虫宿し

冬透とおる

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pin.07「朝霧邸の住民」

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ばきぃっ……


腹を衝撃が走る。
息が詰まる。体が宙に浮いて、一瞬後に叩き付けられ床を滑った。

「リッカ!」

がんっ!金属音を立てて足元に転がったのは仕上がったばかりのリッカ専用のスタンガンだ。
新品のそれをぐらぐらと揺れる頭の片隅で探しながら慌てた顔で駆け寄るメグミを見やった。

「大丈夫か?」
「げほ‥」
「きれいにすっ飛んだわね。骨折れてない?」
「この馬鹿力‥!」
「大丈夫そうだな!」

心配そうな顔から一転からりと笑うメグミに覗き込まれ、腕を引き上げられる。
ずきりと痛んだ腹を思わず抱えた。痛い。

「いって‥」
「悪いな。これでも手加減したんだぜ?ひ弱過ぎる」
「あんたの馬鹿力に普通の学生が耐えられるわけないじゃない」

ああ。不甲斐ない。
チームに入って2日。実戦経験のないリッカを心配してトレーニングを申し出たメグミだったが、実戦どころかろくなスキルもなく、精々が子どもの喧嘩程度でしかない一般人のリッカでは赤子も同然だった。
これではチームの足を引っ張りかねない。

「ごめん‥」
「まあ、無理もないわよ。むしろド素人のあんたに負けてちゃあたしたちの面目が立たないわ」
「違えねえ」

両手の平を上に肩を竦めたキャラに続いてメグミが声をあげて笑った。
チームに入ってまだ2日目。しかし、そうと感じさせないほど駆除特化一班の面々はリッカの日常に溶け込んでしまった。
生徒と先生程に年の差があるにも関わらずそれを感じさせない気さくさ。面倒見の良さ。
同じチーム内にイツキの存在がある事も大きいのだが、ド素人で虫宿りという面倒なリッカに対して排他的なものが何もないのだ。
それは兄貴、姉御肌のメグミとキャラだけではない。
シロハすら実は面倒見が良いのだ。
そうでなければ初対面の人間が落ち込んでいるからとクッキーを渡したりしないだろう。

「教えてやるさ」

にっと笑うメグミに肩の力が抜けていく。
そんな気さくな男に拾われたリッカのスタンガンは鉄パイプと殆ど同様の長さに仕上げられた特別製だ。受け取り、頷いた。

「頼むわ」

こんな軽口が許されるのは白服全体を見てもここしかあるまい。

「で?なんで鉄パイプのモデルに改造したのよ。鉄パイプになんか思い出でも?」
「やんちゃしてた黒歴史でもあったのか?」
「あ、いや。そういうわけじゃないんだけど」

腕を組んだキャラの胸がたゆんと揺れた。
慣れない光景に視線を逸らし、無自覚だろうが喧嘩を楽しんでいた時代にまで触れられて口ごもる。
目を逸らして一瞬考え、画面の中で勇猛果敢に立つ向かう主人公の姿を思い出した。

「いや、武器なら鉄パイプだろ?俺が今やってるゲーム、鉄パイプが最強の武器なんだよ」
「ああ。なるほどねえ」

咄嗟に出てきたゲームの主人公。なんだか気恥しい。顔が熱い。
だって仕方ないじゃないか。ある意味憧れなのだ。嘘じゃない。
恐ろしい敵を前にして尚立ち向かう主人公には誰しも憧れるものだろう?

苦々しく頬を染めたリッカを前にしても二人は笑う事もなく、揶揄する様子もなく、「リッカが望んだ武器ならば何の問題もない」と頷くだけだ。
言われて気付く。

「二人はどんなスタンガン使ってんだ?」

白服の多くは支給された標準タイプのスタンガンを使っているようだが、イツキもミサキも改造されたスタンガンを使っていたはずだ。

イツキは二つのスタンガンをトンファーのように使いこなしていたし、ミサキは中学から剣道の有段者。竹刀と同程度の長さがあったはず。
ならば二人も改造されているかもしれない。
参考までに教えてくれはしないだろうかと二人を見ればニヤリと笑った。

「うちのチームはスタンガンの改造を推奨しているの。もちろん、個々の能力に合った改造よ」
「俺はそもそもスタンガンを使わないからなあ‥火炎放射器がメイン武器だ」

やはり二人も改造された武器だった。メグミにいたってはスタンガンですらなかった。

「まあ、あんたはただでさえ虫宿りなんだから私たちとは体の使い方も変わってくるわ。浸食が進行すれば状況も変わってくる。人間離れだってしてくるはず」
「へ?」

虫宿り。
リッカが白服に入隊した原因だ。腹の中で虫が孵化している。らしい。
そうは聞かされたがリッカにはまだわからないことばかりだった。

「結局、虫宿りって何なんだ?」
「……そうだな」

メグミは首を傾げた。

「虫宿り。虫宿し。宿主。色々言われてて俺たちも詳しくはわかってないんだが、孵化した虫は宿主の体を自分勝手に作り変えるらしいんだ。親和性を高くして繁殖力を高めるんだと。結果、宿主の体は虫になっちまうとか」
「繁殖が進めば進むほど虫に近づいていくらしいわ。あんたみたいに糸が作り出せたり、体液を毒に変えたり、腕が増えたり牙が生えたり」
「……え‥」
「まあ、それが嫌なら虫下しの研究に協力するしかねえな」

言葉を失う。
キャラが並べたのは人外そのものだ。正しく虫そのものだ。
そんな状況に置かれているのかと絶望したリッカに「でも」と、キャラは続けた。

「まだ紹介してないけど、仲間にあんたと同じ虫宿りがいるのよ。かなり進行が進んでいるけど虫の特徴を上手く使って今じゃ人類種最強よ?それでもまだ人間やれてるんだから悪いことばかりじゃないわ」
「仲間?まだいるのか?」
「ああ。スズメバチ相手にした時に消耗しきってな。今は休養してるんだ」

ふと、執務室の空いたデスクを思い出す。
シロハを真ん中に湾曲した"ハ"の字に設置されたメンバーのデスク。
入って左側にミサキが座っていた空席。イツキ。リッカ。
右側に空席。メグミ。キャラ。

なるほど確かに空席がまだ一つ残っている。
このチームにはまだ人が。しかも、虫を宿した人間がいるらしい。
しかし。

「消耗?」

息をのんだ。
リッカにはその人に心当たりがある。

「その人って‥蝶‥?」
「ああ。知ってんのか。そうだ。蝶の虫宿りだぜ?まぁ、お前らを助けた時に羽根が破れて肩甲骨と両腕の骨が砕けて肩が抜けてって悲惨な事になってな‥」
「ぅえっ!!?」
「落下する三人分の体重一人で引っ張り上げたんだからそれくらいのダメージはあるわよ‥」
「おまけに千切れた糸が絡んで飛べなくされて、お前らを地上に下して一人落下‥」
「ひいいいいいいい…!!」

思わず蒼褪める。
切れたと言え糸が張り巡らされた中で落下してくる人間三人分を一人で支えたのなら妥当なダメージだ。が。それを引き起こしたリッカにとっては肝が冷える思いだった。
申し訳ない。この一言である。

「あ、謝らなきゃ‥!」

顔面蒼白のリッカに二人は噴出した。

「大丈夫よ。アイツだって覚悟の上であんたたちを助けたんだから。それに虫宿りだもの。奴らの回復力は尋常じゃない。きっともう平気よ」
「イツキを助けてくれたお前に感謝すらしてたぜ?誰よりも仲間想いな奴なんだ。安心しろよ」
「お、おう‥」

あの日、曇天の下で広がった大きな蝶の羽根を思い出す。
後で調べてわかったことだが、あの羽根はモルフォ蝶によく似た美しい色をしていた。
うっすらと透ける青空色に、枯葉色の目玉模様。
蜂が飛び交うその中であまりに鮮明で、幻想的な光景だった。

「お礼はいうとして‥」

復帰したら虫について詳しく教えてくれるかもしれない。最も。

「やさしい人だったらいいなあ」

リッカの呟きに二人は顔を見合わせる。
それ以上を語らない二人に気付かず、リッカはぼんやりと未だ見ぬチームメイトに思いを馳せた。



***



『学校全体を覆う巨大な蜂の巣の発生から1週間が経とうとしています。この虫の異常発生は日本のみならず世界各国で多発しており‥』



ああ。まったく物騒だ。

生徒や教師、それに、白服の人間を含めて大災難以来過去最多の被害を出した巣の発生から1週間。
発生原因もその過程も一切判明せず、巣の早期発見の為に市内の学校やショッピングモールは臨時休業。
そうなれば学生たちは暇を持て余すだろう。
どこの局も、SNSもそんな話題で持ちきりになる中、リッカは朝の散歩を兼ねて学校指定の赤いジャージで邸内の探索をしていた。

一部の白服が住居として利用しているらしい"朝霧邸"。
丘の上に建てられていた洋館はホテルなどではなく、明治時代に建設された銘家の持ち物だったらしい。

白と赤、薄紅色のレンガ造りの外観。
数多くの窓は大きく白のレースカーテンが開かれて、掃除の行き届いた廊下は埃ひとつない。
洋館と言うには広い玄関で靴を脱ぐのがまたちぐはぐしてるが、その分館内が清潔に保たれているのを見ると逆に好感が持てた。

何よりもリッカの胸を弾ませたのは美しい緑溢れる広い庭だった。

館の裏は駐車場になっているのだが、麓の門扉から続く車道は淡い色のレンガ舗装。
それを挟むのは青々とした芝生とよく手入れされた四季折々の花にハーブ。生垣のトンネル。
そればかりか、芝生を挟んだ邸の前には澄みきった水の湧く岩があり、可愛らしい金魚が泳ぐ白砂利の池へ。そして、麓の町まで小川が続いている。

さわさわと機嫌良く葉をこする木の下に設置された白いベンチに座り、両手両足を大の字に広げて声を上げた。


「あーーーーー気持ちぃぃぃいいい!!!」


木陰での日光浴なんていつ振りだろう。
虫を恐れた住民が町中の木という木を伐採した今では道路脇にほんの少し残された小さな植林しかないのだ。
こんなにも緑溢れた景色の中で深呼吸などなかなか出来る事じゃない。
芳香剤とはまるで違う、優しい草と花、ハーブの匂いに心から癒されながらベンチから立ち上がるとフカフカの芝生に転がった。

「やべえ」

眠くなりそうだ。
シロハが気を使ってくれた折角の休日だ。まだ荷解きも済んでないし、今頃イツキが探しているかもしれないが大目に見て欲しい。と、心の中で隣室の友人に謝罪しつつ芝生を踏む小さな足音に顔を向けた。

「トト?」

トトはリンのペットのウサギの名前だ。
人懐こい白うさぎを期待して顔をそちらに向けるが、リッカを見下ろすウサギは白い靴下模様のオレンジ色をしていた。

「へ?!」

起き上がって気付く。

「なんだここは‥!」

芝生で戯れるモフモフ。
木陰で寛ぐモフモフ。
芝生を千切っては食べるモフモフ。

あっちにモフモフ。
こっちにモフモフ。

モフモフ天国じゃ!!

いつの間にか越えてきてしまっていたらしい芝生を囲む木柵の中で何羽ものウサギが自由に飛び回っているようだった。毛色の種類も多い。
その中でリッカに寄ってきたオレンジの白足袋の頭を撫でながらほのぼの眺める。
彼らもペットのウサギたちだろうか。
きぃ、と。柵が開く音にリンか、イツキかと振り向くと黒髪の少年が呆然とリッカを見つめていた。

「ご、ごめん、入っちゃまずかった!?」
「…あ、いえ‥」

予想外の人物に驚きが隠せない。
慌てるも、驚いた顔を見せる少年に敵意はなく、彼が着る制服には覚えがあった。
中華の模様である赤い雷文裾の白いスラックスに、紺色のカーディガンに刺繍されているのは赤い鳳凰。
そのどれもが金持ちや芸能人の多い中学校の校章だ。
ならばリッカよりも年下になる。
彼も白服の一人なのだろうか。
呆然と見つめていると少年は手にしていた野菜をたっぷり詰めた笊を下に置いた。
ウサギが一斉にそれに群がり、大人しかったオレンジの一羽もリッカの手をすり抜けて新鮮なキャベツに向かっていく。

「ええと‥」
「あ、俺、此処に住んでます。リンさんの手伝いで掃除とかしてます。朝霧雪生(アサギリ ユキ)です」
「ユキ、さん?」
「ユキで良いです。多分、俺のが年下ですよね?」
「そっか。サンキュな。俺は橘立夏」
「リッカ、さん」
「リッカで良いぞ」
「いえ、リッカさんで」
「お、おう」

朝霧。
この邸の名前と同じなのは偶然だろうか。

黒い髪に猫の様に大きな黒い瞳。
細身でリッカよりも身長が高い少年は顔立ちも整っていて、いかにも好青年といった印象だ。
しかし、リッカを"さん"で呼ぶと言い切った少年にたじろぐ。癖がありそうだ。
それでも同じ邸に住む以上今後も交流があるだろうと笑顔を貼り付ける。

「ええと‥ユキは白服なのか?」
「いえ。俺は一般人ですよ。リンさんのお手伝いしてるだけなんで」

この邸には白服の関係者しかいないと言ったが、この二人は違うらしい。
リンと同じ邸の管理者だろう。
キャベツを堪能して戻ってきたウサギを膝に乗せた。

「俺はつい最近白服になったばかりなんだ。足ばっか引っ張っててさあ」
「ああ、なるほど。俺の妹が白服で虫の研究してますから、駆除に困ったら相談してみるといいですよ」
「まじか!それは助かるな!妹に此処に住んでるのか!?」
「はい」
「へえ!今度紹介してくれよ!」

そこまで言ってふと気付く。

「つか、お前今いくつ?」
「中3の15歳です」

リッカより年下のユキだ。彼の妹となれば少なくとも彼より年下か、同年代。
そんな年齢で研究職。どんな妹だ。と、顔を引き攣らせたリッカの耳に届いたのはイツキの声だった。

「リッカ!お前部屋の片づけほっぽってなぁに"うさ用芝生"に入り浸ってんの?!」
「おお!悪いわるい!」

振り向けばやはりというか頬を膨らませたイツキがズカズカと柵を超えてくる。
不満たっぷりなイツキの顔は、言ってはなんだが予想通りだ。
顔の前で両手を重ねたリッカだが、予想と違ったのはイツキがユキを前にして表情を凍らせたことだろうか。

「……ユキ‥」
「…イツキさん‥」

冷たい風が吹く。
一触即発の気配がする。

「え?え?」

突如として張り詰めた空気に狼狽していると、それを察したオレンジ色のウサギがリッカのジャージの中に潜り込んでいく。
頬が引き攣り、冷たい汗が流れていくが、震える喉に息を吸った。

「い、イツキぃっ?」

声が裏返る。
ちらりとリッカを見やったイツキの目は驚くほど冷たい。

「ひ、ひ引っ越しの手伝いさんきゅな!さ、行こうぜ!」

これ以上二人を睨み合わせたらまずいかもしれない。と。
ウサギを抱いたままイツキの手を引いた。

「あ、ああ」
「イツキさん」
「……なに?」

だというのに、ユキはイツキを呼び止める。

「次、俺の大事な人あんなにしたら許しませんから」
「……悪かったよ」

ユキは未だに睨んではいる。いるが、不満気ながらも納得はしたようだ。
ウサギのブラッシングブラシを取り出したユキはそれ以上イツキを引き留める事もなく、イツキも同様にこれ以上ユキと話すこともないらしい。
リッカの手をするりと外して、腕の中のウサギの鼻先をついと撫でた。
思わず息を吐く。

「あー、びっくりした。どうしたんだよお前」
「別に‥」

話すつもりもないらしい。
ならばこれ以上の追及も無意味だと諦め、ぬくぬくと大人しく抱かれるうさぎを見下ろした。

「なあ、この子なんて名前なんだ?」
「ワズ。靴下って意味らしい」
「ワズ!」

ああ可愛い。
この子がリンのペットなら世話をさせてもらえないだろうか。
モフモフを堪能するリッカを見つめて苦笑した。イツキも長い付き合いだ。リッカの言わんとしていることはわかる。

「その子はトトの兄弟だよ。お世話したいなら頼んでみればいい」
「お、おう!わかった!」

ひくひくと動く鼻先がかわいらしい。
しかし、イツキは数回口ごもってリッカを見つめた。

「リッカ。ワズはおれが預かるから、お前、部屋に戻る前に風呂行って来たら?」
「へ?」

言われて気付く。
あの芝生はウサギがたくさん遊んでいるのだ。つまり。

「うおおお!!?まじか??!」
「ははーご愁傷様w」

そういうことである。





『風呂は共有だからな。今の時間はフリーだけど、女子が入ってたら使用中の立て札出てるから諦めて戻って来いよ!』



イツキのセリフを思い出す。
しかし、入口にそれらしき立て札はなく、脱衣所の洗面スペースに脱いだ服を放り込んだ。泥と糞で汚してしまったのだ。籠に入れる事を躊躇した結果である。

「おお!広いな!」

風呂には初めて来たが洋館に見合った広い浴場だ。
淡い色のタイルは大きな窓の光を柔らかく反射して湯気でくゆる空間をやさしいものにしているし、窓際の浴槽はたっぷりのお湯で満たされた大きなものだった。
どぼどぼと絶えずお湯が出続けている。
洗い場に置かれていたフルーツのような甘い匂いのシャンプーで体を流し、いそいそと浴槽に近づいていく。

「うおっ」

びりりと肌が痺れた。
少し熱めのお湯だ。ままよと飛び込むと全身が熱いくらいの温もりに包まれた。

「あーー!気持ちいい!!」

入浴剤でも溶けているのだろうか、濃厚な熱に包まれる。
広い浴槽いっぱいに体を広げたリッカの隣で不自然に湯が揺れた。

「?」

まるでもう一人いるかのようだ。

「ここのお風呂は温泉ッスよ」
「うおおおおおおあああああ??!!!」

小柄な体に桜色の肌。
長い赤毛は無造作に纏められて幾筋も風呂に浸かっている。
なによりぷるんと弾む小振りだが形の良い乳房。

女だ。裸の女がいる。

「くぇdxcfhjftvgbっふじこpl;」
「この辺って昔は温泉街だったみたいッス。そうは言っても、ほとんど枯れちゃって随分立つッスけどね。ここの地下とかはまだ生き残ってるから引っ張てるッスよ」
「なん!?なっ??!立て札なかったのに!!」
「あ~忘れてたッス。別にボクは構わないし?」
「俺が構うのぉおおおお!!!!!!」

淡々と続ける少女に思わず絶叫上げて股間を隠し、裸の女体に背中を向けた。

「うぶッスねえ」
「逆になんで平気な顔してるんだよぉお!!?」

狼狽えるリッカを他所に女はしれっと冷静だ。
隠す気もないのか堂々とした少女に身動きも出来ず叫ぶが少女は笑い声を上げるだけだ。

「まあまあ。別にいいじゃないッスか!ボクがお背中流しましょうかー?」
「やめなさい!!」

ふざけた口調の少女に思わず振り向き気付いた。きらり。胸元で濡れたタグが輝いている。

「あれ、お前‥白服?」
「そうッスよ。朝霧夏帆(アサギリ カホ)。本部の研究室で虫の研究してるッス」
「朝霧‥?」

ユキと同じ名前だ。
もしかして。

「ユキの妹ってお前か?」
「ッス。っても、ユキとは双子ッスよ。二卵性なんで似てないんだけどね」
「いや、似てる気がする」

黒髪に黒い瞳のユキとは違って、赤いフレームの眼鏡をつけたカホは赤毛に緑の猫目。
色は違うが中性的な整った顔立ちといい、大きな瞳といい、癖のありそうな性格といいそっくりだ。
身動きも出来ず少女の出方を伺う。

「で?お前いつも札も出さずに入ってるのか?」
「いやあ?さすがに出すッスよ。今日は全身はちみつまみれになったんで、そこの窓から入ったッス」
「窓?!」
「脱衣所に行くの忘れただけッスね!」

やはり癖が強い。
というか変人だ。
どうしたらはちみつ塗れになるんだとツッコミたい部分はあれど、その余裕はなかなかない。
万一イツキにバレようものなら白服でも学校でも変態扱いされかねなかった。アカリにはバレたくない。
どうやって風呂から脱出しようかと考えあぐねるリッカを知ってか知らずか、カホはずいとリッカの肩に身を乗り出した。

「うおおお!?」

身じろぐと柔らかな弾力が肘にぶち当たる。
「うっ」と悲鳴を上げかけて心臓もろとも動きを止めた。

「あ、ああああの‥カホ‥さん?」
「ふふん。きみの事はよおく知ってるッスよ。リッカちゃん?一班の末席に加わった蜘蛛の虫宿りッスよね?」
「……り、リッカちゃん‥」
「ボクはドクターの下で虫宿しの研究もしてるッス」
「本当か?!」

思わず振り向きあっと気付く。

「ひっ!?」

少女の裸体が目の前に。

「ん?」
「おまっ!ちょっとは恥じr」

がらっ。

「リッカさん。ここにいるかい?」
「~~~~~~~っ!!?」

ああ。無情。
裸で向き合ったまま脱衣所への引き戸へまるで錆びたブリキ人形の如く首を向けた。

「リン‥さん‥」

ぽかん。
そんな擬音が似合うほどきょとんとした灰色の瞳がリッカを、カホを見つめた。
熱い湯も忘れて冷たい汗が噴き出て伝う。

「カホさん。まあたあなたは窓から入ったの?」

しかし、リンの反応は予期しない慣れたものだった。

「リンた~ん!タオル~!」
「はあ。ごめんねえリッカさん。おどけたでしょう」
「へ?は?はあ???」

思わずリンを見、カホを見る。
突然浴槽から上がった少女に咄嗟に顔を隠すが、そのままリンによってバスタオルに包められた。

「とりあえずわたしのニット着て待ってなさい。部屋まで送るよ。リッカさん。イツキさんから着替えを預かってきたよ。服は洗濯乾燥してくから部屋で待っててねえ」
「は、はい‥ありがとうございます‥」

慣れた様子のリンにぽかんと開いた口が塞がらず、同時にカホを引き受けたリンに心から安堵した。
何となくリンを見つめていたリッカの前でニットが脱がれ、大きく開いたタンクトップの背中が露わになる。

「えっ」

ぴったりとした黒い布は線の細さを引き立てる、が、それより目を引いたのは背中のタトゥーだった。
モノクロの蝶がリンの肩甲骨いっぱいに羽根を広げている。

「リンさん‥?」

清楚な印象のリンとはアンバランスなタトゥーはどこか禍々しい。
しかし、リンのニットで裸体を隠したカホはそんなタトゥーをものともせず、あろうことかガラスの引き戸をガラッと開けてリッカに手を振ったのだ。

「また夕飯の時にね!」
「開けるな!!」

まるで嵐のような少女だ。
リンに引き摺られるまま脱衣所を後にする姿をぼんやりと見送って、ふと、洗い場にたった一組残されているボトル類を見やった。

「アイツのだったのか‥」

他の洗い場にそれらしいものはない。
ならばアレはカホの私物だったのだろう。
一気に力が抜けてリッカは一人原泉かけ流しの湯船に沈んでいった。





***





「ねえねえリンたん!リッカちゃんて虫宿しッスよね?」
「そうだねえ」
「いつ研究所に来る?」

好奇心旺盛なエメラルドの目は猫のようにくるくると回る。
薄暗い室内にはテーブルランプが数個置かれ、部屋を囲むガラスケースの中身はどれもカサカサと音を立てて蠢いている。
やれやれと肩を落としたリンは尻尾のように伸ばした赤い襟足にドライヤーを当てながら梳いた。

「近いうちにシロハが連れて行くと思うよぉ。でも、彼は一般人だったんだからあんまり怖がらせないでやってね?」
「ッス」

胡坐でベッドに座るカホはビッグTシャツに赤いチェックの下着姿。殆ど裸も同然だ。
それでも見慣れた光景にリンは頭痛を覚えながらもガラスケースを覗く白衣を振り向いた。

「あなたも待てないかい?」
「僕的にはリッカ君のような研究対象はいくらあっても足りないのさ!あなたやシロハ君の監視がなければすぐにでも研究室に連れていきたいんだけどね」
「あは!シロハが怒ると怖いよぉ?もちろん、わたしだって怒るよ?」
「わかってますって」

年頃の娘が裸同然でベッドにいるにも関わらずシバタは飄々と二人に近づいていく。
リンの背中のタトゥーを撫で、うっとりと舌なめずり。

「あなたは来てくれます?」

不意にノックの音が響く。
リンを呼ぶユキの声にパッと離れたシバタはそのまま部屋のドアを開けて招いた。

「やあ、ユキくん」
「げっ‥なんでアンタがいるんですか‥俺のリンさんに何もしてませんよね?!」
「まだ未遂未遂!カホの誘惑は今日も失敗したみたいだよ~」
「俺が警戒してるのはカホよりアンタですよ!行きましょう、リンさん!」
「あ、うん」

ドライヤーをカホに握らせ、腕を引かれる。
敵意をむき出しにしたユキの眼光など気にもせず、相変わらずシバタは飄々と笑うのだ。

「またね。リンさん」
「ええ。またあとでね」

この男には何を言っても無駄なのだ。





-to be continued-
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