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「問」を土から見て
9.
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空の上の方は夜の闇。
真っ昼間のような下方。
安紫会の事務所に近い所まで来た。
数登珊牙のゆったりした運転は、杵屋依杏の眠気を呼び覚ました。
眠気が出たらまずいのに。
そして外は明るい。
安紫会の事務所は、組事務所である。
なんだか不思議な気分だ。
依杏はぼんやりしている。
そして言った。
そして眠い。
「今、夜の十時ですよね」
「ええ」
「ドラマとかではと思うんですけれど。どこかに家宅捜索する場合って、いきなり刑事さんたちは唐突に踏み込むのですよね? 夜明けと同時にドッと踏み込む! とか」
「安紫会の事務所は今警察の方々へ、明け渡されている状態です。用語で言うと『突然のガサ入れ』に近いのかもしれません」
「そんで確か家宅捜索って、家に犯人がいる時とかにドッといくのですよね。そこで確保ー! って」
「なるほど。ただ、若頭と親分は今事務所へ来ているそうですよ」
提灯のようなランタンのような巨大な照明。
道路の現場で使うような照明だ。
それが何十台とあった。
屋敷から庭から全てを明るく照らす。
浮き上がるようにぽっかりとしている輪郭。
数登と依杏の乗った黒のセダン。
安紫会の事務所前、正確にはその脇へ到着した。
さて到着はした。
依杏はぽかんとしている。
数登の運転してきたセダンから降りて、事務所の高い塀を見上げている。
樹木の緑が塀の、上から覗いている。
数登は車を事務所正面ではなく、その高い塀に沿わせた。
そして事務所脇へ停車させた。
安紫会の事務所正面には門構えがある。
近くにある駐車場は、刑事の車両でいっぱいだった。
正面へ向かう方向からではなく、裏口方向から車を回した数登。
何かと道が入り組んでいる地帯である。
小店やマンションも多く、通り抜けが難しい箇所も多い。
ので、車両で乗り付けるには裏口方向が良かったようだ。
事務所のぐるり。
どこも高い塀で、そのまま中の様子を見ることは容易ではなさそうで。
高い塀に付いている瓦が、ところどころ崩れている。
その塀の外壁にもところどころ剥がれがある。
裏口の扉にも破損があった。
安紫会と阿麻橘組の抗争について依杏は調べていた。
恐らくそれに関連しているであろう、少しの崩れにはよく眼がいくものの。
中の様子が分からない。
西耒路署の刑事から了解を得ている。
その前提で、駐車場以外に車を駐車することに了解を得ている。
つまり西耒路署の交通課は、数登の車に対して切符を切らない。
そういうことで話を持ったらしい。
照らされて明るい事務所周辺。
その光は高い塀を越えて、外側にもやって来る。
主にボンネットは、照明の明かりを反射しながら光沢を帯びて、闇の中に光の粒を映している。
刑事たちの車両が光っているのだ。
数登も黒のセダンから降りた。
依杏と数登は正面の門構えへ回った。
開け放たれていた。
「襲撃があったのは本当だったんですよね」
依杏は言った。
「ええ」
数登は返す。
自分でも安紫会と阿麻橘組の抗争のことを調べはしていたが、あくまでも情報としてだ。
実感を持つことは難しい。
自分から組事務所に来るなんていうことは、今までなかったということもある。
安紫会の事務所に来ているのは、主に西耒路署の刑事さんたちだろう。
そして行われている『家宅捜索かもしれない何か』より、それ以前。
つまり抗争があってそれが沈静化したあと。
組対組の抗争だから、止めたのはもちろん刑事さんたちだろう。
と依杏は思っていた。
事実それで西耒路署の怒留湯さんと桶結さんも奮闘したらしいのだ。
釆原さんはそれで怪我をしてしまった。
幸い傷は塞がった。
その抗争と始まりと鎮静直後から、安紫会の事務所はそのままにされていた、ということだろう。
釆原凰介は劒物大学病院へ入院しており、数登と依杏は見舞いに行った。
そこへ西耒路署の鑑識も見舞いに来た。
名前は清水颯斗。
清水の話していたところによると、安紫会事務所の組員たちは今、他所で待機させられているらしい。
数登の言った「警察の方々へ、明け渡されている状態」というのは、そのことである。
上を見上げて、依杏の眼に止まったのは、事務所に設置された監視カメラの数々。
所謂防犯カメラ。
正面の門構えと、数登と一緒にその門構えを潜り抜けたところにも一台。
実際に抗争が起こってしまった後だ。
例え防犯カメラとはいっても、事務所全体も含めて防犯あるいは要塞と言うのには、少し足りないのかもしれない。
と依杏は思った。
ただ彼女が調べたところによれば、安紫会の事務所はどこかの外壁に、何か武器を搭載しているという噂があると。
組事務所としてのシンボル、という意味合いが強いのかもしれない。
と依杏は思うことにした。
実際に使われた例を情報では見つけることが出来なかったためである。
照明を目一杯受けて光る緑は、騒ぎの状態をより鮮明に物語っていた。
数登と依杏が中に入ると、鉄格子で作られた壁が張り巡らされている箇所がいくつもあった。
事務所屋敷は、日本屋敷だった。
両脇に提灯の掛かった、正面玄関があった。
その提灯にも明かりが入れられている。
白く光る提灯。書かれてある筆文字。
屋敷の周りに生えている樹木は、とても背が高かった。
何年ここに生えて、枝葉を伸ばし続けて来たのだろう。
依杏は思った。
大きな緑の葉。
屋敷を隠すように屹立している木々。
数登と依杏は門構えを潜った。
大きな枝と葉の下も潜り抜けた。
広葉樹林かな。
依杏には分からなかった。
屋敷の正面玄関へ着いた。
「ディア」
数登は依杏に言った。
「清水さんは屋敷内にいらっしゃいます」
「確か清水さん、同じ鑑識の歯朶尾さんも来るって仰っていました」
「ディアは鑑識さん方と一緒に、屋敷の中を見回っては」
「そ、それは回りますけれど、一緒にって言っても、珊牙さんは回らないんですか?」
「伊豆蔵の若頭、御存知でしょう?」
「そりゃもちろんです。存じていますよ。伊豆蔵蒼士でしょう。さっき珊牙さんも言っていたし、私もいろいろ調べたのですよ」
「ではこちらから回りましょうか」
「へ」
依杏はポカンとして言った。
屋敷は樹木が覆っている状態だった。
その脇へ逸れて歩き出す数登。
依杏もついて行く。
樹木が減り、視界が一気に開けた。
庭園。
依杏は思わず見入った。
巨大な石。
立派な松。
手入れがなされた日本庭園。
「若頭に、お話を伺いつつ僕は屋敷内を回ります」
「伺いつつ」
依杏は数登の言葉にそう返して、少し考え込むようにした。
庭園は確かに庭園なのだ。
そして縁側、確か榑縁というのだろう。
屋敷に付いている縁側がそうだ。
日本屋敷と日本庭園。
鮫淵親分の趣味は幅広いと調べていて分かったけれど、事務所にもそれが反映されているのかな。
その榑縁から多くの刑事が、屋敷へ上がりこんでいる様子に見えた。
沢山の靴。
屋敷の榑縁の真下あたりに沢山、並べられている。
正面玄関からではなく縁側から入ったということ。
だけれどその一方で、榑縁から屋敷内へ続いていくその奥は、土と泥だらけに見えるな。
庭園は確かに日頃から手入れされているのだろう。
手入れはされているのだろうけれど、依杏が今見ているその庭園の様子は、うねって散らばっているかのようだ。
巨大な石や松とは対照的に。
「乱闘があった……」
依杏が言ったので数登は肯いた。
「当日のままだそうです。そのまま現場保存してあると」
調べた抗争のことと「若頭」という単語を組み合わせると、どうなるか。
「わ、分かりました私、一緒に鑑識さんとかと回っています」
数登は依杏の言葉に苦笑した。
「分かりましたか」
「分かり過ぎました」
依杏としたら、さすがに組のナンバーツーである人物と面と向かって会うのは怖いだけだった。
「僕も鑑識さんの所を一緒に回ります。ディア」
「でも確か、清水さんの話だと他の組員の人たちって別のところにいるってことに、そう。他所で過ごしてもらっているって清水さん仰っていませんでしたっけ? 直系とか直参の人とかもいるってことですか、若頭がいるんなら」
依杏は早口でまくしたてるように言った。
数登は眼をぱちくり。
「とりあえず屋敷へお邪魔しましょう。『直』とつくものは僕も、その辺りにはあまり詳しくないものでね」
「あ、あたしだって詳しくないですよ……」
依杏は赤くなりつつシュンとする。
「調べていたらいろいろ見つけたんです」
「なるほど」
数登はまた苦笑した。
あたし、考えすぎかもしれない。
依杏は顔を赤らめる。
数登と依杏は、屋敷の榑縁に脚を掛けた。
そして数登も依杏も、脚の裏は靴下で覆っている。
砂の感触がすごい。と依杏は思った。
「屋敷内も荒らされたんですね」
「ええ」
騒ぎがあったことは一目瞭然。
盗難があってもおかしくない荒らされ方だ。
そう依杏は思った。
屋敷に榑縁から上がって振り返ってみると、庭園でも刑事たちが何やら作業をしている。
なんかものすごい貫禄のある人がいるな。
と依杏は思った。
数登と依杏は、屋敷内をずんずん進んだ。
大画面のスクリーンが壁へ掛けられて用意されている。
その様子が依杏の眼に映った。
スクリーンには女の子が映っている。
大きな目をぱちくりしながら元気よく呼び掛けるように。
容姿は3Dで象られていた。
ターコイズブルーの瞳と髪の色。
「Se-ATrecちゃんだ」
と、あの貫禄のある人は誰なのだろう。
「新聞に載っていたバーチャルアイドルが、捜査に参加っていうのも本当だったんですね」
依杏と数登は奥の間にやって来た。
「親分さんにも同行いただいているそうです」
数登が言って、依杏はびっくりした。
「あの人が」
依杏の調べた情報、つまり安紫会と阿麻橘組の抗争に関して。
依杏が釆原に渡した情報だ。
座ってSe-ATrecと思われるキャラクターを見ている、それが「親分」。
安紫会のトップである鮫淵柊翠だった。
三十後半、黒い髪は短めにしているが側頭部を刈り上げており、後ろも刈っている。
今は後ろ姿でしか判断出来ない。
鮫淵はスクリーンの方へ向いているためだ。
その短い髪と項から覗く肌が少々浅黒い。
スーツは黒。
シンプルな恰好、故に貫禄が際立っている。
後ろ姿からはなんとも印象を判断しにくかった。
どこかの組の親分がキャラクターを見ている図というのがなんとも。
なんとしていいか依杏には判別しかねた。
屋敷内の、荒らされている方へ依杏は眼をやった。
「おうおうおう現場を荒らしに来たのかい」
「清水さんからご招待をいただきました」
「あらそうかい」
怒留湯基ノ介だった。
怒留湯は西耒路署の強行犯係である。
数登はそれに微笑んで、応じている。
「お話を訊いても?」
数登は親分の方を顎で示して言った。
「ああ親分かい? あれはあれでマルBなりに抗争の件で落ち込んでいるとは思うからさ。そっとしておいてあげなよ。俺とあんたには若頭の方が話をしてくれるって。一緒に来るかい。一緒に来るんだよな」
「ええ」
なんだか二人の会話は続くようなので、依杏は更に荒らされている方へ脚をずんずん踏み入れる。
「荒らさないでくれよ! 頼むから!」
怒留湯は依杏へ声高に、呼び掛けた。
「分かっていますよ!」
依杏はそう返す。
慈満寺で取り調べを受けたことがある依杏。
怒留湯はその時担当だった。
数登と依杏と釆原は、一緒に怒留湯に聴取を受けた。
慈満寺では「鐘が鳴って人が死ぬ」という噂が立って、実際に人が亡くなるという案件があったためである。
数登と釆原、そして依杏はその現場で、一緒に調査をしていた。
依杏は慈満寺の案件の後、数登の勤める九十九社へ。
九十九社は葬儀屋だ。
葬儀以外で仕事の依頼が入ることもある。
例えば今回のように刑事と、一緒になることも少なくない。
依頼の多くは個人的な謎解きの依頼というためもある。
ただこうした組事務所に関する、依頼はほぼなかった。
依頼を受ける立場として、九十九社から出向いているのは珊牙さんと私にしたら当然のことである。
怒留湯さんは刑事である。
そして刑事さんである怒留湯さんにとっては、九十九社から出て来ている私と珊牙さんがここに居るのは、あまり当然ではない。
捜査にお邪魔しているのだから静々と歩こう。
と依杏は思ったりする。
西耒路署の鑑識である清水さんは好意でここへ呼んでくれたはずだ。
それもあるから静かに歩こう。
と思ったはいいものの、依杏は結局ずんずんと歩いて行った。
数字を書いた小さい立札のようなものが沢山あった。
いくつも床の上へ載っている。
殺人現場のようだ。それでも置いているのかなあ。
床を這いつくばって真剣そうな鑑識が居た。
清水颯斗だった。
制服で帽子姿である。
清水の隣で、スマホを見ている鑑識も居た。
依杏はなんだか気になった。
その鑑識の持っているスマホを覗き込んでみた。
「お」
そう言って、金縁の丸眼鏡を少し鼻から上げてみせる鑑識。
「大丈夫? 何だか場違いだよね。そんな恰好でこんな所に……。動画は家に帰って見るもんだよ学生さん」
依杏はムッとした。
Se-ATrecに夢中なのを邪魔しちゃったのかな。
「あの私恰好はこうですが、九十九社の者なんですけれど」
「ああーそういう感じねえ。葬儀屋の」
「そういう感じとかじゃなくて、杵屋依杏といいます」
「おや杵屋さん来て下さいましたか」
そう言ったのは清水だった。
「ねえ言ったでしょう。歯朶尾はねえ、シーアトレックのファンなんですよ」
歯朶尾さんのスマホ画面。
Se-ATrecちゃんが映っている。
鮫淵親分が見ていたスクリーンとどうやら同じ映像のようだ。
歯朶尾灯さんとはこの人か。
と依杏は思った。
歯朶尾はしぶしぶスマホを依杏に見せるようにした。
Se-ATrecは「盗難」に関するアドバイスをしている。
「リアルタイムで話してくれているようですよ」
清水がそう言った。
「なるほどお」
依杏は少し見入った。
白いボードがあって、そこに時々文字が表示されていく。
なるほど、説明文付きの捜査協力なのかなあ。
『さあ次はこれー!』
と元気な声でSe-ATrecが言った。
「え、え、え」
歯朶尾は大慌て。
スマホの画面が突然暗転したのだ。
「え、うそうそ何々!?」
「え、ど、どうしたんですか」
依杏も慌てた。
「どうしよう。電気系統か!? 電気系統なのか!?」
歯朶尾は大騒ぎ。
大きなスクリーンにあったSe-ATrecの姿も暗転している。
スクリーンは真っ黒になっていた。
「落ち着けシダ。屋敷自体、荒れ放題だからなあ。電気系統に影響が出ていてもおかしくないのかもしれない」
「そ、それにしてもいきなりでした」
清水の言葉に、依杏はそう返した。
依杏も慌てている。
歯朶尾ほどではないが。
安紫会の事務所でも何か、磁界みたいなのがあるのだろうか……。
そうしたら私はスクリーン暗転事案以上に気を付けなくてはならぬ。
湿布を持って来なかったなあ。
「ねえ、ねえ! トレックちゃんの3Dアバターはどうなったんですか無事なんですかああ」
歯朶尾は他の鑑識に縋りついて大慌てを続けている。
「だ、大丈夫ですか……」
依杏は歯朶尾の様子にツッコんでみた。
「さあねー西耒路署では特にああいう人が多くなっていますよ」
「多くていいんですか」
「良くはないな」
依杏のところへ来た歯朶尾。
泣きそうな顔だ。
清水に縋りついた。
「清水さん、3Dのアバターってバックアップ取れると思いますか?」
「だってシダ、電気系統だとしてもだ。ただ映像が消えただけなんだから。全てがオフになったわけじゃない。よく見てみろ」
「で、でも」
「照明は無事だ。スクリーンは消えてスマホも消えたとなれば通信の方じゃないのかな。確か3Dのアバターを演者の動きとリンクさせて配信しているんだろう。とすると、通信が途切れてもアバターは無事だしその演者さんも無事だろう。違うか?」
歯朶尾は眼をぱちくり。
「あの。ちょっと詳しくなりましたね」
「さあどうだか。俺だって少しは気になりゃあ調べるよ」
真っ昼間のような下方。
安紫会の事務所に近い所まで来た。
数登珊牙のゆったりした運転は、杵屋依杏の眠気を呼び覚ました。
眠気が出たらまずいのに。
そして外は明るい。
安紫会の事務所は、組事務所である。
なんだか不思議な気分だ。
依杏はぼんやりしている。
そして言った。
そして眠い。
「今、夜の十時ですよね」
「ええ」
「ドラマとかではと思うんですけれど。どこかに家宅捜索する場合って、いきなり刑事さんたちは唐突に踏み込むのですよね? 夜明けと同時にドッと踏み込む! とか」
「安紫会の事務所は今警察の方々へ、明け渡されている状態です。用語で言うと『突然のガサ入れ』に近いのかもしれません」
「そんで確か家宅捜索って、家に犯人がいる時とかにドッといくのですよね。そこで確保ー! って」
「なるほど。ただ、若頭と親分は今事務所へ来ているそうですよ」
提灯のようなランタンのような巨大な照明。
道路の現場で使うような照明だ。
それが何十台とあった。
屋敷から庭から全てを明るく照らす。
浮き上がるようにぽっかりとしている輪郭。
数登と依杏の乗った黒のセダン。
安紫会の事務所前、正確にはその脇へ到着した。
さて到着はした。
依杏はぽかんとしている。
数登の運転してきたセダンから降りて、事務所の高い塀を見上げている。
樹木の緑が塀の、上から覗いている。
数登は車を事務所正面ではなく、その高い塀に沿わせた。
そして事務所脇へ停車させた。
安紫会の事務所正面には門構えがある。
近くにある駐車場は、刑事の車両でいっぱいだった。
正面へ向かう方向からではなく、裏口方向から車を回した数登。
何かと道が入り組んでいる地帯である。
小店やマンションも多く、通り抜けが難しい箇所も多い。
ので、車両で乗り付けるには裏口方向が良かったようだ。
事務所のぐるり。
どこも高い塀で、そのまま中の様子を見ることは容易ではなさそうで。
高い塀に付いている瓦が、ところどころ崩れている。
その塀の外壁にもところどころ剥がれがある。
裏口の扉にも破損があった。
安紫会と阿麻橘組の抗争について依杏は調べていた。
恐らくそれに関連しているであろう、少しの崩れにはよく眼がいくものの。
中の様子が分からない。
西耒路署の刑事から了解を得ている。
その前提で、駐車場以外に車を駐車することに了解を得ている。
つまり西耒路署の交通課は、数登の車に対して切符を切らない。
そういうことで話を持ったらしい。
照らされて明るい事務所周辺。
その光は高い塀を越えて、外側にもやって来る。
主にボンネットは、照明の明かりを反射しながら光沢を帯びて、闇の中に光の粒を映している。
刑事たちの車両が光っているのだ。
数登も黒のセダンから降りた。
依杏と数登は正面の門構えへ回った。
開け放たれていた。
「襲撃があったのは本当だったんですよね」
依杏は言った。
「ええ」
数登は返す。
自分でも安紫会と阿麻橘組の抗争のことを調べはしていたが、あくまでも情報としてだ。
実感を持つことは難しい。
自分から組事務所に来るなんていうことは、今までなかったということもある。
安紫会の事務所に来ているのは、主に西耒路署の刑事さんたちだろう。
そして行われている『家宅捜索かもしれない何か』より、それ以前。
つまり抗争があってそれが沈静化したあと。
組対組の抗争だから、止めたのはもちろん刑事さんたちだろう。
と依杏は思っていた。
事実それで西耒路署の怒留湯さんと桶結さんも奮闘したらしいのだ。
釆原さんはそれで怪我をしてしまった。
幸い傷は塞がった。
その抗争と始まりと鎮静直後から、安紫会の事務所はそのままにされていた、ということだろう。
釆原凰介は劒物大学病院へ入院しており、数登と依杏は見舞いに行った。
そこへ西耒路署の鑑識も見舞いに来た。
名前は清水颯斗。
清水の話していたところによると、安紫会事務所の組員たちは今、他所で待機させられているらしい。
数登の言った「警察の方々へ、明け渡されている状態」というのは、そのことである。
上を見上げて、依杏の眼に止まったのは、事務所に設置された監視カメラの数々。
所謂防犯カメラ。
正面の門構えと、数登と一緒にその門構えを潜り抜けたところにも一台。
実際に抗争が起こってしまった後だ。
例え防犯カメラとはいっても、事務所全体も含めて防犯あるいは要塞と言うのには、少し足りないのかもしれない。
と依杏は思った。
ただ彼女が調べたところによれば、安紫会の事務所はどこかの外壁に、何か武器を搭載しているという噂があると。
組事務所としてのシンボル、という意味合いが強いのかもしれない。
と依杏は思うことにした。
実際に使われた例を情報では見つけることが出来なかったためである。
照明を目一杯受けて光る緑は、騒ぎの状態をより鮮明に物語っていた。
数登と依杏が中に入ると、鉄格子で作られた壁が張り巡らされている箇所がいくつもあった。
事務所屋敷は、日本屋敷だった。
両脇に提灯の掛かった、正面玄関があった。
その提灯にも明かりが入れられている。
白く光る提灯。書かれてある筆文字。
屋敷の周りに生えている樹木は、とても背が高かった。
何年ここに生えて、枝葉を伸ばし続けて来たのだろう。
依杏は思った。
大きな緑の葉。
屋敷を隠すように屹立している木々。
数登と依杏は門構えを潜った。
大きな枝と葉の下も潜り抜けた。
広葉樹林かな。
依杏には分からなかった。
屋敷の正面玄関へ着いた。
「ディア」
数登は依杏に言った。
「清水さんは屋敷内にいらっしゃいます」
「確か清水さん、同じ鑑識の歯朶尾さんも来るって仰っていました」
「ディアは鑑識さん方と一緒に、屋敷の中を見回っては」
「そ、それは回りますけれど、一緒にって言っても、珊牙さんは回らないんですか?」
「伊豆蔵の若頭、御存知でしょう?」
「そりゃもちろんです。存じていますよ。伊豆蔵蒼士でしょう。さっき珊牙さんも言っていたし、私もいろいろ調べたのですよ」
「ではこちらから回りましょうか」
「へ」
依杏はポカンとして言った。
屋敷は樹木が覆っている状態だった。
その脇へ逸れて歩き出す数登。
依杏もついて行く。
樹木が減り、視界が一気に開けた。
庭園。
依杏は思わず見入った。
巨大な石。
立派な松。
手入れがなされた日本庭園。
「若頭に、お話を伺いつつ僕は屋敷内を回ります」
「伺いつつ」
依杏は数登の言葉にそう返して、少し考え込むようにした。
庭園は確かに庭園なのだ。
そして縁側、確か榑縁というのだろう。
屋敷に付いている縁側がそうだ。
日本屋敷と日本庭園。
鮫淵親分の趣味は幅広いと調べていて分かったけれど、事務所にもそれが反映されているのかな。
その榑縁から多くの刑事が、屋敷へ上がりこんでいる様子に見えた。
沢山の靴。
屋敷の榑縁の真下あたりに沢山、並べられている。
正面玄関からではなく縁側から入ったということ。
だけれどその一方で、榑縁から屋敷内へ続いていくその奥は、土と泥だらけに見えるな。
庭園は確かに日頃から手入れされているのだろう。
手入れはされているのだろうけれど、依杏が今見ているその庭園の様子は、うねって散らばっているかのようだ。
巨大な石や松とは対照的に。
「乱闘があった……」
依杏が言ったので数登は肯いた。
「当日のままだそうです。そのまま現場保存してあると」
調べた抗争のことと「若頭」という単語を組み合わせると、どうなるか。
「わ、分かりました私、一緒に鑑識さんとかと回っています」
数登は依杏の言葉に苦笑した。
「分かりましたか」
「分かり過ぎました」
依杏としたら、さすがに組のナンバーツーである人物と面と向かって会うのは怖いだけだった。
「僕も鑑識さんの所を一緒に回ります。ディア」
「でも確か、清水さんの話だと他の組員の人たちって別のところにいるってことに、そう。他所で過ごしてもらっているって清水さん仰っていませんでしたっけ? 直系とか直参の人とかもいるってことですか、若頭がいるんなら」
依杏は早口でまくしたてるように言った。
数登は眼をぱちくり。
「とりあえず屋敷へお邪魔しましょう。『直』とつくものは僕も、その辺りにはあまり詳しくないものでね」
「あ、あたしだって詳しくないですよ……」
依杏は赤くなりつつシュンとする。
「調べていたらいろいろ見つけたんです」
「なるほど」
数登はまた苦笑した。
あたし、考えすぎかもしれない。
依杏は顔を赤らめる。
数登と依杏は、屋敷の榑縁に脚を掛けた。
そして数登も依杏も、脚の裏は靴下で覆っている。
砂の感触がすごい。と依杏は思った。
「屋敷内も荒らされたんですね」
「ええ」
騒ぎがあったことは一目瞭然。
盗難があってもおかしくない荒らされ方だ。
そう依杏は思った。
屋敷に榑縁から上がって振り返ってみると、庭園でも刑事たちが何やら作業をしている。
なんかものすごい貫禄のある人がいるな。
と依杏は思った。
数登と依杏は、屋敷内をずんずん進んだ。
大画面のスクリーンが壁へ掛けられて用意されている。
その様子が依杏の眼に映った。
スクリーンには女の子が映っている。
大きな目をぱちくりしながら元気よく呼び掛けるように。
容姿は3Dで象られていた。
ターコイズブルーの瞳と髪の色。
「Se-ATrecちゃんだ」
と、あの貫禄のある人は誰なのだろう。
「新聞に載っていたバーチャルアイドルが、捜査に参加っていうのも本当だったんですね」
依杏と数登は奥の間にやって来た。
「親分さんにも同行いただいているそうです」
数登が言って、依杏はびっくりした。
「あの人が」
依杏の調べた情報、つまり安紫会と阿麻橘組の抗争に関して。
依杏が釆原に渡した情報だ。
座ってSe-ATrecと思われるキャラクターを見ている、それが「親分」。
安紫会のトップである鮫淵柊翠だった。
三十後半、黒い髪は短めにしているが側頭部を刈り上げており、後ろも刈っている。
今は後ろ姿でしか判断出来ない。
鮫淵はスクリーンの方へ向いているためだ。
その短い髪と項から覗く肌が少々浅黒い。
スーツは黒。
シンプルな恰好、故に貫禄が際立っている。
後ろ姿からはなんとも印象を判断しにくかった。
どこかの組の親分がキャラクターを見ている図というのがなんとも。
なんとしていいか依杏には判別しかねた。
屋敷内の、荒らされている方へ依杏は眼をやった。
「おうおうおう現場を荒らしに来たのかい」
「清水さんからご招待をいただきました」
「あらそうかい」
怒留湯基ノ介だった。
怒留湯は西耒路署の強行犯係である。
数登はそれに微笑んで、応じている。
「お話を訊いても?」
数登は親分の方を顎で示して言った。
「ああ親分かい? あれはあれでマルBなりに抗争の件で落ち込んでいるとは思うからさ。そっとしておいてあげなよ。俺とあんたには若頭の方が話をしてくれるって。一緒に来るかい。一緒に来るんだよな」
「ええ」
なんだか二人の会話は続くようなので、依杏は更に荒らされている方へ脚をずんずん踏み入れる。
「荒らさないでくれよ! 頼むから!」
怒留湯は依杏へ声高に、呼び掛けた。
「分かっていますよ!」
依杏はそう返す。
慈満寺で取り調べを受けたことがある依杏。
怒留湯はその時担当だった。
数登と依杏と釆原は、一緒に怒留湯に聴取を受けた。
慈満寺では「鐘が鳴って人が死ぬ」という噂が立って、実際に人が亡くなるという案件があったためである。
数登と釆原、そして依杏はその現場で、一緒に調査をしていた。
依杏は慈満寺の案件の後、数登の勤める九十九社へ。
九十九社は葬儀屋だ。
葬儀以外で仕事の依頼が入ることもある。
例えば今回のように刑事と、一緒になることも少なくない。
依頼の多くは個人的な謎解きの依頼というためもある。
ただこうした組事務所に関する、依頼はほぼなかった。
依頼を受ける立場として、九十九社から出向いているのは珊牙さんと私にしたら当然のことである。
怒留湯さんは刑事である。
そして刑事さんである怒留湯さんにとっては、九十九社から出て来ている私と珊牙さんがここに居るのは、あまり当然ではない。
捜査にお邪魔しているのだから静々と歩こう。
と依杏は思ったりする。
西耒路署の鑑識である清水さんは好意でここへ呼んでくれたはずだ。
それもあるから静かに歩こう。
と思ったはいいものの、依杏は結局ずんずんと歩いて行った。
数字を書いた小さい立札のようなものが沢山あった。
いくつも床の上へ載っている。
殺人現場のようだ。それでも置いているのかなあ。
床を這いつくばって真剣そうな鑑識が居た。
清水颯斗だった。
制服で帽子姿である。
清水の隣で、スマホを見ている鑑識も居た。
依杏はなんだか気になった。
その鑑識の持っているスマホを覗き込んでみた。
「お」
そう言って、金縁の丸眼鏡を少し鼻から上げてみせる鑑識。
「大丈夫? 何だか場違いだよね。そんな恰好でこんな所に……。動画は家に帰って見るもんだよ学生さん」
依杏はムッとした。
Se-ATrecに夢中なのを邪魔しちゃったのかな。
「あの私恰好はこうですが、九十九社の者なんですけれど」
「ああーそういう感じねえ。葬儀屋の」
「そういう感じとかじゃなくて、杵屋依杏といいます」
「おや杵屋さん来て下さいましたか」
そう言ったのは清水だった。
「ねえ言ったでしょう。歯朶尾はねえ、シーアトレックのファンなんですよ」
歯朶尾さんのスマホ画面。
Se-ATrecちゃんが映っている。
鮫淵親分が見ていたスクリーンとどうやら同じ映像のようだ。
歯朶尾灯さんとはこの人か。
と依杏は思った。
歯朶尾はしぶしぶスマホを依杏に見せるようにした。
Se-ATrecは「盗難」に関するアドバイスをしている。
「リアルタイムで話してくれているようですよ」
清水がそう言った。
「なるほどお」
依杏は少し見入った。
白いボードがあって、そこに時々文字が表示されていく。
なるほど、説明文付きの捜査協力なのかなあ。
『さあ次はこれー!』
と元気な声でSe-ATrecが言った。
「え、え、え」
歯朶尾は大慌て。
スマホの画面が突然暗転したのだ。
「え、うそうそ何々!?」
「え、ど、どうしたんですか」
依杏も慌てた。
「どうしよう。電気系統か!? 電気系統なのか!?」
歯朶尾は大騒ぎ。
大きなスクリーンにあったSe-ATrecの姿も暗転している。
スクリーンは真っ黒になっていた。
「落ち着けシダ。屋敷自体、荒れ放題だからなあ。電気系統に影響が出ていてもおかしくないのかもしれない」
「そ、それにしてもいきなりでした」
清水の言葉に、依杏はそう返した。
依杏も慌てている。
歯朶尾ほどではないが。
安紫会の事務所でも何か、磁界みたいなのがあるのだろうか……。
そうしたら私はスクリーン暗転事案以上に気を付けなくてはならぬ。
湿布を持って来なかったなあ。
「ねえ、ねえ! トレックちゃんの3Dアバターはどうなったんですか無事なんですかああ」
歯朶尾は他の鑑識に縋りついて大慌てを続けている。
「だ、大丈夫ですか……」
依杏は歯朶尾の様子にツッコんでみた。
「さあねー西耒路署では特にああいう人が多くなっていますよ」
「多くていいんですか」
「良くはないな」
依杏のところへ来た歯朶尾。
泣きそうな顔だ。
清水に縋りついた。
「清水さん、3Dのアバターってバックアップ取れると思いますか?」
「だってシダ、電気系統だとしてもだ。ただ映像が消えただけなんだから。全てがオフになったわけじゃない。よく見てみろ」
「で、でも」
「照明は無事だ。スクリーンは消えてスマホも消えたとなれば通信の方じゃないのかな。確か3Dのアバターを演者の動きとリンクさせて配信しているんだろう。とすると、通信が途切れてもアバターは無事だしその演者さんも無事だろう。違うか?」
歯朶尾は眼をぱちくり。
「あの。ちょっと詳しくなりましたね」
「さあどうだか。俺だって少しは気になりゃあ調べるよ」
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