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「問」を土から見て
6.
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安紫会の事務所。
所謂、組事務所だ。
屋敷だった。
そこへ、阿麻橘組の組員三名がやって来る。
安紫会と阿麻橘組は対立勢力である。
出番と言えばマル暴なのだが、今ここにマル暴はいない。
そしてそれを文句にしていたけれど結局いるのが、西耒路署の強行犯係である怒留湯基ノ介だ。
相棒の桶結千鉄と一緒である。
そして更に三名。
日刊「ルクオ」の記者、釆原凰介と五味田茅斗、菊壽作至。
安紫会の事務所にやって来たのは医師の入海暁一。
それで、怒留湯と釆原は一緒に医師および組員の様子を見るために、建物の影からいろいろ思案を巡らせていた。
やって来た阿麻橘組の三名は静かである。
動きがあるかと思ったのに、動きがない。
怒留湯いわく、前日に阿麻橘組と安紫会のところへ出向いた時も、いまのように動きがなかったという。
だがあまりにも組員に動きがないので、釆原と菊壽は怒留湯と一緒に行動を開始した。
菊壽は高解像度の小型カメラを持参してやって来ていた。
その小型カメラを、「自撮り棒」に似た何かにセットする。
耐久性があり厚さも薄く細いため、遠距離では視認しにくい道具だった。
安紫会の事務所脇の高い塀から、少し覗かせて撮影をする。
入海暁一は、安紫会の組員に正面ではなく、事務所脇へ導かれて屋敷内に入った。
釆原と怒留湯と菊壽も、入海と同じ道を辿ってみる。つもりだ。
動かない阿麻橘組の三名は、桶結千鉄と五味田茅斗に様子を見ていてもらうことになった。
桶結は係長に連絡を取る。
捜査一課の出番になるかは現時点で判断しかねるものの、新たにマル暴へ応援を頼むらしい。
安紫会と阿麻橘組。
事務所周辺や地域の人々いわく、「どちらとも大人しい組」とのことだ。
怒留湯はそう言った。
あまり抗争を起こすこともないし、何しろ暴対法がある。
だから組同士あまりにも、騒ぎを起こしていればメリットがない。
というのも重々分かっている。
そこは彼らも考えているだろう。とも。
なお暴対法以前は度々抗争などを起こしていた。
安紫会と阿麻橘組はそれでも組の看板を立てている。
西耒路署をはじめ、地域の管轄では「張る」対象ではある。
阿麻橘組の組員は若い三名。
安紫会の事務所に例えば義理で来ているのだとしても。
動きがないにせよ。
何か起こらないとは限らない。
あくまでも刑事の見方だ。
釆原と菊壽と五味田は、日常茶飯事でチンピラの喧嘩や切った張ったを見たりしている。
取材の最中などだ。
ただ目撃だけであり、あまり見張ったことはない。
菊壽は小型カメラだけを塀の上から出して撮影をしている。
映像は、スマホで確認出来る仕組みになっていた。
当然だがカメラもまた、遠距離からでは視認しにくい程小さいものだ。
釆原たちは監視カメラの存在を意識しながら動くことに努めた。
だが幸いなことに、事務所脇の上方、いま釆原と怒留湯と菊壽の居る辺りには見当たらない。
「良ければ昼飯おごってくださいよ」
菊壽は怒留湯にそう言った。
「うーんそうね。考えておくよ。小型カメラに関しては礼を言う」
「なんか安いのでいいんで」
「当然じゃないか。高いのはおごらないからね」
「はいはい」
「あと何も起こらなかったらで」
「了解です」
怒留湯は菊壽のスマホを持って、それを見ている。
高解像度カメラの映像は菊壽のスマホに送信されている。
自動転送のあと、釆原のスマホへ。
釆原は言った。
「屋敷の見える所へ出て来ました」
怒留湯が尋ねる。
「白い服の人が入海先生?」
「ええ」
日本庭園。
そう言って申し分なかった。
高い塀と屋敷の間には広い庭がある。
青々した芝生と草木。
庭を彩るものとしての岩。
動きのある生え方をした松の緑。
親分の趣味だろう。
榑縁に出て来て座った人物。
医師の入海暁一だった。
怒留湯が「白い服の人」と言ったのは、入海は白衣だったためで。
スーツの面々がぞろぞろやって来て、入海の傍へ従うように座った。
若い組員たちだ。
入海は所謂「もてなし」を受けている最中だろう。
だが組員のもてなしなんて、一般人からすれば怖いだけだ。
俺だったら死んでも怖いね。
と言ったのは怒留湯で。
丁寧に入海の応対に当たる組員。
茶や菓子折りのような物も見受けられる。
だが、入海自身はそれを何か食べたり飲んだりという様子は見られなかった。
怒留湯は言った。
「安紫会の若頭の名前は知っている?」
「ええ。伊豆蔵蒼士でしょう?」
そう言ったのは菊壽だ。
「そうだよ。よく知っているなあ」
「入海先生は確か二十八。伊豆蔵の若頭も同い年くらいですか」
「写真とか見たことあるの」
「何回かですね。入海先生よりは、伊豆蔵って若頭の方がずっと貫禄ありましたよ。なんかこう貫禄です。どーんと」
「どーんってなんだよ。あのね貫禄って云ってもね。あんたが感心してどうする」
怒留湯はツッコミを入れた。
「どうもしませんよ」
菊壽は苦笑した。
スマホの解像度を通した映像。
ズームにしても限度はある。
映像から読み取れないものは認識をしづらい。
入海の顔色までは判別をしかねた。
若頭の伊豆蔵蒼士の姿はないようだ。
入海先生の周りに幹部候補の姿があまりないなあ。
と怒留湯は言う。
「生憎だがこのカメラじゃ、録音出来ないんです。用意が悪かったですかね」
菊壽は言う。
「映像でも録音は出来ないものなの」
怒留湯は尋ねた。
「小さい上に高解像度に全部持って行かれちまいました。って思っていただければ」
「そういうもんかね」
怒留湯は言った。
「そういう場合もあるんですよ」
「そういうことにしておくか」
スマホ画面に見入る、釆原と怒留湯。
釆原たちのいる塀周辺から屋敷の榑縁までは、だいぶ距離がある。
その距離は、風や通行にかかる音などと溶け合って、入海と組員の会話によってなされる音のボリュームを下げてしまう。
高い塀に着く頃には音は音でなくなる。
それで、釆原と怒留湯は、入海と組員の視線や口の動きを眼で追った。
何分か経った。
何十分か。
撮影している時間を見ている暇があまりなかった。
釆原と怒留湯は一旦顔を上げる。
菊壽が合図していた。
入海は立ち上がった。
彼の周りにいた組員たちは全員起立して、一礼をする。
そして皆して屋敷の奥へ進んでいった。
「入海先生の往診を受けるのは、伊豆蔵の若頭ってことでいいのか?」
怒留湯が釆原へそう尋ねた。
「若頭ではないと聞きました。劒物大学病院から情報を頂いたとき、安紫会の親分が往診を受けると」
「そうか……」
怒留湯は考え込んだ。
「親分は今事務所を留守にしているはずだよ。恐らく若頭が往診を必要としているんだろうけれど。情報が錯綜しているのかもしれないなあ」
「劒物大学病院としても混乱はあったのでしょう」
「そうかもね」
「留守とはいえ、親分の名前は確か鮫淵柊翠でしたか」
「うん、そう。確かまだ若いはずだったな。前例の親分たちにしてはって意味でね。三十後半って聞いた」
「鮫淵親分も入海先生と同じくらいだったりしてな。それか若頭と親分が同じくらいとかね」
菊壽がそう言った。
「そんなこと言ったら若頭も親分も年齢近くなっちまうから、組織図的には争いが増えるよ。たぶんね。親分の顔見たことあるの。それとも既に安紫会の事務所は訪問済みとか云わないよな。云わないでね」
怒留湯は菊壽にそう言った。
菊壽は苦笑した。
「例によって写真で見ただけですよ。それに組事務所を訪問でもしようもんなら、怒留湯さんが俺らを捕まえにくるんじゃないですか」
「それはさ今回は、たまたまなんだよ。俺だって今日は非番なんだから。それに、今は捕まえていないよ。せっかく礼も言ったのにさ」
怒留湯は肩をすくめた。
「そうでしたね」
菊壽はそう言った。
「あと今日は、なんか昼飯おごるから。俺が非番の日は君らを捕まえないことにするよ」
怒留湯がそう言ったので、釆原は苦笑した。
菊壽が言う。
「で、要するに組員てのは出世が速いってことですか。怒留湯さんの仰りたいのは」
「上手くまとめたつもりかい。仰りたいとかそんなんじゃないけれど俺は、同じ組の中で若頭と親分が同い年くらいっていう例は、あまり見たことがない。だから年齢がどうでこうだよーっていう断言は出来ない。出世の速いやつは、年齢だろうがなんだろうが運転手付きの車に乗ったり出来るんだ。さっきあんたの云っていた『貫禄』ってやつもそこで効き目があったりする」
「貫禄ねえ」
「あんたが言ったんだろう」
「いやもっとこう、何かあるでしょう。その体に纏っている何かみたいな」
「なんとなく分かるけれど云いたいことは全然分からないな」
「要するに貫禄ですよ」
菊壽は苦笑した。
釆原はただかぶりを振った。
入海たちが奥の間へ去っていった後。
しんがりの組員は結構派手なスーツを着ている。
「スーツが派手な洋見だな」
「トレードマークみたいに言うんですか」
「西耒路署のマル暴の間では『派手』で通っている奴だよ。洋見仁重。あいつは若頭の運転手」
「運転手ですか」
菊壽は眼をぱちくりして言った。
「恐らく幹部候補。だと思うけれどね」
怒留湯は言った。
その洋見も奥の間へ去っていく。
屋敷内の緑豊かな庭。
そこだけが静かに、スマホの映像に残る。
「若頭は屋敷のどこにいるんでしょう」
「屋敷には二階と三階と、あと地下があるんだ。鮫淵親分の住まいは三階。伊豆蔵の若頭も三階に自分専用の部屋を設けていて、寝泊りしたりしているよ。安紫会には部屋住みが結構多くてね。そいつらは何十人かまとめて地下に住んでいる。地下はものすごく複雑な構造になっているってマル暴の奴らでは、噂になっていて。で、その部屋住みが監視カメラを主に担当しているんだ。事務所の防犯というか監視体制は地下に集中している」
「では入海先生は、往診を三階で」
「恐らくね」
釆原と怒留湯。
で、菊壽も含めて移動を開始。
撮るものがなくなったので。
菊壽は小型カメラをしまった。
リスクが大きいと判断したために。
入海の様子を見るとは言っても、屋敷には侵入しないことを原則として、釆原と怒留湯と菊壽は動いていたものの。
それは高い塀の周辺を回るということに限られてしまう。
どうしようか。
お互い顔を見合わせた。
鳴り響いた怒号。
突然だった。
屋敷内に群れ。
というか人だ。
怒留湯はびっくりして声を上げた。
で、釆原に引っ張られて安紫会事務所の正面へ回った。
菊壽も慌ててついてくる。
そこは黒塗りの車でいっぱいになっていた。
入口である門構えは大きく開いている。
施錠されていない。
桶結と五味田が見張っていた、三人の阿麻橘組の組員はいない。
大きく開いた門構えからは中の様子が十分伺えた。
組員たちは上を下への大騒ぎをしている。
轟音一発。
騒ぎはもう騒ぎどころでなくなっている。
「『動きがない』どころじゃないですね」
釆原がそう言った。
「いやこれは『動きすぎ』というか最悪だ。カチコミか」
応援に来たマル暴が何人かいる!
と怒留湯は言ったものの、入り乱れた乱闘状態で釆原も菊壽も、誰が誰なのか全く判別出来ない。
躍り込んでいく面々。
阿麻橘組だろう。
「桶結さん、中にいらっしゃるでしょうか」
「行くつもり? ていうか……行くしかないのかなこれは。いや、なんとかするって言ったのはこっちだったな」
釆原が言ったのに対して、怒留湯は少々及び腰。
菊壽をはじめ、釆原はこうして現場に来ていて、大人数で一時に騒ぎをおっぱじめるという状況には出くわしたことがなかった。
チンピラの喧嘩の比どころではない。
以前脚の怪我をしたとき。
あの時はビルの崩壊に巻き込まれ、朝比堂賀が銃を使うわ自分は撃たれるわ、いろいろだった。
だがチンピラの喧嘩という感じではなかった。
その自分の脚の怪我を見てくれている入海暁一も、今はチンピラの喧嘩を超えている大騒ぎの渦中にいる、というのは皮肉なものだ。
釆原はそう思った。
怒留湯は及び腰。
だが言った。
「奴らチャカを携帯している。確か安紫会は、屋敷のどこかの外壁にミサイルを仕込んでいるっていう情報もあったな」
「重装備の出番はあるんですか抗争で」
菊壽はそう尋ねる。
「分からないよ。分からないけれど」
入り乱れは続いて完全に抗争状態になっている。
「行こう」
怒留湯はそう言った。
「はい」
釆原はそう返した。
釆原と怒留湯と菊壽は正面でない入口を探した。
今のような場合、屋敷に監視カメラがどこでどうだ。
ということは気にしていられない。
「伊豆蔵へ電話してみる」
「若頭へ?」
釆原はそう返した。
「俺はさ、一応ね。安紫会と阿麻橘組の件に端緒で噛んでいるんだよ。だから安紫会の若頭の番号くらいは把握している」
「なるほど。ただ入海先生が心配です」
「そうだね。とにかく行こう」
裏に回る。入口があった。
その裏口も施錠されていなかった。
三人は屋敷内に入った。
戦闘状態と化している組員たちは武装している者もいるし、そうでない者もいる。
チャカ、所謂銃を持っている者もいない者もいる。
釆原と菊壽も何名か相手にした。
かすり傷くらいは負うが榑縁までたどり着く。
とりあえず抗争で間違いはないが、怒留湯の云った『ミサイル』の出番はなさそうだ。
と釆原は思った。
人間対人間という乱闘が中心になっている。
だが誰を狙ったものだろう。どちらが仕掛けたものだろう。
そういう情報はあとで知ればいい。
怒留湯が土足で屋敷へ上がりこんだ。
釆原と菊壽も土足。
そういえば五味田も姿が見えない。
だがあいつは剣道経験者だからなんとかなる。
なっていて欲しい。
桶結も含めて。
怒留湯は安紫会の若頭へ、電話を掛けた。
所謂、組事務所だ。
屋敷だった。
そこへ、阿麻橘組の組員三名がやって来る。
安紫会と阿麻橘組は対立勢力である。
出番と言えばマル暴なのだが、今ここにマル暴はいない。
そしてそれを文句にしていたけれど結局いるのが、西耒路署の強行犯係である怒留湯基ノ介だ。
相棒の桶結千鉄と一緒である。
そして更に三名。
日刊「ルクオ」の記者、釆原凰介と五味田茅斗、菊壽作至。
安紫会の事務所にやって来たのは医師の入海暁一。
それで、怒留湯と釆原は一緒に医師および組員の様子を見るために、建物の影からいろいろ思案を巡らせていた。
やって来た阿麻橘組の三名は静かである。
動きがあるかと思ったのに、動きがない。
怒留湯いわく、前日に阿麻橘組と安紫会のところへ出向いた時も、いまのように動きがなかったという。
だがあまりにも組員に動きがないので、釆原と菊壽は怒留湯と一緒に行動を開始した。
菊壽は高解像度の小型カメラを持参してやって来ていた。
その小型カメラを、「自撮り棒」に似た何かにセットする。
耐久性があり厚さも薄く細いため、遠距離では視認しにくい道具だった。
安紫会の事務所脇の高い塀から、少し覗かせて撮影をする。
入海暁一は、安紫会の組員に正面ではなく、事務所脇へ導かれて屋敷内に入った。
釆原と怒留湯と菊壽も、入海と同じ道を辿ってみる。つもりだ。
動かない阿麻橘組の三名は、桶結千鉄と五味田茅斗に様子を見ていてもらうことになった。
桶結は係長に連絡を取る。
捜査一課の出番になるかは現時点で判断しかねるものの、新たにマル暴へ応援を頼むらしい。
安紫会と阿麻橘組。
事務所周辺や地域の人々いわく、「どちらとも大人しい組」とのことだ。
怒留湯はそう言った。
あまり抗争を起こすこともないし、何しろ暴対法がある。
だから組同士あまりにも、騒ぎを起こしていればメリットがない。
というのも重々分かっている。
そこは彼らも考えているだろう。とも。
なお暴対法以前は度々抗争などを起こしていた。
安紫会と阿麻橘組はそれでも組の看板を立てている。
西耒路署をはじめ、地域の管轄では「張る」対象ではある。
阿麻橘組の組員は若い三名。
安紫会の事務所に例えば義理で来ているのだとしても。
動きがないにせよ。
何か起こらないとは限らない。
あくまでも刑事の見方だ。
釆原と菊壽と五味田は、日常茶飯事でチンピラの喧嘩や切った張ったを見たりしている。
取材の最中などだ。
ただ目撃だけであり、あまり見張ったことはない。
菊壽は小型カメラだけを塀の上から出して撮影をしている。
映像は、スマホで確認出来る仕組みになっていた。
当然だがカメラもまた、遠距離からでは視認しにくい程小さいものだ。
釆原たちは監視カメラの存在を意識しながら動くことに努めた。
だが幸いなことに、事務所脇の上方、いま釆原と怒留湯と菊壽の居る辺りには見当たらない。
「良ければ昼飯おごってくださいよ」
菊壽は怒留湯にそう言った。
「うーんそうね。考えておくよ。小型カメラに関しては礼を言う」
「なんか安いのでいいんで」
「当然じゃないか。高いのはおごらないからね」
「はいはい」
「あと何も起こらなかったらで」
「了解です」
怒留湯は菊壽のスマホを持って、それを見ている。
高解像度カメラの映像は菊壽のスマホに送信されている。
自動転送のあと、釆原のスマホへ。
釆原は言った。
「屋敷の見える所へ出て来ました」
怒留湯が尋ねる。
「白い服の人が入海先生?」
「ええ」
日本庭園。
そう言って申し分なかった。
高い塀と屋敷の間には広い庭がある。
青々した芝生と草木。
庭を彩るものとしての岩。
動きのある生え方をした松の緑。
親分の趣味だろう。
榑縁に出て来て座った人物。
医師の入海暁一だった。
怒留湯が「白い服の人」と言ったのは、入海は白衣だったためで。
スーツの面々がぞろぞろやって来て、入海の傍へ従うように座った。
若い組員たちだ。
入海は所謂「もてなし」を受けている最中だろう。
だが組員のもてなしなんて、一般人からすれば怖いだけだ。
俺だったら死んでも怖いね。
と言ったのは怒留湯で。
丁寧に入海の応対に当たる組員。
茶や菓子折りのような物も見受けられる。
だが、入海自身はそれを何か食べたり飲んだりという様子は見られなかった。
怒留湯は言った。
「安紫会の若頭の名前は知っている?」
「ええ。伊豆蔵蒼士でしょう?」
そう言ったのは菊壽だ。
「そうだよ。よく知っているなあ」
「入海先生は確か二十八。伊豆蔵の若頭も同い年くらいですか」
「写真とか見たことあるの」
「何回かですね。入海先生よりは、伊豆蔵って若頭の方がずっと貫禄ありましたよ。なんかこう貫禄です。どーんと」
「どーんってなんだよ。あのね貫禄って云ってもね。あんたが感心してどうする」
怒留湯はツッコミを入れた。
「どうもしませんよ」
菊壽は苦笑した。
スマホの解像度を通した映像。
ズームにしても限度はある。
映像から読み取れないものは認識をしづらい。
入海の顔色までは判別をしかねた。
若頭の伊豆蔵蒼士の姿はないようだ。
入海先生の周りに幹部候補の姿があまりないなあ。
と怒留湯は言う。
「生憎だがこのカメラじゃ、録音出来ないんです。用意が悪かったですかね」
菊壽は言う。
「映像でも録音は出来ないものなの」
怒留湯は尋ねた。
「小さい上に高解像度に全部持って行かれちまいました。って思っていただければ」
「そういうもんかね」
怒留湯は言った。
「そういう場合もあるんですよ」
「そういうことにしておくか」
スマホ画面に見入る、釆原と怒留湯。
釆原たちのいる塀周辺から屋敷の榑縁までは、だいぶ距離がある。
その距離は、風や通行にかかる音などと溶け合って、入海と組員の会話によってなされる音のボリュームを下げてしまう。
高い塀に着く頃には音は音でなくなる。
それで、釆原と怒留湯は、入海と組員の視線や口の動きを眼で追った。
何分か経った。
何十分か。
撮影している時間を見ている暇があまりなかった。
釆原と怒留湯は一旦顔を上げる。
菊壽が合図していた。
入海は立ち上がった。
彼の周りにいた組員たちは全員起立して、一礼をする。
そして皆して屋敷の奥へ進んでいった。
「入海先生の往診を受けるのは、伊豆蔵の若頭ってことでいいのか?」
怒留湯が釆原へそう尋ねた。
「若頭ではないと聞きました。劒物大学病院から情報を頂いたとき、安紫会の親分が往診を受けると」
「そうか……」
怒留湯は考え込んだ。
「親分は今事務所を留守にしているはずだよ。恐らく若頭が往診を必要としているんだろうけれど。情報が錯綜しているのかもしれないなあ」
「劒物大学病院としても混乱はあったのでしょう」
「そうかもね」
「留守とはいえ、親分の名前は確か鮫淵柊翠でしたか」
「うん、そう。確かまだ若いはずだったな。前例の親分たちにしてはって意味でね。三十後半って聞いた」
「鮫淵親分も入海先生と同じくらいだったりしてな。それか若頭と親分が同じくらいとかね」
菊壽がそう言った。
「そんなこと言ったら若頭も親分も年齢近くなっちまうから、組織図的には争いが増えるよ。たぶんね。親分の顔見たことあるの。それとも既に安紫会の事務所は訪問済みとか云わないよな。云わないでね」
怒留湯は菊壽にそう言った。
菊壽は苦笑した。
「例によって写真で見ただけですよ。それに組事務所を訪問でもしようもんなら、怒留湯さんが俺らを捕まえにくるんじゃないですか」
「それはさ今回は、たまたまなんだよ。俺だって今日は非番なんだから。それに、今は捕まえていないよ。せっかく礼も言ったのにさ」
怒留湯は肩をすくめた。
「そうでしたね」
菊壽はそう言った。
「あと今日は、なんか昼飯おごるから。俺が非番の日は君らを捕まえないことにするよ」
怒留湯がそう言ったので、釆原は苦笑した。
菊壽が言う。
「で、要するに組員てのは出世が速いってことですか。怒留湯さんの仰りたいのは」
「上手くまとめたつもりかい。仰りたいとかそんなんじゃないけれど俺は、同じ組の中で若頭と親分が同い年くらいっていう例は、あまり見たことがない。だから年齢がどうでこうだよーっていう断言は出来ない。出世の速いやつは、年齢だろうがなんだろうが運転手付きの車に乗ったり出来るんだ。さっきあんたの云っていた『貫禄』ってやつもそこで効き目があったりする」
「貫禄ねえ」
「あんたが言ったんだろう」
「いやもっとこう、何かあるでしょう。その体に纏っている何かみたいな」
「なんとなく分かるけれど云いたいことは全然分からないな」
「要するに貫禄ですよ」
菊壽は苦笑した。
釆原はただかぶりを振った。
入海たちが奥の間へ去っていった後。
しんがりの組員は結構派手なスーツを着ている。
「スーツが派手な洋見だな」
「トレードマークみたいに言うんですか」
「西耒路署のマル暴の間では『派手』で通っている奴だよ。洋見仁重。あいつは若頭の運転手」
「運転手ですか」
菊壽は眼をぱちくりして言った。
「恐らく幹部候補。だと思うけれどね」
怒留湯は言った。
その洋見も奥の間へ去っていく。
屋敷内の緑豊かな庭。
そこだけが静かに、スマホの映像に残る。
「若頭は屋敷のどこにいるんでしょう」
「屋敷には二階と三階と、あと地下があるんだ。鮫淵親分の住まいは三階。伊豆蔵の若頭も三階に自分専用の部屋を設けていて、寝泊りしたりしているよ。安紫会には部屋住みが結構多くてね。そいつらは何十人かまとめて地下に住んでいる。地下はものすごく複雑な構造になっているってマル暴の奴らでは、噂になっていて。で、その部屋住みが監視カメラを主に担当しているんだ。事務所の防犯というか監視体制は地下に集中している」
「では入海先生は、往診を三階で」
「恐らくね」
釆原と怒留湯。
で、菊壽も含めて移動を開始。
撮るものがなくなったので。
菊壽は小型カメラをしまった。
リスクが大きいと判断したために。
入海の様子を見るとは言っても、屋敷には侵入しないことを原則として、釆原と怒留湯と菊壽は動いていたものの。
それは高い塀の周辺を回るということに限られてしまう。
どうしようか。
お互い顔を見合わせた。
鳴り響いた怒号。
突然だった。
屋敷内に群れ。
というか人だ。
怒留湯はびっくりして声を上げた。
で、釆原に引っ張られて安紫会事務所の正面へ回った。
菊壽も慌ててついてくる。
そこは黒塗りの車でいっぱいになっていた。
入口である門構えは大きく開いている。
施錠されていない。
桶結と五味田が見張っていた、三人の阿麻橘組の組員はいない。
大きく開いた門構えからは中の様子が十分伺えた。
組員たちは上を下への大騒ぎをしている。
轟音一発。
騒ぎはもう騒ぎどころでなくなっている。
「『動きがない』どころじゃないですね」
釆原がそう言った。
「いやこれは『動きすぎ』というか最悪だ。カチコミか」
応援に来たマル暴が何人かいる!
と怒留湯は言ったものの、入り乱れた乱闘状態で釆原も菊壽も、誰が誰なのか全く判別出来ない。
躍り込んでいく面々。
阿麻橘組だろう。
「桶結さん、中にいらっしゃるでしょうか」
「行くつもり? ていうか……行くしかないのかなこれは。いや、なんとかするって言ったのはこっちだったな」
釆原が言ったのに対して、怒留湯は少々及び腰。
菊壽をはじめ、釆原はこうして現場に来ていて、大人数で一時に騒ぎをおっぱじめるという状況には出くわしたことがなかった。
チンピラの喧嘩の比どころではない。
以前脚の怪我をしたとき。
あの時はビルの崩壊に巻き込まれ、朝比堂賀が銃を使うわ自分は撃たれるわ、いろいろだった。
だがチンピラの喧嘩という感じではなかった。
その自分の脚の怪我を見てくれている入海暁一も、今はチンピラの喧嘩を超えている大騒ぎの渦中にいる、というのは皮肉なものだ。
釆原はそう思った。
怒留湯は及び腰。
だが言った。
「奴らチャカを携帯している。確か安紫会は、屋敷のどこかの外壁にミサイルを仕込んでいるっていう情報もあったな」
「重装備の出番はあるんですか抗争で」
菊壽はそう尋ねる。
「分からないよ。分からないけれど」
入り乱れは続いて完全に抗争状態になっている。
「行こう」
怒留湯はそう言った。
「はい」
釆原はそう返した。
釆原と怒留湯と菊壽は正面でない入口を探した。
今のような場合、屋敷に監視カメラがどこでどうだ。
ということは気にしていられない。
「伊豆蔵へ電話してみる」
「若頭へ?」
釆原はそう返した。
「俺はさ、一応ね。安紫会と阿麻橘組の件に端緒で噛んでいるんだよ。だから安紫会の若頭の番号くらいは把握している」
「なるほど。ただ入海先生が心配です」
「そうだね。とにかく行こう」
裏に回る。入口があった。
その裏口も施錠されていなかった。
三人は屋敷内に入った。
戦闘状態と化している組員たちは武装している者もいるし、そうでない者もいる。
チャカ、所謂銃を持っている者もいない者もいる。
釆原と菊壽も何名か相手にした。
かすり傷くらいは負うが榑縁までたどり着く。
とりあえず抗争で間違いはないが、怒留湯の云った『ミサイル』の出番はなさそうだ。
と釆原は思った。
人間対人間という乱闘が中心になっている。
だが誰を狙ったものだろう。どちらが仕掛けたものだろう。
そういう情報はあとで知ればいい。
怒留湯が土足で屋敷へ上がりこんだ。
釆原と菊壽も土足。
そういえば五味田も姿が見えない。
だがあいつは剣道経験者だからなんとかなる。
なっていて欲しい。
桶結も含めて。
怒留湯は安紫会の若頭へ、電話を掛けた。
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━━彼女はまぎれもなく、名探偵だった。
登場人物
遠山和人…中学三年生。ミステリー小説が好き。
遠山ゆき…中学一年生。和人の妹。
島津良子…中学三年生。和人の同級生。痩せぎみの美少女。
工藤健… 中学三年生。和人の友人にして、作家志望。
伊藤一正…フリーのプログラマー。ある事件の犯人と疑われている。
島津守… 良子の父親。
島津佐奈…良子の母親。
島津孝之…良子の祖父。守の父親。
島津香菜…良子の祖母。守の母親。
進藤凛… 家を改装した喫茶店の女店主。
桂恵… 整形外科医。伊藤一正の同級生。
秦野幸子…絶世の美女にして名探偵。百歳だが、ほとんど老化しておらず、今も若い頃の美しさを保っている。
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パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
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サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ミステリH
hamiru
ミステリー
ハミルは一通のLOVE LETTERを拾った
アパートのドア前のジベタ
"好きです"
礼を言わねば
恋の犯人探しが始まる
*重複投稿
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アルバートの屈辱
プラネットプラント
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妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
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