警視庁生活安全部異世界課

仲條迎

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第九話 そして、いつもの日々へ。

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「おはようございまーっす。黒川さーん、見て下さい。このニキビ。二個も……」
 朝礼前に登庁してきた橋本が挨拶のついでに愚痴を零した。
 小顔が羨ましいほどふっくらとした右頬には、赤い吹き出物が二つ仲良く並んでいる。
「あら……覿面に出たわねぇ」
 気の毒そうに返した宇田は、ドリップメーカーの前で朝の一杯を愉しみつつ、嗄れた声で言った。
「現代の科学でどうにかならないんですかねぇ。異世界トリップだって可能になったんだから、これくらいのことできるでしょうに……」
「これくらいのことだから予算が下りないのよ。割り喰うのはいつも下っ端」
「おはざまーっす。あ、ニキビっ」
 唐津が入ってくるなり橋本の頬を遠目に指さした。
「やめてください! 見ないで下さい! セクハラです!」
「この程度でセクハラと言われては、唐津も可哀想だな」
「慣れてますから」
 唐津が苦笑した。
「この前なんて、ロビーの隅でダンベル上げ下げしているだけで、悲鳴を上げられてセクハラって言われましたからね。俺、セクハラの線引きがわかんないです。ただ大人しく生きていくだけですよ……」
「私もパワハラって言われないように気をつけよう。ところで黒川はまだか」
「いるよ」と、ドアの向こうからひょっこりと白髪交じりの頭を出した。
「入ってこい」
「課に入ったら仕事しなきゃならんだろ。……はー……やれやれ」
 宇田に睨まれ、黒川が渋々と課に入ってきた。
「課長は?」と、黒川。
「早朝から会議中。異世界課の地方分課の件だな。また部下が増えそうだなぁ」
 ヒヒヒ、と宇田が嬉しそうな顔をする。
「人員が増えて、トリップする番が減るといいなぁ……。ニキビも嫌だし、虫歯も心配だし、異世界トリップに良いことナシ!」
「橋本は嘆くけど、新たなビジネスもぞくぞくとできているのよ。なんだかんだで、日本経済に影響しているから、一概に悪いこととは言い切れない。近頃じゃ心因的被害や怪我による異世界向け保険もできたと聞くし。需要は多々だ」
 宇田の言葉に、唐津も唸った。
「あ、国税局、今朝トリップしたようだ。こちらの失敗のおかげで、いい仕事ができたと喜んでいたが、喜ぶ自体相変わらずえげつないな……」
 宇田が思い出したのか、カプチーノカップを煽り言った。
「実際、国異には感謝されまくってますからね。隕石が金になるように、異世界の品は相当の価値があるってやつで。勤労意欲のない自国民を連れて帰るより、高価な資源を持って帰るほうが国益だと政府は気付いちゃったわけだ」
 唐津が肩を竦めた。
 デスクに鞄を置くなり、ハンドグリップを握っている。
「ああ、今や隕石より、異世界の品だ。異世界品でどれほど日本が外貨を稼いでいるか。異世界渡飛技術や、異世界の技術の特許収入で数年中に長期デフレを抜け出すという試算も出ている。日本にとっては異世界様々だよ」
「黒川さん、少しは何か貰ったんですか? 開発に貢献したんですよね?」
 デスクで大あくびをする黒川に、マイカップでカプチーノを入れながら橋本が尋ねる。
 チョコレートの大量摂取でニキビが二つできたにも拘わらず、カプチーノはどんなことがっても登庁した朝に欠かさず飲むのが橋本の決まり事だ。
「何も。まあ、強いて言うなら、家賃免除くらいか……。おばちゃんのハウスクリーニング付き」
「無賃でラボに居候している感が一層高まっていますね……」
「いいんだよ、黒川は。別で家を借りたら、所構わずトリップされて仕事がままならない。だったらラボでデータを取られていたほうが、ずっと有益だ」
 呆れる橋本に宇田は言った。黒川は渋面で、後ろ頭を掻いていた。
 そんな矢先に課の電話が鳴った。素早く橋本が取り。
「宇田さん、K市で発生です。音声に切り替えます」
『どうもー! K署の北川です。宇田さん、お久し振りです!』
 K署生活安全部異世界課の北川の潑剌とした声が、朝の課に響いた。
 北川は以前、K署での異世界課設立の際、短期間だが宇田と仕事した関係だ。三十間近の、趣味がカリーづくりという青年だ。
「久し振り。それで概要は?」
『今、対象者青山郁生の自宅アパート内です。発見は本日朝七時半。ケンカをして昨日家を出ていた交際女性が戻ってきた際、床に倒れている対象者を発見しました。昨夜夜十一時過ぎまでは何事もなかったとのことで、その間にトリップしたようです。タマヌキで間違いないでしょうね』
「医師は? 何らかの病気の可能性はない?」
『ありません。我々と一緒に医師が立ち合っています。トリップの痕跡を確認済みです。データは先程ラボへ送りました』
「ありがとう。――では、そちらで対象者の警備を宜しくお願いします。くれぐれも厳重に。近頃肉屋連中の仕事が荒っぽいからね。極力トリップを気付かれないように、衝突は回避の方向で」
『了解です。朝からドンパチしたくないですからね。こちらはまたわかり次第、報告します。あとは宜しくお願いします。くれぐれもお気を付けて。――あと!』
「何?」
 電話を切る直後、北川が留める。
『宇田さん。近頃いいスパイスが手に入ったんで、今度御馳走させて下さい』
「おや」
 デスク越しに橋本が宇田に向かい、興奮気味に頬を赤らめている。
「それは愉しみにしておくよ――では」
 涼しげな容貌にうっすらと微笑みを浮かべながら、宇田が電話を切った。
「宇田さんっ」
「それは事件に対する発言か、それともスパイスの件か?」
「勿論後者ですよ! 誰なんです、北川さんてぇ……!」
「ふふん。たまには良いことなくっちゃね」
 宇田が妙に気取ってみせた。
「はいはい。女性陣、恋バナは休憩中にお願いしますね。さ、ラボへ行きますよ」
 唐津が手を叩く。
 興味なさげな黒川と二人、男性陣が先に課を出て、女性二人は遅れて後を追い掛けた。
「タマヌキってことは、今回は人型じゃない可能があるってことですよね?」
 宇田に並んで橋本が尋ねた。
 タマヌキとは、魂抜きの略称だ。
 人体ごとのトリップではなく、魂のみのトリップ現象を指す。
 タマヌキは近年増えてきた現象で、魂だけ飛ばされたトリッパーは、異世界の生命体の肉体を借りる場合が主だ。外見での判断ができないため、交渉ができず引き返すケースが多々あった。異世界トリップ現象の中でも一際困難な事象である。
 一方で、抜け殻になった躰は「肉屋」と呼ばれる闇組織に狙われ、人食愛好家の間で高値で取り引きされている。
 死亡ではなく、魂が異世界にあることで人体がいつまでも新鮮に保たれるからだ。
 人食愛好家に限らず、研究施設など闇取引の格好の餌食になっていた。
「そうね。対象素体が獣人程度ならいいんだけど。ウミウシみたいなのだったらコミュニケーションも取れない可能性があるわね」
 ウミウシみたいなの――に、出会ったことがあるのか、宇田がげんなりとした様子で頭を振った。
「獣人だったら、夢のもふもふパラダイスかもしれないんですねぇ! 愉しみだなぁ」
「おいおい、橋本。あんまり期待すんなよ。獣人てのはな、滅多に風呂に入らないから獣臭いし、何より鼻が濡れているんだ。ふわっふわのポメラニアンを期待していたら泣くぞ。いいか、抱きつかれたら三日は臭いが取れないからな」
「唐津の言う通りだ」
 宇田が頷いて、黒川も同意している。
「待ってくれ。デスクからマイ消臭剤を持ってくる。ついでに煙草も」
「あ! 私もチョコ持っていかないと。あーもう、またニキビが増えるなぁ……」
 ぼやきながらも課へと引き返した女性二人を、男性陣は振り返り見る。
「黒川さん、来月新人が入るかもって、課長から聞いてます?」
「ああ、らしいな」
「俺にも出会いがあるかなぁ……」
 そう言いながら、上着越しに鍛えた腕を撫でる唐津に、黒川は唸った。
「連日のように異世界へ飛んで、平然としているようなタイプでもいいのか?」
「……いや。それは……。俺、筋トレ趣味の子がいいです」
「だったらジムへ通え。それが出会いの近道だ」
「ですねぇ」
 答えが出ると、女性陣が荷物を抱えて戻ってきた。
 橋本の手にはなぜここにあるのか、猫じゃらしが握られていた。



                                                                          FIN



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