虫宿し

冬透とおる

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pin.12「蟻塚」

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検体は既に丸く動かない。
十分に解体されたそれの他に、強化ガラスの中に閉じ込められている個体は女王だ。
スカートだろうと下着に気を遣う事もなく膝を折ってしゃがみ、検体である女王蟻を見つめたカホは徐に背後のシバタを振り向いた。

「ねえ、せんせえ。この子毒もってないよねえ」
「持ってないねえ」

二人の目線の先には実験台に乗せられた遺体がある。
あの公園で発見された若者の一人だ。
以前から問題を起こしていたらしい彼の友人たちは既に全員が遺体で発見されているが、残念ながら虫に喰われる事は悲しい事に今やそう珍しい事ではない。問題なのは彼らの死因だった。
その問題の死因はシバタとカホだけでなく、彼らの同僚である白衣達も皆一様に首を捻っている。

「う~ん‥目立った症状はアレルギー反応だけどねえ」

まるで白衣らの心境を代弁するようにシバタは八の字の眉で苦笑した。

男の足首には黄色に膿んだ噛み痕がある。
腫れた足首を中心に全身へ広がった蕁麻疹に苦悶の表情。
引き摺られた痕は巣にでも運び込まれそうになったのだろうか。想像を絶する最期だったろうことだろう。
記録を取り続ける助手の隣で顎に手を当て、唇を尖らせたシバタはホログラムで浮かび上がらせた公園の見取り図をじっと見つめた。

「カホ。発見された虫は全部アリで間違いない?」
「間違いないっす。駆除班の報告は全部同様だったよ。巣を竦めて公園内の駆除は完了した。アリ以外の虫はなく、チョウや他の昆虫を捕食していた痕跡はあれど、姿はなかったって」
「蜂の痕跡は?」
「報告にはないっすよ」
「ふぅん」

報告書を読み上げるカホに吐息だけで返す。
想像通り。そして、記憶通りの回答に眉根を寄せた。

遺体に残るのはアレルギー反応だ。
死因はおそらくアナフィラキシーショック。
全身に広がった拳大の悍ましい蕁麻疹はスズメバチを始めとした蜂の被害を受けた犠牲者のものと一致している。
しかし。

「なんだろうねえ」

蟻が大量発生している中、蜂の死骸も、目撃情報もなかった筈だ。

「蜂毒を持った他の虫‥蜂・・ムカデ‥蟻……なんだとしても発見されてないとおかしいな。本当に偶然蜂やムカデに襲われた可能性が‥いや、でもそれにしたって刺し傷は足首だ。飛ぶ蜂に襲われてこんな珍妙なとこケガなんてするかな。腕や背中だったらまだわかるんだけど、抵抗したにしても足で振り払えるような虫?それとも、もしかしてムカデに噛まれてから時間差で?いやいや馬鹿な‥だとしたら蟻の中に毒性を持った個体が紛れていたとか…」

シバタはぼそりぼそりと呟き続け、ふと、思い出したようにカホを振り向いた。

「ヒアリ」
「え?」
「カホ。過去10年分のヒアリの目撃情報を全部まとめて。僕はシロハくんとリンを連れてくるから」
「っす」

驚くカホの表情は珍しく狼狽が見える。
それは周りの白衣も同様でここ数年で目撃情報が途絶えた虫に困惑しているようだった。
その虫は毒性も繁殖力も高く、そして、危険性も今回駆除された蟻とは比べ物にならない。
徐々に騒々しくなる研究室の隅に移動したシバタは端末からシロハの名前を探した。
時刻は深夜。そして、いわば丑三つ時。日付は変わっているが夜明けまではまだほど遠い。
しかし、数回のコール音の後に応えたのは、寝起きとは到底思えない程飄々とした声だった。

『こんな時間になに?』
「ふふ。ちょおっと僕の研究所に来てみない?リンも一緒にさ?」
『…なんかわかったんか?』

電話の向こうでシロハは真剣な顔をしているのだろう。
怪訝な声色で探りを入れるシロハに吐息だけで笑って返したシバタはそのまま通話を切った。

「さて」

シロハとリンはそう待たずに来るだろう。彼らも自分もおそらく殆ど休めない夜になる。駆除班の二人にとって朦朧とした中で仕事をするのは酷だろうと、シバタは白衣をソファーに投げつけてコーヒーを取った。酸味の効いたモカだ。きっと覚醒の役に立つ。

「いやあまいったね」

さもあっけからんとした声で笑って告げたシバタはそのままカラカラと笑い、コーヒーフィルターをセットした。
二人が到着するのはそれから十数分の後である。





***





「リンさんは?」
「昨夜遅くにシバタ先生に呼ばれたようです。シロハさんも、カホもまだ帰ってきてませんよ」

今朝の朝食はオニオンスープにピザトースト。そして、グリーンサラダだ。
リンの不在時はユキが食事を担当している。制服に黒いエプロン姿のユキが用意した一般家庭の朝食らしい朝食に数回瞬きを繰り返し、リッカは分厚いピザトーストにかじりついた。

「リンさんのお弁当‥」
「今日は買い弁で我慢してくださいよ?恨むならド深夜に呼びつけたマッドサイエンティストを恨んでください」
「うう‥」

わかりやすく凹んでいくイツキに内心引きながら尻尾を振って食事を続ける愛兎を見つめた。
朝からトトを見ていないのはリンについて本部に行ったからだろうか。
いつもは並んで食べているからその背中がなぜか寂しい。
租借し、リンが淹れた時よりずっしりと重い甘さのカフェオレを流し込んだ。
時計を見上げる。

「たまにはいいじゃん。買い弁。リンさんのありがたみ噛み締めるチャンスだぜ?」
「ううう‥リンさん‥」
「で、早く出ねえととコンビニ寄れねえじゃん。食えって」
「…確かに、購買は混むからいやだ‥」
「だろ?」

学生にとって昼の時間は少ない。
そんな貴重な時間を購買パンの順番待ちで消費してしまうのは余りに勿体なかった。
がっかりと肩を落としたイツキはテンションもそのままのそのそとトーストを租借し始め、それを見届けたユキも食卓につく。
眠いのだろう、欠伸を噛み殺したユキに気付いてリッカは苦笑した。

「悪いな、ユキ。朝食用意してくれてサンキュな」
「いえ、気にしないで。俺も、流石にリンさんに何もかも任せすぎてるので。本当はもっと手伝いたいんですけど‥」

感謝を述べるリッカに、ユキは浮かない顔で首を振った。

「そういや、普段リンさんはここで何をしてるんだ?」

思わず傾げる。
白服本部の駆除班一班No.2のリンはこの邸をも管理しているらしい。と、それは以前よりわかっているが、リンの普段の生活は知る由もなかった。
シロハは毎朝早朝に出掛けていくのを見るに多忙な身の上だろうが、リンはいつだってリッカ達を見送ってから邸を出ているようなのだ。
いつ何をしているのか全くの疑問である。
ユキならリンの事をよく見ているだろうと好奇心のまま尋ねたリッカに、ユキは少し考えて思い出すように言葉を紡いだ。

「ええと‥リンさんはここの雇われ管理人です。早朝に虫の駆除を兼ねた全館清掃から始まって朝食、弁当を用意して、俺たちを見送ったら食堂の片付け、洗濯、庭や兎たちの世話をして白服へ。夕方過ぎに帰ってきてからはウサギのご飯を用意して夕食の準備と片付け、朝食の仕込みをしてから漸く休んでるようです」
「え?ちょ?やばくね?」
「…やばいですよね」

指折り数えて教えてくれるリンの仕事内容はまさに過酷そのものであった。
一人に任される量とは到底思えずそこに白服としての仕事も入ると考えるともはや思考を放棄したくなる。
優しく微笑むあの男はえげつない仕事量を一人でこなしているというのか。そう思うとユキでなくても手伝いたいと切に思った。見下ろしたイツキですら全身に汗を滴らせている。

「そ、そういや、リンさん以外にお手伝いさんって見たことない気が‥」
「俺らも外部から人を雇って良いって言ってるんですけど、一応虫の研究資料とか、貴重な検体とかも保管してるんで外部の人入れるの抵抗があるんですよね………何より、身内に人嫌いがいるもので‥」
「……シロハさん‥!」

白服の人間が住む場所だ。虫の資料や検体があるのは理解が出来るが、これだけの広い屋敷にリン以外の家政婦が居ないのはシロハへの配慮だったらしい。
頭を抱えるも、ふと、ユキの発言に違和感を覚えて顔を上げた。

「なあ、ユキ。さっき、雇って良いって言ってなかったか?」
「え?はあ。だって、ここ、俺とカホが所有する邸ですし」
「お前らの?!」
「諸々色々厄介事除けば俺らの邸です。勿論後見人は別にいますが、邸と土地は俺とカホの物なので」
「………ひええ」

"朝霧邸"。
薄々感じてはいたが、まさか本当にこの兄妹の持ち物だったとは思わなかった。
驚き呆然と見つめたリッカは数回瞬きを繰り返して深くため息をつく。

「じゃあ、リンさんはお前らに雇われてるのか‥」
「そうなりますね。だから、あんまり無理しないでほしいです。シロハさんが何と言おうと家政婦とか、お手伝いさんにお願いしようと思ってるんですが‥」

その申し出を断ってすべての仕事をリンがしているらしい。
白服として命を懸けて虫を駆除しているのに邸の掃除や食事までたった一人で準備をしているなんて。
いくら友人とは言え、たった一人の為にそこまで出来るだろうか。
もはや異常ともとれるリンの献身に薄ら寒いものを感じつつ、先に食事を終えたリッカはすっかり黙り込んだイツキの分も皿を重ねてシンクへ運んだ。
いつもならキッチンにはリンが立ち、食器を下げるリッカに笑いかけてくれていたのだ。
今日はその姿もなく広いキッチンがどこか寂しい。

「………」
「どうしました?」
「なんでもないぜ」

食器を置いてしんみりと眺めるリッカを心配したのかユキの声がリッカを呼んだ。
返しながら時計を見て食堂に持ってきていた鞄を背負う。

「悪いな、先に出るぜ、ユキ」
「あ、はい。いってらっしゃい」

呆然とするイツキの腕を引き掴んで立たせ、ワズを抱えて食堂を飛び出した。
ワズはリッカの留守中ウサギ小屋に戻っているのだ。同じ敷地とは言え急がなければ遅刻する。
慌ただしくエントランスを抜けた二人と一匹は西洋の広いエントランスに置かれた違和感でしかないシューズラックで靴を履き替えると飛び出し。ぎょっと、足を止めた。

「はよ、お前ら!」
「め、ぐみさん‥?!」

ニッと笑う大男に。そして、唐突に目の前に現れたふっくらとした胸筋に驚きたたらを踏んだ。
上半身の袖を腰で巻き、パツパツの黒い半袖姿の男は同じ班の人間で出動時、二人を回収する役を担っているメグミだ。
唐突のメグミの来襲に驚いたが、その意味をじわじわと理解し肩を落とした。

「学校には休みの連絡しといたぜ」
「まじかあ」
「うーわえぐう」

つまりは虫が出たのだ。
それも、一班が呼ばれたという事は先日のように大量発生している案件だ。一匹二匹ならば各所に点在する白服が当たるので本部の人間は呼ばれない。朝からどこかで虫が大量発生しているらしい。

「お!アカリにだけはお前から連絡しといてやれよ?」
「ああ」

駐車スペースは邸の裏だ。
台数は多くないが舗装された駐車場にはメグミのジープが待機している。

「着替えは途中ですませろ。リッカ、ワズは連れていけねえぞ、留守番させとけ」
「わ、わかった」
「リッカさーん。ワズ、俺が預かります!」
「悪い!頼むわ」
「ユキ、カホ借りてて悪いな」
「こき使ってやってください」

メグミの来訪に気付いたのか急ぎ足で駆け寄ってきたユキにワズを預けた。
カホを通じてかやはりユキは一班のメンバーと面識があるように思う。

「じゃあ、頼む」
「はい。がんばってきてくださいね」
「リッカ。スタンガンの予備バッテリー用意してる?」
「あ。やべ。入れてるかな‥」











「すごい車‥」

屈強な白服の男が運転するジープを見送った。
おそらくはこの庭で虫でも出たのだろうとあたりをつけた少女は好奇心いっぱいの瞳でキョロキョロと美しい庭を見渡し、小川のせせらぎに耳を澄ませた。
芝生に、金魚の泳ぐ池。先のジープの様に車の乗り入れの為だろうレンガ舗装された道以外は砂利と芝生が敷き詰められてその一角で兎たちが遊んでいる。
それに目をやりながら私服姿の少女は目を輝かせた。
まだ登校には早い時間だ。あの男ならば庭を走っているかもしれないと、その影を探しながら邸に辿り着く。

「うわあ」

大きな邸だ。
一階には食堂らしく、長いテーブルに椅子が幾つも並んだ広く明るい空間が大きい窓から伺えた。
そんなドアの前に居るのはウサギを抱いた中学生だ。

「ねえ!」
「はい?」

その制服は知っている。
有名企業や財閥、議員の子息など俗に言う"お金持ち"で"頭の良い"子どもが通う学校。
ならば、この邸に住んでいるのだろうと駆け寄り、頭を下げた。

「おはようございます!橘まつり、です!兄ちゃ‥橘リッカはいますか?!」
「……え?」

ユキはポカンと目を見開く。
その腕の中でワズはまつりをみつめ、きょとんとつぶらな瞳を丸くしていた。





***





「ひ、ヒアリ?!」

いつものように淡々と伝達された今回の駆除対象に流石の一班もポカンと呆けて目を見開いた。

メグミのジープで連れてこられたのは昨日蟻を駆除したばかりの植物園だった。
既に集められていた白服の面々は藪や草木の後ろ。トイレの壁や屋根の上に至る建造物の影まで真剣に探し回っていた。
勿論、駆除された蟻の巣や卵は既に片付けられている。
彼らが探し回っているのはヒアリの痕跡だ。

「本当にヒアリが?」
「日本のヒアリは随分昔に駆除完了しているわよね?もう何年も見ないじゃない」
「そ、そうですよ!殺人蟻なんておれら記録でしか知りませんし‥なあ、リッカ」
「あ、ああ」

信じられない面々が次々シロハに詰め寄った。

ヒアリは"殺人蟻"の異名を持つ恐ろしい蟻だ。
猛毒を持った攻撃性の高い種であり、巨大樹計画前に日本に入り込んでいた奴らは特定外来生物に指定されていた。
生態系や人の心身、農作物に深刻な影響をもたらすとして、巨大化後速やかに駆除されている。
それから10年ヒアリの目撃情報はなく日本では根絶出来たとされているのだ。
リッカもイツキもヒアリを見たことが無く、ヒアリの完全駆除宣言をリアルタイムで見聞きしていたメグミとキャラは高校生の二人以上に信じ難い様だった。

そんな驚愕に表情を凍らせた仲間の前で、シロハの後ろにいたリンはにこりと笑って見せた。

「だいじょうぶ」

ふわっと甘い声で告げる。
それは仲間を勇気づける言葉ではなく、そのままこの仕事が容易いものだと確信している言葉だった。

「リン‥?」
「この中の何人がヒアリを相手にしているか知らないけれど、わたしは何度か遭遇したことがあるよ。毒針にだけ気を付ければいいの。蜂よりよっぽどかんたん」
「……え?」

笑って告げるリンに今度は違う意味で思考を止めた。

「それは‥どこで「リン、ちょっと付き合え」

呆然と呟いたキャラの問いはシロハに遮られ、追い掛けていったリンも気付いている様子はない。
しかし、シロハは肩越しに振り向き笑って唇に指をあてた。

「しぃ」
「!!」

(あの男は知っている!!)

にんまりと口端を持ち上げ、目元を細めて笑う仕草はまるで人を化かす狐のようだ。
全員の声が心の中でシンクロするがもちろんシロハがそれに応える筈もない。
リンを連れて行ってしまったシロハの背中を呆然と見送った。
そうなれば自分たちは大人しく仕事をするしかないのだ。

「は~あ‥ヒアリかあ」
「仕方ない‥諦めてあたしたちも探しましょう。でも、リンったらあの見た目で幾つなのよ‥」
「ヒアリが日本に出たのは10年は前だろ?当時駆除活動に参加してたってんなら10代なら20歳後半。でも、発足当時の白服に居たってんなら20代だろうし‥そうなると‥」
「「「………」」」

メグミの考察にキャラ、イツキ、リッカは美青年と言って障りのないリンの姿を思い出していた。
年齢不詳のあの男。
一度リンの裸体を見ているリッカはあの男の体も肌も艶も全てが美しい事を知っているのだ。

「うっ‥」

恐ろしい。
若作りなんてレベルではないじゃないか。
正しく魔性のリンに思わず頬を緩めるもリッカは首を振る事でそれを誤魔化した。

「よし。シロハに嫌味言われない為にもとにかく仕事だ。ヒアリの痕跡探すぞ。死骸でも排泄物でも何でもいい。蜂やムカデなんかの毒虫も探してくれ」
「わかったわ」
「リッカ。お前はおれと行くぞ」
「あ、ああ」
「よし!散開!」

手を打ち鳴らし号令を上げるメグミに面々はすぐさま散らばった。
他の白服と同様に藪や影を探すがやはりヒアリの痕跡はない。
服や髪に葉っぱを絡ませたリッカはうんざりと背伸びし痛む腰を叩いた。

「本当にいるのかよ‥ん?」

視線を感じたのはこの時だ。
振り向けば一人の白服が踵を返して走り去っていく姿が見えた。
ピンク色のツインテールは見覚えがある。しかし、どこで見たのかは思い出せなかった。

「ま、いっか」

思い出せないなら仕方ない。
リッカは深く考えることを止めて近くを探すイツキを呼んだ。

「イツキ!そっちはどうだ?」
「なんにも?見つかった遺体ってさ、ヒアリじゃなくて流れの蜂にでもやられたんじゃないかなあ?」

イツキも飽き始めているようだ。
朝からの作業だったが既に日も高い。
うんざりと肩を落とすイツキに呆れて肩を竦めて見せた。

「はあ‥なんかもう疲れたんだけど‥」
「おいキャラ‥」

イツキよりも先に飽きたらしいキャラはベンチに大股開いてどっかりと座った。
はしたない座り方にメグミの叱咤が飛ぶが直される様子はなく、メグミは屈強な両手で無理矢理閉じさせる。

「はしたないぞ、キャラ」
「別にいいじゃない。スカート履いてるわけじゃないんだから‥」
「ツナギなんだぞ。ちっとは考えろ破廉恥が。つか、立て。仕事しろ」
「えええええ‥ヒアリどころか蜂もいないじゃない!ちょっと休ませなさいよお」

引っ張り上げられたキャラが渋々捜索を再開する。
メグミに引き上げられた時に引っ掛けたのか、胸ポケットのボタンがパチンと弾けてアルミケースがリッカの足元に落ちた。

「ん?なんだこれ」

それはアルミのピルケースだった。
落下の衝撃で蓋が開いたケースの中身はリッカが普段飲んでいる駆虫薬と似たカプセルだった。
透明な薬液に満たされたカプセルの中には爪の先ほどの卵がぷかぷかと揺れている。

「キャラさん、落としましたよ」
「あ。悪いわね、リッカ」
「これ、何の薬なんだ?」

キャラの手にケースを戻しながら好奇心のままに聞けば、胸ポケットにケースを戻しながらキャラは自分の腹あたりを撫でた。

「虫よ」
「は?」

それは見たらわかる。

「そうじゃなくて、どういう虫なんだ?」
「一時的に寄生させる人口の虫よ。数時間程度だけど、虫宿しに近いものになれるの」
「……え?」

虫の正体にリッカはポカンと目を瞬いた。

「え‥みんな虫宿しになれんの?」
「ええ。一時的だけどね。本部所属の駆除特化班に限り、それぞれの体に合わせた虫が用意されてるわ。それでも体の一部を変異させられるお前らに比べたら微々たる効果よ」

人口虫は元々駆虫薬の為に作られたものだったが、自然排出されるまでは虫宿しに似た効果を発揮したらしい。

筋力の強化。
外皮硬質化による鎧化。
身体能力の向上。

人口の虫にはそんな効果があるらしい。
むしろ、リッカより安全だ。

「……あ~‥」
「……あ、なんか、悪かったわね」
「いや‥」

思わず目を逸らしたリッカに察したキャラが言葉を濁す。
リッカがこの班に招き入れられたのも元々は虫宿しだからだ。駆虫薬が効かなかったリッカとしては心境も複雑である。
気まずい空気に視線を泳がせると、片付けを始めている班に気付いた。

「あ~あ‥結局撤収かあ」
「いない虫をいつまでも探してられねえな。この調子じゃ俺らも撤収だろうぜ」
「………」

撤収を始めた他の班を眺めながらイツキ、メグミは班長が集められたテントを見遣った。
しかし、リッカの視線は班長のテントを尻目に台地に向けられている。

「リッカ?」
「なあ、イツキ。あの台地の虫よけハーブってあれっぽちしかねえのな」
「は?」

そう言って指すのは虫よけに植えられているというハーブ群だ。
ユーカリやゼラニウム。ラベンダー等代表的なハーブばかりだったが、確かに、巨大な虫を防ぐ量があるようには見えなかった。

「でも、この台地の周辺って蟻が少なかったよな?」
「………」

言葉を失う。
彼らの頭の中にはとある可能性が浮かんでいた。

「と、とにかくリーダーに‥!」

シロハの元に急ぐイツキの足元が振動したのはその時だ。

「な、んだ?」

思わず立ち止まる。
見れば台地の麓で帰還準備を終えた班が寛いでいた。
撤収の合図を待っているのだろう彼らは足元の僅かな振動など気付いていない。

「うお?!」
「お前ら、伏せろ!」

僅かに足元を揺らす程度だったそれは次の瞬間に地響きを伴うものになった。
丁寧に手入れされていた植物が次々折れて倒れ、足元がひび割れていく。そうして芝生の台地はリッカの目の前で崩れて砂煙が白服の仲間を飲み込んだ。

「ギャぁああァァァアア!!!!!!!」
「やめろォオオ!!話せぇぇぇえええ!!!!!」

「っ、な‥?!」

砂煙の中で悲鳴が上がる。
足元に血が飛ぶ。
驚愕の表情で立ち竦んだリッカの目の前に毒針で腹に幾つも風穴を開けられた白服が倒れる。
その背後で湧くのは赤い身体に、二つのコブと毒針を持ったヒアリだ。

「う‥そ‥だろ・・?」

崩落した台地を前に次々と悲鳴が。絶叫が上がっていく。

「おい!リッカ!」
「あ、ああ!」

イツキに肩を叩かれ、目を覚ましたリッカは急いでヒアリから距離を取り、スタンガンを構えた。

「リッカ!戦えるか!?」
「お、おう!」

正直未だ恐ろしい。が、逃げられる訳もない。
強気に言って見せたが、猛毒を持ったヒアリを前に気圧された。

「くそ‥!」

蜂。アリジゴク。ヒアリ。
何故こうも毒虫にあたるのか。
がむしゃらに振り回したスタンガンはヒアリに掠りもせず、当てても容易く弾かれた。

「うう‥!」

そうして思い知る。
100センチにも満たないヒアリは硬い外皮に鋭い毒針が恐ろしい。
怯んで後ずされば、リッカと同様に慄いた白服がヒアリを仕留め損ねていた。
ヒアリの群れはまるで赤い濁流だ。
それがまるで海のさざ波の様に迫ってくるのだ。あまりにも悍ましい。

「ひっ」

スタンガンを握りしめるままになったリッカの横をイツキが通り過ぎた。

「イツキっ‥!」

驚き声を上げるリッカを前にイツキは顔色一つ変える事無く、にまりと笑ってトンファーを構えた。
イツキの爪先がバチバチと青い火花を散らす。

「…ピュウ‥!」

ガチガチと大あごを鳴らすヒアリの顎をイツキの靴に仕込まれたスタンガンが叩き割った。
イツキの武器はトンファーだ。性質上かなり距離が近いが、グロテスクな虫を前にしてもイツキの冷静な表情が崩れる事はなく、口笛を零しながら次々とヒアリを殴打していく。

「すげえ‥!」

学校でイツキの戦う姿を見た時リッカに余裕はなかった。
気付かなかったが、イツキという男はやはり精鋭なのだと思い知る。
いくら巨大になっても腰サイズでしかないヒアリの大あごも、牙も、針もいなしたイツキは蹴り上げて浮かせ、その上で殴っている。
姿勢を低くしたキャラは槍の先でヒアリの足元を掬って放り投げては地面に叩き落として貫き、または空中に投げたまま振り抜いて殺し、あるいは落ちてくる巨体を貫いた。攻撃のレパートリーが多く、流れるようなそれらは余りに滑らかで隙が無い。そして、息一つ上がっている様子はなかった。

しかし。

「ううううおおおらあああっっ!!!!!」
「め、メグミさん‥?!」

メグミの火炎放射器の威力は誰よりも恐ろしいものだった。
ふたつの銃口からは長い火炎で火炙りにするものもあれば、瞬間的に強力な炎を噴出させ、まるで火の玉のようになったそれをヒアリの軍勢へ打ち出す事もある大胆な戦い方だ。
そんな彼らに触発されたのか、猛毒の針をツナギに掠めながらもリッカはスタンガンを振り下ろして奮戦した。

「ちっとでも役に立ちたい‥!」

リッカの中はただそれだけである。
自らの希望で改造した鉄パイプのように無骨なリッカの武器はグリップ以外すべて鉄の塊だ。殺傷力は高い。筈。

「うおおおらあああ!!!っってええあれ?!」

しかし、懸命に殴ってみるもスルリと避けられ、もしくは殴っても大したダメージを与えられていないようだった。

「な、なんでだ?!」
「ばっか‥!何してんのさリッカ!!」
「えええオレ必死にやってんですけど!?っ、ヒッ!!?」

イツキに揶揄されようが必死にスタンガンを振るがろくなダメージはなく、そればかりか大あごで威嚇されて尻もちをついた。

「リッカ!」
「うわああああああ!!」

転倒したリッカにヒアリが群がっていく。
堪らず怯み頭を覆ったリッカの前に軽い所作で降りたのはやはりリンだった。
リンとリッカを中心に輪のように囲んだ鎖が次々ヒアリを焼き切り、投げられた錘は絶縁グローブを装着したリンの手の中に戻るまでに数匹のヒアリを殺して見せた。

「す、すみません!リンさん!!」
「リッカさん」
「は、はい!!」
「自分の腰より下の虫を殺すのに、上から振り下ろしたんじゃあ威力が半減以上だよ。気を付けて?」
「へ?」

リッカの周囲のヒアリを駆除し、にこりと笑うリンの息は相変わらず静かだ。
それに見とれるより早く唐突なアドバイスだけしてヒアリの群れに向かっていく背中を丸い目で見送った。

「半減以上?」

なるほど、言われてみればそうかもしれない。
しかし、しゃがんだり膝を折ったままやりあえるわけもなく、テーザー銃は支給されているが訓練も積んでいないのだ。まともに扱える筈もなく、リンの助言はリッカを悩ませた。
イツキもキャラもメグミも全員が自分にとって最善の方法へ虫を駆除している。
リッカのスタンガンは120センチ程度の長さがあり、太さと金属の重さがある分イツキの物よりリーチも殺傷力もあるはずだった。圧倒的に経験値が違う。

「っ、だりゃあ!!」

狼狽するもヒアリは待ってはくれない。
次々と群がってくるヒアリを垂直に突き刺すように振り落とした。

「うう‥!」

暴れるヒアリに舌を打つ。
そう簡単に出来る筈がなかった。
たった一匹殺す為に時間がかかりすぎる。効率が悪い。
半ば自棄になっていたリッカだが仕方がない。

「くそっ‥・!!」

貫いて暴れるヒアリをコンクリの壁に叩き付けて殺し、足で抑えて引き抜く。
ヒアリの数はなかなか減らない。
次の瞬間には迫ってくるヒアリに同じようにスタンガンを突き刺した。毒に怯えつつ駆除を続けた。

殆どのヒアリが駆除されたのは夕方を過ぎてからだった。





「お疲れ、リッカ。かなり腕上げたんじゃない?」
「うるせえよ」

ヒアリは殆ど駆除され、残った巣の除去は他の白服が行っているらしい。
そのまま一班は解散になり、リッカとイツキはメグミによって邸に戻されていた。

「結局学校休んじまったなあ」

空は暗い。
ユキは邸の灯りを点けていてくれたらしい白ツナギのまま疲れた体を引き摺って戻った邸が明るいのが救いだ。
リンはまだ戻っていないだろう。先に汗を流したかった。

「風呂入ってちょっと休もうぜ」
「おう」

広いエントランスは暖炉が置かれた広い空間だ。
毛足の長いカーペットが敷かれたそこはクッションやソファーが置かれた寛ぎ空間になっている。
無意識にソファーに惹かれるのだから体はしっかり疲労しているのだろう。
部屋に向かおうとして、ふと、ワズを迎えに行っていない事に気が付いた。

「迎えにいってやらねえ……と……ん?」
「……リッカ」

だというのに、なぜ、リッカの足元にワズがいるのか。
いつもの癖で膝をつき、ワズを撫でるリッカに駆け寄ってくるのは久しぶりに出会う家族だった。

「兄ちゃ!」
「まつり?!」

何故この少女がここに居るんだ。
驚くリッカの目には制服を着たまま苦笑するユキの姿があり、いつ来たかは知らないがずっとまつりを見てくれていたことを知る。

「悪いな、ユキ。オレの妹だ」
「知ってますよ。俺も妹いるんで。カホよりよっぽど大人です」

苦く笑うユキに、苦笑いを返す。

「なあ、とりあえずまつりちゃんを部屋に連れてったら?おれらは風呂に行こうよ」
「そうだな」

今日はなんて忙しい日だ。
部屋の主よりも先に広い階段を上っていく妹を見上げて随分軽くなった足で追い掛けた。
良かった。家を出た時より顔色が良い。

「リッカ」
「ん?」
「まつりちゃん、元気そうでよかったじゃん」

ああ。
本当にその通りだ。

「そうだな」

リッカと同様に嬉しそうなイツキに頷き返した。





-to be continued-
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感想 1

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みんなの感想(1件)

スパークノークス

おもしろい!
お気に入りに登録しました~

冬透とおる
2021.09.29 冬透とおる

ありがとうございます!
楽しんで頂ける様にまだまだ頑張ります!

解除

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