眠れない夜のために(一話完結掌編集)

Summertime (BAR Hardboiled)

　埠頭をわたる風は、深夜になっても生暖かいままだった。
　対岸のはるか向こうに、白い光が点滅している。おそらくは、港の入口を示す防波堤先端の小さな灯台なのだろう。

 　波止場をさ迷うように歩き続けたためか、少し疲れていた。海面ギリギリに配置されている、船を係留するための巨大な鉄の塊ﾋﾞｯﾄに腰をおろす。かつての日活俳優なら、ここに片足を乗せてポーズをとるところだ。

　タバコに火を点ける。マッチの煙が目にしみた。それが眉間にシワを作らせる。大きく息を吐きながら私は海面に目をやった。油膜でも張っているような、微動だにしない海が広がるはかりであった。

　なにか冷たいものを躰ｶﾗﾀﾞが欲していた。気持ちまで潤してくれる、そんな店があれば嬉しいのであるが。そんなことを考えながら、私は街まちの方向を目指した。




　まだ潮の残り香を感じさせる場所に、その店はあった。

「バーボンを。クラッシュ・アイスで…」

「変わった飲み方をするのね。普通はソーダ割りだけど」

　私はウイスキーのソーダ割りというやつが苦手であった。

「氷だけが、酒の香りを華開かせるのさ」

　バーボンの銘柄は訊かれなかった。それを、問いただす。

「フォア・ローゼス。うちでは、特に指定がないときはそれなの」

「悪くない。愛の受容を意味する四つの紅い薔薇だ」
　
　ブルース調の、けだるいジャズ・トランペットのミュート音が店内に漂っていた。

「姐さん、名前は？」

「ナツ。春夏秋冬のナツ…」

　クールで強気な夏があったもんだ。
　だが季節の夏も、ふと見せる涼しさがあったりする。
　そのギャップが私は好きだ。

　ひとつ、夏ナツと真っ向から渡り合ってみることとしようか。



ー終ー