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二、追ってくる過去
20(ジェシカ視点)
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意識を失ったルカはその場に崩れ落ちるようにして倒れる。
魔王はその身体を優しく抱き留めると、愛しそうに腕の中に収めた。
そして、ルカの頬に優しく触れる。
その輪郭を柔らかく撫でる魔王の表情はとても穏やかで慈しみに満ちており、他人の記憶を奪ったばかりの者とは思えないものだった。
その姿を見て、ジェシカは頭を振ってから溜め息を漏らした。
「そんなやり方で……お前はよかったノカ?」
「これしかないだろう。ルカは頑固だから」
魔王の瞳は鉱石のように静かに冷たく輝いていた。
ジェシカは、魔王が誰も頼らないことも、簡単に諦めてしまうようになったことも全て自分が悪かったのだと後悔していた。
自分が何もしなかったせいで魔王はあまりにも多くのものを失った。
守ってやれるのはおそらく自分しかいなかったはずなのに。
後悔は先に立たないから後悔というのだ。
今更そんなことを思ってもどうしようもないのに、そんな思いが頭を過ぎる。
「辛い選択をさせたナ」
「いや、もう慣れた」
魔王は淡々とそう言ってのける。
ルカの記憶を奪ったのも、もう何度目になるのだろう。
初めはルカとジェシカが出会う前、魔王はルカを守る為に、自分に殺意を向けるようにルカの記憶を消したという。
ルカがアレに復讐しようとすれば一瞬のうちに返り討ちにあって死ぬ。
しかし、魔王に殺意が向いている分には、ルカの安全は確保されたも同然だった。
殺しにくれば適当にあしらって適当に保護しておけばいい。そのくらい魔王に簡単なことだった。
その後の数回は記憶が戻ってしまってルカが酷く怯え、悲しみ、錯乱あるいは逃げ出した為、余計な記憶を消したのだった。
消した記憶の中には、痛ましく苦しい記憶だけでなく、魔王にとって大切なものもあった。
それでも、魔王は不都合であれば全てを消してきた。
「すまない」
謝ったところでほんの少しだけ自身の中にある罪悪感が薄らぐだけで、何も変わりやしないことは分かっていた。
それでも、それを口にすることしかジェシカには出来なかった。
「このまま、ルカは私が預かろう」
「そんな……確かに一度は目を離したが、もう離さないゾ。だからワタシが責任を持って……」
「いや、貴女には他にも守るものがあるだろう」
そう言われてジェシカは咄嗟に返すことが出来なかった。
図星だった。
ルカを守るには、ジェシカの身の回りには大切なものがあり過ぎた。
全てを守ろうとしても、どうしても優先順位というものが生まれてしまう。
ジェシカはルカを一番に守るとはどうしても言いきれなかった。
「もうルカを遠ざけておく利点はない。それに、魔法を尽くして、どんなに離れていても守れると思っていたが思い上がりだったことも分かった。結局、大切なものは自分の手で守るしかない」
元々、魔王がルカをジェシカに預けたのは、手元に置くよりも安全な場所に置いておく為と、ルカの行動を監視をしやすいからであった。
自らの元に置いておけばたちまちアレに見つかってしまうが、隠匿の魔法が得意であるジェシカの元であれば少しは誤魔化せると魔王は考えたのだ。
今となってはジェシカの元に居ることがばれてしまったのだから、もう自分の手元に置いてもさして変わりはないだろう。
いや、それどころか離れていることで守れるものも守れなくなってしまうかもしれないと魔王は考えた。
「だとしても……ワタシだってルカは大切なんダ」
ジェシカはやっとの思いでそう呟いた。
魔王は冷たい表情でジェシカを見つめる。
「貴女には分からないだろう、私の思いが」
ジェシカはふと魔王の一番得意な魔法が防御魔法だったことを思い出す。
魔法というのは、自分の願望や自身の強い感情に引っ張られる傾向がある。
例えば、激しい怒りを感じながら生きてきた人は攻撃魔法が、穏やかに人を愛する人は癒しや治癒の魔法が得意だったりする。
勿論、実際には遺伝だったり、環境などの様々な理由が複雑に絡み合うので一概にはそう言えないのだが。
ジェシカが子どもとの平穏な日々を強く願い、隠れることを選んだことで隠匿の魔法が得意になったように、魔王も強く守ることを祈ったのだろう。
「私を赦してくれたのはルカだけだった。私を見て、生きて欲しいと言ってくれた」
苦い物を吐き出すように魔王はそう吐露した。
ジェシカには魔王の感情に心当たりがあった。
ちょうど、先代の魔王と出会ったとき、自分もそうであったからだ。
ジェシカもかつては疎まれ、ただ神に捧げられるのを待っていた。
生きることが罪だと言わんばかりに誰もが自分の死を望んでいる中、唯一人、ジェシカの世界を、全てを壊してくれたのが先代魔王だった。
そして、壊すだけでなく、生きることを赦してくれたのが彼だった。
そのときジェシカは世界のどの神よりも先代魔王を渇仰した。
だからこそ、のちに先代魔王が自分の子どもを殺そうとすることが酷い裏切りのようで許せなかった。
今となっては、自分を赦した者の過ちを許せなかったことは皮肉としか言いようがない。
「……分かったヨ」
ジェシカは迷いながらも、魔王の手元にルカを置くことに同意した。
そして、愛しさや乾きに似た思慕だけでは到底乗り越えられないことが出来たとき、手を貸してやろうとそっと心に誓った。
魔王は眦を下げた。
「破棄した契約だが、貴女がルカを守るという条件を除いて、もう一度しよう」
魔王の言葉にジェシカは目を見開いた。
契約ーーそれは魔王とジェシカの間で取り決めたもので、ジェシカがルカを守る一方で、ジェシカの周りで何かが起きたとき魔王がジェシカたちを守るというものだった。
つまり、ルカを守るという条件を抜いてしまえば、ただ単に魔王がジェシカたちを守るという契約になる。
それは果たして契約と呼べるものなのだろうかとジェシカは思った。
「無論、ルカが最優先だ。ルカが危険なときは迷わず私はルカを取る」
「それは当たり前だろうガ……でも、なんでまた契約を?」
「それはルカが貴女と接触したとき、万が一でも記憶を蘇らせるようなことを話さないようにするために決まっているだろう」
なるほどとジェシカは思った。
どうやら魔王は余程ルカの記憶を取り戻させたくないらしい。
ルカが記憶を取り戻したいと思ったとき、助けになれないのはどうなのだろうとジェシカは逡巡する。
「でも……」
「それに、こうやって契約でもしない限り貴女は誰も頼ったりしないだろう」
魔王の言葉にジェシカの思考は停止した。
「は?」
他人を信じず頼ろうとしないのは魔王だけでなく、自分もそうだったとはジェシカも今まで気付いていなかった。
どうやら思った以上に魔王とジェシカは似た者親子らしい。
ジェシカは破顔し、声を上げて笑った。
魔王はその身体を優しく抱き留めると、愛しそうに腕の中に収めた。
そして、ルカの頬に優しく触れる。
その輪郭を柔らかく撫でる魔王の表情はとても穏やかで慈しみに満ちており、他人の記憶を奪ったばかりの者とは思えないものだった。
その姿を見て、ジェシカは頭を振ってから溜め息を漏らした。
「そんなやり方で……お前はよかったノカ?」
「これしかないだろう。ルカは頑固だから」
魔王の瞳は鉱石のように静かに冷たく輝いていた。
ジェシカは、魔王が誰も頼らないことも、簡単に諦めてしまうようになったことも全て自分が悪かったのだと後悔していた。
自分が何もしなかったせいで魔王はあまりにも多くのものを失った。
守ってやれるのはおそらく自分しかいなかったはずなのに。
後悔は先に立たないから後悔というのだ。
今更そんなことを思ってもどうしようもないのに、そんな思いが頭を過ぎる。
「辛い選択をさせたナ」
「いや、もう慣れた」
魔王は淡々とそう言ってのける。
ルカの記憶を奪ったのも、もう何度目になるのだろう。
初めはルカとジェシカが出会う前、魔王はルカを守る為に、自分に殺意を向けるようにルカの記憶を消したという。
ルカがアレに復讐しようとすれば一瞬のうちに返り討ちにあって死ぬ。
しかし、魔王に殺意が向いている分には、ルカの安全は確保されたも同然だった。
殺しにくれば適当にあしらって適当に保護しておけばいい。そのくらい魔王に簡単なことだった。
その後の数回は記憶が戻ってしまってルカが酷く怯え、悲しみ、錯乱あるいは逃げ出した為、余計な記憶を消したのだった。
消した記憶の中には、痛ましく苦しい記憶だけでなく、魔王にとって大切なものもあった。
それでも、魔王は不都合であれば全てを消してきた。
「すまない」
謝ったところでほんの少しだけ自身の中にある罪悪感が薄らぐだけで、何も変わりやしないことは分かっていた。
それでも、それを口にすることしかジェシカには出来なかった。
「このまま、ルカは私が預かろう」
「そんな……確かに一度は目を離したが、もう離さないゾ。だからワタシが責任を持って……」
「いや、貴女には他にも守るものがあるだろう」
そう言われてジェシカは咄嗟に返すことが出来なかった。
図星だった。
ルカを守るには、ジェシカの身の回りには大切なものがあり過ぎた。
全てを守ろうとしても、どうしても優先順位というものが生まれてしまう。
ジェシカはルカを一番に守るとはどうしても言いきれなかった。
「もうルカを遠ざけておく利点はない。それに、魔法を尽くして、どんなに離れていても守れると思っていたが思い上がりだったことも分かった。結局、大切なものは自分の手で守るしかない」
元々、魔王がルカをジェシカに預けたのは、手元に置くよりも安全な場所に置いておく為と、ルカの行動を監視をしやすいからであった。
自らの元に置いておけばたちまちアレに見つかってしまうが、隠匿の魔法が得意であるジェシカの元であれば少しは誤魔化せると魔王は考えたのだ。
今となってはジェシカの元に居ることがばれてしまったのだから、もう自分の手元に置いてもさして変わりはないだろう。
いや、それどころか離れていることで守れるものも守れなくなってしまうかもしれないと魔王は考えた。
「だとしても……ワタシだってルカは大切なんダ」
ジェシカはやっとの思いでそう呟いた。
魔王は冷たい表情でジェシカを見つめる。
「貴女には分からないだろう、私の思いが」
ジェシカはふと魔王の一番得意な魔法が防御魔法だったことを思い出す。
魔法というのは、自分の願望や自身の強い感情に引っ張られる傾向がある。
例えば、激しい怒りを感じながら生きてきた人は攻撃魔法が、穏やかに人を愛する人は癒しや治癒の魔法が得意だったりする。
勿論、実際には遺伝だったり、環境などの様々な理由が複雑に絡み合うので一概にはそう言えないのだが。
ジェシカが子どもとの平穏な日々を強く願い、隠れることを選んだことで隠匿の魔法が得意になったように、魔王も強く守ることを祈ったのだろう。
「私を赦してくれたのはルカだけだった。私を見て、生きて欲しいと言ってくれた」
苦い物を吐き出すように魔王はそう吐露した。
ジェシカには魔王の感情に心当たりがあった。
ちょうど、先代の魔王と出会ったとき、自分もそうであったからだ。
ジェシカもかつては疎まれ、ただ神に捧げられるのを待っていた。
生きることが罪だと言わんばかりに誰もが自分の死を望んでいる中、唯一人、ジェシカの世界を、全てを壊してくれたのが先代魔王だった。
そして、壊すだけでなく、生きることを赦してくれたのが彼だった。
そのときジェシカは世界のどの神よりも先代魔王を渇仰した。
だからこそ、のちに先代魔王が自分の子どもを殺そうとすることが酷い裏切りのようで許せなかった。
今となっては、自分を赦した者の過ちを許せなかったことは皮肉としか言いようがない。
「……分かったヨ」
ジェシカは迷いながらも、魔王の手元にルカを置くことに同意した。
そして、愛しさや乾きに似た思慕だけでは到底乗り越えられないことが出来たとき、手を貸してやろうとそっと心に誓った。
魔王は眦を下げた。
「破棄した契約だが、貴女がルカを守るという条件を除いて、もう一度しよう」
魔王の言葉にジェシカは目を見開いた。
契約ーーそれは魔王とジェシカの間で取り決めたもので、ジェシカがルカを守る一方で、ジェシカの周りで何かが起きたとき魔王がジェシカたちを守るというものだった。
つまり、ルカを守るという条件を抜いてしまえば、ただ単に魔王がジェシカたちを守るという契約になる。
それは果たして契約と呼べるものなのだろうかとジェシカは思った。
「無論、ルカが最優先だ。ルカが危険なときは迷わず私はルカを取る」
「それは当たり前だろうガ……でも、なんでまた契約を?」
「それはルカが貴女と接触したとき、万が一でも記憶を蘇らせるようなことを話さないようにするために決まっているだろう」
なるほどとジェシカは思った。
どうやら魔王は余程ルカの記憶を取り戻させたくないらしい。
ルカが記憶を取り戻したいと思ったとき、助けになれないのはどうなのだろうとジェシカは逡巡する。
「でも……」
「それに、こうやって契約でもしない限り貴女は誰も頼ったりしないだろう」
魔王の言葉にジェシカの思考は停止した。
「は?」
他人を信じず頼ろうとしないのは魔王だけでなく、自分もそうだったとはジェシカも今まで気付いていなかった。
どうやら思った以上に魔王とジェシカは似た者親子らしい。
ジェシカは破顔し、声を上げて笑った。
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