虫宿し

冬透とおる

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pin.01「今日という日」

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中学最後の日は忘れられない。


世界樹の下。
元々虫の巣だっただろう土が固められた洞穴の中で卒業式中に姿を消した幼馴染は居た。
ぐしゃぐしゃの卒業証書。破れた制服に、据えたにおい。

__何があった。

火を見るよりも明らかな光景に疑問を持つ事すら許されない。
すすり泣いて、震えて、怯える少女の長い髪は泥に塗れて汚れていた。
それを拭おうとしたが拒否を恐れて躊躇し、ただ黙って隣に座る。

「…大丈夫‥」
「………」
「大丈夫よ‥」
「………」

あゝ。
俺は幼馴染一人守れない。
何故俺が慰められているんだ。

少年はボタボタと流れる大粒の涙を自覚しつつもどうにもならず、せめて声を上げまいと歯を食いしばって嗚咽を耐えた。

知っている。
少女に暴行を加えたのは、過去、少年が自慢の腕っぷしで撃退した他校の不良。
同級生だというだけの女子が絡まれているのを助け、喧嘩を売られて返り討ちにした。
その代わり。
こうして、一緒にいた幼馴染が被害を受けた。汚された。心も体も。

「ごめん」

震える声を抑える。
だって、自分が泣く事はあまりに卑怯だと思ったから。

「ごめん。オレのせいだ。ごめん。ごめん」

拳を握る。
爪が食い込んでいく。
そんな手のひらが暖かさに包まれて、ろくに手入れもしていない髪を細い手が撫でた。

「…ちょっとは、整えたら、いいのに‥」
「………」

顔を上げる。
少女は笑っていた。

「ばか。リッカくんの所為じゃないじゃない」
「……でも‥」
「わたし、リッカくんの事かっこいいと思うよ。だって、女の子を助けたよ」
「……でも‥!」
「こんな、危ないところまで、わたしを探しに来てくれたよ」
「………」
「わたしは、大丈夫」

不甲斐なさに。情けなさに。涙が溢れて止まらない。
少年は、少女の裸同然の体に自らの学ランを着せてその顔を覗き込んだ。

「ッ」

引き攣った笑い顔。
震えて噛み合わない歯のかちあう音。

「あかり」

鼻を啜って、涙を拭って、少年は真っすぐ少女の顔を見つめた。

「帰るぞ」
「え?」
「今日、オレの家誰も居ないし‥服‥そのままじゃ帰れないだろ?」
「………」
「オレの家、来いよ。そんで、卒業パーティー、二人でやろう」
「…うん‥」

ほんの少し染まった頬。
体温と光を取り戻した少女の瞳に、ほんの少し、前に向かって背中を押された気がした。
同じ高校に通うのだ。もう。こんな顔はさせない。



---



「でねでね!今年もののちゃんと同じクラスになれたんだ!」
「何回も聞いた。お前、早く学校行かなくていいのかよ?」
「へーん!ののかちゃんと待ち合わせてるから平気だもん!」
「何が平気なんだ何が」

ツインテールを揺らす妹は早朝からけたたましい。
元気いっぱいな声は寝ぼけた頭には刺激が強すぎて、欠伸をしながら耳を塞いだ。

橘立夏(たちばな りっか)。
橘まつり(たちばな まつり)。

高校生と小学生の兄妹だ。
朝から陽気なまつりに比べ、リッカの機嫌は最底辺。徹夜でゲームに励んだ頭と瞼は重く、憂鬱を前面に引き出して朝食の並んだテーブルに突っ伏し動かない。

「……お兄ちゃん、またイツキくんと朝までゲームしてたの?」

そんな姿に何かを察したのか嬉々と本日の予定を語ったまつりは言葉を切り、ジト目で兄を見つめた。
明らかに呆れた妹の態度に途端にバツが悪くなった。何となく視線を逸らし、姿勢を正す。

「別に‥」
「ちょっと!お兄ちゃんはともかく、イツキくんは白服のお仕事あるんだから無茶させちゃダメなんだからね!」
「わかってるよ。つか、お前、本当に時間大丈夫かよ。ののか、もう来るんじゃねえの?」
「……あ!メッセ来てる!」
「早く行けよ」
「もー!お兄ちゃんも遅刻しちゃダメだからね!」
「わかったよ」

「まつり!ちょっと待ちなさい!!」

足音までも騒がしい。
ランドセルを忘れたらしい。慌てて呼び止める母親の声をぼんやり聞きながら冷めたコンソメスープを啜った。

「ねみぃ」
「はぁ‥まつりも言ってたけど、あんまりイツキ君に迷惑かけちゃダメよ?」
「大丈夫だよ、アイツなら」

テーブルに置かれた牛乳を煽った。

「あ。そうそう。今日検査結果が返される日でしょ?」

噴き出す。

「何で思い出させるんだよ!」
「何怒ってるのよ。蟯虫検査なんて半年に一回やってるじゃない。大丈夫だと思うけど万一の時は直ぐに病院に行くのよ?あ、防衛局でも良かったわよね。その時はイツキ君に頼んでみましょうか」
「ちょ、ちょちょちょ」
「何にしても今は虫下しも進化してるから感染してても大丈b‥」
「やめろや!!飯がまずくなるだろうが!!!」

しれっと虫の話を持ち出す母親にリッカは頭痛を覚えて首を振った。
だって高校生はまだデリケートなのだ。母親に尻に貼るシールの話をされたくはない。
でも、と、食い下がる母に時計を指さし、次いで両親の寝室を指した。

「父さん!起こさなくて良いのかよ!!」
「あ!もうこんな時間?!」

話を逸らす事にはどうやら成功したらしい。
寝こける父を起こしに行ったらしい背中を見送って、朝食のトーストにベーコン、半熟卵、レタス全て乗せて追加した食パンで挟んで、鞄を引っ掴むと家を飛び出した。

「リッカ!」
「いってきまーす」
「もう!ちゃんと教えてねー!」

ドアの向こうから呆れた母の声が見送った。
まんまと逃げおおせた事に安堵し、食べにくいサンドイッチを食べながらのんびり学校に向かう。

「今日はいるかな‥」

日直のマツリと違って、リッカにはまだ時間の余裕がある。
アパートから出たリッカは急ぎ足で郊外の道へ。緑豊かな森林と丘を目指して学校に行くルートはランニングを兼ねた遠回りのルートだ。
しかし、リッカにはこの時間にその丘の前を。わざわざ虫が出るかもしれない緑溢れたそこを通る理由があった。

「お、居た!」

それは、丘の入り口に設けられたフェンスに佇む白いウサギだ。
飼い主がいるらしい白兎は首にパステルブルーのリボンをつけて、大人しくそこに佇んでいる。
この丘の上にはかつてホテルがあったというからこのフェンスはそのホテルのものだろう、丘を上がっていく舗装された道の入り口で。フェンスの前でちょこんと座っていた。

「はよ。お前、今日も門番か?かしこいなあ」

聞こえているのかいないのか。
くりくりとした丸くて黒い目が一度瞬きし、リッカを瞳に映すと逃げることなく撫でる手を受け入れた。
相変わらず人懐こいウサギである。
耳の長い、ふわふわの毛玉は温かく、毎朝の楽しみになっているのだ。

「本当にお前は可愛いなあ。ランニングも苦にならないぜ」

元来動物好きなリッカだ。家族全員動物好きである故にペット可物件にいながらペットを決められずに今に至る為、毎朝の触れ合いは尊い時間でもある。当然ウサギもその候補にいる。
白いウサギは人懐こく、普段ならばリッカが満足するまで撫でられてくれるのだが。

「あ‥ああ‥行っちまった‥」

ウサギはふと耳を立てて振り向くと、跳んでフェンスの中に入っていってしまう。
そこには整えられた花壇と芝生。それに生垣が続いていて、虫を恐れる人はとてもじゃないが近付こうとも思わないだろう。白毛玉を残念そうに目で追って、その先の人物に思わず目を瞠った。

真っ白だ。

小顔を包み込んでいる髪は白く、ウェーブが掛かったミディアムウルフ。
ふわりと優しい灰色の瞳。
血色を感じさせない白い肌。
細過ぎる体を包む白いドルマンニットは指先まで覆い隠してしまっている。
現実味がなく真っ白で、儚い印象のあるその美人は箒を置いて慣れた様子で兎を抱き上げた。
リッカを見つけて、にこり、と笑う。

「おはよう」
「お、は‥ようございます…!」

毎朝、リッカはここで一羽に会いに来るのが日課になっていた。
そんな中、ごく稀に会うその人は容姿で男女の判断が難しく、いまだに判別がついていない。
高校に進学してから殆ど毎日通い詰めているが、妙に緊張して挨拶が精々なのだ。
こうして挨拶を交わせるだけで十分だと思える程、その人は人とは思えない神秘性があった。
奉って拝み倒したい。

しかし、無情にも、朝の時間は長くは無いのだ。

「じゃ、じゃあ‥」
「ふふ。いってらっしゃい」

あゝ。無情。
振り向けばヒラヒラと手を振ってくれる綺麗な人。
それだけで満足し、リッカは漸く学校への道を急ぎ始めるのだった。





「今日はお話しできたんだ!よかったじゃない!」
「へぇ~。頑張ったね、"センセー"w」
「うるせえ!お前らだって、あの人と直接会えばあの緊張感がわかるぞ!!」

昼休み。
屋上で弁当を広げるのはあかり、イツキ、リッカの三人だ。
同じクラスで小学校からの付き合い。幼馴染同士。その仲は高校に上がっても健在で未だに付き合いは続いている。
そんな三人は生徒の少ない屋上で日々昼食を取っていた。
屋上は静かだ。
誰もが虫を避けて屋根の無い場所に好んで寄り付かない。そこで弁当を広げるというのなら猶更近付く事はしないだろう。屋根も無い。人も居ない。そんな屋上は温かく、風が心地良く、三人にとってはこの上なく居心地の良い場所だった。

そんな楽園であかり、イツキは弁当を。
リッカは途中のコンビニで買ったサンドイッチを口に詰め込みながらチラリとイツキを見遣った。

「いつもだけど、すげえ弁当だよな」
「ふふーん。これはおれの尊敬する人が作ってくれているのです!」
「イツキくんって下宿してるんでしょ?」
「うん、まあ、そんな感じかな。本当はそこまでしなくてもいいんだけど、ダメもとでお願いしたら作ってくれる事になったんだよねー」
「すげえ。マメな人なんだな」
「ふふん!」

イツキが褒められた訳でもないのに何故か胸を張って得意気だ。
情けなく目尻を落として笑う顔が無性に腹立たしく、何となく、本当に何となく強めに背中を叩くと「痛い!」と、不満たっぷりの声が上がった。

「え?なに?」

何となく叩いたのだ。理由は無い。
しかし、更に何となくイツキの髪色が目に入ってパックジュースのストローを噛みながらジト目を向けた。
イツキの金髪はいつもの事だ。しかし、昨日まで赤色などあっただろうか。

「……お前、いい加減髪色直せって。俺が先生から言われんだよ」
「ええ‥脈絡‥。良いじゃん。お前も、おれとお揃いで染めよ?服装合わせよ?おれが赤だから、リッカは青でお揃いにしよ!」
「しねえ」
「相変わらず仲良しね」

あかりは所謂正統派美少女。だ。
背中までの黒髪をサイドで一つに結び。制服は着崩す事も無くリボンタイに黒タイツ。
前から痩せてはいたが、高校に入ってから途端に体つきが女性らしく、特に、胸の膨らみも増している。

対してイツキは少々やんちゃが始まった。
猫ッ毛は金色に染められ、襟足で目立つ赤のインナーカラー。シャツは着ることなく、制服のジャケットの下は学校指定の赤色のジャージだ。
今日も朝一から生活指導によるお叱りを受けていたのだが、当の本人はどこ吹く風。
眠そうな目元も相まって元々顔が良いから女子受けもあり、もはや担任も諦めている。

そんな悪い友達から誘われる悪魔の囁きを日々拒否し続けてそろそろ一年になろうとしていた。
この男は諦める気配も無い。

「あーもう。白服のお前と違って、俺は真面目に大学行って。真面目に会社員になりたいの。お前みたいな運動神経無いの!喧嘩ももうしないの!」
「ええ‥残念‥」
「っふ‥はははっっ!!」

本気で残念がる様子を見せるのも今だけだ。また直ぐにケロッとした顔で誘ってくるのは目に見えている。
ため息ついてパックのカフェオレを飲み干し、スマホの通知音にイツキを見遣った。

「白服の仕事か?」
「うん。まあね」

イツキは白服の任務の時だけ通知音を変えている。
スマホを見るなり目の色を変え、食べかけの弁当を包んでバッグに押し込むといつものように笑って片手を振った。

「悪い、リッカ。またコバ先に言っておいてよ」
「わーったよ。気を付けて行って来いよ」
「おう!お前も、昼休み中に保健室来いってリョウコちゃんに呼ばれてるんでしょ?忘れず行って来いよ?」
「やっべ。わかってるよ」

学生でありながら白服の隊員であるイツキ、そして、同じクラスのミサキは任務があった出動要請があった時に授業が免除される。
後々補修になるだけだが、白服の任務が優先されるのだから二人のレベルは相当高いんだろう。
この高校には他にも自警団的なバイトで白服のサポートをしている学生が居るが、彼らはその対象ではないようだから。
見送ったリッカの隣であかりはスマホで時間を確認し、リッカの肩を叩いた。

「リッカくん、時間、もう行かないと」
「あ、ああ!悪い、俺の荷物持ってってくれね?」
「いいよ。先に教室戻ってるね」
「ああ」

遼子。は、養護教諭の名前だ。
朝のHRの後、担任のコバ先に言われていたのだが、殆ど忘れかけていた。
リッカはバッグをあかりに預けたまま、通知を鳴らすスマホを確認する余裕もなく急ぎ階段を駆け下りた。
昼休みはあと十数分。
早く終わらせてほんの少しでも昼寝の時間が欲しいと、辿り着いた保健室のドアをノックした。

「どうぞー」
「?」

しかし、首を傾げる。
リョウコ先生は白衣の似合う若い女性だった筈だ。こんな男の声ではなかった筈、と。聞き覚えの無い声が応答したことで警戒し、躊躇しながらもそっとドアを開けた。

「あの、2年の橘です」
「はーい。こんにちは」
「へ?え?」

切れ長の目と西の訛りのある口調。
保健室で待っていたのは、とてもリッカには覚えのない男だった。





-to be continued-
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