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◇◆◇◆◇
少し強引だったが、僕は少年を自分の家に連れて帰った。
そして、これまた強引に少年を風呂に押し込むと、自分はキッチンに引っ込んだ。
僕は壁にもたれ掛かり、煙草に火をつけて、それから息を吸い、肺に煙を流し込んだ。重い味が舌にじわりと広がる。
未成年を無理矢理家に連れてくるなんて、誘拐じゃないか。
まずいことをしている自覚はあった。
それでも、僕は彼ともう少し話してみたいと思っていた。
暫くして、少年が風呂から出てくる。つやつや、ほこほことして温かくなった少年はまるで温泉饅頭みたいだと思った。
僕は少年にタオルと着るものを与える。少年は僕の煙草臭いTシャツを喜んで着た。
「これでも飲んで」
僕は少年にココアの粉をお湯で溶かしたものを出す。生憎と家には牛乳なんてものない。牛乳が入っていないココアはその分色が黒くて、まるであの川の色のようだと思った。
少年はキラキラした瞳で部屋の中を見回しながら、ココアに口を付ける。
雨に濡れていたときは青白かった唇が今は赤く色づいていることに気づく。
「広いお家だね」
確かにうちは1DKだから、ワンルームや1Kの部屋よりはほんの少し広く見える。
しかし、部屋もダイニングも六畳程度。お世辞にも広いとは言えない。
皮肉かと思ったが、表情から少年は本気でそう言っているように見えた。
「それはどうも」
「お風呂もあるし、キッチンもある。寝るところとご飯を食べるところも別なんだ」
「まあ、普通の1DKだよ」
「わんでぃけー?」
「部屋が一つ、ダイニングとキッチンがある家のことだよ」
少年は一層表情を輝かせた。
「すごいね」
正直、僕には何がすごいのか分からなかったけど、少年があまりにも綺麗な表情をするので、僕はそっと黙って微笑み返した。
「ねぇ、お兄さんの名前は?」
「僕の名前?」
「名前が分からないと話しかけづらいでしょ?」
「ああ」
さて、何と名乗ろうか。
僕にはいくつか名前があった。どれもこれも偽名ばかりで、本名なんてとうに忘れてしまった。
嘘。戸籍上の名前は覚えている。
でも、それが本当の名前なのかどうか、僕には分からない。だって、その名前で呼ばれたことなんて、ほとんどなかったのだから。
僕にとって本名なんて偽名よりももっと遠い、嘘の名前だ。そんな名前を名乗るのは不本意だったし、使い慣れた偽名を言うのも違う気がした。
どんな名前がいいだろう。
狸、狐……いや、もっと水辺に近い生き物がいい。
自らをカッパと言ってのける彼と少しでも繋がりが欲しくて、僕は必死に考えた。
「カワウソ」
不意に出た名前がしっくりときた。
カワウソは狸や狐のように人を化かす。僕の人生の大半は嘘で占められている。
狸のように可愛い顔でも、狐のように鋭い目付きでもない僕にはぴったりの名前に思えた。
「カワウソかあ、可愛い名前だね。カワウソさん、俺のことはカッパって呼んで」
そう言って、自称カッパは笑った。
◇◆◇◆◇
カッパは僕の家に住み着いた。
カッパの家はカッパ王国にあってみんな幸せに暮らしていたのだが、隣の国との戦争があって家族は散り散りになってしまったそうだ。家族とはもう会えないのだけれど、それぞれが幸せになっていることを願っているのだとカッパは言う。
僕はその話は幸福な嘘で、彼も自分の嘘を全く信じていないことに気づいていた。
風呂から出てきたときの彼の身体には見なれた色の傷がいくつもあった。僕はあの傷の意味を知っている。
でも、現実の彼がどんな悲惨な境遇でどんな仕打ちを受けてきたのか、僕にとってそんなことはどうでもよかった。
ただ、彼の嘘を本当にしてあげたかった。だから、僕はそんな彼の嘘に騙されてあげることにした。僕はカワウソだから、嘘がとても得意なのだ。
僕はカッパに家族が見つかるまでは僕の家にいるように言った。
僕の言葉にカッパは嬉しそうに頷いてくれた。
それから、ずっとカッパは僕の家にいて、僕の帰りを待っていてくれるようになった。
僕は家に帰るのが毎日楽しみになった。誰かが家にいるだけで、世界がこんなに鮮やかな色をしてくれるなんて思ってもみなかった。
僕は毎日、カッパの頬にキスをしてやりたい気持ちになった。
でも、そんなことをしたら、あの純粋でキラキラとしたカッパに嫌われてしまうかもしれない。そうしたら、立ち直れそうもない。
僕は邪な気持ちをぐっと抑えて、カッパの艶やかな黒髪を撫でるに留めていた。
少し強引だったが、僕は少年を自分の家に連れて帰った。
そして、これまた強引に少年を風呂に押し込むと、自分はキッチンに引っ込んだ。
僕は壁にもたれ掛かり、煙草に火をつけて、それから息を吸い、肺に煙を流し込んだ。重い味が舌にじわりと広がる。
未成年を無理矢理家に連れてくるなんて、誘拐じゃないか。
まずいことをしている自覚はあった。
それでも、僕は彼ともう少し話してみたいと思っていた。
暫くして、少年が風呂から出てくる。つやつや、ほこほことして温かくなった少年はまるで温泉饅頭みたいだと思った。
僕は少年にタオルと着るものを与える。少年は僕の煙草臭いTシャツを喜んで着た。
「これでも飲んで」
僕は少年にココアの粉をお湯で溶かしたものを出す。生憎と家には牛乳なんてものない。牛乳が入っていないココアはその分色が黒くて、まるであの川の色のようだと思った。
少年はキラキラした瞳で部屋の中を見回しながら、ココアに口を付ける。
雨に濡れていたときは青白かった唇が今は赤く色づいていることに気づく。
「広いお家だね」
確かにうちは1DKだから、ワンルームや1Kの部屋よりはほんの少し広く見える。
しかし、部屋もダイニングも六畳程度。お世辞にも広いとは言えない。
皮肉かと思ったが、表情から少年は本気でそう言っているように見えた。
「それはどうも」
「お風呂もあるし、キッチンもある。寝るところとご飯を食べるところも別なんだ」
「まあ、普通の1DKだよ」
「わんでぃけー?」
「部屋が一つ、ダイニングとキッチンがある家のことだよ」
少年は一層表情を輝かせた。
「すごいね」
正直、僕には何がすごいのか分からなかったけど、少年があまりにも綺麗な表情をするので、僕はそっと黙って微笑み返した。
「ねぇ、お兄さんの名前は?」
「僕の名前?」
「名前が分からないと話しかけづらいでしょ?」
「ああ」
さて、何と名乗ろうか。
僕にはいくつか名前があった。どれもこれも偽名ばかりで、本名なんてとうに忘れてしまった。
嘘。戸籍上の名前は覚えている。
でも、それが本当の名前なのかどうか、僕には分からない。だって、その名前で呼ばれたことなんて、ほとんどなかったのだから。
僕にとって本名なんて偽名よりももっと遠い、嘘の名前だ。そんな名前を名乗るのは不本意だったし、使い慣れた偽名を言うのも違う気がした。
どんな名前がいいだろう。
狸、狐……いや、もっと水辺に近い生き物がいい。
自らをカッパと言ってのける彼と少しでも繋がりが欲しくて、僕は必死に考えた。
「カワウソ」
不意に出た名前がしっくりときた。
カワウソは狸や狐のように人を化かす。僕の人生の大半は嘘で占められている。
狸のように可愛い顔でも、狐のように鋭い目付きでもない僕にはぴったりの名前に思えた。
「カワウソかあ、可愛い名前だね。カワウソさん、俺のことはカッパって呼んで」
そう言って、自称カッパは笑った。
◇◆◇◆◇
カッパは僕の家に住み着いた。
カッパの家はカッパ王国にあってみんな幸せに暮らしていたのだが、隣の国との戦争があって家族は散り散りになってしまったそうだ。家族とはもう会えないのだけれど、それぞれが幸せになっていることを願っているのだとカッパは言う。
僕はその話は幸福な嘘で、彼も自分の嘘を全く信じていないことに気づいていた。
風呂から出てきたときの彼の身体には見なれた色の傷がいくつもあった。僕はあの傷の意味を知っている。
でも、現実の彼がどんな悲惨な境遇でどんな仕打ちを受けてきたのか、僕にとってそんなことはどうでもよかった。
ただ、彼の嘘を本当にしてあげたかった。だから、僕はそんな彼の嘘に騙されてあげることにした。僕はカワウソだから、嘘がとても得意なのだ。
僕はカッパに家族が見つかるまでは僕の家にいるように言った。
僕の言葉にカッパは嬉しそうに頷いてくれた。
それから、ずっとカッパは僕の家にいて、僕の帰りを待っていてくれるようになった。
僕は家に帰るのが毎日楽しみになった。誰かが家にいるだけで、世界がこんなに鮮やかな色をしてくれるなんて思ってもみなかった。
僕は毎日、カッパの頬にキスをしてやりたい気持ちになった。
でも、そんなことをしたら、あの純粋でキラキラとしたカッパに嫌われてしまうかもしれない。そうしたら、立ち直れそうもない。
僕は邪な気持ちをぐっと抑えて、カッパの艶やかな黒髪を撫でるに留めていた。
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