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「問」を土から見て
12.
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伊豆蔵蒼士。
安紫会の若頭。
彼は応じて言った。
「以前まで湖月先生という方に、担当いただいておりました。同じ劒物大学病院です。往診もそうですが、私からも病院へ伺っておりました。ですから鮫淵は入海先生と面識はあります。私自身は、往診を入海先生にご担当いただいたのは先日が初めてです」
若頭がいま話しているのは、自分が受けた往診の件。
入海暁一という医師について。
整形外科としての往診だった。
「なら病院との繋がりは、鮫淵もあったわけだな」
西耒路署のマル暴。
炎谷はニヤリとして言う。
「あなた方にとって、我々は迷惑な存在でしかないのでしょう。我々としても病院側にはご迷惑をお掛けしないようにと日頃努めております。湖月先生はじめ入海先生とも個人的な繋がりは、私は何もありません。鮫淵も同じくです」
「なるほど」
葬儀屋。
数登珊牙は微笑んで、若頭に言った。
若頭に、「親分と入海先生は何か繋がりがあるか」。
そう話を持ち掛けたのは数登である。
鮫淵柊翠が安紫会の親分。
往診を受けたのは若頭だ。
「あんたらの話を信用すればだ。入海先生の失踪に関して、今の段階では手掛かりゼロということになる。ただ署には同行してもらうよ」
「同行」を出したのは、西耒路署の怒留湯基ノ介。
「任意同行ですね」
洋見仁重はすかさず。
安紫会の幹部候補。
怒留湯は応じて言う。
「そう。いまのところ先生の失踪に関して、あんたらが関与しているという証拠は何もないわけだ。だから任意だよ。任意でいい。入海先生に関して知る限りのことを、あんたらに訊く」
「お話の最中ずっと、私の知り得る限りの情報提供を行ったつもりです」
若頭が苦笑して言った。
「そりゃ、あんたにとってはそうかもしれない。でもうちとしてはそうじゃない。手掛かりになりそうな話は何も出なかったじゃないか。だからあんたらも一緒に署に行けば気分が変わるかもしれないよ」
「やっぱり警察は警察だ。何かっちゃあ任意同行だものな」
洋見がそう言った。
今の話の、席にいるのは全部で六名である。
大枠としては、「安紫会事務所にやって来た、入海暁一という医師の失踪について」。
主な内容である。
いまのところ有力な手掛かりは、入海の失踪に関して何もない様子。
失踪と、安紫会事務所で起きた盗難。
二件に直接関わってきそうなのは、安紫会で起きた抗争。
そんな見方が出来つつあった。
安紫会で起きた、一連の物事。
怒留湯と炎谷と数登にとって、主な話題は「入海暁一の失踪」。
そして「安紫会の事務所で起きた盗難」。
更にもう一つ。
事務所で勃発した抗争。
「任意同行。俺も一緒の席で話を訊きたいです。安紫会さんの話を」
歯朶尾灯が唐突に言った。
事務所三階にある、若頭の部屋。
怒留湯は更に一階で作業をしていた鑑識を、伴って来た。
西耒路署の鑑識である歯朶尾。
で、歯朶尾も交えつつ。
怒留湯は眼をぱちくり。
「なんで」
「いやその……失踪っていうのが他人事に思えないんです」
数登は歯朶尾の言葉を聞いて一瞬、その眉をしかめた。
洋見は歯朶尾に言う。
「入海先生の失踪で、あなた方が私たちを疑わないはずがない。そして疑っていながら『他人事とは思えない』、ですか」
歯朶尾は眉をしかめている。
「思えないんだよ他人事に」
「つまり個人的な見解だと。あなたはやはり、親分と気が合いそうな警察に思える」
「なんだよ……」
歯朶尾は肩をすくめた。
「ああ、任意なら刑事さん方に逆らう筋は我々何もありません。西耒路署でも何でも、どこまでも。ご一緒いたします」
洋見は笑顔でそう言った。
数登は歯朶尾と洋見のやりとりを見つつ。
茶菓子を一つ摘まんで、それを頬張った。
数登は九十九社から来ている葬儀屋である。
だが彼は、「謎」の発生した場であれば、署でも何でも出向くのである。
夜は更けた。
提灯にも見えるし、ランタンにも見える。
道路の現場で使われるような照明。
それが二つか三つ暗転。
屋敷を照らす光は、夜の闇と少しだけ波長が合っていく。
安紫会の事務所内。
それでも、今も多くの刑事が残って作業をしている。
「盗難」の件で突然のガサ入れ。
そんな名目だ。
その他二件も重なったため、安紫会の事務所ではてんやわんや。
事務所へ来ている係は様々。
怒留湯たちの強行犯係。安紫会に端緒で噛んだ者が来ている。
自分たちの管轄対象であるとばかりにマル暴が来る。
そして捜査一課数名。
事件性のある「抗争」のために。
そんな西耒路署の一方。
親分である鮫淵柊翠。
怒留湯たちと話の場を一緒にした若頭と洋見仁重。
安紫会の組員で現在、事務所に来ているのはそのくらいだ。
その他組員はほぼ出払っている。
事務所は刑事たちへ、一時的にだが明け渡された状態。
「明日は今度の今度こそ非番だからな」
怒留湯は、当番だった桶結千鉄から呼ばれて、その分非番が潰れていた。
安紫会での抗争が起きる、その少し前の時刻。
「分かっていますよ」
怒留湯の相棒、桶結。
怒留湯と同じく強行犯係である。
「任意で同行がある。洋見仁重と若頭が同行にオーケーを出した。親分もたぶん、署へ戻るはずだよ」
「了解」
「で、そっちはどうだった」
「どの話からすると、怒留湯さんはいいんでしょうね」
「何でもいいよ。オケの好きなのから話せよ」
怒留湯と桶結が話をしている丁度その頃。
洋見と若頭は他の刑事に伴われて、屋敷一階へと下りて来た。
桶結は怒留湯たちと同席はしなかった。
庭園から屋敷外側にかけてを彼は調べていた。
安紫会事務所内の庭園辺りをぐるぐる。
事務所内には日本庭園がある。
事務所自体も日本屋敷である。
桶結と怒留湯は一緒に引き上げることにする。
庭園を抜け、樹木の多い地帯へ。
屋敷を隠すような樹木。
当たり一帯の緑。
夜の静けさに青々と香る。
正面玄関に二つ下がっている白い提灯の明かりは、いまだ灯されている。
屋敷。
「何もないのか」
「ありますけれど、何でもいいってのはないんじゃないですか」
「じゃあさまず、阿麻橘組の話からしてみて」
「してみますか」
捜査一課も一緒にと相成った抗争の件。
安紫会と阿麻橘組は対立勢力である。
お互いに普段は、大人しく過ごしている組同士。
阿麻橘組が安紫会へ抗争を仕掛けたのはほぼ確実。
その逆はないようだ。
仕掛けた理由。
阿麻橘組の組員一名の他殺体が発見されたこと。
それを挙げて、阿麻橘組は安紫会へ乗り込んだ。
その、他殺体に関して。
安紫会が関与しているかどうかは果たして、今のところ不明。
安紫会では多くの部屋住みを抱えている。
その部屋住みも含めて、多くの組員が他所に居る。
西耒路署の力添えはあった。
ただ、主に抗争に関与した組員は西耒路署である。
「洋見が殺ったんじゃないかと、阿麻橘組では」
「他殺体かい」
「ええ。あいつは今、安紫会の幹部候補として有力視されてはいます。ただ何かと喧嘩沙汰を起こすタイプです」
「でもコロシまではやったとかいう話は、今の今まで何も聞かないよ。俺は強行犯係だけれどな」
「端緒で噛んでいますからね」
「さあねえ。ただ、洋見はそんなタマじゃないとマル暴からも聞いているよ。リスクを冒すみたいなのは幹部にとって、よろしくないはずだし。洋見はさ、線を引いている」
「線?」
「そう。コロシと暴力の間の線」
「線なんてあるんすかね」
「とにかくさ、洋見はコロシはしなくても殴る程度だ。仲間の系列の店で騒ぎを起こした別の組員を殴った。チンピラのブツの商売を止めるために殴った」
「殴ってはいますね」
「そうね。ただコロシまでの線を踏み越えない」
「そうすかね」
桶結は肩をすくめる。
怒留湯は帽子を脱いだ。
「いずれにしろさ、洋見は任意同行だから」
「ええ」
「若頭と洋見は署でゆっくり、直接話を訊くのが早い」
西耒路署には安紫会よりも、阿麻橘組の組員が多く入っている状態だ。
「たださっき、俺たちと話をしていてあいつら、全然顔に出なかった」
「和やかだったんですかね」
「そうじゃない。何かコロシに関わっていたとすれば、何かもっとあっていいだろう」
「俺としても、あんまり洋見と他殺体は関係ないような気がしますけれどね」
「そうかい。とにかく任意だが、あいつ自分からはコロシのコの字が出るかどうかはさておきだ」
安紫会事務所の正面門構えを出る。
怒留湯と桶結は事務所外へ。
駐車場へ到着。
安紫会の事務所近くには駐車場がある。
今は少しだけ捌けたようだ。
少し前までは刑事の車両でいっぱいだった。
桶結は署の黒い流線形。
事務所屋敷を照らす照明。
少しだけ夜の闇に合ったものの、駐車場にも光を投げ続ける。
若頭と洋見。
正面門構えを潜ったところ。
洋見は西耒路署のマル暴の間で「派手」で通る組員だ。
その名を通すつもりかどうか。サングラス姿の洋見である。
怒留湯たちの話に応じた際の格好はそのままに、白のシャツに黒のスーツ。
サングラス以外は「派手」を封印しているようだ。
薄いブルーのサングラス。
照明で明るい中、夜から夜中に。
*
茶菓子の色。
冴えるような緑に紅色とカラフルである。
砂糖入りの色鮮やかな生地。
中の餡を包んだ和菓子である。
数登は、手に小さな包みを提げて事務所正面を潜った。
右手に茶菓子。
そして左手に包み。
早速頬張っている。
「お土産です」
「あわあ茶菓子ですかあ」
言いながら根耒生祈は大あくび。
イントネーションもおかしい。
夜は更けた。
若頭たち、怒留湯と安紫会事務所を後にする中、数登も事務所門構えを潜った。
九十九社に居る高校生の生祈。
数登と一緒に、突然のガサ入れ現場へ。
社用車のセダン。
乗って安紫会の事務所まで来たのである。
「『寝ちゃったよ! あとで詳しく訊かせて』って友葉先輩から来ていました」
道羅友葉。
九十九社のバイトである。
「ではそのまま僕も行きましょう」
数登はそう言った。
生祈は肯いた。
「あたしヴォワラに自転車あるので、駐輪場で降ろしてもらえれば。珊牙さんは先に行っていて下さると。あとから追いつきますね」
「ええ」
数登に貰ったコーヒー飲料。
生祈は腹が鳴った。飲む。
「何か。分かりましたか」
生祈は数登にそう尋ねた。
「そちらは?」
「うーん、なんか変な状態だったなあっていうのがちょっと……。着火する方のライターの件なんですけれど」
振動。
数登だった。
「采さんからです」
「采さん」
生祈は数登の手元を覗いた。
『惇公は明日退院するから調査とかなんかある?』
「陳ノ内さん病み上がりじゃないですか……」
生祈の言葉に、数登は苦笑した。
「アツはメッセージより電話を使いますからね。采さんに入力を頼んだのでしょうきっと」
生祈は苦笑した。
寿采。
陳ノ内惇公と事実婚の妻。
一方、陳ノ内は現在劒物大学病院に入院中。
日刊「麒喜」の記者だ。
安紫会事務所の件で、陳ノ内は怒留湯と手を組んで調べに入っていた。
ところを、匕首で刺されて腹部を縫合。
安紫会で起きた抗争の最中に匕首。
生祈は数登に巻き込まれる。
陳ノ内と采は数登の調査に関して、一緒に首を突っ込む。
その結果、いろいろ出向くことになる。
「陳ノ内さんとも病室でいろいろ話をしたし……特に安紫会の盗難の件についてはあたし気になる部分が、多かったんです」
「なるほど。とりあえずは、友葉さんも含めてまずは情報の共有を」
生祈は肯いた。
友葉に一報を打つ。
「珊牙さんも一緒に今から行きます!」
友葉の返信は早い。
『了解ー!』
生祈と友葉はシェアハウスで一緒に住んでいる。
数登も一緒に行くということになった。
鳴る腹。生祈。
数登は包みを差し出した。
包みの中を覗いて、生祈は黄色い星型の茶菓子を摘まむ。
一個頬張った。
「お疲れ様」
数登は微笑んで言った。
生祈は顔を赤らめる。
茶菓子で口は満杯。
「Yes,sir」
そう言った生祈は安紫会事務所の、一階部分に居た。
数登と怒留湯と炎谷が、若頭と洋見に話を訊いていたその頃。
一階には鮫淵柊翠。
それから西耒路署の鑑識たち。
「盗難」の件について調査。
生祈はその「盗難」の件について、個人的な疑問を大いに持ったようである。
今は車に。
*
塗装の黒。
明るく照らされている安紫会事務所の屋敷。
怒留湯はそれを車外で見つめている。
桶結が、運転席でない窓側から顔を出して言った。
「乗らないんですか」
「乗るよ。いま一服中なんだ。ちょっと待って」
怒留湯は和菓子を頬張りながら言った。
桶結はかぶりを振って、自分も一服し始める。
ラークの箱。
取り出し、そこから一本取って火を点ける。
「オケはさ、洋見は本当に。他殺体には関係ないと思う」
「思いますよ」
「ならさ、入海先生の失踪に、洋見は関わっていると思う」
「その辺は、怒留湯さんが詳しいでしょう。陳ノ内記者殿と仁富なんとかと一緒に張ったんでしょう。入海先生と安紫会の組員の様子を。俺たちは正面でしたけれど」
紫煙が上っていく。
桶結。手元の煙草。
「そうだね。だがね。入海の失踪に関してはパーだ。なんにも手掛かりなし。陳ノ内記者殿と情報の共有をしていく、つもりではいる。漏洩じゃあない。陳ノ内記者殿と一緒に張った時の内容を、数登とやらにも渡すことになった」
「捜査協力ってことですか」
「俺らが協力してもらう側だ」
「葬儀屋とも引き続き」
「そうなる。情報漏洩じゃあない。で、事務所の外はどうだった」
「外というか中を見て回っていました。案の定切られていました」
「どこを」
「有線に繋がる部分。主に通信回線の」
「屋敷の表から屋敷内のものがってことね」
「ええ」
「やっぱりだ……」
「でしたね」
「その切り口は、意図的に見えたかい」
「俺には見えませんでしたがね。自然に配線がちぎれたようには」
「なあ食う?」
怒留湯は桶結に小さな包みを差し出した。
「生憎一服中です。俺はこっちで」
「うん」
怒留湯は車両ドアを開けた。
桶結は運転席へ戻る。
「事務所へ一人か二人で来ていた。そんなところでしょう。誰か組員の奴あたりですよ。安紫会か阿麻橘組か、それとも今回に関係ない奴か。俺らに紛れ込んで来て、切って、証拠を消して去った」
「ということは『誰か人がやった』っていう証拠は出なかった」
「ええ。後始末はちゃんと。していったように見えましたよ。何もなかった。指紋もない。置き残しもない」
「となるとますます意図的か」
「意図しかないでしょうね」
「どう、個人でやったと思うか」
「そこまでは」
「うん」
車は少し前へ出た。
駐車場を抜け車道へ入る。
少ない車通り。
少ない車の大通り。
夜の闇は深まっている。
周辺の道路は入り組む。
狭い通りが多い。
大通りで走る距離の方が少ない。
安紫会と西耒路署はそれほど離れていない。
「他殺体の仏さんってどうなったんです」
「阿麻橘組のかい」
「ええ」
運転は桶結。
適当に、ギアのすぐ傍その上へ置かれている。
持参の吸い殻入れか。
吸い殻は一本。
「頭蓋骨とは別で今、DNA鑑定に回っている」
「DNA鑑定、立て込んでいますね」
「多いね」
信号。赤いランプ。
停車。
怒留湯は、吸い殻を手で摘まむ。
それからまた戻した。
怒留湯は尋ねた。
「阿麻橘組っていま誰が担当?」
「捜一です。青影さん」
「捜査一課ね」
「ええ。他殺体って言えば確実に事件ですから」
青ランプ。
「そうね。俺らは安紫会さんに話を訊くことに徹しよう」
「そうしましょう」
アクセル。
桶結はスピードを上げた。
舵を左へ切る。
後続車も続々と続く。
照明がいまだ点々と点いた建物。
桶結はゆっくり乗り入れた。
西耒路署。
*
なかなか上手く上がらない。
脚の話だ。
自分の体より、脚を高く持って行く。
その作業というのは、いつでも難しい。
調子が良くないのかなあ。
手のマメは皮膚の一部と化したなあ。
何度も回っていれば、そうなるのもそうか。
鐘搗麗慈は、背の低い鉄棒に夢中。
「おー!」
杝直が駆け寄って来て言う。
「直ちゃん待っていたよ~」
麗慈はとにかく、脚を上げようと必死だった。
そのうちに麗慈は、調子を戻したか。
腕と脚とで自分の体を支えて鉄棒を軸に、くるり。
さて一回転。
今は午後、そして放課後。
「上がった!」
「逆上がりだ」
「そうそうちょっと調子良くなかったの。やっと回ったよ!」
「直はまだ、逆上がりが出来ないんだ」
「そうなの」
麗慈は眼をぱちくりして言った。
鉄棒よりも体が上の状態で。
麗慈の身長は一時的に、校庭を見下ろす高さになる。
直はチュニックにジーンズ。
麗慈はシャツにハーフパンツ。
鉄棒を離して地上へ下りる麗慈。
直に言った。
「やってみる? ちょっと服が汚れちゃうかもしれないけれど」
直は赤くなる。
かぶりを振った。
「直、かっこ悪いの」
「あんまりぼくも今日、調子良くないよ。調子いい時に大車輪回れたりする。たぶん今日はこれでいっぱいだ」
「それじゃやっぱり直かっこ悪い」
麗慈はかぶりを振った。
「手伝うよ」
「そう」
直は眼をぱちくりして言った。
「どうすればいい」
「逆上がりなら、地面を蹴るのを一番にやるといい」
直は鉄棒を見ながら、少し考え込むように。
やがて言った。
「うん。やってみる」
麗慈と同じく背の低い鉄棒。
直。
脚を上げるっていうのは難しい。
麗慈は思った。
直は息が上がっている。
「ちょっと疲れた」
「大丈夫支えているから」
「うん」
再度。
やがて。
脚を蹴るタイミングは、腕に力を入れるタイミングと徐々に合ってきた。
直は地面を必死に蹴る。
「ちょっと……あとちょっとだよ」
「あとちょっとか」
「そう! そこ!」
直は地面をめいっぱい蹴った。
そしてくるり。
「おお」
思わずか、言っていた。
一回転。
直は校庭を少し見下ろす高さになった。
「おおお……」
直はポカンとして言う。
「出来たー! 逆上がりが出来ないとは言わせないよ」
麗慈は笑って言った。
「うん出来た。逆上がりした」
直も笑う。
出入口へ向かった麗慈と直。
歩く度、ランドセルが鳴る。
「荷物今日少ない日だね」
「うん」
麗慈と直の脚は校門から外へ、一歩踏み越える。
麗慈は辺りをキョロキョロ見る。
「でさ、知っているかい」
「知っている?」
「ってことは知らないな」
「うん知らない。なんの話だ」
「うん。あのね、先日また珊牙さんに依頼が入ったんだって話」
「お骨の件か」
「そうそう、お骨もあったな。じゃなくて、それとはまた別らしい。事務所のガサ入れに参加したんだって」
「事務所?」
「なんか怖いところだって」
「ふうん」
直はポカンとして言った。
青信号。
横断歩道を渡る。
麗慈と直は渡った。
一ノ勢小学校。
道路の向かいにコンビニ。
「そのガサ入れってガサガサ荒らしちゃうやつか」
「知っているじゃない」
「うーん、獅堅がよく言っている言葉だからな」
「そうなのか」
麗慈は眼をぱちくりして言った。
「警備員やっているから、たまに警察ともお世話になりますだって」
「なるほどねえ」
「なんか怖いところって何」
「なんか怖いところだよ」
「そう」
幟にフラッペ。
直はそれを見つめている。
麗慈の腹が鳴る。
「あのポスター見える?」
「どのポスター」
「動画サイトのやつ」
「動画というか、あれはバーチャルアイドルだ」
「知っているの?」
「獅堅はバーチャルアイドルおたくなんだ。趣味で作るオーダーメイドフィギュアの受注を始めている。確か版元に許可を得たようだ」
「そうなのか」
麗慈はポカンとした。
直はうんうん肯いている。
スマホを取り出す麗慈。
スマホとコンビニのポスターを見比べる。
「て言っても。直ちゃんはあんまり動画サイトとか見なそうだな」
「うん。獅堅がいっぱい見ている。お姉ちゃんと私が見なくても大丈夫だ」
「大丈夫なのか」
「サーバーには何も問題ないだろう」
「そっか。でね、動画サイトはあのポスターの子なんだ。珊牙さんが行った怖いところの事務所で企画やって、失敗しちゃったらしいの」
「失敗」
「うん」
直もまた、スマホとポスターを見比べた。
スマホへ映る画面にはでかでかと「お詫び」の文字。
「しーあとれっく?」
直は尋ねた。
安紫会の若頭。
彼は応じて言った。
「以前まで湖月先生という方に、担当いただいておりました。同じ劒物大学病院です。往診もそうですが、私からも病院へ伺っておりました。ですから鮫淵は入海先生と面識はあります。私自身は、往診を入海先生にご担当いただいたのは先日が初めてです」
若頭がいま話しているのは、自分が受けた往診の件。
入海暁一という医師について。
整形外科としての往診だった。
「なら病院との繋がりは、鮫淵もあったわけだな」
西耒路署のマル暴。
炎谷はニヤリとして言う。
「あなた方にとって、我々は迷惑な存在でしかないのでしょう。我々としても病院側にはご迷惑をお掛けしないようにと日頃努めております。湖月先生はじめ入海先生とも個人的な繋がりは、私は何もありません。鮫淵も同じくです」
「なるほど」
葬儀屋。
数登珊牙は微笑んで、若頭に言った。
若頭に、「親分と入海先生は何か繋がりがあるか」。
そう話を持ち掛けたのは数登である。
鮫淵柊翠が安紫会の親分。
往診を受けたのは若頭だ。
「あんたらの話を信用すればだ。入海先生の失踪に関して、今の段階では手掛かりゼロということになる。ただ署には同行してもらうよ」
「同行」を出したのは、西耒路署の怒留湯基ノ介。
「任意同行ですね」
洋見仁重はすかさず。
安紫会の幹部候補。
怒留湯は応じて言う。
「そう。いまのところ先生の失踪に関して、あんたらが関与しているという証拠は何もないわけだ。だから任意だよ。任意でいい。入海先生に関して知る限りのことを、あんたらに訊く」
「お話の最中ずっと、私の知り得る限りの情報提供を行ったつもりです」
若頭が苦笑して言った。
「そりゃ、あんたにとってはそうかもしれない。でもうちとしてはそうじゃない。手掛かりになりそうな話は何も出なかったじゃないか。だからあんたらも一緒に署に行けば気分が変わるかもしれないよ」
「やっぱり警察は警察だ。何かっちゃあ任意同行だものな」
洋見がそう言った。
今の話の、席にいるのは全部で六名である。
大枠としては、「安紫会事務所にやって来た、入海暁一という医師の失踪について」。
主な内容である。
いまのところ有力な手掛かりは、入海の失踪に関して何もない様子。
失踪と、安紫会事務所で起きた盗難。
二件に直接関わってきそうなのは、安紫会で起きた抗争。
そんな見方が出来つつあった。
安紫会で起きた、一連の物事。
怒留湯と炎谷と数登にとって、主な話題は「入海暁一の失踪」。
そして「安紫会の事務所で起きた盗難」。
更にもう一つ。
事務所で勃発した抗争。
「任意同行。俺も一緒の席で話を訊きたいです。安紫会さんの話を」
歯朶尾灯が唐突に言った。
事務所三階にある、若頭の部屋。
怒留湯は更に一階で作業をしていた鑑識を、伴って来た。
西耒路署の鑑識である歯朶尾。
で、歯朶尾も交えつつ。
怒留湯は眼をぱちくり。
「なんで」
「いやその……失踪っていうのが他人事に思えないんです」
数登は歯朶尾の言葉を聞いて一瞬、その眉をしかめた。
洋見は歯朶尾に言う。
「入海先生の失踪で、あなた方が私たちを疑わないはずがない。そして疑っていながら『他人事とは思えない』、ですか」
歯朶尾は眉をしかめている。
「思えないんだよ他人事に」
「つまり個人的な見解だと。あなたはやはり、親分と気が合いそうな警察に思える」
「なんだよ……」
歯朶尾は肩をすくめた。
「ああ、任意なら刑事さん方に逆らう筋は我々何もありません。西耒路署でも何でも、どこまでも。ご一緒いたします」
洋見は笑顔でそう言った。
数登は歯朶尾と洋見のやりとりを見つつ。
茶菓子を一つ摘まんで、それを頬張った。
数登は九十九社から来ている葬儀屋である。
だが彼は、「謎」の発生した場であれば、署でも何でも出向くのである。
夜は更けた。
提灯にも見えるし、ランタンにも見える。
道路の現場で使われるような照明。
それが二つか三つ暗転。
屋敷を照らす光は、夜の闇と少しだけ波長が合っていく。
安紫会の事務所内。
それでも、今も多くの刑事が残って作業をしている。
「盗難」の件で突然のガサ入れ。
そんな名目だ。
その他二件も重なったため、安紫会の事務所ではてんやわんや。
事務所へ来ている係は様々。
怒留湯たちの強行犯係。安紫会に端緒で噛んだ者が来ている。
自分たちの管轄対象であるとばかりにマル暴が来る。
そして捜査一課数名。
事件性のある「抗争」のために。
そんな西耒路署の一方。
親分である鮫淵柊翠。
怒留湯たちと話の場を一緒にした若頭と洋見仁重。
安紫会の組員で現在、事務所に来ているのはそのくらいだ。
その他組員はほぼ出払っている。
事務所は刑事たちへ、一時的にだが明け渡された状態。
「明日は今度の今度こそ非番だからな」
怒留湯は、当番だった桶結千鉄から呼ばれて、その分非番が潰れていた。
安紫会での抗争が起きる、その少し前の時刻。
「分かっていますよ」
怒留湯の相棒、桶結。
怒留湯と同じく強行犯係である。
「任意で同行がある。洋見仁重と若頭が同行にオーケーを出した。親分もたぶん、署へ戻るはずだよ」
「了解」
「で、そっちはどうだった」
「どの話からすると、怒留湯さんはいいんでしょうね」
「何でもいいよ。オケの好きなのから話せよ」
怒留湯と桶結が話をしている丁度その頃。
洋見と若頭は他の刑事に伴われて、屋敷一階へと下りて来た。
桶結は怒留湯たちと同席はしなかった。
庭園から屋敷外側にかけてを彼は調べていた。
安紫会事務所内の庭園辺りをぐるぐる。
事務所内には日本庭園がある。
事務所自体も日本屋敷である。
桶結と怒留湯は一緒に引き上げることにする。
庭園を抜け、樹木の多い地帯へ。
屋敷を隠すような樹木。
当たり一帯の緑。
夜の静けさに青々と香る。
正面玄関に二つ下がっている白い提灯の明かりは、いまだ灯されている。
屋敷。
「何もないのか」
「ありますけれど、何でもいいってのはないんじゃないですか」
「じゃあさまず、阿麻橘組の話からしてみて」
「してみますか」
捜査一課も一緒にと相成った抗争の件。
安紫会と阿麻橘組は対立勢力である。
お互いに普段は、大人しく過ごしている組同士。
阿麻橘組が安紫会へ抗争を仕掛けたのはほぼ確実。
その逆はないようだ。
仕掛けた理由。
阿麻橘組の組員一名の他殺体が発見されたこと。
それを挙げて、阿麻橘組は安紫会へ乗り込んだ。
その、他殺体に関して。
安紫会が関与しているかどうかは果たして、今のところ不明。
安紫会では多くの部屋住みを抱えている。
その部屋住みも含めて、多くの組員が他所に居る。
西耒路署の力添えはあった。
ただ、主に抗争に関与した組員は西耒路署である。
「洋見が殺ったんじゃないかと、阿麻橘組では」
「他殺体かい」
「ええ。あいつは今、安紫会の幹部候補として有力視されてはいます。ただ何かと喧嘩沙汰を起こすタイプです」
「でもコロシまではやったとかいう話は、今の今まで何も聞かないよ。俺は強行犯係だけれどな」
「端緒で噛んでいますからね」
「さあねえ。ただ、洋見はそんなタマじゃないとマル暴からも聞いているよ。リスクを冒すみたいなのは幹部にとって、よろしくないはずだし。洋見はさ、線を引いている」
「線?」
「そう。コロシと暴力の間の線」
「線なんてあるんすかね」
「とにかくさ、洋見はコロシはしなくても殴る程度だ。仲間の系列の店で騒ぎを起こした別の組員を殴った。チンピラのブツの商売を止めるために殴った」
「殴ってはいますね」
「そうね。ただコロシまでの線を踏み越えない」
「そうすかね」
桶結は肩をすくめる。
怒留湯は帽子を脱いだ。
「いずれにしろさ、洋見は任意同行だから」
「ええ」
「若頭と洋見は署でゆっくり、直接話を訊くのが早い」
西耒路署には安紫会よりも、阿麻橘組の組員が多く入っている状態だ。
「たださっき、俺たちと話をしていてあいつら、全然顔に出なかった」
「和やかだったんですかね」
「そうじゃない。何かコロシに関わっていたとすれば、何かもっとあっていいだろう」
「俺としても、あんまり洋見と他殺体は関係ないような気がしますけれどね」
「そうかい。とにかく任意だが、あいつ自分からはコロシのコの字が出るかどうかはさておきだ」
安紫会事務所の正面門構えを出る。
怒留湯と桶結は事務所外へ。
駐車場へ到着。
安紫会の事務所近くには駐車場がある。
今は少しだけ捌けたようだ。
少し前までは刑事の車両でいっぱいだった。
桶結は署の黒い流線形。
事務所屋敷を照らす照明。
少しだけ夜の闇に合ったものの、駐車場にも光を投げ続ける。
若頭と洋見。
正面門構えを潜ったところ。
洋見は西耒路署のマル暴の間で「派手」で通る組員だ。
その名を通すつもりかどうか。サングラス姿の洋見である。
怒留湯たちの話に応じた際の格好はそのままに、白のシャツに黒のスーツ。
サングラス以外は「派手」を封印しているようだ。
薄いブルーのサングラス。
照明で明るい中、夜から夜中に。
*
茶菓子の色。
冴えるような緑に紅色とカラフルである。
砂糖入りの色鮮やかな生地。
中の餡を包んだ和菓子である。
数登は、手に小さな包みを提げて事務所正面を潜った。
右手に茶菓子。
そして左手に包み。
早速頬張っている。
「お土産です」
「あわあ茶菓子ですかあ」
言いながら根耒生祈は大あくび。
イントネーションもおかしい。
夜は更けた。
若頭たち、怒留湯と安紫会事務所を後にする中、数登も事務所門構えを潜った。
九十九社に居る高校生の生祈。
数登と一緒に、突然のガサ入れ現場へ。
社用車のセダン。
乗って安紫会の事務所まで来たのである。
「『寝ちゃったよ! あとで詳しく訊かせて』って友葉先輩から来ていました」
道羅友葉。
九十九社のバイトである。
「ではそのまま僕も行きましょう」
数登はそう言った。
生祈は肯いた。
「あたしヴォワラに自転車あるので、駐輪場で降ろしてもらえれば。珊牙さんは先に行っていて下さると。あとから追いつきますね」
「ええ」
数登に貰ったコーヒー飲料。
生祈は腹が鳴った。飲む。
「何か。分かりましたか」
生祈は数登にそう尋ねた。
「そちらは?」
「うーん、なんか変な状態だったなあっていうのがちょっと……。着火する方のライターの件なんですけれど」
振動。
数登だった。
「采さんからです」
「采さん」
生祈は数登の手元を覗いた。
『惇公は明日退院するから調査とかなんかある?』
「陳ノ内さん病み上がりじゃないですか……」
生祈の言葉に、数登は苦笑した。
「アツはメッセージより電話を使いますからね。采さんに入力を頼んだのでしょうきっと」
生祈は苦笑した。
寿采。
陳ノ内惇公と事実婚の妻。
一方、陳ノ内は現在劒物大学病院に入院中。
日刊「麒喜」の記者だ。
安紫会事務所の件で、陳ノ内は怒留湯と手を組んで調べに入っていた。
ところを、匕首で刺されて腹部を縫合。
安紫会で起きた抗争の最中に匕首。
生祈は数登に巻き込まれる。
陳ノ内と采は数登の調査に関して、一緒に首を突っ込む。
その結果、いろいろ出向くことになる。
「陳ノ内さんとも病室でいろいろ話をしたし……特に安紫会の盗難の件についてはあたし気になる部分が、多かったんです」
「なるほど。とりあえずは、友葉さんも含めてまずは情報の共有を」
生祈は肯いた。
友葉に一報を打つ。
「珊牙さんも一緒に今から行きます!」
友葉の返信は早い。
『了解ー!』
生祈と友葉はシェアハウスで一緒に住んでいる。
数登も一緒に行くということになった。
鳴る腹。生祈。
数登は包みを差し出した。
包みの中を覗いて、生祈は黄色い星型の茶菓子を摘まむ。
一個頬張った。
「お疲れ様」
数登は微笑んで言った。
生祈は顔を赤らめる。
茶菓子で口は満杯。
「Yes,sir」
そう言った生祈は安紫会事務所の、一階部分に居た。
数登と怒留湯と炎谷が、若頭と洋見に話を訊いていたその頃。
一階には鮫淵柊翠。
それから西耒路署の鑑識たち。
「盗難」の件について調査。
生祈はその「盗難」の件について、個人的な疑問を大いに持ったようである。
今は車に。
*
塗装の黒。
明るく照らされている安紫会事務所の屋敷。
怒留湯はそれを車外で見つめている。
桶結が、運転席でない窓側から顔を出して言った。
「乗らないんですか」
「乗るよ。いま一服中なんだ。ちょっと待って」
怒留湯は和菓子を頬張りながら言った。
桶結はかぶりを振って、自分も一服し始める。
ラークの箱。
取り出し、そこから一本取って火を点ける。
「オケはさ、洋見は本当に。他殺体には関係ないと思う」
「思いますよ」
「ならさ、入海先生の失踪に、洋見は関わっていると思う」
「その辺は、怒留湯さんが詳しいでしょう。陳ノ内記者殿と仁富なんとかと一緒に張ったんでしょう。入海先生と安紫会の組員の様子を。俺たちは正面でしたけれど」
紫煙が上っていく。
桶結。手元の煙草。
「そうだね。だがね。入海の失踪に関してはパーだ。なんにも手掛かりなし。陳ノ内記者殿と情報の共有をしていく、つもりではいる。漏洩じゃあない。陳ノ内記者殿と一緒に張った時の内容を、数登とやらにも渡すことになった」
「捜査協力ってことですか」
「俺らが協力してもらう側だ」
「葬儀屋とも引き続き」
「そうなる。情報漏洩じゃあない。で、事務所の外はどうだった」
「外というか中を見て回っていました。案の定切られていました」
「どこを」
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「屋敷の表から屋敷内のものがってことね」
「ええ」
「やっぱりだ……」
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「俺には見えませんでしたがね。自然に配線がちぎれたようには」
「なあ食う?」
怒留湯は桶結に小さな包みを差し出した。
「生憎一服中です。俺はこっちで」
「うん」
怒留湯は車両ドアを開けた。
桶結は運転席へ戻る。
「事務所へ一人か二人で来ていた。そんなところでしょう。誰か組員の奴あたりですよ。安紫会か阿麻橘組か、それとも今回に関係ない奴か。俺らに紛れ込んで来て、切って、証拠を消して去った」
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「どう、個人でやったと思うか」
「そこまでは」
「うん」
車は少し前へ出た。
駐車場を抜け車道へ入る。
少ない車通り。
少ない車の大通り。
夜の闇は深まっている。
周辺の道路は入り組む。
狭い通りが多い。
大通りで走る距離の方が少ない。
安紫会と西耒路署はそれほど離れていない。
「他殺体の仏さんってどうなったんです」
「阿麻橘組のかい」
「ええ」
運転は桶結。
適当に、ギアのすぐ傍その上へ置かれている。
持参の吸い殻入れか。
吸い殻は一本。
「頭蓋骨とは別で今、DNA鑑定に回っている」
「DNA鑑定、立て込んでいますね」
「多いね」
信号。赤いランプ。
停車。
怒留湯は、吸い殻を手で摘まむ。
それからまた戻した。
怒留湯は尋ねた。
「阿麻橘組っていま誰が担当?」
「捜一です。青影さん」
「捜査一課ね」
「ええ。他殺体って言えば確実に事件ですから」
青ランプ。
「そうね。俺らは安紫会さんに話を訊くことに徹しよう」
「そうしましょう」
アクセル。
桶結はスピードを上げた。
舵を左へ切る。
後続車も続々と続く。
照明がいまだ点々と点いた建物。
桶結はゆっくり乗り入れた。
西耒路署。
*
なかなか上手く上がらない。
脚の話だ。
自分の体より、脚を高く持って行く。
その作業というのは、いつでも難しい。
調子が良くないのかなあ。
手のマメは皮膚の一部と化したなあ。
何度も回っていれば、そうなるのもそうか。
鐘搗麗慈は、背の低い鉄棒に夢中。
「おー!」
杝直が駆け寄って来て言う。
「直ちゃん待っていたよ~」
麗慈はとにかく、脚を上げようと必死だった。
そのうちに麗慈は、調子を戻したか。
腕と脚とで自分の体を支えて鉄棒を軸に、くるり。
さて一回転。
今は午後、そして放課後。
「上がった!」
「逆上がりだ」
「そうそうちょっと調子良くなかったの。やっと回ったよ!」
「直はまだ、逆上がりが出来ないんだ」
「そうなの」
麗慈は眼をぱちくりして言った。
鉄棒よりも体が上の状態で。
麗慈の身長は一時的に、校庭を見下ろす高さになる。
直はチュニックにジーンズ。
麗慈はシャツにハーフパンツ。
鉄棒を離して地上へ下りる麗慈。
直に言った。
「やってみる? ちょっと服が汚れちゃうかもしれないけれど」
直は赤くなる。
かぶりを振った。
「直、かっこ悪いの」
「あんまりぼくも今日、調子良くないよ。調子いい時に大車輪回れたりする。たぶん今日はこれでいっぱいだ」
「それじゃやっぱり直かっこ悪い」
麗慈はかぶりを振った。
「手伝うよ」
「そう」
直は眼をぱちくりして言った。
「どうすればいい」
「逆上がりなら、地面を蹴るのを一番にやるといい」
直は鉄棒を見ながら、少し考え込むように。
やがて言った。
「うん。やってみる」
麗慈と同じく背の低い鉄棒。
直。
脚を上げるっていうのは難しい。
麗慈は思った。
直は息が上がっている。
「ちょっと疲れた」
「大丈夫支えているから」
「うん」
再度。
やがて。
脚を蹴るタイミングは、腕に力を入れるタイミングと徐々に合ってきた。
直は地面を必死に蹴る。
「ちょっと……あとちょっとだよ」
「あとちょっとか」
「そう! そこ!」
直は地面をめいっぱい蹴った。
そしてくるり。
「おお」
思わずか、言っていた。
一回転。
直は校庭を少し見下ろす高さになった。
「おおお……」
直はポカンとして言う。
「出来たー! 逆上がりが出来ないとは言わせないよ」
麗慈は笑って言った。
「うん出来た。逆上がりした」
直も笑う。
出入口へ向かった麗慈と直。
歩く度、ランドセルが鳴る。
「荷物今日少ない日だね」
「うん」
麗慈と直の脚は校門から外へ、一歩踏み越える。
麗慈は辺りをキョロキョロ見る。
「でさ、知っているかい」
「知っている?」
「ってことは知らないな」
「うん知らない。なんの話だ」
「うん。あのね、先日また珊牙さんに依頼が入ったんだって話」
「お骨の件か」
「そうそう、お骨もあったな。じゃなくて、それとはまた別らしい。事務所のガサ入れに参加したんだって」
「事務所?」
「なんか怖いところだって」
「ふうん」
直はポカンとして言った。
青信号。
横断歩道を渡る。
麗慈と直は渡った。
一ノ勢小学校。
道路の向かいにコンビニ。
「そのガサ入れってガサガサ荒らしちゃうやつか」
「知っているじゃない」
「うーん、獅堅がよく言っている言葉だからな」
「そうなのか」
麗慈は眼をぱちくりして言った。
「警備員やっているから、たまに警察ともお世話になりますだって」
「なるほどねえ」
「なんか怖いところって何」
「なんか怖いところだよ」
「そう」
幟にフラッペ。
直はそれを見つめている。
麗慈の腹が鳴る。
「あのポスター見える?」
「どのポスター」
「動画サイトのやつ」
「動画というか、あれはバーチャルアイドルだ」
「知っているの?」
「獅堅はバーチャルアイドルおたくなんだ。趣味で作るオーダーメイドフィギュアの受注を始めている。確か版元に許可を得たようだ」
「そうなのか」
麗慈はポカンとした。
直はうんうん肯いている。
スマホを取り出す麗慈。
スマホとコンビニのポスターを見比べる。
「て言っても。直ちゃんはあんまり動画サイトとか見なそうだな」
「うん。獅堅がいっぱい見ている。お姉ちゃんと私が見なくても大丈夫だ」
「大丈夫なのか」
「サーバーには何も問題ないだろう」
「そっか。でね、動画サイトはあのポスターの子なんだ。珊牙さんが行った怖いところの事務所で企画やって、失敗しちゃったらしいの」
「失敗」
「うん」
直もまた、スマホとポスターを見比べた。
スマホへ映る画面にはでかでかと「お詫び」の文字。
「しーあとれっく?」
直は尋ねた。
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