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一、溺愛始めました。

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 魔王は黙って俺の身だしなみを整えると、俺を置いてふらふらと出ていってしまった。
 一緒にいたいと言っていたのに、俺の言葉がよほどショックだったようだ。
 俺はといえば、することもないので、ベッドの上に寝転んで、じっと目を瞑っていた。

「アル……アルフレッド……」
 その名前をゆっくりと舌の上に転がした。

 そうだ。確かにそうだった。なんでずっと気付かなかったのだろう。
 今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。
 魔王の声は確かにアルの声と同じだった。

「魔王はアルなのか?」
  
 アルは俺の秘密の友だちだった。
 誰も知らない。俺だけしか聞いたことがない。
 実体のない俺だけの友だち。


 ◇


 アルと出会ったのは、父様も母様もまだ生きていた頃だった。
 自分の周りには同じ年頃の子どもは居なかった。
 そのせいで、俺はいつも一人で遊んでいた。

 よく遊び場にしていたのは、俺の父が治める領にある森だった。
 その森の奥には入ってはいけないとされる場所があった。所謂、禁足地というやつだ。

 魔王が治めるこの国には、いくつかの禁足地がある。
 そういう場所は魔力が濃く、人攫いに遭ったり、不思議なことが起きると言われている。
 だから、母様からは口が酸っぱくなる程、行ってはいけないと言われていた。

 それでも、森の奥ーー禁足地で採れる赤い木の実が好きだったから、俺はよく人の目を盗んで足を踏み入れていた。
 あまり奥に行かなければ大丈夫だろうと嘯いて。

 実際、危ない目にあったこともなかったし、そこは木が鬱蒼と生えているにも関わらず、ほんのりと明るくて怖さなんてない場所だった。
 明るいというのは、絶えず、淡い光を放つ何かが飛んでいるからだ。
 濃い魔力の漂う場所にはこういった光が見えるらしい。


『ルカ、ルカ……』

 いつも、俺が赤い実を摘んでいると、何処からともなく声がした。
 少し甘さのある、重く優しく俺を呼ぶ声。
 この声を聞くと、何だか胃の辺りがもぞもぞとするような不思議な感覚があった。

「こんにちは、アル」
 俺が挨拶をすると応えるように淡い光が俺の周りを飛び回る。

 この光がアルだ。
 と言っても、無数の光の中、俺はアルを見つけることは出来ない。
 声を掛けてくれて初めてその光がアルだと分かる。
 だから、アルが声を掛けてくれなければ、俺はアルに気付けない。
 一方的な関係だった。

『こんにちは、ルカ。今日の調子は?』
「まあまあだね、アルはどうしてた?」
『いつも通り、ずっと一人だったよ』
 アルは寂しげに呟く。

 こんなに沢山の光があるというのに、いつもアルは一人ぼっちなのだと言う。
 これまでも、これからも、ずっと俺がここに来なければたった一人で過ごすだけなのだと。

「ごめん……」
『謝らないで。来てくれて嬉しいよ』

 まるでキスをするみたいに、光がそっと俺の目尻に触れる。
 何故か胸がぎゅっとして何かでいっぱいになるみたいで苦しい。
 苦しいけど、アルに触れるのは好きだった。

「アル……」

 アルーーアルフレッドは俺が付けた名前だ。
 でも、名前を強請ったのはアルの方だった。
 大切な人に名前を呼んでもらいたいからってロマンチックな理由で強請られたら素敵な名前を付けたいと思うだろう。

 だから、俺もすごく考えたんだ。
 アルの幸せが長く続くように。
 俺が名前を呼んだときだけでも幸せな気分になれるように。
 短い名前だと呼んだとき一瞬で終わってしまうから、少しでも長い名前の方がいいだろうとか、優しげな名前にしようとか色々考えた。
 結局、愛称で呼ぶようになったけど、アルは名前をすごく気に入ってくれた。


 だから、俺はアルの本当の名前は知らない。
 正体だって、精霊か、単なる魔力の塊か、それとも別の恐ろしいものなのかも分からない。
 触れ合うこともない、声と光だけの存在。

 それでも、優しい声に俺はいつも惹き付けられていた。

 涙を拭うことは出来なくても、悲しいことも、辛いことも、全て話すと、アルは俺の気が済むまで優しく慰めてくれた。
 逆に楽しいことや嬉しいことがあった日はアルは自分のことのように喜んでくれた。

 アルは自分のことを亡霊のような存在だと言っていた。
 誰にも気付かれず、ひっそりと消えてなくなる泡沫のような存在だと。
 そのときはとても詩的なことを言う光だなと思った。
 そう思っただけで、俺はそれ以上アルのことを知らない。聞いたことがない。
 アルはいつも俺の話を聞いてくれたのに。
 

 ◇


 アルのことを思い出すと胸が苦しくなった。
 俺は両親が殺された日から復讐で頭がいっぱいで、アルのことを一度も思い出さなかったというのに。

 アルはまだあそこにいるのだろうか。

 もしも、いないのだとしたら……
 あの魔王はアルであって、魔王ではないのかもしれない。
 或いは、魔王はアルであって、魔王であるのかもしれない。

 例えば、俺の両親を殺した魔王はもう死んでいて、アルの魂が乗り移っているとか……そんなことを考える。 
 幼稚な、自分に都合のいい妄想だ。


「なんで、何も教えてくれないんだよ」
 そう呟いてから、何も言えなくなるのは当たり前だと思った。
 あんなに責め立てたらきっと何も言えなくなる。

 魔王が本当にただの仇だったらよかったのだ。
 何も考えず恨めばいいだけだから。

 甘やかして、意地の悪いことをして、微笑んで、寂しがって……
 魔王の色々な顔が浮かんでは消えた。

 もう、俺の中では魔王をただの仇として見れなくなっていた。
 どんなに恨もうと思っても、心の底から恨めない。
 魔王を知れば知るほど、一緒にいればいるほど、俺から全てを奪ったあの男と、目の前の魔王と呼ばれている男が乖離していく。
 同じ顔をしているのにどうしても同じものだと認識できなくなっていく。

 嗚呼、そうか。情なんてとっくに湧いてたんだ。

 それでも、俺は感じるままに、あの男と魔王が別のものだと割り切ることもできずにいた。

 いっそ、魔王が否定してくれたらいい。
 お前の親なんて知らない。殺してない。
 そう一言言ってくれるだけでほんの少し救われる。
 それなら、別の誰かを恨めばよいだけだ。
 でも、それすら叶わない。

 だから、苦しくて、行き場のない気持ちを八つ当たりのようにぶつけてしまった。
 魔王にぶつけている怒りはそんな子どもっぽい感情なのだと今、自覚した。


 魔王を俺は殺したいほど憎んでいるのかと聞かれれば、即答できない程度にもう既に俺の中では魔王への愛着が湧いている。

 俺はどうしたらいい。
 どうすれば、俺の気持ちは晴れるのだろう。
 きっと、魔王を殺しても、もう俺の気持ちは晴れない。
 ましてや、魔王がアルなのだとしたら、余計殺せない。
 あの温かい光が俺の両親を殺したとは到底思えない。


「魔王が、アルだったらいいのに……」

 そうすれば、無条件で魔王を信じられそうな気がした。

 でも、現実は「魔王が望んだから」俺の両親は死んだのだという。
 やはり、魔王が望んで殺したのだ。

 微かな望みに賭けるとすれば、魔王が言う「魔王」というのが自分を指す言葉でないということだけだ。
 そんなの希望的観測でしかない。
 やはり、これも俺の単なる妄想で子どもじみた願いだ。


 腹の奥で魔王の魔力が疼く。
 温かい。この温度を信じられたらどんなに幸せなことだろう。


 魔王はとことん嫌な奴だ。
 あんなに優しくするくせに、最後の最後で信じさせてくれない。
 何も言ってくれない。

 魔王は俺を簡単に不幸せにする。

 こんなことになるなら復讐なんて考えなければよかった。
 いや、その前にあのとき、両親と一緒に死んでいればよかったのだ。

 こんな気持ちになるならもう魔王と会わない方がいい。
 俺は小さいまま乾涸びて死ねばいい。
 投げやりにそう思い、もう一度目を瞑った。
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