元仔狼の冷徹国王陛下に溺愛されて困っています!

朧月あき

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1巻

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  第一章 森でかわいい仔狼を拾いました


 レイラはその日、籠を片手に、住み慣れた森を奥へと向かっていた。
 薬の材料の、エポックの花を採るためだ。
 肩下までのキャラメル色の髪を揺らしながら、着古したエプロンを身に纏い、鼻歌交じりに森を行く。木陰からリスやウサギが顔を出し、そんな楽しげな少女の様子をうかがっていた。
 生い茂る木々のせいで真昼でも薄暗いこの森は、見た目の不気味さから、〝死霊の森〟と呼ばれている。森に入ったら最後、二度と出られないと噂されており、近づく人間はまずいない。
 三六十度どこを見渡しても同じような景色のため、その噂はあながち嘘でもなかった。
 おかげで、盗賊にも人さらいにも、孤児院に連れて行こうとする大人にも、今まで一度も会ったことがない。  
 生まれたころからこの森で育ったレイラだけが、この森のことを熟知していた。
 つまり、齢十二にしてひとり暮らしのレイラにとっては、これ以上ないほど心地いい住処だったのである。
 湿った土の匂いがする。エポックの花が生えている湖まで、あと少しだ。
 適度な湿りけのある土壌と、特異な日照条件が揃わないと、エポックの花は育たないといわれている。〝死霊の森〟はそれらの条件を満たした稀有けうな場所なのだと、かつて祖父が話していた。
 だんだんと、木々の間から湖が見えてくる。
 暗い森の中で薄ぼんやりと湖水の輝く景色は、まるで人知れず輝く宝石のようで、いつ見ても美しい。
 だが目的地にたどり着くなり、レイラははたと足を止めた。
 湖のほとり、咲き誇るエポックの花に埋もれるようにして、獣のような影がぐったりと横たわっていたからだ。
 レイラは、おそるおそるそれに近づいた。
 輝く銀色の毛並みに、フサフサの尻尾。どうやら、狼の子供のようだ。

(狼なんて、この森にはいなかったはずよ。きっと、森の外から迷い込んできたのね)

 よく見ると、後ろ足から流血している。肉球が見えなくなるほど血にまみれていて、見ているだけで痛々しい。森をさ迷っているうちに、落ちていた枝などで負傷したのだろう。

(死んでいるのかしら?)

 微動だにしないため、不安になりながら背中に触れてみる。
 すると、くったりとした三角耳が微かに動いた。どうやら息はあるようだ。
 レイラは、その仔狼を家に連れ帰ることにした。まだ小さく、レイラの両腕で抱えられる程度の大きさなので、運ぶのに問題はなさそうだ。
 狼が凶暴な生き物だということは知っているが、まだ子供だし、きっと大丈夫だろう。愛くるしい顔立ちのせいか、狼というより仔犬のようにしか見えない。
 エポックの花摘みは中止にし、レイラは仔狼を抱えると、うんせうんせと森を引き返し、丸太小屋に戻った。息をつきながら、ぐったりしている仔狼をそっと自分のベッドに寝かせる。
 続いてたらいに水を用意すると、傷ついた後ろ足をきれいに洗い、作り置きしておいた万能薬を塗り込んで清潔な包帯を巻いた。
 お腹が空いているかもと思い、先日仕入れた燻製ベーコンを皿に入れて鼻先に置いてみる。
 すると、気を失っているはずの仔狼の鼻がひくひくと動いた。

「クウン……」

 ベーコンの匂いにつられるように仔狼は目を開けると、よろよろと顔を上げる。
 それから横になったまま、皿の上のベーコンをもしゃもしゃときれいに平らげてしまった。
 しまいには、ペロリと口の周りを舐めながら、琥珀色のつぶらな瞳でじっとこちらを見つめてくる。

「おかわりがほしいの? いいわよ、どうぞ召し上がれ」

 微笑みながら、レイラは残りの燻製ベーコンをすべて皿の上に置いた。
 森に住むレイラにとっては高級な食糧だが、そんなキラキラとしたまなざしで見つめられたら、期待に応えないわけにはいかない。
 仔狼はパッと目を輝かせると、おかわり分もすぐに空にしてしまった。それから傷ついた足をかばうようにしてもふもふの体を丸めると、力尽きたようにスースーと寝息をたて始める。

(なんてかわいいの)

 仔狼の愛くるしい寝姿に、レイラの胸がきゅうんと鳴る。レイラはそっと仔狼の背中を撫でると、もふもふの毛並みに頬を寄せるようにして、一緒に夜を明かしたのだった。


 レイラ・ブライトン。それが、レイラの正式な名前だった。
 ブライトン家は曽祖父の代からこの森に住んでいる、薬師の一族だ。
 彼女の暮らしを支えているのは、代々伝わる万能薬である。
 子供ながらに万能薬の調合法を完璧に覚えているレイラは、調合した万能薬を定期的に王都エンメルの市場まで売りに行って、生活費に換えていた。
 レイラに、両親の記憶はない。
 彼女がまだ赤ん坊の頃、薬を売りに行く途中で事故に遭い、帰らぬ人となったからだ。
 レイラを育てたのは祖父である。
 だがその祖父も二年前に亡くなり、以降レイラはひとりで生きてきた。
 祖父が亡くなって間もなくはつらかったが、くよくよしてはいられなかった。
『レイラ、苦しいときほど笑顔を忘れてはいけないよ。前を向いていれば、必ずお前は幸せになれるから』――そんな祖父の口ぐせを思い出したからだ。
 今にして思えば、祖父はレイラがひとりになっても気丈に生きていけるよう、その言葉を耳に焼きつけてくれたのだろう。
 天涯孤独のレイラの支えとなる人は、自分自身以外どこにもいない。
 レイラは生まれ育ったこの森が大好きだった。
 青々とした葉が朝露に濡れるみずみずしい朝、宝石のような木漏れ日が地面で煌めく清々しい昼。
 いつのころからか〝死霊の森〟と呼ばれ、人々から畏怖されるようになったが、実際この森は本当に美しかった。
 森の奥に行けば、エポックの花だけでなく、多種多様の草木や花、果実やキノコが生えている。
 それらの自然の恵みすべてが、ここで暮らすレイラのものだった。
 森で生まれ育ったレイラにとって、自然の恵みは、もっとも身近で愛すべき存在だ。
 新しい花やキノコを見つけたら、自宅にある古びた辞典で名前や生態を調べて知識を深め、スケッチして成長を観察することもあった。
 ときどき見かけるリスや鹿もかわいらしく、レイラの心を癒してくれる。
 だから、レイラはひとりきりでも平気だった――はずなのに。

(すごく、あったかいわ)

 仔狼に寄り添い目を覚ました翌朝、頬に触れるもふもふの温もりに、レイラは今までにない幸せを感じてしまった。
 この小さな丸太小屋に、自分以外の温もりが存在することが、こんなにも安心するなんて。
 祖父を失ってからというもの、くよくよしていられないと気丈に生きてきたが、本当はずっと寂しかったのだと思い知らされる。
 そうこうしているうちに、仔狼も目を覚ましたようだ。
 眩しそうに目を細め、クンクンと鼻を鳴らしながらあたりの匂いを嗅ぎ、不思議そうにレイラを見つめてくる。
 やや警戒心を抱いている様子だが、怯えてはいない。
 傷の手当をしたり食べ物をあげたりしたから、害のない人間だと認識してくれたのだろう。
 仔狼が安心できるよう、レイラはにっこりと微笑んだ。

「おはよう。お腹が空いた? 待っててね、今、朝ご飯を作ってあげるから」

 それから台所に行くと、パンにチーズをたっぷりのせて、オーブンでこんがりとあぶる。

(そういえば昨日の夜、燻製ベーコンを美味しそうに食べていたわね)

 だが、あいにく燻製ベーコンの在庫はもうない。
 だから代わりに保存用の干し肉を取り出し、軽くフライパンで焼いた。
 香ばしい湯気を立てている皿を手に寝室に戻ると、まだまだ足の怪我が癒えそうにない仔狼の鼻先に置いてやる。
 仔狼はちらりと上目遣いでレイラを見て、恐る恐るといった風に、料理の匂いを嗅いだ。
 そしてすぐにペロリと舌なめずりをすると、あっという間にチーズパンを平らげてしまう。
 それからまるでお礼を言うように、レイラの手の甲を舐めてきた。銀色の尻尾が、嬉しそうにパタパタ揺れている。
 どうやら、今度こそ警戒心が完全に解けたようだ。

「ふふ、優しい子ね」

 レイラは微笑むと、仔狼のもふもふの頭を優しく撫でてやった。

「ねえ、あなたはどこから来たの? 名前はなんて言うの?」
「クウーン」
「私に狼語は分からないわ。だから名前をつけてもいい?」
「ウォン!」

 肯定するように、仔狼がひときわ高い声で吠えた。
 とっておきの名前をつけるために、レイラは仔狼をじっと観察した。
 一夜明けて改めて見ると、銀色の毛並みを持つこの狼はとても美しい。本物の狼を見たことがないので比べようがないのだが、狼とはこれほどまで美しいものなのだろうか。
 何よりも目を引くのが、キラキラと輝くその瞳だった。

「あなたの琥珀アンバーの瞳、朝焼けの空みたいでとてもきれいね。だから、〝アンバー〟っていう名前はどう?」

 仔狼は首を傾げたあと、気に入ったと言わんばかりに、三角耳をピンと立てる。
 それから「ウォンッ!」と威勢よく鳴いた。

「じゃあ、今日からあなたのことをアンバーって呼ぶわ。分かった、アンバー?」
「ウォン、ウォン!」

 レイラの献身的な看護のおかげで、アンバーの足の怪我はみるみる回復した。
 三日もすればよたよたと歩けるようになり、一週間もすれば走り回れるようになった。
 怪我が治って以降も、アンバーはレイラの傍を離れようとせず、レイラもそれを拒みはしなかった。 
 食事のときも、エポックの花を摘みに行くときも、湖で水浴びするときも、いつも一緒。
 次第にアンバーは、レイラにとって家族同然の存在になっていった。

「アンバー。この籠、小屋まで運んでくれる?」
「ウォン!」
「アンバー。このスープ、初めて作ってみたんだけど、すごく美味しくない?」
「ウォウン!」
「アンバー。見て。とってもきれいな花が咲いているわ」
「ウォンッ!」

 アンバーは、賢い狼だった。レイラの言葉を理解し、いつも返事をしてくれた。
 そのうえお手伝いをしたあとは、褒めてと言わんばかりにお座りして、尻尾をパタパタさせるのだ。フサフサの銀色の毛の隙間から覗く、澄んだ琥珀色の瞳に期待のまなざしをのせて。
 あまりにも愛らしいその姿に、レイラの胸は毎回きゅううんと締めつけられてしまう。
 そしてアンバーに抱き着き、首筋に鼻先を埋めて、「アンバー、あなたは本当にいい子ね」と思う存分もふもふを堪能するのが決まりになっていた。
 夜も、レイラとアンバーは必ず一緒だった。

「あなたは小さいのに、あったかいのね。すごくホッとするわ」
「アンバー。ほら見て、あの星とってもきれい」
「しっかり食べて、どんどん大きくなるのよ。私はずっと、あなたの傍にいるから」

 粗末なベッドの上で、寝るまでの間、レイラはアンバーにたくさん話しかけた。
 アンバーはレイラの言っていることを理解しているかのように、いつも真摯なまなざしを向けてくる。そのうちどちらからともなくウトウトしてきて、ふたり身を寄せ合うようにして眠りにつくのだ。
 レイラは、実は夜が苦手だった。
 森の夜は、月灯りすらまともに届かないほど暗い。どんなに気丈に振る舞っても、見えない闇に対する恐怖だけはぬぐえず、毎夜レイラを悩ませてきた。
 だがアンバーと一緒に寝るようになってから、レイラは夜が怖くなくなった。
 こんなに小さな生き物に、それほどの力があるのかと驚くほどに。

「アンバー。私、あなたが大好きよ」

 時折、レイラはベッドの中でアンバーをむぎゅっと抱きしめながらこう告げた。
 アンバーが来てからというもの、毎日が楽しくて仕方がないからだ。
 そんなときアンバーはいつも琥珀色の瞳を輝かせ、レイラの鼻先をペロリと舐めてくれるのだった。
『僕も、そう思っているよ』――まるで、そう答えるかのように。
 そして気づけば、レイラとアンバーが一緒に暮らすようになって、二年の歳月が流れていた。


 その朝、レイラは調合したばかりの万能薬が入った小瓶を割れないよう布で包み、ひとつひとつ丁寧に籠に詰めていた。いつものように、王都エンメルにこの薬を売りに行くためだ。

「アンバー、納屋から籠をもうひとつ持ってきてくれる? 籠ひとつじゃ、全部入りきらなかったの」
「ウォン!」

 アンバーは弾丸のように丸太小屋を飛び出すと、あっという間に目当ての籠を口にくわえて戻ってきた。

「あら、もう戻ってきたの? また走るのが速くなったんじゃない?」
「ウォン! ウォン!」

 褒めてと言わんばかりに尻尾を振りながら、しきりにぐるぐる回っているアンバー。
 レイラがふかふかのその頭を撫でてやると、アンバーは満足そうにハッハッと舌を出すのだった。
 この二年のうちに、アンバーはずいぶん大きくなった。
 まだ大人の狼ほどではないが、レイラの両腕ではもはや抱えきれないほどにまで成長している。
 柔らかかった胸が固くなり、四肢もがっちりとしてきた。
 運動能力も目に見えて発達しており、最近は器用に前足を使って、湖から魚を捕ってきてくれるのが日課になっている。
 一方のレイラも、十四歳になっていた。
 腰まで緩やかに流れるキャラメル色の髪、森の湖水を思わせるエメラルドグリーンの瞳、小ぶりな鼻、薄桃色の唇。
 ほっそりとした体は、年齢を重ねるに従って徐々に女らしい凹凸を帯びてきている。
 王都に行くたびに男たちの視線を引きつけているのだが、ひとり暮らしが長いレイラは人一倍鈍感なため、まったく気づいていない。

「よし、これで全部入ったわね」 

 ふたつの籠の中には、布に包まれた万能薬の瓶がぎっしりと詰まっていた。
 代々伝わる万能薬は、湖のほとりで採れる、エポックの花を主原料としている。
 ほかにも二十四種類の薬草が調合されていて、ふわりと漂う自然の恵みの香りが特徴だった。
 傷口、痒み、打ち身、喉の痛み。ありとあらゆる体の不調を緩和させる効果があり、王都にはレイラが売りに来るのを楽しみにしている客もいる。

「では、行ってくるわ。お土産に燻製ベーコンを買ってきてあげるから、ちゃんとお留守番してるのよ」
「クウン……」

 きちんとお座りしたまま、アンバーが寂しげに鳴く。
 レイラを見上げる琥珀色の瞳には、目に見えて悲しみがにじんでいた。
 レイラが王都に薬を売りに行くたびに、アンバーはこんな目をする。

「アンバー、いつもごめんね。だけどあなたに悪気がなくても、街の人はあなたを見たら驚いてしまうの。騒ぎになったら、あなたの身が危険だわ」

 人間を襲う恐れのある狼は、たとえ子供であろうとも、見かけたら射殺してよい決まりになっている。
 ザルーラ王国は小国だが、物流が盛んで、王都エンメルには大陸から多くの人々が集う。
 そんな中に突如狼が出没したら、騒ぎになるのは必然だった。

「クウーン、クウーン」

 それでも寂しさがぬぐえないのか、アンバーはレイラの足に体をすり寄せてきた。自分を求めるその愛らしい仕草が、レイラの乙女心を刺激する。
 たまらなくなったレイラは、しゃがみ込むと、アンバーの体をぎゅっと抱きしめた。

「私もあなたと離れるのはつらいの。でも分かって、アンバー。森にある資源だけでは、私たちは充分に暮らしていけないの。あなたと平和に暮らすためには、どうしてもお金が必要なのよ」

 アンバーが、小さく頷いた。
 レイラが出かける時、アンバーはいつも寂しそうだが、レイラを引きとめたり、無理に追いかけてきたりはしなかった。賢い子だから、レイラの言いたいことをしっかり理解しているのだろう。
 今回も、ちゃんと自分のすべきことを分かっているようだ。
 そんなアンバーが、レイラは愛しくてたまらない。

「いい子ね、大好きよ」

 我慢できず、愛くるしいその口にちゅっとキスをする。
 もふもふ過ぎて、ちゃんと口に当たったのか、はっきりとは分からなかったけれど。

「ふふ。私のファーストキスよ」

 レイラがにっこりと微笑むと、アンバーの琥珀色の瞳がぎらついた。
 それは、レイラが今まで見たことのない凶暴な目つきで、背筋にゾクッと震えが走る。

(え……?)

 戸惑ったのは一瞬のことだった。
 アンバーがくわっと牙をき出しにし、レイラの柔らかな首筋に噛みついたのだ。
 ――ガブッ!
 そんな音がはっきり聞こえるほど、勢いよく牙を立てられる。
 驚いたレイラはアンバーから身を離すと、噛まれた箇所を手で押さえた。
 呆然と目の前のアンバーを見つめる。
 先ほどのまなざしが嘘のように、今のアンバーは、もふもふの普段と変わらない愛くるしさに満ちていた。

(何、今の……?)

 ドクドクと、心臓が早鐘を打っている。
 チェストから手鏡を取り出して確認すると、首の後ろあたりに、噛み痕らしき朱色の点がくっきりついていた。だがまったく痛くないし、血も出ていない。

(噛まれたのに痛くないなんてこと、あるのかしら?)

 疑問に思ったが、痛くないにこしたことはない。
 それに、何事もなかったかのようにパタパタと尻尾を振っているアンバーに、悪意があったように思えない。
 じゃれているうちに誤って牙が当たってしまったのだろうと、レイラは自己完結することにした。
 そして気を取り直すと、明日には帰るとアンバーに言い残して、万能薬を詰めた籠を手に王都に向けて出発した。


 レイラの住むザルーラ王国は、その昔、大陸の大半を占める大国だった。
 だが年月を経るに従い、次々と侵略され、今では小国と呼ばれるまでになり果てた。
 そして今なお、その豊かで利便性のよい国土を、血気盛んな国々に狙われている。
 だが現国王は軍事力に乏しく、他国に侵略されるのも時間の問題と、まことしやかにささやかれていた。
〝死霊の森〟を出たレイラは、近くに住む顔なじみの初老の農夫のもとに向かった。
 彼も定期的に農作物を王都まで売りに行っており、いつも快くレイラを馬車に乗せてくれた。
 間もなくしてレイラは、農夫とともに王都エンメルに到着した。
 賑わう街の中心には、国王が住まう気高きザルーラ城がそびえている。
 幾重もの尖塔が連なる白亜の宮殿は、圧倒されるほど広大で、かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃のこの国を彷彿とさせた。
 弱小国とはいえ、何百年も続く格式高い王室である。
 城には王族と高位貴族しか入ることを許されておらず、王都の中心にあるとはいえ、平民にとっては手の届かない雲の上のような場所だった。
 堀に囲まれたザルーラ城から放射状に広がる王都は、富裕層の居住区、平民の居住区、商業区のおおむね三つの区域に分かれている。
 レイラが薬を売りに行く市場は、商業区の中心部にあった。

「お、レイラだ。いつもの薬をおくれ」
「待っていたよ、これがないと、ばあさんが腰が痛いってうるさくってねえ。今日は二本買っていいかい?」

 レイラが籠を手に市場を歩けば、常連の客が次々と声をかけてくる。
 そのため、呼び込みをしたり、こちらから売り込んだりする必要はなかった。

「レイラ、俺もひとつ買うよ」
「ありがとうございます。四十ガルスです」
「はいよ、釣りはいらねえぜ。その薬のおかげで娘の怪我があっという間によくなって、感謝してるんだ」
「まあ、ありがとうございます!」

 薬師であるレイラの一族は、祖父の代からこの市場で万能薬を売っているため、今では愛用者がたくさんいる。
 といっても薬師と呼べたのは父の代までで、薬師登録をしていないレイラは厳密には薬師ではない。幼くして家族を失ったため、薬学を教えてもらう時間がなかったのだ。
 それでも父親代わりとなってレイラの面倒を見てくれた祖父は、万能薬の調合法だけはしっかりと幼いレイラの頭に叩き込んでくれた。 
 この薬が糧となり、レイラの生活を支えてくれるのを、分かっていたからだろう。
 万能薬は、クリーム状の塗り薬である。大病を治癒することはできないが、怪我の治りが早まったり、腹痛がよくなったり、どんな不調にもまずまず効く。
 ちなみに万能薬の調合法を記した文書は、ブライトン家の家宝として、丸太小屋の棚の奥に大切にしまわれていた。暗記しているため、特に見る必要もなく、目にしたことがあるのは一度だけだが。
 レイラの用意した万能薬は、その日のうちに完売した。

(あっという間に売れてよかった! アンバーが寂しがるから、早く帰らなくちゃ)

 レイラは大急ぎで、食料や必要物品、それからアンバーへのお土産の燻製ベーコンを買い込んだ。それらを万能薬を入れてきた籠に詰め、馬車の停車場に向かう。
 一緒に来た農夫は二日後に帰るらしいので、別の馬車に乗せてもらうことにしたのだ。彼はたいていレイラよりも長くエンメルに滞在するため、こういうことはよくあった。
 停車場でうろついていると、親切な大人が、帰るついでに乗っけてやろうと声をかけてくれるのだ。
 その日も優しそうな行商人の夫婦が声をかけてくれ、すぐに帰りの馬車が決まった。
 今から出発すれば、翌朝には帰れるだろう。
 小さな子供が三人と赤ん坊のいる馬車の中は、終始和気あいあいとしてにぎやかだった。
 面倒見のいいレイラはあっという間に子供たちに好かれ、幼い兄弟の間で取り合いが始まった。

「レイラ、つぎは僕とあそんで!」
「ずるい! ぼくが先だよ!」
「わーんっ! にいちゃんがおした~!」

 馬車は王都を抜け、やがて郊外に出た。
 建築物の立ち並ぶ王都とは違って、郊外には自然があふれている。遠く連なる緑の山々を眺めながら、麦畑の広がる田舎道を進み、やがて馬車はモルグス川に差し掛かった。川沿いに進めば関所があり、隣国デガスに通じている。


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