。カーテンが風になびいているのが見えた。戸締りはいつもメリーナがきちんとしてくれているはずなのに。
俺は窓に向かって走った。
春の風が吹く。心地いい。なんてやってる場合じゃない。やっぱり窓が開いているようだ。
俺は慌てて下を覗き込んだ。銀髪が見える。
「ちょっと!」
俺は真っ青になって叫ぶ。
(ここは二階だぞ! どうやって下まで降りたんだ?)
地面にごろんと寝転んでいる少年の青い瞳がこちらに向く。どうやら生きてはいるようだ。
少年は起き上がると庭に向かって走り出す。生きてるどころか、とっても元気らしい。また脱走を試みているようだ。
(あの野郎、何がしたいんだ!)
俺はカッとなって窓に足を掛ける。覚悟を決めて足に力を込めると、俺は窓から飛び降りた。体に木の枝がぶつかる。下が木の植え込みになっていたおかげで大きな怪我もなく、俺は飛び降りることに成功する。
「待ちなさい!」
俺はそう叫びながら、植え込みから何とか抜け出す。バキバキと音を立てて枝が折れる感触がした。
俺は少年を追いかけた。本当に逃げるのが好きなようだ。すばしっこくてなかなか捕まらない。
俺は頭にきていた。どうやら、あの魔法を使うときが来たようだ。ご令嬢らしからぬ使い方しかできないからと封印していたアレだ。
「フムス!」
そう叫ぶと、少年の足元の土が盛り上がる。
(転べ!)
俺は心の中で叫んだ。
しかし、少年はたやすくそれを飛び越えた。そして、そのまま走っていくように思えたのだが、やはり少年は転んだ。
「やりましたよ!」
俺は高らかに笑いながらガッツポーズをとった。
この魔法は土を盛りあがらせるために使った訳では無い。着地するであろう場所の土をごっそりと移動させ、穴を開けておいたのだ。盛り上がったほうに気を取られれば、穴に足を取られ、穴に気を取られれば、盛り上がったところに足を取られる。そういう手なのだ。
こうもあっさりと引っかかってくれるなんてありがたい。
俺は少年の前に仁王立ちする。
「さあ、捕まえましたよ! これで逃亡ごっこはおしまいです!」
俺はそう宣言した。
「ア、アルキオーネ?」
背でよく知った声がした。振り向くとそこには、リゲルが驚いた顔をしていた。
(驚いた顔?)
そこで自分の服装に気づく。もしかしなくても、寝巻のまま出歩いている。自分の屋敷の庭とはいえ、寝巻のまま、歩いていいはずもない。ご令嬢としてあるまじき姿だ。
「見ないでください!」
俺は自分の体を抱きしめながら叫んだ。
リゲルは慌てて後ろを向く。
「今日は何の約束もしていないはずですよね? なんでいるんですか!」
今日はリゲルの家に行く予定もない。しかも、起きてすぐのこんな早い時間になんでリゲルがいるんだよ。
「だってミラ嬢からアルキオーネの一大事だって連絡が来たから……心配で朝の散歩がてら来ちゃった」
なんてことをしてくれたんだ。いや、ミラもリゲルも悪くない。悪くないけど、やっぱりなんてことをしてくれたんだ。
俺は混乱していた。
「待ってください。リゲルの屋敷は家からそれなりに距離があった気がするのですが?」
「でも、毎日、この辺まで走ってるから問題ないよ」
「毎日?」
「そう。アルキオーネは元気かなあって。あ、勿論、いつもは家の前まで来たら帰ってるけど、今日は中まで入れてもらったんだ。オブシディアン家の人はみんな親切だよね」
リゲルの声は明るく、まったく悪気がないようだ。きっと見回りくらいの軽い気持ちでやっていることなのだろう。悪気がない方が厄介だ。
「もしかして、他の人の家まで走ったりなんて……」
「あとは王宮くらいかな? 王宮の警備は大丈夫かなって見回りしたりとかするよ」
(やっぱり見回りじゃないか!)
ひとまず疚しい気持ちがあって俺の家まで来ているわけではないらしい。それでもストーカーじみた行為に少し気分が悪くなる。
「あの、あまり他の人の家にはそんなことをしない方がいいですよ?」
「勿論だよ。レグルスとアルキオーネが特別なんだ。他にもしなきゃならない訓練もあるからね」
それでも王宮からウチとリゲルの家まで走ったら、王都の半周分はありそうな距離がある。そんな距離を気軽に走るなんて体力が化け物だ。
「アルキオーネ?」
「はい?」
「それより、逃げてるけど大丈夫?」
「あ!」
目を離した隙に少年は俺の目の前から逃げ出していた。
「よかったら、俺が捕まえてもいい?」
「え、ええ。怪我させないようにしてもらえたら……」
「了解!」
リゲルの瞳は獲物を見つけた捕食者のように鋭く輝き、その体はあっという間に加速した。少年も早いが、リゲルの速さは異常だった。みるみる間に距離は詰まっていき、リゲルは少年を追い抜いた。
「!」
「捕まえた!」
前に回り込んでリゲルは少年をあっさりと捕まえる。
「あれ? アルファルド?」
リゲルは少年を抱き上げると、吃驚したように目を開いた。
「……だれ?」
「酷いな。忘れたの? そりゃ、君にとって俺はレグルスの金魚のフンみたいなもんかもしれないけど……」
リゲルは大袈裟にため息を吐いて、拗ねたような顔をした。さも傷ついたと言わんばかりだ。
「しらない」
「流石に顔くらいは覚えているでしょ? ほら、リゲル。リゲルだよ」
「しらない」
「知ってるはずだって!」
「いえ、彼は記憶喪失のようでして……」
「は? 記憶喪失?」
リゲルは思わず少年を落とした。
逃げられては困るので俺はすぐに少年を確保する。危ない。もう少しでまた逃げられるところだった。
「ごめん。ちょっと、よくわからないから説明してもらってもいいかな?」
状況が飲み込めないようでリゲルは暗い顔をして頭を抱えている。
「勿論です。お互いに情報交換をしましょう」
俺は大きく頷くと、リゲルを屋敷に案内した。
俺は少年を屋敷に連れ帰った。
予想通り、お父様もお母様も記憶のない少年に同情的だった。寧ろ、「親や住む場所が見つからないのならずっといてもいい」と言っていたくらいだ。こうして暫く少年は俺の家に住むことになった。
これで一安心と思った矢先のことだ。これは一体どういうことだ。
「なんじゃこりゃあ……」
思わず、俺の口からご令嬢らしからぬ呟きが漏れた。
俺は頭を両手で掻きむしった。その仕草もこれまたご令嬢らしからぬ振る舞いなのだが、見ている者は誰もいないので俺は遠慮なくそうしてやった。
ベッドの中――俺の横では、すうすうと可愛らしい寝息を立てて、例の少年が寝ていた。
(あれ? 昨日は俺、一人で寝たよな?)
昨日帰ってきてからの記憶を辿る。ご飯やら何やらをすっ飛ばして、寝るところから思い出す。
確か、客室に送ったら、「こわい」「ねむれない」と言われて、眠りにつくまで手を握ってやったんだ。それで、眠れないという割に早く寝てくれたから、ラッキーって思いながら、一人で自室に戻った。それから寝た。やっぱり一人で寝た。間違いない。
(間違いないはずなのに、何でコイツがここにいるんだよ!)
少年はごろっと寝返りを打つ。長い銀の髪が絹糸のように零れた。長い睫毛に形の良い唇は川から上がった後のときと変わらない。違うのは血色がいいことぐらいだろうか。全く憎らしいほど愛らしい寝顔だ。
(いやいや、違う。普通は朝起きるとベッドの中には美少女が……ってやつだろ、このイベント。何故、中身が男の美少女のベッドの中に、美少女の面した男が入ってくるんだよ!)
俺は頭を抱えた。
(誰がそんな特殊なシチュエーションを求めるっていうんだ! 嗚呼、神様、どうかまともなイベント展開をお願いします。普通の美少女を俺のベッドの中に寝かせてください。男とベッドインなんて誰が望むか、こんちくしょう!)
俺ははっとした。婚約者がいるご令嬢の部屋に男が寝ているというこの状況かなりまずい。俺の顔から途端に血の気が引く。
もしも、万が一、レグルスにバレたら不貞行為ととられてもおかしくない。婚約破棄はいいとしても、何らかの罰を受ける可能性だってある。
勿論、今のレグルスはそんなことしないと思う。でも、リゲルがゲーム通りの変態と分かった今、レグルスだって何かのきっかけでゲーム通りの俺様ドS野郎にならないとは言い切る自信がない。変に刺激したくない。
「起きてください!」
俺はできるだけ小声で叫んだ。
できるだけ速やかに誰にも気づかれずにこの状況を変える必要がある。
俺は少年の肩を揺すった。頼むよ。お願いだ、起きてくれ。祈るような気持ちで何度も揺する。
少年は寝返りを打った。起きる気配がない。
「お願いです。起きてください!」
俺は泣きそうになりながら揺する。
頬を叩いてしまいたかったが、相手は美少女のような顔をしている。男とは分かっているが、こんな綺麗な顔、殴れるわけがない。どうすればいいんだ。
戸惑っている間に扉をノックする音がした。
「お嬢様、よろしいですか?」
メリーナの声だ。
「ちょっと待っていてください!」
俺は咄嗟に少年の上に布団を掛けた。頭からすっぽりと布団を掛けられた少年は相変わらず身動きもせず寝ているようだ。これで何とかごまかすしかない。
俺は直ぐに扉に向かった。そして、小さく扉を開ける。
「何の用ですか?」
今まで寝ていたという体で目を擦りながら扉の外を覗く。扉の外では息を切らしたメリーナがいた。
「お嬢様、あの方が……昨日の方がいなくなっています!」
可哀想にメリーナは真っ青な顔をしていた。
「どういうことですか?」
「あの方が起きてこられたので着替えをお手伝いしていたんですが、気づいたらいなくなっていて……私、なんてことを!」
「メリーナ、落ち着いて」
あの方ってのは、今、俺の部屋で寝ている少年のことだろう。
もう部屋にいないことがバレてしまったようだ。バレないうちにさっさと帰したかったのにそういうわけにはいかないらしい。
とにかく、今は時間を稼いでごまかすしかない。
「メリーナ、わたくしも探すのを手伝います。出れるように少し準備をするので、その間、廊下や客室を調べてください。もしかしたら寝ぼけて他の部屋に入り込んでしまったのかもしれませんから」
俺は冷静を装ってそうメリーナに指示した。
「分かりました。そのように」
メリーナは真っ青の顔のまま頷く。
俺の部屋で寝ているのだから探す必要もないんだが、そんなことは言えるわけもない。
「大丈夫。すぐに見つかりますから」
俺はそう言って微笑む。
(だって、俺の部屋で寝てるんだし。)
メリーナは泣きそうになりながら頷く。その顔に罪悪感いっぱいになる。
俺は素早く扉を閉めると、くるりとベッドの方を振り返る。
こうなったら、準備しているふりをして少年を起こそう。そして、何処からか見つけてきた体でメリーナたちのもとに連れて行けばなんとかなるだろう。素早さが肝心だ。
俺は布団をめくった。そこには寝息を立てている少年がいるはずだった。
いない。さっきまでいたのに何処に行った、あのお騒がせ野郎は。
扉は一つだ。確実にこの部屋にいるはずなのだ。
俺は視線を巡らせる。カーテンが風になびいているのが見えた。戸締りはいつもメリーナがきちんとしてくれているはずなのに。
俺は窓に向かって走った。
春の風が吹く。心地いい。なんてやってる場合じゃない。やっぱり窓が開いているようだ。
俺は慌てて下を覗き込んだ。銀髪が見える。
「ちょっと!」
俺は真っ青になって叫ぶ。
(ここは二階だぞ! どうやって下まで降りたんだ?)
地面にごろんと寝転んでいる少年の青い瞳がこちらに向く。どうやら生きてはいるようだ。
少年は起き上がると庭に向かって走り出す。生きてるどころか、とっても元気らしい。また脱走を試みているようだ。
(あの野郎、何がしたいんだ!)
俺はカッとなって窓に足を掛ける。覚悟を決めて足に力を込めると、俺は窓から飛び降りた。体に木の枝がぶつかる。下が木の植え込みになっていたおかげで大きな怪我もなく、俺は飛び降りることに成功する。
「待ちなさい!」
俺はそう叫びながら、植え込みから何とか抜け出す。バキバキと音を立てて枝が折れる感触がした。
俺は少年を追いかけた。本当に逃げるのが好きなようだ。すばしっこくてなかなか捕まらない。
俺は頭にきていた。どうやら、あの魔法を使うときが来たようだ。ご令嬢らしからぬ使い方しかできないからと封印していたアレだ。
「フムス!」
そう叫ぶと、少年の足元の土が盛り上がる。
(転べ!)
俺は心の中で叫んだ。
しかし、少年はたやすくそれを飛び越えた。そして、そのまま走っていくように思えたのだが、やはり少年は転んだ。
「やりましたよ!」
俺は高らかに笑いながらガッツポーズをとった。
この魔法は土を盛りあがらせるために使った訳では無い。着地するであろう場所の土をごっそりと移動させ、穴を開けておいたのだ。盛り上がったほうに気を取られれば、穴に足を取られ、穴に気を取られれば、盛り上がったところに足を取られる。そういう手なのだ。
こうもあっさりと引っかかってくれるなんてありがたい。
俺は少年の前に仁王立ちする。
「さあ、捕まえましたよ! これで逃亡ごっこはおしまいです!」
俺はそう宣言した。
「ア、アルキオーネ?」
背でよく知った声がした。振り向くとそこには、リゲルが驚いた顔をしていた。
(驚いた顔?)
そこで自分の服装に気づく。もしかしなくても、寝巻のまま出歩いている。自分の屋敷の庭とはいえ、寝巻のまま、歩いていいはずもない。ご令嬢としてあるまじき姿だ。
「見ないでください!」
俺は自分の体を抱きしめながら叫んだ。
リゲルは慌てて後ろを向く。
「今日は何の約束もしていないはずですよね? なんでいるんですか!」
今日はリゲルの家に行く予定もない。しかも、起きてすぐのこんな早い時間になんでリゲルがいるんだよ。
「だってミラ嬢からアルキオーネの一大事だって連絡が来たから……心配で朝の散歩がてら来ちゃった」
なんてことをしてくれたんだ。いや、ミラもリゲルも悪くない。悪くないけど、やっぱりなんてことをしてくれたんだ。
俺は混乱していた。
「待ってください。リゲルの屋敷は家からそれなりに距離があった気がするのですが?」
「でも、毎日、この辺まで走ってるから問題ないよ」
「毎日?」
「そう。アルキオーネは元気かなあって。あ、勿論、いつもは家の前まで来たら帰ってるけど、今日は中まで入れてもらったんだ。オブシディアン家の人はみんな親切だよね」
リゲルの声は明るく、まったく悪気がないようだ。きっと見回りくらいの軽い気持ちでやっていることなのだろう。悪気がない方が厄介だ。
「もしかして、他の人の家まで走ったりなんて……」
「あとは王宮くらいかな? 王宮の警備は大丈夫かなって見回りしたりとかするよ」
(やっぱり見回りじゃないか!)
ひとまず疚しい気持ちがあって俺の家まで来ているわけではないらしい。それでもストーカーじみた行為に少し気分が悪くなる。
「あの、あまり他の人の家にはそんなことをしない方がいいですよ?」
「勿論だよ。レグルスとアルキオーネが特別なんだ。他にもしなきゃならない訓練もあるからね」
それでも王宮からウチとリゲルの家まで走ったら、王都の半周分はありそうな距離がある。そんな距離を気軽に走るなんて体力が化け物だ。
「アルキオーネ?」
「はい?」
「それより、逃げてるけど大丈夫?」
「あ!」
目を離した隙に少年は俺の目の前から逃げ出していた。
「よかったら、俺が捕まえてもいい?」
「え、ええ。怪我させないようにしてもらえたら……」
「了解!」
リゲルの瞳は獲物を見つけた捕食者のように鋭く輝き、その体はあっという間に加速した。少年も早いが、リゲルの速さは異常だった。みるみる間に距離は詰まっていき、リゲルは少年を追い抜いた。
「!」
「捕まえた!」
前に回り込んでリゲルは少年をあっさりと捕まえる。
「あれ? アルファルド?」
リゲルは少年を抱き上げると、吃驚したように目を開いた。
「……だれ?」
「酷いな。忘れたの? そりゃ、君にとって俺はレグルスの金魚のフンみたいなもんかもしれないけど……」
リゲルは大袈裟にため息を吐いて、拗ねたような顔をした。さも傷ついたと言わんばかりだ。
「しらない」
「流石に顔くらいは覚えているでしょ? ほら、リゲル。リゲルだよ」
「しらない」
「知ってるはずだって!」
「いえ、彼は記憶喪失のようでして……」
「は? 記憶喪失?」
リゲルは思わず少年を落とした。
逃げられては困るので俺はすぐに少年を確保する。危ない。もう少しでまた逃げられるところだった。
「ごめん。ちょっと、よくわからないから説明してもらってもいいかな?」
状況が飲み込めないようでリゲルは暗い顔をして頭を抱えている。
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